蠢くもの(1)
『……議員の汚職疑惑について連日お伝えしていますが、本人はコメントを避けており、真実は未だ明らかにされておりません。しかし、先日の強制捜査で……』
薄暗い部屋にテレビの不安定な光だけが煌々とゆらめく。
「くそっ、忌々しい!どいつもこいつも俺を犯罪者扱いしやがって!」
男はたれた目だけをテレビに向け、吐き捨てるように叫んだ。
男が罪を犯したことは間違いのないことだったが、まだ男は捕まるわけにはいかなかった。
部屋の外では信頼の置ける身辺警護の者が配置されている。
たが防音設備の整ったこのホテルでは、通常ならば部屋の外に声が漏れることはないだろう。それゆえ、世間では冷静で穏やかで通っている男も、心置きなくこのような暴言が吐けるのだ。
このホテルに男が報道陣から身を隠して三日――、最初は自分の立場が危うくなることなどありえないとタカをくくっていた男も、少々焦りを感じてきていた。
いざとなれば助けてくれるはずの『共謀者』からの連絡がどうしても取れない。今までこんなことはなかったのに――。
その焦りが、苛立ちとなってこの空間を支配していた。
男は、冷蔵庫にある缶ビールをおもむろに取り出す。もう今日だけで何本目になるだろうか。
プルトップをひねると、空気の抜ける音が部屋に響いた。
缶に口をつけようとしたその時、首に違和感を感じ、男はその手を止めた。
缶を持っていない手で違和感を感じた場所に触れるが、特に何も異変は感じられなかった。
不思議さに首をひねりながら男は何気なく振り向き――、
「ヒ、ヒィ!」
男は目を剥いてその場にへたり込んだ。
もう夜とはいえ、まだ昼の熱気が残るこの時期に不似合いな黒いタートルネックシャツ、ぴたり体に着くような黒い革のパンツ、黒の皮手袋という黒ずくめの、見たことのない青年がそこに立っていたからだ。
青年の顔だけは隠しておらず、少し長く垂れた前髪がその瞳をさらにミステリアスなものにしていた。
「な、なんだ君は!警護をつけたはずなのに!どこから!!」
ようやく男は上ずった声で叫んだ。
「あのような警護は役には立ちません。」
表情を動かさずに青年は腕を組んだ。
「我々に対抗できる者などいません。――強いていうならば……の一族の者くらいでしょうか?けれど、あのような雑魚の警護しか与えてもらえなかったとは――。貴方はそれを与えてはもらえなかったんですね……可哀相に。」
途中、意図的にか声をひそめたため、焦りでパニックになっていた男の耳には聞き取れなかった。
そして青年は、男に向けた『可哀相』という言葉とは裏腹に、クッとおかしそうに喉を鳴らした。
「与えてもらえなかった?」
男は青年の言葉を繰り返した。
この警護を紹介してくれたのは『共謀者』の一人だ。
自分たちの罪は決して表に漏らしてはならない。さもなければ政治の世界にはいられなくなるからと――。
「申し訳ないがおしゃべりの時間はない。もう貴方とはお別れしなければ」
青年はすっと組んでいた腕を解いた。そして右の人差し指を男に向ける。
「な、何を!」
男の叫びなど耳に入っていないかのように、青年は続ける。
「最後に……教えましょう。この俺に『仕事』を命じたのは、あなたの大切なご友人です。」
そう言って、青年は男の耳にかろうじて届くほどの声でその友人の名を告げる。
その『友人』が、自分に警護をつけてくれた『共謀者』である議員の名前であることに、男が目を瞠った瞬間――
―― 男は目を剥いたまま絶命した。
黒ずくめの青年は、男から数歩のところから一歩も動かず、男に全く触れていなかった。
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次の日のニュースは、汚職事件の渦中にいる議員の一人が、身を潜めていたホテルの一室で首をつって自殺したことで持ちきりとなった。