世界を変えた者
バスが止まった地点は高木家よりもさらに学校から遠ざかった場所であり、まともな交通手段を失った結弦たちが桃園学院に辿りつけたのは正午を過ぎた頃になった。幸いだったのは道中で雨が止んだことで、雨が長引いていたらもっと遅くなっていただろう。
学校に着いた2人は生徒会室に向かう前に各自の教室へと向かった。異変の規模を把握するためだった。
昼休みに相応しい賑やかな声が漏れ出る教室のドアを開けると、バスよりさらに異様な光景が広がっていた。
「なんだこれは……」
そこには見知った顔のクラスメイトは誰一人としていなかった。それどころか、教室の中には誰一人として高校生といえる年齢の人物がいなかったのである。下は小学校にも上がっていないような幼い子供から、上は腰の曲がった老人まで、幅広い年齢層の人々が桃園学院二年三組の教室に居座っている
五十歳ほどの男性が隣に座っている九歳ほどの女児と会話をしている。親子同士のやり取りではなく、ごく普通の高校生のように昨日のドラマの話で盛り上がっている。
白髪の老人二人が教室の壁にもたれかかって会話を繰り広げている。孫の近況などではなく、クラスで気になる女子生徒の話をしていた。
真珠のネックレスをつけた上品な婦人がノートに数式を描き走っている。そんな婦人にOLの格好をした女性が小テストの範囲を訪ねていた。
立ち尽くす結弦の足の間を何かが通り抜けていくのを感じた。後ずさりして足元を見ると一歳にも満たないような赤ん坊がハイハイをしながら教卓へ向かっていた。
赤ん坊が教卓の前まで来ると、最前列に座っていた女性が立ち上がった。
「みんな。先生がきたよ。座って座って」
手をたたき、雑談を繰り広げていた他の面子に着席を促す。結弦はその光景を見てようやく理解した。
彼女が学級委員長で、あの赤ん坊が先生の“役“なのか。
この人たちはみんな『キャラクター・ブック・ストリング』で二年三組の生徒を演じさせられているのだ。
状況は理解した。結弦は生徒会役員として自分がなすべき役目を果たすべく、行動に移す。
昇降口につくと強張った表情をしている円香と合流した。
「関」
「ええ。高木くんの教室も同じだったのでしょう」
阿吽の呼吸で互い教室の状況を共有した。2人早足で生徒会室に向かう。
「『キャラクター・ブック・ストリング』の持ち主がなりふり構わずにその力を発動させている、とみるべきね。しかも、たった一晩で世界中……すくなく見積もっても町中の人たち全員が帰られたみたい」
「ああ。さらに言えば、かなり急拵えに作った粗悪品とみえる。萩原英美と比べてあまりにも振る舞いが不自然だ」
「きっと、萩原英美さんレベルの自然な立ち振る舞いをさせるにはかなり細かい設定の作り込みが必要なのでしょうね。バスの乗客たちは物語で言うところのモブで最低限のしか与えられていない。だから、私たちの言葉に反応することができなかった」
「インフラ関係者にもあのレベルの作り込みで『糸』の力が及んでいるとしたら、悠長なことは言ってられないな」
電気や水道などの生活に欠かせないインフラは専門の知識を持った人間が管理している。結弦とは今の状況を見て、インフラ関係者まで『キャラクター・ブック・ストリング』に支配されている可能性を懸念した。
このまま放っておけば世界をもとに戻すどころではなくなるのだ。
「楽観視はしない方が賢明ね。下手したらインフラ関係者の役が存在しない可能性すらある……少しでも早く『キャラクター・ブック・ストリング』を破壊しなければ元通りの世界は戻ってこないわ」
しばらくすれば電気が止まる。そうすれば、地下水を管理するシステムが止まり、地下鉄をはじめとした地下空間が水没する。そうでなくとも、病院の電気が止まったら誰かの生命が失われる可能性だってあるのだ。
世界を元に戻すどころではない。
結弦と円香の足取りが早くなる。『キャラクター・ブック・ストリング』を破壊するためには持ち主の情報とそれを破壊するための『短剣』が必要だ。そのどちらも、生徒会室にある。
結弦は生徒会室のドアを勢いよく開けた。“生徒会長“と言うプレートが置かれたデスクには二人にとって見慣れた人物が座っているのを見て、二人は一瞬安堵した。
しかし、円香がデスクに駆け寄り、会長に状況を伝えようとしたとき二人は顔をこわばらせる。
「会長。『キャラクター・ブック・ストリング』の持ち主が暴走を始めました。葉月さ……会長?」
「シャープインクルード……メイン……カッコ……」
「……」
「……」
奇怪な言葉を吐き出す会長に対して結弦と円香は沈黙した。
「なんだこれ」
「プログラミングのソースコードを読み上げてるみたいね」
「もう役柄なのかすら怪しい。文字ならなんでもいいのか……」
役の設定を詰めるときに何かの本を参考にしたのだろうが、あまりにも杜撰な割り当てだった。
「絵面が滑稽すぎて緊張感に欠けるが、葉月先輩の情報源が絶たれたのは痛いな」
「ええ……まあ、先輩の住所は職員室から名簿でももらえればわかるでしょう。私たちの目的は……」
円香は会長のポケットから生徒手帳を拝借して、『栞』を1つ取り出した。取り出した『栞』を制服のポケットにしまったところで円香は一つの疑問を抱いた。
「高木くんはなんともないのね」
何か対策を持っていそうな会長ですら『キャラクター・ブック・ストリング』の支配下に置かれたと言うのに、今朝から一緒にいた結弦は平然としている。よくよく考えれば不自然だ。
「そういえば……そうだな」
結弦も言われて初めて自覚した。
「高木君も呪いを背負っているとか? 何か体に異常とか起きてない?」
「いや、特に心当たりはないな。……もしかしたら、『キャラクター・ブック・ストリング』で支配するには条件があるのかもしれない」
「条件ねえ」
円香は昨日見た資料の内容を思い出す。
「少なくとも記録には残ってなかったわね。単に実験していないだけかもしれないけど……」
さらに深く考えようとして円香は踏みとどまる。今は一刻の猶予もない。結弦に『キャラクター・ブック・ストリング』が通用していない事実はさほど重要なことではないのだから、安全を考えれば今は偶然──例えば呪いを背負った自分自身が近くにいたからと解釈しておき調査を進めた方がいい。
「そうだ」
ふと気づき、円香はパラパラと生徒会長の手帳をめくり、流し読みをした。葉月の家の住所かヒントがないか確認しようと思ってのことだったが、それらしい情報はなかった。
「高木君も見ておく? 会長のメモ」
「……一応見ておこう」
結弦の目には円香はまるでパラパラ漫画を動かすときみたいに、パラパラとめくったようにしか見えず本当に読めているのか疑わしかったが、今は気にしないことにした。
立ち止まっている時間が惜しいので結弦は職員室に向かう道中で、後ろのページから手帳の内容を確認した。手帳には例のお茶会に参加していた生徒の情報が、たった数日で集めたとは思えないほど直近の様子が細かく書かれている。
そして。とある参加者の氏名が書かれたページを見て結弦は思わず、足を止めた。
「どうかしたの?」
結弦の前を歩いていた円香が後ろを振り向いて尋ねる。
「目的地を変更しよう」
「……どう言うこと?」
「葉月先輩より明確に『キャラクター・ブック・ストリング』を願う動機のある人物がお茶会に参加している」
結弦は手帳を閉じて目的地を告げた。
「夏目家に向かおう」




