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第八章・2

 ―2―


「暇だね」

「ええ」

「いつもこんな感じ?」

「はい」

「それってまずくない?」

「そうですね……」


 いつものように客のない店内。

 鈴はカウンター席に座り両手で頬杖をつきながら、手持ち無沙汰といった様子で大酉に話しかけてくる。鈴の中で蜃気楼は賑やかだった頃のままなのだろう。

 鈴は入り口のドアの方へ顔を向けた。かつては開けた空き地だった店の前には、背の高いビルの壁しか見えず、日当たりも悪い。

 どこか寂しそうに、鈴は無機質なコンクリートを見つめる。

 そんな鈴の様子に大酉は頭を悩ませた。元気のない子供の機嫌を取るなんてしたことがないが、このままだとひどく気まずい。


「あの、鈴――さん」


 恐る恐る名前を呼んでみると、鈴は首を傾げながら大酉の方を向く。


「良ければ、お茶とお菓子、召し上がりませんか」


 子供扱いはいけないと思いつつ、結局、お菓子で機嫌を取るなんてことしか思いつかなかったわけで。

 それを聞くと鈴は目をぱちくりさせ、それからちょっと呆れたように大酉を見た。


「店の人間が店の商品食べてちゃ、ダメだろ。まだ開店したばっかなのに」

「あれ、でも鈴さんはよく、テルさんに内緒でお客さんからお菓子を貰ってたそうじゃないですか」

「え」


 大酉の指摘に、鈴の白い頬が少し赤く染まる。


「中井のじいちゃんだな! 内緒だからって言ってたのに」


 秘密だった貰い食いがバレたことを恥ずかしそうに、それでいて中井に対して憤慨する様子は、とたんに子供っぽい印象になり、大酉もつい顔をほころばせたが、


「それで中井のじいちゃんは――」


 鈴の続けた言葉に大酉の表情が曇り、それに気づいた鈴も途中で言葉を切る。


「もう十三年だもんな……。そっか……長生きしろって言っておいたのに」

「今……お持ちしますね」


 再びうつむいてしまった鈴から逃げるように、大酉は厨房へと下がった。

 鈴から見えないところまで来ると、つい大きな溜息が口からでてしまう。初めて蜃気楼ここへ来た頃のことを思い出すようだ。忘れたわけではない。しかし、心の奥に知らず知らず押しやった罪悪感が、再び抉り出されたような感じで胸がちくちくと痛む。

 霧藤は昨夜「また明日」と言っていた。今日、鈴を向かえに来るはずだ。

 どうしたらいいのだろう。

 あの時は、助けを求めてきた鈴を渡さないと霧藤に言った。しかし今、霧藤が鈴を連れて帰ってくれたら、どんなにホッとするだろうと思っている自分がいる。

 そんな自分への嫌悪にもう一度、大きく息をつくと、茶饅頭と緑茶を載せた盆を持って、大酉は店へと戻った。

 薄暗い店内のカウンター席。先ほどまでそこに座っていた鈴の姿がない。

 見れば、座敷部屋の戸が開いている。


「鈴さん?」


 部屋の中、鈴は奥の障子を開き柱にもたれ座り、裏庭を眺めていた。

 この季節、木々も枯れてしまった庭は物悲しいが、乾いた日差しが明るくそこを照らしている。


「ここは変わらない。俺、この部屋好きだったんだ。客が居ないとき、しょっちゅう上がり込んでた。春は花が咲くし、夏は日差しが眩しくて、秋は虫が鳴いて、冬は雪が降って……」


 大酉の方を見ず、庭を眺めたまま呟くように鈴は言った。


「俺、ここに居たい」

「鈴さんがそう思うなら……」

「無理だよ」


 鈴は大酉を振り返った。その顔はなんだか悲しそうで。


「無理なんだ」

「なんでですか。ここは元々、あなたの祖父母の家で……」

「そういうんじゃない。俺は……今の俺は――」


 言いかけた鈴はふいに両手で顔を覆うと、背中を柱に擦りながら、ずるずると畳の上に崩れた。


「鈴さん? 鈴さん、どうしたんですか」


 座敷の上がり口に茶菓子を載せた盆を置くと、大酉は座敷部屋に急いで上がり鈴の様子を見る。顔を覆う手を外すと、目を閉じた鈴の口からはすぅすぅと小さな寝息がもれていた。

 疲れたのだろうか。こんな突然に寝てしまうなんて。

 大酉は力の抜けて重い鈴の首を手ですくい、その下に座布団を枕代わりに敷いてやる。

 そのとき、ドアベルの鳴る音が静かな店内に響いた。




 ◆◆◆◆◆◆


「こんにちは」


 店のドアの前で言った霧藤のいつもと変わらぬ笑顔に、大酉は小さく眉を寄せた。


「朝日奈 鈴はどこですか」

「今、急に眠ってしまって」

「そうですか。では、目が覚めたら連れて帰らせてもらいます」

「あ、あの」


 口を開いた大酉だったが、それをさえぎるように霧藤は続ける。


「有意義な時間は過ごせましたか。本来なら彼にはまだ外泊許可なんて出せないのですが。」


 霧藤はカウンター席に腰を落ち着けると、大酉の顔を探るように見る。


挿絵(By みてみん)


「まさか朝日奈 鈴が生きていたと、単純に喜んでいるわけではないですよね。あなたはまだちゃんと分かっていないようだ」

「ちゃんと?」

「頭が良くて運動神経が良くて、性格は極めて明朗。行動力もあり誰からも好かれる少年――誰のことだと思います。『朝日奈 鈴』のことですよ。中学三年、卒業を間近に控えた彼は、学校内だけでなく近所でも評判のいい子供でした。そんな人間が今、どこにいますか」


 小さく肩をすくめ、霧藤は続ける。


「一日中、部屋の角にうずくまり、寝たり起きたりを繰り返しながら、心を開こうとはせず、その目はいつも人を探るように見ている。口を開けば皮肉や自嘲を交えた言葉で相手を困らせる――」


 そして霧藤は言った。


「あの日、確かに死んだんですよ。『朝日奈 鈴』という人間は」


 『朝日奈 鈴』が生きていた。

 目の前に現れた少年の姿に、単純にそう思ったのは確かだった。

 あの日、自分が見殺しにした命は、奇跡的に救われたのだと、そう思った。

 自分は『朝日奈 鈴』のことを知らない。もし輝子が今の鈴を見たら、どう感じるのだろう。やはりあの日、『朝日奈 鈴』は殺されたのだと、そう思うのだろうか。


「お願いします。あの子をこのまま、ここに居させてやることはできませんか」

「ご自身の立場を理解してますか。自分がかつて、どのような人間だったのか」

「もちろんです。私にそんなことを言う資格がないことも。でも、この店はあの子のものです。あの子はここにいるべきだ。なんなら私が出て行っても構いません」


 元は祖父母の家であり、思い出の残るこの場所に居たいと言った鈴の、それでも無理なのだと言った顔を思い出し、なんとかしたいと大酉は思う。しかし、そんな必死な大酉の言葉にも、霧藤は感心したように少し眉を上げるだけ。


「それはずいぶんと思い切った決断ですが、無理ですよ。彼にはナルコレプシーの症状が見られる」

「ナルコ……レプシー?」


 聞いたことのない言葉に戸惑いを見せる大酉に、霧藤は説明を続ける。


「ええ。過眠症、簡単に言えば『眠り病』です。それも鈴は非常に重度の過眠症だ。さっき、急に眠ってしまったと言っていましたよね。鈴は時や場所を選ばず眠りに落ちてしまう。それは一見大したことのないものに思えますが、とても危険なことなんですよ。今の彼に一人での生活は到底不可能だ」

「なら私が責任を持って、あの子の面倒を看ます。だから――」


 大酉が言うと霧の口元に、あの歪んだ笑みが浮かんだ。


「あなたが? 血だらけで助けを求めている子供を目の前にしても、何もしなかったあなたが……ですか?」


 言い返すことはできなかった。言い返せない自分が悔しくて情けなかった。

 霧藤の言っている事は正しい。もし逆の立場なら自分だって、大酉の言う事に耳を貸すなんてことはしないだろう。自分はそういう人間なのだ。

 大酉が黙っていると座敷部屋から物音がした。止める間もなく霧藤がその戸を開く。


「気は済んだかい」


 言った霧藤を体を起こした鈴が無言で睨む。

 霧藤は座敷部屋の上がり口に座ると、鞄の中から小さなノートを取り出し、畳の上を滑らせるように鈴へと投げた。


「いつ、どこで、どのくらい眠りの症状が現れたか、回数と時間を毎日記録するように」


 鈴の顔が、意図の分からない霧藤の言動に険しさを増すが、


「今日からはここで療養するんだ」


 続けて言われた言葉に、今度は大きく目を見開いた。


「今、なんて」


 思わず訊いたのは大酉だった。


「ここは鈴の祖父母の家。鈴のよく慣れ親しんだ場所であり、今では唯一と言ってもいい、十三年前のままの姿を残した場所だ。突然十三年という時間を越えてしまった鈴にとって、精神的に落ち着ける、療養に適していると判断しました」


 霧藤が尤もらしい説明をしたが、鈴は疑り深く霧藤を見ている。


「俺には、常にだれか見張りがついてないとダメなんじゃなかったのか」

「ああ、それならさっき、こちらの大酉さんが鈴のことを見ててくださることになったから」


 それを聞いて鈴が大酉を見る。大酉はポカンとした。


「え……」

「あれ、違いましたか」

「い、いえ」

「ほら。良かったじゃないか鈴。これで君はここに居られる」


 どういうことだろう。霧藤は大酉を信用していなかったのではなかったのか。

 にっこりと笑う霧藤と対照的に、鈴の表情は険しい。


「お前、いったい何考えてるんだ」

「何って、僕はいつだって鈴のためを考えてやっているじゃないか」


 そして霧藤はその笑顔を今度は大酉に向けた。


「ああ、そうだ大酉さん。三階の部屋、やはり契約させていただきたいのですが。――できますかね」


 それは一応問いではあったが、大酉にはそれを拒否することなど、もはやできはしなかった。


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