13:グリッジシティ③
腰の重みに違和感を感じながら、おれたちはファニーの店を出て、路地裏に向かうことにした。
いつの間にかあたりは昼時を過ぎ、喧騒が落ち着き、街には一時の静けさが漂っていた。
立ち止まる人々の姿が、昼下がりの倦怠を物語っているようだった。
ファニーの話では、現場は路地裏で、あまり治安のいい場所じゃないらしい。
軽やかに先を歩くコアとは裏腹に、おれの足取りは自然と重くなっていた。
不安を打ち消すように、口を開く。
「コア、現場に着くまでに確認しておきたいことがある」
コアは歩きながらくるりと振り返り、おれに笑いかけるように言葉を待った。
「今から行くところは殺人のあった現場だ。……何かあるかもしれないだろ? だから、その……」
言い淀むおれの顔を見て、コアは速度を緩めておれの隣に並ぶ。
「マスター、大丈夫ですわ。今回の依頼はあくまで仮調査ですし、記録を取ったらすぐに現場を離れますのよ」
不安が顔に出ていたのだろうか。そう言いながら、コアは胸を張って見せた。
「それに、もし何か出てきても、わたしがマスターを守りますわ! わたしのほうが“先輩”ですから!」
茶化すような笑みとともにそう言ったコアを見て、おれもようやく、少しだけ余裕を取り戻した。
「いや、お前、二十歳の女の子に守ってもらうアラサーって、どんな情けない構図だよ。……もしもの時は、おれも戦うわ」
そう言って、腰に手を当てながら、自分の不安を押し込むように答えた。
「たださ、やっぱ作戦は立てておきたいだろ、まぁ作戦つっても”とにかく逃げる”ってことなんだけどな」
「もちろんすぐに逃げますわ。逃げるのも立派な作戦ですしね!」
コアがにっこりと笑う。そう言いながらポーチから白い銃を取り出して、腰のホルダーに銃を掛けた。
「でも、いざとなったら――マスターの分まで撃ちまくりますわ!」
やたら好戦的なコアに苦笑いして、言い返す。
「そうなったらおれも撃つに決まってんだろ! お前ばっかりかっこいいじゃねえか」
そんな話をしながらおれたちは進み、薬局のある交差点に差し掛かった。
コアに案内され、一本目の曲がり角で足を止める。
「ここですわ」
指さされた先は、ゴミが左右に高く積まれた、薄暗い路地裏だった。
ネオンの明かりも届かず、昼なのに空気が妙に湿っていて、壁からは古い錆と消毒薬のような匂いが混じって漂ってくる。
「まずは、この路地の入口から記録を取りますわ。やってみますか?」
「ああ、そうだな。とりあえず写真に記録しておくか」
コアの提案に応じ、おれはネクサスリングを起動させた。
視界にカメラウィンドウが浮かび上がる。
撮影モードに切り替え、路地の全景を一枚。そのあと、足元や壁際、ゴミの上などを順番に撮っていく。
路地の奥をフレームに収めた瞬間、モニターの隅を何かがよぎった。
――ん? 今、人が映りこんだ……か?
一瞬、そう思ったが、確認する前にウィンドウが自動保存に切り替わる。
特にそれ以上気に留めることもなく、おれは撮影を続けた。
「よし、ある程度撮れたぞ。奥のほうにも行ってみるか?」
あらかた入口付近の撮影が終わったおれは、コアにそう提案した。
「ええ、少し奥のほうまで行って、記録を取りたいですわ。ただ、いつでも逃げる準備はしておきたいですわね」
路地は思ったより奥行きがあり、まっすぐ先まで見通せるはずなのに、
微妙に傾いた建物の影や、張り出したネオンの看板、積まれたゴミの山が視界を遮っていた。
コアが腰に手を掛けながら前を進み、おれはコアの後ろを守る様についていく。
足音がコツ、コツと、わずかに反響する。
昼間のはずなのに、ここだけ時間が止まっているような静けさだ。
数十mほど進んだところでコアが足を止める。
「多分ここが現場ですわ。マスター」
コアが壁に触れながらそうつぶやく。
コアの手を目で追うとそこには、何か鋭い爪で引っかかれた様な模様が3本くっきりと残っていた。
「なんだこれ?あきらかに人がつけた跡じゃなさそうだな」
3本の跡は、1本あたりの幅が10㎝ほどで深さは5㎝はありそうだった。
――爪痕か?……とりあえず、これも記録しておくか。
ネクサスリングに手を掛けようとしたとき、ふと足音が聞こえた。
コツ……コツ……コツ……
静まり返った路地に、誰かの靴音が反響する。
その足音は、こちらに向かって、ゆっくりと、だが確実に近づいていた。
「……マスター」
コアの声が低くなる。
おれと同じように、彼女もそちらに気づいている。
コアが腰のホルスターに手を伸ばし、白い銃をゆっくり抜いた。
「念のため、マスターも逃げる準備はしておいてほしいですわ」
コツ……コツ……コツ……
足音の数が増えた。
メインストリートのほうから一人近づいてくる。しかし、足音の聞こえるような距離でない。
1つだと思っていた足音が、2つ、3つと増えていく。
路地の奥──視界の端で、黒い影が揺れた。
「……囲まれてますわ」
コアの声がわずかに震えていた。
「ちょ、ちょっと待て、こっちは仮調査なんだぞ!?」
冗談めかした声が裏返る。
「マスター、逃げるときは、わたしが囮になりますわ。マスターだけでも」
「……コア」
視線を落とすと、彼女の手がわずかに震えているのが見えた。
銃を構えたその指先。ほんのかすかな、でも隠せない震え。
「なにが“囮になりますわ”だよ。震えてるじゃねえか」
小さく、けれど確かに、コアの顔が強張った。
すると突然声がした。
「なんだぁ、もう調査終わったんじゃねーのかよ。なんでこんなとこに人がいるんだ?」
暗がりの奥から、その声が響いた。
男のような声。だが、どこか濁ったような響きが耳に残る。
「いや……報告……受けた…から。多分……一般人……」
ぼそぼそと呟くように小柄の男が後ろからついてくる。
暗がりの中から、肩幅の広いシルエットがじわじわとにじみ出るように現れる。
「おい、あんたさんたちよお。こんなとこで何してんだ?観光客ってわけでもねぇだろ?」
コアの肩がぴくりと跳ねた。
「アンサーズ…ですわ…。」
そう答えながらも、コアの声はかすかに震えていた。
「おれたち、ただの調査員だよ。ギルドの依頼で来てる」
おれがそう返すと、肩幅の男は鼻で笑った。
「ほーん。アンサーズギルドかあ。あのオカマ野郎のとこか?」
「……ミネルバの知合いですの?」
「ああそんな名前だったな」
コアがそう答えながら銃に手をかける。
「知り合いか、まあそんなとこだな。テルパ、そっちで回収しとけ」
大柄の男が、テルパと呼ばれる小柄な男に指示を出す。
テルパと呼ばれた小柄な男が、ぬるりと動き出した。
口元で何かを呟きながら、ゴミの山をすり抜けて、路地の端へ向かっていく。
「回収って、何を……ですわ?」
問いかけた瞬間、おれの背筋がぞわりと凍った。
男の視線が変わったような感じがした。
「まあそっちは気にすんな。お前らには関係のないことだ。んで、いっちょ前に銃なんか持ってどうした?こっちとしてはおれたちは会わなかったことにしたいんだが」
大柄の男が、にたりと笑った。
その笑みに合わせるように、テルパがごそりと路地の奥から何かを引きずり出す。
「回収…できた……中身は多分…無事」
テルパがそういうと大男はテルパに先に行くように指示を出す。
「おお、そりゃよかった。それがねーとおれが怒られっからな。んじゃおめーは先に行ってろ」
大男がそう言うと、テルパは一度こちらをちらりと見てから、何も言わずに路地裏に去っていった。
「んで、どうだ。ここはおとなしくお互い会わなかったってことにしねーか?」
カカッと男がニヤリと笑い犬歯が光る。
「おとなしく逃がしてくれるんですわ?」
コアが警戒心を隠さずに聞く。
「まー、おれは別にお前らみたいなのと関わってる暇もねーし。興味もねーんだがなあ」
大男はちらりとおれたちが来た方向に目をやる。
「コア、後ろからも一人来てる」
大男の見たほうに目をやると、気だるげな感じで女が近づいてきていた。
コアの表情が引きつる。
おれたちの近くで止まった女は、だらしなく肩を出した白いジャケットに、赤のボディースーツ。右手には短いグリップのようなものが握られていた。
女は視線だけこちらに向けながら、吐き捨てるように言った。
「ダスト、何やってんのよ。回収できたわけ?」
大男――ダストが短く答える。
「ああ、テルパが持ってった」
「そ、んであんたは何してんのよ」
女が視線をダストに完全に向けて話を始めた。
「ああ、調査はもう終わったと報告を受けたんだが、来てみたらこいつらがいてな。アンサーズの調査員だ。なんの調査だか知らねーが運のわるいこって」
「あんた、余計なもの見せてないでしょうね?」
女の視線が、おれたちに鋭く突き刺さる。
「さあ、そこまでは……どうだかな」
ダストが他人事のように肩をすくめた。
「あとは任せていいか?おれもテルパを追って戻るわ。昨日飲みすぎてな。頭が痛え」
「まぁいいわ。さっさと行きなさい」
女は悪態をつきながら、肩のジャケットを片手で払った。
軽く首を回し、グリップを構え直す。
「さてと……じゃ、ここからは“あたしの仕事”ってわけね」
その赤い瞳が、おれたちを射抜く。
「おい、ちょっと待てって。あんたら一体なにを――」
「マスター‼」
コアが咄嗟におれをつき飛ばした。
地面に転がりながら、おれの視界に――赤黒い閃光
「ッ――!」
「コア!」
おれは駆け寄り、コアの腕に手を伸ばした。
だが、その腕には灼けたような、真っ赤な裂傷が走っていた。
「ッ、なんだこれ……っ!」
コアが眉をひそめながら、かすかに笑みを浮かべる。
「……ご心配なく……これくらい、平気ですわ……っ」
だが、声は震えている。
その身体も、わずかに後退していた。
――やばい……このままじゃ……
女の声が聞こえてくる。
「あらぁ勇気ある女の子ね。男をかばってケガするなんてなかなか出来ることじゃないわよ」
女は飄々とした調子のまま、グリップを弄ぶようにくるくると回す。
おれはコアを庇うように前へ出た。
「おい、なんなんだお前たちは?おれたちは何も見なかった。だから逃がしてくれないか?」
必死に声を抑えながら言う。
だが、相手の目には、明らかに“見下す”色が浮かんでいた。
「ふぅん……じゃああたしに背中を向けてみる?」
女がニヤリと笑う。
「……そのまま歩き出して、ほんとに無事に帰れると思う?」
まるで背筋を撫でられたような冷たさに、おれは思わず息を飲む。
そのとき、コアがそっとおれの袖を引いた。
「マスター……下がってくださいませ」
小さな声は震えていた。
「コア……お前……」
コアの握る銃がわずかに揺れている。硬直した指先が真っ白になっていた。
そして、女が再び歩き出す。
その手には――赤い光を帯びた、禍々しい武器が握られていた。
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