接近(5)
「ごめんね、蒼嗣くん。この間はきついこと言っちゃって……。何だか無理やり実行委員やらせた感じになっちゃったから、ちょっと、気になってて……」
初めての実行委員会の会議が終わり、教室に帰る途中で圭美はそう切り出した。
あの日、蒼嗣に投げた自分の言葉は、正当な主張ではあるものの、相手への思いやりが欠けた言動だったのではないかと思えた。何より、もっともらしいことを言っても結局、自分が蒼嗣と一緒の委員になれる機会を逃したくなかっただけだったのではないのか。そう考えれば考えるほど、申し訳ない気持ちばかりが膨らんでいたのだ。
しかも蒼嗣は、会議の重要事項はノートにメモしたりとやることはきちんとやっていたが、会議中はもちろん会議前、会議後、今の今までひとこともしゃべらなかった。そのことも、圭美の心に焦りを生んでいた。
「怒ってるんでしょ?だから何も言ってくれないんだよね……」
圭美はうなだれた。
蒼嗣はそれまで自分の目の前を見つめていたが、うなだれる圭美の姿に視線を落とす。
「別に怒ってない。確かに、あの時の俺の態度は良くなかった。大島の言うとおりだと、そう思ったから決めた。それに――最終的に引き受けたのは俺だから」
低い声で呟いた。
「だから、気にするな――ってこと?」
蒼嗣の気持ちを量りかねて圭美が聞き返すと、蒼嗣は相変わらずの無表情のまま頷く。
圭美は、「ありがとう」と微笑みながら、蒼嗣の顔ごしの夕日に目を細めた。
蒼嗣が自分に向かってきちんと話してくれたのは初めてだったので、嬉しくもあり、驚きもした。何しろ、いつも蒼嗣の反応といえば、話しかけても一言、二言ぽつりぽつりと返ってくるだけだった。誰に対してもそんな調子だったから、蒼嗣はそういうクールな人なのだと納得して、自分はマイペースに蒼嗣に近づいていきたいと思っていたのだ。
しかし、ひとつだけ気になることがあった。
蒼嗣のそんな態度に、唯一の例外があるということ。
いつも冷静で、クールで。
そんな彼が、一人の女の子にだけは時折感情をあらわにすることに、圭美は気づいていた。それがポジティブな感情ではないにせよ。
それが圭美には悔しかった。彼女がうらやましかった。
さらに、それが自分がすごく大好きな親友だったから、余計に悔しかった。大嫌いなヤツだったらここまで複雑な気持ちにはならない。
圭美は最近、かなりそのあたりの複雑な気持ちを持て余し気味だった。
――そんな時だ、実行委員選出が行われたのは。
少しでも彼のそばにいるために、チャンスだと思った。ずっと正当な理由で彼に近づきたいと思っていたからだ。
自分が先に委員を引き当てて暗い気持ちになっているところに差した一条の光。蒼嗣がもう一人の委員になるかもしれないという状況に、一気に気分が高まった。
そんな時親友が、意識的にか無意識にか蒼嗣を庇ったことで、自分に焦りが生まれてしまったのかもしれないと圭美は思う。
チャンスを逃したくないと焦った自分は、親友の蒼嗣に対しての思いやりを遮ってしまった。
冷たいことを言って嫌われても、それでも蒼嗣が自分を認識してくれたらいいと―― 一瞬、嫌われえてもいいとさえ思えた。
あまり他人との関わりを持とうとしない彼の『特別』である親友のように、例えそれがマイナスのベクトルを向いていたとしても、自分もその『特別』になりたいと思った。
とはいえ、やはり本気で嫌われるかと思うと、どうしようもなく苦しく、蒼嗣のこの言葉は、自分にきちんと話しかけてくれたという意味でも、嫌われてなかったという意味でも、嬉しいことだった。
圭美は安心して、ずっと聞いてみたかったことを口にする。
「蒼嗣くんは、岬のこと、どう思ってるの?」
圭美の言葉に蒼嗣は、意外なことを聞かれたかのように目を見開いた。しばらく考えをめぐらせているかのように、その視線が泳いだ。
「どう、って、言われても……何も」
「何も?」
今度は圭美が目を瞠る番だった。
蒼嗣が時折見せる岬への感情的な言動は、思わず嫉妬してしまうほど自分には明らかに『特別』に見えるのに、それが蒼嗣自身には分かっていないということがあるのだろうか?――それとも、自分には言いたくないだけなのか。
「蒼嗣くんは岬のこと、あまり良く思ってないのかな、って思ったけど……、そういうわけじゃ、なかったのかな?それなら……少しホッとした、かな」
自分の親友に対する蒼嗣の態度が、嫌悪から来るものではなかったと分かり、安心した気持ちは確かに本心だけれど、少しだけ複雑な思いが心の隅をよぎる。だが、その思いに圭美はあえて蓋をする。
「岬はあたしの親友で、――確かに少しは気の強いところがあるけど、悪い子じゃないんだ。でも、蒼嗣くんの前だとなんか変に意地張ってるみたいな気がするけどね」
そう言って蒼嗣の顔を見つめる。
きれいな横顔は相変わらずクールで、表情からは何を考えているのか読み取れない。
その蒼嗣のまなざしが圭美の視線とふとぶつかりあった。
だが、すぐに蒼嗣は何気なく視線をそらす。
「こうやって、見られるのは嫌い?」
圭美は、自分の腰に手を当てながら、横から少しだけ蒼嗣の顔を覗き込むようにした。
不意をつかれたような蒼嗣の表情がわずかに動く。岬にだけ見せた、『蒼嗣の感情の片鱗』が自分にも引き出せたことが圭美にはとても嬉しかった。
「他人にじろじろ見られるのは、得意じゃない」
そう言って、困ったように再び合った視線を逸らす蒼嗣は、今までより少しだけ人間くさい気がして圭美は笑った。
「そりゃ無理だよ。蒼嗣くんみたいな顔立ちの整った人に見とれるな、っていう方が無理だって」
蒼嗣は少しだけ眉根を寄せた。しかしその表情に怒りは感じられない。
「今まで言われたことないわけじゃないでしょ?どんなに見る人を惹きつける顔かって」
嫌味に聞こえないように、気をつけながら圭美は尋ねる。
しばらく沈黙が流れたが、蒼嗣の表情は変わらない。
少しだけ圭美が心配になったその時――、蒼嗣がぽつりと呟いた。
「この顔は、――嫌い、だから」
圭美はきょとんとしてしまう。
「嫌いなの?自分の顔が?」
そう言いつつ見上げた蒼嗣の顔が、少しだけ険しくなった気がして、圭美はどきりとした。
ポーカーフェイスに戻ってしまった蒼嗣に、これ以上のことを聞いてはいけないように感じ、圭美は小さく息を吐く。
「……世の中不公平だよねえ。願ったってそんな整った顔にならないって嘆いてる人は多いのにね」
独り言のように、圭美はわざと蒼嗣を見ないようにして、あさっての方向を向きながら言った。
感情が表情に現れにくい、ミステリアスさを持っていて。
それなのに、きちんと話してみるとその口調はどこか優しさを帯びていた。
そんな一面に触れて、さらに自分の思いが加速するのを感じる。
――もっと、彼のことを知りたくなる。
「出すぎたことを言ってごめんね。でも、確かにじろじろ見られるのは居心地悪いよね。その気持ちなら少し分かる気がする。」
圭美は、今までより蒼嗣と少しだけ近づけた気がして、心が浮き立つのを感じていた。