心が動くとき(4)
ぎしり、と鳴る木製の廊下を竜季は神妙な面持ちで歩いていた。
竜季は闘いの許可を求めるため、竜の一族の本家である『久遠水皇の屋敷』を訪ねていた。
闘いの拡大を避けるため、相手に急襲されて応戦する場合を除き、幹部が闘いに動く際には本来、闘いの許可は一族の長が出すことになっている。だが、現長はめったにこの家には現れない。それどころか、一族の者に会うことすら、一部の幹部を除いてはほぼ可能性がないという状態なのだ。そのため、一族の細々したものを決定するのは現在この一族の顔となっている『久遠水皇』となっている。といっても水皇も表の仕事が忙しくてなかなかつかまらないので、窓口としては、その側近である『沢涼真』か現長のお目付け役である『岩永基樹』となっている。今日は基樹が本家にいないことが分かっていたので、涼真へと話を通しに来たところだ。
「事情があるとはいえ、全く、無責任なことだよな」
長に対しての不満を独り言ちる。
もちろん、長が抱える事情も分かってはいる。本当に重要な件についてはきちんと『長』が対応していることも分かっている。
だが、竜季はこの長に自分の命をなげうってまでの忠誠を誓う気にはどうしてもなれなかった。
応接室に続く廊下を歩いていると――、
「竜季、大丈夫か?」
聞き覚えのある声が背後で聞こえ、竜季は振り返った。その者がこの本家にいることに驚く。なぜなら、そこに立っていたのは一族の長、その人だったからだ。
本家にはめったに寄ることのない、現長の状況を考えればこんなに短期間の内に再びここで出会うのは特殊なことだ。
だが、今、それを問うのは本筋から逸れるため、相手から投げられた質問にだけ反応することにした。
「何がですか?」
そう笑顔で見返す青年――竜季、の瞳を見つめ『長』は問う。
「お前、馬鹿なこと、考えてないよな?」
「馬鹿なこと、とは?」
相手の言おうとしていることは明白だが、竜季はあえて少々意地悪な返し方をした。
「復讐など、何の意味も持たない。新たな悲しみを生むだけだ。こんなことは考えたくはないが、もしもお前が万が一負けたら―― 泉水さんが悲しむ。そうまでして闘う意味があるのか?」
『長』は竜季を見据えた。
「長ともあろうお方が、ずいぶんと弱気なことをおっしゃいますね」
竜季は肩をすくめた。
「俺はね、結構何でも寛大な方ですけどね、今回ばかりはちょっと見過ごせないんですよねえ。あいつら。もちろん、お互いに殺し合いしてるって時点で、自分たちだけが正しいなんて思っちゃあいませんよ。けどね……。中條麻莉絵、大貫将高、あいつらだけは許せない。虫けらでもつぶすように――、嗤いながら一青を殺した。あいつら、まだ高校生ですよ!?それがあんな顔をして……。正気の沙汰じゃありませんよ」
『長』の複雑そうな表情を見やり、竜季は小さく「は……」と息を吐く。
「おっと失礼。この話はあなたにはすべきではありませんでしたね……。俺は言葉を選ばなすぎる。いつも泉水に叱られえてるんですけどね」
苦笑する。
「それと何より ―― 一青が狙われて次に狙われるのは俺か泉水だ。泉水に手を出される前に、俺があいつらを潰します」
自分の決意に揺るぎはなかった。
「相手は二人ががりでやってくる。卑怯なやり口だ。それなのに、なぜそんな危険を冒す。泉水さんを悲しませる可能性がある以上、許可するわけにはいかない。どうしても出なければならないのであれば、いっそ、俺が――」
その先に続く言葉を、竜季は『長』の目の前に手のひらをかざして止める。
「それこそ危険です。あなたの力は目立ちすぎる。あなたが出たことを知れば、たちまちあちらにあなたの情報が漏れるでしょう」
「俺は―― あちらの長よりもそんなに頼りないのか?」
『長』の表情に不満がにじみ出る。
「力ではないんです、長。力だけでいえばおそらくあなたの力はあちらの長にひけを取らない。それどころか上回る可能性もないとはいえないと俺は思います。ただ……」
竜季は言葉を切った。
「長、あなたには今、闘う理由が薄すぎる。だからそんなことを軽々しく口にできるんです。やらなければやられるだけです。迷いは敗北を招きます。―― もちろん、あちらの長に強い闘う理由があるかは分からない。でももしあるとすれば、あなたは簡単に負ける」
きっぱりと告げる。
「あなたは今――、誰も愛していない。この竜の一族さえも」
目の前の相手に対し、失礼極まりないことはよく分かっていた。一族の『長』に自分はとんでもない不敬なことを言っているのだと思う。だが、これが自分なのだ。
「そんなこと――ない!一族には本当に感謝している」
さすがに『長』は声を荒げた。この『長』がここまで感情を顕にすることはめったにないことだ。今日は色々と珍しい。
『一青の死が、きっかけ―― か?』
ふと思う。
それならば、この『長』に対する見方も、少しは変わってくるかもしれない。
だが―― 失ってからでは、遅いのだ。この『長』が変わるのを待っていられるほど、俺は忍耐強くないし、時間もない。
「感謝なんて甘い気持ちじゃ、勝てない」
竜季の言葉に、『長』が息を呑むのが分かった。
「俺は、いつもお飾りなだけなのか――。いつでも、役に立ちたいと思っているのに、それすらも、許されないのか 」
拳を震わせ、俯き加減で『長』は体を震わせた。
「簡単に出るなんて、一族を束ねる貴方が決して言っちゃいけないことです。あなたを守るため、どれだけの人が動いていると思ってるんですか?それに―― 泉水は分かってくれていますよ。俺の気持ちを。その上で送り出してくれるんです。そんな愛の形だってあるってことです」
「―― いくら表面では分かったつもりでも、本当は……。相手のことが大切であれば大切である分、相手を失っても仕方がないなんて、思えないはずだ」
『長』が食い下がる。
確かにそれも一理ある。それは自分にも分かってる。
けれど、失ってしまった存在が自分にとっていかに大きい存在だったのかを泉水は理解して、そして送り出してくれるのだ。
『行かないで、とあいつは言わない』
自分には出来すぎた恋人だと改めて思う。
だからこそ、ここで引き下がるわけにはいかない。
親友を殺された復讐と恋人を守るため――、その強い理由さえあれば、自分は闘える。
「人には――、腹をくくらなきゃいけない時ってのがあるんですよ。特に愛する者を守るためにね」
未だ、納得のいかないような表情を残す目の前の相手に、竜季は不敵に笑った。
「今日はあなたがいるとは思わなかったので涼真さんに会う約束になってますが、涼真さんもあなたが承諾しないものを許可することはさすがにできないでしょう。でも――、俺はこれ以上反対されるなら、幹部の肩書きを返上してでも闘いに行きますよ。幹部じゃない雑魚が動くことは何も制約がないはずですからね。それぐらい、俺にとって大事な闘いってことです」
竜季の強い瞳に『長』は息を呑み、視線を床に落とした。
「お前がそこまで言うなら、もう何も、言えない。―― 俺には止める資格はないようだ」
そう口にする『長』の表情はどこか寂しげに、竜季の目には映る。
「長も分かりますよ。本当に愛し、守るべき者ができればね。―― あなたは、自分自身をも愛してない。一族も、誰も愛していないあなたに―― 本当は正直、不安もないわけではなかったんです。でも―― 今日のあなたを見ていたら、もしかしたら、思ったほど悪くないかもしれないと期待が持てる気がしました」
微笑む竜季に、『長』は複雑な表情を見せた。
佇む長の横を竜季はひとつ会釈をして通り過ぎ、前を真っ直ぐに見据えながら応接室へと向かった。




