第一章・4
―4―
犯人は玄関から家に侵入。まず玄関で朝日奈 陽介をナイフで殺害し、その後キッチンにいた妻の明子を殺害。長男の光はリビングで殺害された。光は激しく抵抗したとみられ、殺害された三人の中で一番傷が多かった。次男の鈴は犯人に襲われながら、六階のベランダから落下。駐車場脇の花壇で発見されるが、意識不明の重体。
せっかく買った新聞でも、事件について分かる詳細はその程度だった。
後は知り合いや近所の人間の、一家に対しての同情的な言葉や、お決まりの「恨まれるような人たちではない」といった、どうでもいい情報ばかりで紙面は構成されていた。
まあ、まだ昨夜のことだから仕方がないのかもしれないが。
確かにあのとき大酉は、これは事件だと直感したが、まさかこれ程まで大きく、残酷な事件だとは想像もしていなかった。
一人の少年が誰かに傷を負わされながらベランダから落ちた。
それだけで、すでに大きな事件だったはずなのに。
床に広げていた新聞を閉じ、大酉はハッとした。
そうだ。カメラだ。
何を呆けていたのだろう。あの瞬間を、自分はフィルムに焼き付けたはずだ。
玄関先に置いたカメラバッグの中から、カメラを手に取り大酉は違和感に襲われた。
……そんな馬鹿な。
カメラにフィルムが入っていない。
慌てて裏蓋を開けて確認するが、やはりそこに入っているはずのフィルムはなかった。
何故だ。カメラバッグをひっくり返して中をあさるが、替えのレンズと、未使用のフィルムが数本出てくる他は何も出てこない。
フィルムを入れ忘れたことはない。いつだってチャンスを逃がさぬようにと、常にカメラにフィルムはセットしてあったはずだ。
あのとき、シャッターを押した指の感触を覚えている。フィルムが送られていく感覚も確かに感じた。落ちていく少年をコマ撮りのように連写した、シャッター音も耳に残っている。
興奮したせいか、ズキリと頭の傷が痛んだ。
そういえば目を覚ましたとき、バッグからカメラが外に放り出されていた。
まさか。
しかし、それ以外に考えられない。
あいつだ。
あの犯人が大酉を殴った後、カメラからフィルムを抜き去ったに違いない。
怒りにも似た感情が大酉を充たしていく。手にした空のカメラを床に叩き付けたい衝動に駆られるが、結局しなかった。
やっぱり、自分には運がないのだ。
すべてのツキに見放されているに違いない。
あのときの写真さえあれば。明日には新聞や雑誌、そしてテレビにも自分の写真が映しだされていたはずなのに。
まあ、これだけ大きな事件だ。警察は血眼になっているだろうし、犯人も割合すぐに捕まるだろう。
――ああ、頭が痛い。
大酉はベッドの上に寝転がり、ぐしゃぐしゃのままのシーツに再び包まった。
◆◆◆◆◆◆
ドアのチャイムの音が聞えた気がして、大酉は瞼をほんの少し開いた。
すると、もう一度チャイムが鳴るのが、今度は確かに聞えた。
誰だろうか。
大酉には、わざわざ顔を合わせなければならないような客なんて、覚えがない。
居留守を決め込もうとシーツを頭に被ると、今度は乱暴にドアを叩く音がして、驚いた大酉は体を起こした。
何なんだ。
少しだけ開いていたカーテンの外は、いつの間にかすっかり暗くなっている。再び強く叩かれたドアに、小さな恐怖を感じながら、大酉は足音を潜めドアの前に行き、覗き窓から外を見た。
スーツ姿にコートを着た男が三人、ドアの前に立っていた。一人が鋭い眼光で覗き窓を見返してきて、大酉はドアから離れる。
誰だ。
「大酉圭介さん、中に居ますよね。警察です。開けてくれませんか」
物騒な顔つきに似合わない、思いのほか穏やかな声が言った。
警察。……ああ、なるほど。
細くドアを開けると、それを閉じさせまいとする足が、ドアの隙間に差し込まれた。
「……何か」
一応訊ねる。あの事件のことを、訊きに来たのだろうということは予想できたのだが。
まあ、本来ならば目撃者として、すぐに自分から警察に出向くべきだったのだろうが、出来れば面倒なことには関わりあいたくないし、残念ながらフィルムもなくなった今、大酉が犯人について警察に話せることは少ない。
大酉の肉眼では、犯人の顔を見ることはできていないのだ。
しかし少し妙だ。わざわざ個人に事件のことを訊きに来たのだろうか。なぜ自分があの場に居たことを知っているのか。
「霞野署の牧本 慎之介と言います」
ずんぐりとした体型の、少し小柄なその刑事は、決まりごとのように大酉に警察手帳を見せながら言った。やたらと丁寧な口調が薄気味悪い。
そして手帳を閉じて言った牧本の口から出た言葉は、大酉の予想外のものだった。
「あなたに殺人の容疑がかかっています。署までご同行願います」