ある物語
ここにある完結した物語がある。
一人の女性が生まれ、育ち、伴侶に出会い、子供を産んで、幸せなまま老いていく物語。
完璧な物語だった。
女性は聖人君子というわけではない。
それなりに恥ずかしいこともした。
だけど、犯罪というレベルのものではない。
友達や知人に酷い事を言ったくらい。
人に話すのをちょっとためらってしまうような事をしたこともある。
だけど、それは良くも悪くも誰もがしてしまうレベルのことだ。
それはつまり、良くも悪くも普通の人だったという事だと思う。
そんな人の人生の物語。
老いて、死んでいく。
幸せに。
もっと直截にしたならばあり触れた人生の物語。
確かに完結した物語。
――そのはずが。
誰かが悪戯をして物語の続きを書いた。
その誰かはきっと、物語を書いたことがなかったのだろう。
だから不自然な話の作りとなってしまう。
物語の完結時点では女性はもう成熟して死を待つ年齢だった。
それなのに誰かは女性から老化を奪った。
そのせいで女性の心は幼くなった。
もうあとは穏やかに死を待つばかりの年齢なのに。
彼女は家を探し始めた。
傍から見ると老婆なのに、彼女はお母さんを呼びながら家を探す。
「お母さん。お母さん」
そう言いながら家に帰ろうとする。
彼女のお母さんなんてとっくに死んでいるのに。
「家に帰ります」
そう言って家を探す。
彼女が求める家なんてもうとっくに無くなっているのに。
展開が滅茶苦茶だ。
物語は終わっているのに、最序盤の展開をなぞっている。
時間軸は終点。
いや、終点の先なのに。
それなのに無理やり先を書いている。
おまけに書く技術もないから最序盤をなぞっている。
「私。おかしくなっている」
彼女は伴侶にそう伝えた。
同じくらい老いた伴侶は手を優しく握って答えた。
「大丈夫だよ」
最悪の続きを書いているどこかの誰かはしめたと思った。
自分がどれだけ誤った物語を書いても、この伴侶の傍に女性を置いておけば大きなミスはしないと思ったからだ。
最悪の物語をその誰かは書き続ける。
伏線も何もない。
古い過去と近い過去と現在とがごちゃごちゃに書かれている。
「家に帰ります」
彼女は年老いていたけれど、彼女の心はずっとずっと昔に戻っていた。
だけど、物語を書いた誰かは物語を作るのが下手くそだった。
そのせいで彼女は完全には昔に戻れない。
「私。おかしくなっている」
混乱しながら伴侶に泣きながら訴えるだけ。
伴侶はそんな中でも優しく手を握って微笑む。
「大丈夫だよ。傍にいるから」
――やがて。
その誰かは物語の続きを書くのに飽きてしまった。
余計なことばっかりして物語を書くのをやめてしまった。
全ての情報も、伏線も、全部、全部、投げっぱなし。
彼女の物語は最悪の状態で放置された。
もう、誰も知ろうとしない終点で。
伴侶は出会う人に穏やかに伝える。
「妻は認知症です」
隣にいる彼女は物も言わずに辺りをきょろきょろと眺めたり、反対にじっと何かを見つめていたり……。
「もう言葉も忘れてしまいました」
伴侶は微笑みながら言う。
「だけどね。それでも私のことだけは何となく覚えているんですよ。だから、私から離れようとしないんです」
伴侶の言葉を理解しているのか、していないのか。
彼女はにっこりと笑った。
*
少なくとも、私は書けもしない続きを書こうとした誰かを殺してやりたいくらいに憎いです。
お読みいただきありがとうございました。
こちらは認知症に対して私独自の解釈となります。
実際の症状及び症例とは剥離は多分にあると思われますが、雰囲気だけでも伝われば幸いです。




