10(桂木)
桂木マコト、17歳。
特技、料理、手芸。
弓道部所属。
以上が、僕の簡単なプロフィールです。
ある日突然、人がゾンビ化するウィルスが蔓延した世界で、僕は生き残ってしまいました。
理由もわからない、原因もわからない、ただただ事実として突きつけられた現実に、僕は生き延びられたことについて運が良かったとはとても思えなくなりそうでした。
暗い体育倉庫で一晩過ごし、自分がこれからどうすればいいのかもわからずに途方に暮れていた、これが僕の現実でした。
備えあれば憂いなし。
なんとか自分を奮い立たせて戦いの準備をするも、やはり倉庫から出て行く勇気はなく、このままここで餓死するのかと半ばあきらめていたときでした。
神々しい光を放った天使が、現れたのです。
まぁ僕は、あまりにおびえていたのでそんな天使に包丁を投げつけてしまったのですが、天使はそれを素早い身のこなしで避けたので良いとします。
それを見て、僕は直感しました。
彼女は天使ではないけれど、神様が僕に与えてくれた最期のご褒美なのだと。
彼女はゾンビではなくて、もちろん天使でもなくて、ただの人間でした。ただの高校生でした。僕と同じ、偶然生き残ってしまった1人に過ぎませんでした。
しかし、僕にとっては彼女はただの人間ではありませんでした。
例え逆光でシルエットしか見えなかったとしても、僕にはそれで十分だったのです。僕が彼女だと認識するにはそれで十分でした。
よりによって、ここに来たのが他の誰でもなく彼女だったことが僕への神様からのご褒美だったのです。いえ、この場合ご褒美と言うよりはハナムケというほうが的確でしょうか。
最期のお願いを、神様は叶えてくれたのですから。
僕にとって唯一無二のその人は、無我夢中で倉庫に引っ張り込んだ僕を見て、命の恩人であるところの(ほんの少し前、包丁で彼女の命を奪ってしまうところだったのは置いておいて)僕に対して放った一言は何とも味気のない物でした。
「えぇと・・・誰ですか」
彼女、小河原サキは僕に対してそう言った。
いやもうマジで、耳を疑った。
冗談かと思った。
でも考えてもみれば、彼女のそういう世の中の全てに関心を持たないような浮世離れした雰囲気に僕は酷く惹かれていたのだった。
とはいえやはり、彼女に名前を覚えてもらえていなかったのはかなり堪えた。
「・・・本当にわからない?」
諦め悪くそうきいてしまう僕。
ほら、じっくり顔見れば思い出すかもしれないし。突然のことでちょっと混乱してるのかもしれないし。
けれど彼女は
「んん・・・。どこかで会ったかな・・・」
などと不思議そうな顔をして、完璧に僕のことを忘却しているようだった。
もとい、はなから僕のことなど眼中になかったのだと思われる。
せっかく出会えたというのに何ということだ。それでも僕はこの天文学的偶然に甚く感謝していた。それもあってか言うほどガッカリもしておらず、何というか、こんな時だというのに少しばかりうかれてしまっていた。
残念な半面、浮き足立つ僕を不審そうに眺め、彼女は再度自信無さげにこう言った。
「2年生?」
「・・・はぁ」
そこからか。
どうやら、僕のことは眼中になく日々生活していたらしい。
それじゃあ、これでどうだ。
ちょっとだけ期待してドキドキしつつ僕は自分の正体を明かした。
いや明かしたも何も隠してなんていないのだけれど。
「桂木マコト。小河原さんの後ろの席だよ」
「・・・まじか」
この「まじか」には二つの意味が伺える。
ひとつは「えっマコト君だったの?嘘ゴメン私ったらうっかり☆」の含まれる「まじか」。
もうひとつは「えっ後ろの席の人ですか。うっわ全然記憶にないどうしよう」の含まれる「まじか」。
彼女の顔を見ればどちらの意味かは明らかだった。
残念、僕。涙をのんだ。
つまりこれが、彼女、小河原さんにとって僕、桂木マコトとのファーストコンタクトも同一だったということで、世界が滅びつつある今になってようやく僕は恋する女の子に存在を認識してもらえたというわけだった。
スタート地点に立つのがあまりにも遅かった。
これから先、成り行きで小河原さんと共に決死の逃避行を行うことになる僕ですが、この時はまだ彼女の本質をまるで理解できていなかった。
僕は彼女の表面をなぞるように薄く見てしかいなかったのに、恋をしていただなんて良く言えたもので。
表面すらまともに見ていなかったかもしれない。僕の恋は憧れに近く、彼女が孤高の存在で何でも悠々と簡単にやってのける天才か何かだと思っていた。それはただの理想の押し付けにすぎなくて、ただのエゴイズムでしかないのだった。
それに初めて気が付いたのはある夫婦の家に一泊したときだったが、ひとまず最初の僕は知る由もない。
倉庫を出て一発目、彼女が躊躇なくつい昨日までは人間だったゾンビ(しかも知り合い含)をかなりえげつない方法で殺したとき、僕は恐怖と同時にある種畏怖すら感じていた。
小河原さんが何の感慨も見せずに彼らを倒すのを見て、震えが止まらなかった。アッサリと人を殺すことのできる身軽さ。身体的だけではなく精神的な身軽さだ。その身軽さにゾッとした。戦いそのものが恐かったから震えたというのもあるのだけれど、彼女の纏う身軽さに感動さえ覚えたのだった。
もちろん、普通に学校生活を送っている中で、彼女が躊躇なく人を殺せる人間だとは思っていなかった。(厳密に言えば今も彼女は人殺しはしていない。相手は人ではなかったわけだし)もしそんな場面を目撃してしまっていたのなら、僕は彼女に恋なんて絶対にしなかったと思う。
学校での小河原さんは、みんなに一目置かれる存在だった。
本人は友達がいないし、それが少しばかりコンプレックスでもあったようだったけれど、小河原さんが気付いていなかっただけでかなりの人が彼女に憧れていた。
気だるげな雰囲気が顔の綺麗さと相まって何とも言えず美しく見えるのだ。他人に左右されない自由さと、我が道を行き好きなように生きる姿が美しいと、僕は思った。
そういう人は周囲が話しかけ辛い、遠慮する、という理由だけで孤高の存在になってしまう。孤高だと祭り上げておきながら、本人にとっては孤独であり孤立だとは皮肉な話だ。
小河原さんの本性を知った今となっては、ただただ眠い、怠い、面倒くさい、周囲が目に入っていない、など社会不適合者な真実がオンパレードだったということに気付いてしまったわけだが、それはさておき。
そう、有体に言って、彼女はモテるのだ。
本人はまるで気付いていなかっただけで。
1年程前に、学年で人気のある男子生徒が勇気をだして彼女に告白をした。
「好きです。つきあってください」
高校生の日常風景。どうってことないアレだ。
この時僕はまだ小河原さんと同じクラスだったわけではなくて、彼女のことをよく知らなかった。ただ噂の美人がついに恋人をつくったという周囲の騒ぎを聞いただけだった。
この時の僕の感想は「ふぅん」だった。さして興味もなかったのだ。
結局、2人はすぐに破局をしてしまったらしい。
その理由が今ではよくわかる。いや本当。(こんなことを言ったら確実に小河原さんは拗ねてしまうので絶対に言わない)
小河原さんが何を思って告白を受けたのかはわからない。けれど今なら簡単に予想がつく。聞いたらきっと彼女は「頼まれたから」と答えるだろう。「好きです。付き合ってください」「いいですよ」と。それこそお決まりの「で、どこに付き合ってほしいんですか?」という文句が語尾についてしまいそうな気軽さで了承したのだろう。
相手が彼でなくても良かったのだと思う。極端なことを言えば、僕が告白したところで小河原さんは「いいよ」と言うのだと思う。
そう、彼女は孤高で美しい存在というわけではなくただただズボラな自由人なのだ。
DVDの返却がしたいだなんて勝手なことを言ったり、無理矢理ハンドルを奪って車を店に突っこませたり、僕が嫌いなホラー映画を余裕で観たり(しかもそんなの観てる場合じゃないときに!)、壊滅的に料理ができなかったり、ケータイの使い方がろくにわかってなかったり、会話の端々に馬鹿っぽい言動が混じっていたり。
だんだんだんだん、小河原さんのズボラさを認識して、ダメさを理解して、ようやく分かった。
小河原さんは、彼女は完璧な人間なんかじゃない。
ただただ身軽なだけの人じゃない。
確かに他人より薄情で、こっちが吃驚するぐらい常識から外れたことをする。
けれど彼女はただの人間で。僕と同じように生きている。血が通っている。
例えば悲劇の最期を迎えることになった夫婦の末路を目の当たりにして、本人が自覚しているより深く深く傷ついたりもする。
自分が弱いことにも気づかない、どうしようもなく脆い人間だ。
それで、僕の憧れは綺麗さっぱり無くなってしまったというわけだ。
今の彼女に尊敬できるところがあるとすれば、お気楽に構える姿勢とホラー映画に対する耐久性くらいのものだ。
だからようやく、彼女と同じ目線に立つことができたのだと僕は思う。
ようやく1人の人間として、向き合えた。
憧れの方は無くなったけれど、そんなものは彼女相手には必要のない物だった。最初から邪魔でしかなかったんだ。
夫婦の家で、僕はクローゼットに服を取りに行った小河原さんを待ちながらシャワーが出るかの確認をした。結果。ありがたいことにシャワーは使えた。
けれどしばらく待ってみても小河原さんは一向に現れない。まさか何かあったのか。もしかしてまだこの家に知られざるゾンビが潜んでいたのか。
焦った僕は寝室に乗り込んだ。
で、大きなベッドの隅っこで眠る小河原さんを発見した。
「小河原さん?」
返事ナシ。
寝息がスースーと聞こえる。なんで服を取りに来ただけの人がわざわざ律儀にベッドで寝ているのか。
呆れていると、目の端に脇に置かれた写真立てが映った。
写真立ては倒れていて写真が見えない。
この綺麗な部屋を見る限り、リビングのように争いによって倒されたのではないことが予想できた。
写真を手に取ってみると幸せそうな夫婦の写真だった。
「・・・・・・」
あぁ。
もう一度よく小河原さんを見た。彼女の寝顔は決して幸せそうではなかった。眉間にシワを寄せて、何かに耐えるように手はぎゅっと布団カバーを握りしめている。
いくら鈍い彼女でも、この夫婦の夫が先ほどのゾンビで、落ちていたのが妻の腕だったのだとわかり、彼が彼女を喰ってしまったのだと理解したのだ。
それで、今こうして現実逃避でもするように、殻にこもってストレスから身を護っている。本人が、そして僕が気付いていなかっただけで、小河原さんは弱い。理由はわからないけれど、その弱さを補うために無気力で無関心な人柄を形成してしまったのかもしれない。
僕だって、こんな写真を見て平気ではいられなかった。
クローゼットから服を借りて寝室を出た。熱いシャワーを浴びて、その後で小河原さんを起こそうと思たからだったのだけれど、僕の体にも限界がきていたらしい。
洗濯機に服を入れ、シャワーを浴びた、風呂場からでて服を着た。かろうじてここまで覚えていたが、後はもうどうやって自分がソファーまで辿りついたのかもわからない。
目を覚ますと、小河原さんが僕の寝ていたソファーのすぐ隣の床で寝ていた。
いつ移動してきたのか、気づかなかった。彼女もシャワーを浴びたらしく服が変わっていた。
そこでハッとして、洗濯機に急いで向かうと、心配した通り。
僕の洗濯物は僕じゃない誰かの手によって全部干されていた。
そうだ。認めたくないけど、信じがたい事に、僕は好きな女の子に自分の服を干されてしまった。・・・つまり下着もってこと。
むしろ気にするのは僕じゃなくて小河原さんの方だろうに!小河原さんにとっては何でもないどうでもいいことだったのはわかるけど!もうちょっと!もうちょっと気をつかってくれても!
鏡には真っ赤になった僕の顔が写っていた・・・。恥ずかしすぎる・・・。
せめてもの気晴らしに、僕は床で寝てしまっている女の子に毛布をかけて朝ご飯を作ることにした。だいたい何で男の僕がソファーで女の子の小河原さんが床で寝ているんだ・・・。反省。
こんな経緯があって、僕は小河原さんの素顔に少しずつ近づいていると思ったわけで。
うん。
憧れはなくなったよ?
それについては別段、惜しいとは思わない。
やっぱり憧れは僕と小河原さんの関係の間に必要のないものだった。
まぁ、でも
だからって恋まではなくならないと、僕は知った。この身をもって。




