二人だけの生徒会
桃園学院の生徒会室は生徒会棟という他の校舎から独立した二階建ての洋館だ。一階には六つの部屋があり、共用会議室や資料室として使われている。一方で二階は生徒会室と廊下しかない。
生徒会室は一見すれば大企業の社長室のようだった。年季の入った木製の扉を開けるとローテーブルと二人掛けのソファが向かい合うように並べられており、その奥には「生徒会長」と書かれた真鍮プレート付きのプレジデントデスクが鎮座している。
デスクの奥はガラス張りになっていて、初等部と中等部の校舎が二階建ての建物にしてはよく見渡せる。この配置は彼らは生徒会長の背中を見ている、というコンセプトで創立当初から引き継がれているのだと、会長は説明した。
「ここでなら話せる」
会長はソファになだれこむように座った。結弦は催促されその向かいの席に座る。
円香は生徒会室の西側の壁に造られた給湯室でお茶の準備を始めた。
「単刀直入に聞くが」
会長は円香が戻ってくるのを待つことなく話を切り出した。
「関さんの秘密を見たんだってね」
予想通りの問いだった。
「猫に変身できることですか」
「そうだ。ただ、"できる"というと語弊があるな。"なってしまう"というのが正しい」
「制御できないんですか?」
「うん、呪いみたいなものだ。彼女は、日没と同時に猫になってしまう……。って自分で言ってて訳が分からなくなるね」
あっはっは、と会長はわざとらしく笑った。
「ただ、彼女がこの呪いに一年近く苦しめられているのは事実だ。で、どうしてあの場所で話せなかったかっていうと、私はこの現象の存在が公になってほしくないんだ。関さんのためにもね」
「まるで他にも理由があるみたいな言い方をするんですね」
「おお、鋭い。でも関さんのために動いているのは本当だよ。実際、生徒会役員を関さんしか選ばなかったのも彼女のためだし」
結弦は首を傾げた。
「猫化の秘匿と、関だけを役員にしたことにどんな関係が?」
「生徒会っていうか生徒会室を使える立場の方が重要でね。要するに、日没まで身を隠せる場所が欲しかったんだ。帰宅中に猫になってしまったら大変だろう?」
結弦は窓の外の景色を見た。外を照らす太陽の光はまだ白い。
「関の家は遠いんですか? 日没まで時間はありますけど」
「走れば日没までには帰宅できるぐらいかな。今はまだ、ね」
会長は含みのある笑いを浮かべた。その笑みが言わんとしていることは少し考えれば分かった。
「日照時間……」
「ご名答。今でこそ余裕のある季節だが、私が生徒会長になった時期はそうもいかなかった。それどころか更に短くなっていく季節でね、早急に対策を打つ必要があった」
「そのためだけに生徒会長に?」
「生徒会長には元々なるつもりだったよ。そもそも猫化の事を知ったのは生徒会選挙中だしね。本当は適当な部室を用意するつもりだったんだけど、規則っていうのは簡単に曲げられなくてねえ。仕方なく生徒会室を使うことにした。そしたら、生徒会役員は必然的にこの秘密を知っちゃうから、どうにか規則の穴をついて二人で運営することになったってワケ」
会長は飄々とした口調で語っていたが、その目には疲れが滲み出ていた。この半年間、相当な苦労をしてきたようだ。
「猫化が始まったのは去年の四月で、関さんも対処方法を把握していなかった。あれから半年たっても今以上の案は思いついていない。色々文句を言われたりもしたけれど、後悔はしていないよ」
ただし、と会長は続けた。
「生徒会業務は忙しくてね。猫の手も借りたい有様だ。……いや、既に借りているんだけどね、あっはっは」
会長は自分の冗談で吹き出した。先ほどまで醸し出していた哀愁のある雰囲気が嘘のように、腹を抱えて笑っている。
「その人、そのジョークをずっと言いたくてしょうがなかったらしいから気にしないであげて」
会長が話にオチを付けたところで、円香が三人分のティーカップを持って戻ってきた。円香は冷めた目で会長を見下ろしながら、お盆をテーブルに置いた。お盆の上に乗せられたティーカップには淹れたての紅茶が入っており、甘い香りが結弦の鼻腔をくすぐった。
しかし、なぜか三つのカップのうち、一つだけお湯が入っているものがあった。
円香は紅茶の入っカップを会長前に置く。
「高木君もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
もう一つの紅茶が入ったカップを結弦の前に置くと、円香は最後に残ったお湯の入ったカップを持って結弦の隣に座った。
会長はずっと言いたかったジョークを人に言えた喜びにしばらく浸っていそうだったので、雑談がてら円香のカップについて聞いてみた。
「お湯でいいんだ」
「ええ。猫の体にカフェインは毒だから」
「……ごめん」
配慮の欠けた質問をしてしまったと結弦は反省した。
「気にしなくていいわよ。猫を飼ってなければ普通は知らないことでしょうし。それよりもーー」
円香はティーカップに一口、口をつけてから会長の方を見た。
「会長、本題は話しました? 」
その言葉に会長はハッとした表情をすると、姿勢を正して結弦の方に向き直った。
「いけない、いけない。ずっと温めていたネタを披露できたことに満足してしまっていた」
「ちなみにそんなに面白くないですよ」
「……」
会長の表情が一瞬だけ硬直したが、すぐに爽やかな笑顔に戻った。
「そんな風に猫の手も……いや、そうではなくて」
「一回ぐらい怒った方がいいんじゃない?」
「疲れているのよ。そっとしておきましょう」
ジョークへの未練は捨てきれていないようだった。
「なんとか二人で生徒会を運営してきたわけだが、正直言って限界がきている。かといって適当に人員を補充するわけにはいかない。信頼できる人間ではにといけないが、何をもって信頼できるち判断するのかが悩みどころだった。そんな時、関さんから"猫化を見られた"という報告があった」
会長はマジックショーのような大袈裟な身振りで動作結弦を指さした。
「私は思った。これはチャン……ではなく」
「今チャンスって言おうとしました?」
「言ってない。知ってしまったのなら、このチャンスを利用しない手はないと思ったわけだ」
「チャンスって言っちゃったじゃないですか。……まあ、僕を生徒会に誘った理由はわかりましたけど」
会長の発言に引っかかるところはあるが、事情は把握した。結弦でなければならない理由も理解できた。強力もやぶさかではないが、一つ確認すべきことがあった。
「猫化を直す方法はあるんですか」
生徒会の任期にも在学期間にも限りがある以上、この体制はいつまでも続けられるものではない。ただ秘匿するだけではその場しのぎに過ぎないのである。ならば、多少人に猫化の事を知られるリスクを背負ってでも、積極的に問題解決に向けて動いた方がいいのではないか、というのが結弦の考えだった。
結弦の言葉に対して会長はーー待っていました、と言わんばかりに目を輝かせていた。
「ある」
会長は力強く断言した。
「可能性は低いが、我々の力だけで関さんの呪いは解ける。それを説明するために、世界樹の話をしよう」