第一章・3
―3―
大酉はカーテンの端からもれる光に目を覚ました。頭がガンガンと痛んで再び目を瞑る。
どうやって帰ってきたのか、よく覚えていない。
昨夜のことは夢だったのだろうか。
髪の中に手をやると、かさついた感触がして、爪の間に乾いた血の固まりが付着した。
……夢ではない。
のろのろとベッドから起き上がると、昨夜から着たままだった服を脱ぎ、洗濯機に放り込む。バストイレ一緒の狭い洗面所で頭を洗うと、水が腫れた傷口に染みた。
物干しに吊るしたままになっていたタオルを引っ張り、頭に掛けて、同じくハンガーに掛けっぱなしのスウェットを外すと袖を通す。
カーテンを薄く開け外を見ると、じめっとした室内とは対照的に、表はカラッとしたいい天気で、その眩しさにそれ以上カーテンを開くのをやめた。
安物の電気ストーブを点けるとその前に座り、水の滴るくせっ毛を雑に拭う。
ベッド脇の目覚まし時計を見ると、もう昼前になるところだった。大酉はリモコンを手に取りテレビのスイッチを入れた。今見たいのは、もちろんニュースだ。
電源がついたテレビで、ちょうど大酉の知りたかったニュースが放送していた。
『――警察は鈴君の意識が戻り次第、話を聞く方針ですが、今だに鈴君の意識は戻っていないということです』
あのマンションを映しながら、ニュースキャスターが言ったところで画面が切り替わる。
やはり夢ではない。
“鈴”というのが、あの少年の名前らしい。無事に病院へ運ばれたようだ。意識は戻っていないと言っていたが……。
おい、もう少し詳しい状況を教えろ。
大酉はチャンネルを回した。
『現場と中継が繋がっています。現場の山下さん』
別の放送局で、やはり同じマンションの映像が映し出される。
そうそう、そのマンションだ。
『はい、山下です。今、私は現場となったマンションのある、霞野の住宅街に来ています。私の後ろに見えます、あちらのマンションの六階でその事件は起きました』
あらかじめ撮っておいた映像に画面が切り替わった。マンションの一室に捜査員が次々と入っていく。
大酉が撮りたかった玄関側からのアングルだった。
あのマンションの管理人め。屋上からの撮影に、どのくらいの金を貰ったのか。
大酉がそんなことを考えていると、画面がリポーターへと戻される。次にリポーターが言った言葉に、大酉は自分の耳を疑った。
『殺害されたのは、大学講師の朝日奈 陽介さん四十五歳と妻の明子さん四十三歳、長男の光さん十九歳です。次男の鈴君十五歳は一階の駐車場脇に倒れているところを発見され病院へ運ばれましたが、意識不明の重体となっています』
誰が殺害されたって?
『亡くなった三人の死因はナイフで刺されたことによる出血死とされていますが、次男の鈴君は犯人から逃げようとして、ベランダから落下したと見られています』
被害者の顔写真を映しながら、リポーターの説明は続く。
大学講師という職業柄によく似合う、真面目で固そうな顔つきの男と、その妻という女。その女の写真を見て大酉の脳裏に蘇ったのは、あのとき「たすけて」と言った少年の顔だった。
父親とも、学生服姿で髪を明るく染めた、長男の写真とも似ていないが、あのときの少年、朝日奈 鈴は母親の写真によく似ていた。
これがみんな死んだのか?
『警察は鈴君の意識が戻り次第、事情を訊きたい方針ですが、犯人に刺されたと見られる傷もあり、意識不明の重体で今も危険な状態が続いているということです。室内は荒らされており、警察は強盗目的の犯行も視野にいれ犯人を捜索中です。なお犯行当時、現場から走り去る車が目撃されており、車に乗っていた人物が事件となんらかの関わりがあるとして、行方を追っています』
それなら、ベランダにいたあの人影は……。
『閑静な住宅街で発生した残酷な事件に、周辺の住人にも不安が広まっています』
つまらない台詞で締めくくったリポーターに、大酉は眉をしかめた。
それだけか。他に何か分かっていることはないのか。
チャンネルを切り替えるが、すでに昼を過ぎたテレビではそれぞれ、くだらない番組が始まっていて、ニュースを流している局はない。
「くそ」
大酉は財布を掴むと、アパートのすぐ裏にある個人経営のコンビニエンスストアへと走った。
手で押し開けるドアの、すぐ脇のラックにあった新聞を掴みレジに行く。小銭を切らしていたため、仕方なく千円札をレジ代に叩きつけるように置いた。
寒空にサンダルを履いただけのスウェット姿、タオルを首にかけたままの大酉に、不審な顔をする店員の男が、つり銭を用意するのももどかしく、大酉は新聞を広げる。
三面記事のトップ。黒く塗られた枠に抜き文字で、でかでかと書かれた『一家惨殺』の文字が大酉の目に飛び込んできた。