衝突(1)
次の日、教室に着いた岬を待っていたのは女の子たちの黄色い声だった。
黄色い、というより少々色仕掛けも入っている者もいるから「ピンク色」、と言った方がいいのか。
よく見ると、上原真沙美とその取り巻きたちだった。
彼女たちのお目当てはもちろん、例の転校生、蒼嗣克也だ。
好きな食べ物やら、いつも聴いてる音楽は何か、などなど、転校生にはお決まりの質問を、机を囲む女の子たちが次々に蒼嗣にあびせている。
何重にも女子が群がっているから隣の席も既に占領されていて、岬はしばらく座れそうにない。かといって、あの集団を掻き分けて席に座るような勇気も気力も持ち合わせてはいない。
教室の入り口で途方に暮れていると、後ろから肩をたたかれた。
振り返ると圭美だった。
「あれねー、さっきからあの調子なんだけど。全くまいるよねー。」
そう言って、高い位置でひとつにまとめた髪の先が顔にかかるのを払いのけながらため息をつく。
「圭美は?行かないの?」
分かっていてわざと岬は聞いてみる。
「あったりまえじゃん。あんなバカたちと一緒にいたらいつまでも軽い女集団のうちの一人としか見てもらえないじゃない。」
さすが、歯に衣着せない圭美らしい言い草だ。
「圭美ってばひどー。……当たってるけど。」
岬は苦笑する。
「ていうかさ、さっきから聞いてると、蒼嗣くんはほとんど訊かれたことに答えてないってのに、よくもまあ、めげずに声かけ続けられるよね。」
圭美は肩をすくめた。
その時。
「いい加減にしてくれ」
怒鳴り声ではない、しかしはっきりとした声。
それと同時に今までしていた黄色い声が突然ぴたりと止む。
その場にいた者も皆、何事かといっせいに声のした方を見た。
すると、取り巻いていた真沙美たちの間から、注目の主である蒼嗣が、文庫本を片手にすうっと出て来る。蒼嗣の視線は全く真沙美たちを見ていなかった。
ただ、蒼嗣はその場から二、三歩離れると、真沙美たちを一度振り返った。
真沙美たちの顔は一瞬明るくなったが、次の言葉に再び凍りつく。
「二度と俺に関わらないでほしい」
言い捨てて、教室から出て行こうとしたのか、蒼嗣は出入り口に向かって歩き始める。
その光景を、岬も息をつめて見ていた。
遠くに、あっけに取られている真沙美が目に入る。
真沙美たちになびかない蒼嗣に内心ホッとしている気持ちもあったのだが、一瞬、『関わるな』と言われた真沙美たちの姿が、昨日『うっとうしい』と言われた自分とダブってしまった。
「彼女たち、可哀相。もっと言い方ってもんがないの?」
思わず、目の前を通り過ぎようとしていた蒼嗣に否定的な言葉を投げかけてしまう。
その瞬間、ぴくり、と蒼嗣の眉の端が震えた。
「他にどんな言い方がある?プライベートに土足で上がられるのは不愉快だから、正直に言ったまでだ。」
冷たい、抑揚のない声で蒼嗣は言った。感情の読めないその表情が、余計に岬を苛立たせる。
「だからって、あんな風に取り付く島のない言い方されたら……」
岬がそう続けようとした時、蒼嗣は不快感をよりいっそう顕にした。
そして、
「これは俺の問題だ、お前にも今後一切、俺のことに口出ししないでもらいたい」
冷ややかに言い放ち、そのまま教室を出て行った。
蒼嗣が出て行くと、真沙美の取り巻きが一生懸命、中心でうつむく真沙美を慰めている声が聞こえた。
「何あれ!?気にすることないよ、真沙美。いくらカッコよくても、あいつ性格悪いよ!」
「そうそう、あんなやつに構うの、もうやめたほうがいいよ!」
その他の野次馬も、賛否両論、勝手なことをあれこれ口にする。
そんなざわめきを聞きながら、岬は拳がぶるぶると震えるのを感じた。
勢いで言ってしまって蒼嗣を怒らせてしまった後悔と、自分まで再び拒否された悲しさが頭の中でぐるぐると渦巻き、岬の心の中をかき乱していた。
――昼休み。
「どーしたっていうのよ、岬。」
圭美は学食のうどんをすすりながら岬を見つめた。
「だっていくらなんでもあの言い方はひどいと思わない!?」
何かを振り切るように、岬はサラダをフォークで勢い良く突き刺し、上目遣いで圭美を見上げる。そうしないと、なんだか自分がすごく落ち込むような気がして。
圭美はそんな岬を見て、少し困ったような顔をした。
「そうかな?相手に対して興味がないなら、曖昧な態度で変に期待持たせられるより、初めからはっきりと拒絶しておいた方がよほど親切だってあたしは思うけど。」
そう言われて岬は言葉に詰まった。
「それに、確かに真沙美たちはうるさすぎだよ。蒼嗣くんに対してだけじゃなくても。もともとプライベートのことにとやかく言われたくないって人は少なくないからね。蒼嗣くんがはっきりと言ってくれて、逆にあたしは胸がスーッとしたな。」
圭美はにやりと笑った。
その言葉に、岬も今までカーッと頭に上っていた血が一気に下がるような気がした。下がりすぎて自己嫌悪に陥りそうだ。
『確かに、そうだよね。楽観的なあたしにだって、言いたくないことはある。ましてや、そういうことが苦手な人だったらなおさら、あれこれ他人に詮索されるのは嫌だよね……』
圭美の言うことは正しい。
ただ、蒼嗣の態度にも気になることがあるのは確かだ。
あの明らかに人を突き放したような瞳が心に焼き付いて離れない。
極度の人嫌いなのだろうか?蒼嗣は積極的に友人を作ろうとする気がないようで、女子はもとより男子にも最低限の関わりしか持とうとしていないように感じる。
真沙美に、というよりすべてに対して距離を置いているようなその態度がとても気になるのだ。
圭美はそんな岬の顔をじーっと見つめる。
「私としては、蒼嗣くんの態度よりも、岬が真沙美たちの味方をしたっていう事実のほうが驚きだな。」
そう言ってどんぶりのそばにある水を一口飲む。
「別にそういうわけじゃ……」
否定しようとはしてみるものの、冷静に思い返して見ると、そういう意識はなかったものの結果的に真沙美のことを庇うことになっていたと気づく。
『どうしちゃったんだろう、あたし。』
岬はため息をついた。
何かの歯車が噛み合わなくなっていることは確かだった。
とにかく明日、学校に行ったら蒼嗣に謝ろう。
そう、岬は決めた。