表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/32

第三章・2

―2―


 牧本は署内にある喫煙場所の、黒くて硬い長椅子に座っていた。

 胸ポケットから買ったばかりの煙草の箱を取り出すと一本咥え、ライターを探して背広を探る。その牧本の前にスッと安っぽいライターが差し出された。


「やめたんじゃなかったんですか」


 大柄な体をかがめるようにして牧本の前に立っていたのは、牧本の下に就いている刑事で、名前を梶原といった。

 煙草を咥えた口を前に少し伸ばした牧本に、梶原はライターの火を点けた。

 牧本は一度深く肺に煙を吸い込むと、溜息とともに吐きだした。


「家じゃ吸わないさ」

「お子さん、もうニ歳でしたっけ?」

「今年三歳になる」

「それは、可愛い盛りですね。牧さんもお子さんといる時間が欲しいでしょう」

「うちのは、あんたは甘やかせてばっかりって、いつも愚痴ってるよ」


 苦笑いをした牧本に、梶原は快活な笑みを見せた。


「いい奥さんですね」

「家のことは心配しなくていいから、あんたはさっさと事件を解決してきなさいよ、なんてことまでいってくる……私には出来すぎたカミさんだ」


 惚気にしては色気のない物言いでそう口にすると、牧本はまた煙草を咥えた。


「……奴の初公判、いつになりますかね」


 ふいに訊いた梶原の言葉に牧本の返事がないのは、煙草を咥えているせいではないだろう。


「状況証拠は揃ってるじゃないですか。奴が現場にいた物的証拠も目撃証言もある」

「しかし、それは朝日奈 鈴の周辺のみだ。肝心の殺害現場、マンションの内部からは奴の痕跡は見つかっていない。マンションの外にはあれだけの証拠を残しておきながら、だ」

「牧さんは大酉が犯人じゃないと思ってるんですか」

「……分からんよ」


 熱っぽく言う梶原に対し、牧本は相変わらずの口ぶりで答える。


挿絵(By みてみん)


「慎重ですね、牧さんは」

「臆病なだけだ。この事件、奴が犯人だと決まれば、奴はおそらく死刑になるだろう。そして、それは当然だと思う。しかし、もし奴が犯人じゃなかったらと考えると怖いのさ。……梶。お前、朝日奈 鈴の死亡を聞いたときの奴の顔を見たか」

「ええ。あの話はちょっとまずかったんじゃ」

「責任は私が取るよ」


 朝日奈 鈴は実際には死んではいなかった。

 事件後しばらくして、捜査中の現場マンションに、人が入り込んだ形跡まで見つけられた。馬鹿なマスコミ連中の仕業だろうと警察は現場に監視の警官を置いた。しかしそれだけではなく、入院中の朝日奈 鈴の病室に誰かが侵入しようとした形跡まで見つかったのだ。


 本当に犯人は捕まったのか。

 本当の犯人はまだ鈴を狙っているんじゃないのか。


 すごい剣幕で詰め寄る鈴の祖父に対し、警察は異例のマスコミ対策として鈴の祖父、陽一郎の要求を聞き入れた。鈴が死亡したという嘘の報道を流したのだ。

 その後、おかしな現象は止まったため、やはりマスコミの仕業だったのだろうという話を、警察内ではしているが。


「何人死んだかは問題じゃない。私達は引き続き、この事件の真相を探るだけだ」

「やっぱり、牧さんはあいつが犯人じゃないと思ってるんですね」


 鈴が死んだと聞かされたときの大酉はひどく怯えていた。すべてを失ったような絶望感に満ちた顔。鈴の意識が戻りさえすれば自分は救われるのだと、本当に思っていたのではないかというような。


 大酉が犯人じゃなかったら……。


 初動捜査で鈴の周辺から次々と見つかった証拠と、目撃証言。あっけないほど簡単に大酉に結びついた。

 そして大酉の身柄も簡単に拘束することができた。それは本当に、疑わしくなるほどあっけないものだった。

 捜査の手を抜いていたとは思わない。しかし、目の前に簡単に差し出される証拠の数々に、もっと見なければならない大事な物を見落としている気がする。


 もしも大酉が犯人じゃなかったら。


 事件からすでに一ヶ月が過ぎている。

 牧本は短くなった煙草をスタンド灰皿に押し付け消した。いつの間にか胸の奥に、もやもやとした黒い煙が大きく広がっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ