尾行
萩原英美から10メートルほどの間隔を取って、恭次郎の家とは反対方向に進む彼女の後姿を追いかける。
空は黒の混じった茜色に染まり、油断すれば見失いそうだ。加えて、萩原英美が歩くのは学生受けのいいカフェや飲食店の並ぶ通りだ。時間帯も相まって多くの人でにぎわっている。中には桃園学院の生徒もいた。できれば彼らにも気づかれたくはない。
ウィンドウショッピングをする振りをしながら視界に萩原英美の姿を収め、できる限り自然に見えるタイミングを見計らって先へと進む。
萩原英美に気づかれないように。見失わないように。そして周囲の人に怪しまれないように。気を配らねばならないことの多さと、悪いことをしているうしろめたさが心臓の鼓動を速くする。
(尾行ってのは心臓に悪いねぇ。これを生業にしている人は心臓が鉄でできてるんじゃないかな)
根っからの善人である会長の心臓は今にもはちきれそうだ。しかし、根が善人なだけで器用万能である生徒会長はこの10分と少しの間、怪しまれることなく尾行をこなしていた。
萩原英美は通りに並ぶ数多の飲食店に興味も目もくれず、間もなく出口に差し掛かる。その時。
「もしかして、会長ですか」
無機質な声が会長を呼んだ。口から飛び出そうになった声と心臓を手で押えて振り返ると、そこにいたのは銀髪の同級生、葉月だった。
「や、やあ。こんなとこで会うとは奇遇だね」
会長はぎこちない笑みを浮かべて髪をかき上げる。
「そうでしょうか。うちの生徒の寄り道としては一般的だと思いますが」
葉月はサムズアップをしながらそう言った。
「なんだい、それは」
「身振り手振りで気持ちを表現するといいと、アドバイスを受けたもので」「
「そんなろくでもないアドバイス真に受けない方がいいと思うよ」
「私は気に入ってますよ」
「ならいいんだけど、って……あっ」
会長は慌てて周囲を探してみたが萩原英美の姿はとうに消え去っていた。
(しまった……見失った……まあ、仕方ないか)
尾行はあきらめ、葉月と会話に戻ることにした。
「どうかしましたか? ストーキングしていた女性でも見失いましたか?」
「ははっ。人聞きが悪いな。狙っていた限定メニューが売り切れになってしまったんだよ。まあ、少し目を離したすきにいなくなってしまうという意味では女性みたいなものかもしれないが」
視界に移った情報の変化から咄嗟に取り繕ってみたものの、葉月の勘の鋭さに心臓の鼓動の音が通り中に聞こえてしまいそなほど大きくなる。
「限定メニュー……ああ、とろろかけプリンアラモードのことですか」
「……そうさ」
(なんだその奇天烈なメニューは……っていうか、本当にそんなメニューが今ちょうど売り切れになったのかよ)
想定外の情報に惑わされてボロを出す前に会長は話題を変えることにした。
「そういう君は? 失礼だが、あまりこういうところに来るイメージがなくてね」
「ええ。普段はその通りですが、今日はお茶会に呼ばれましたので」
「お茶会って喫茶店でやるものなのかい。私は家に呼んだり呼ばれたりするものだと思っていたが」
「友人とのお茶会ですから。家よりはお店の方が都合が良いのです」
「まあ、そういうものか」
腕時計に視線を落とす。日没まであとわずかと言ったところだ。
「会長も参加されますか? 今ならハーレムですよ」
「魅力的な提案だが、この後は用事があってね。またの機会にさせてもらうよ」
「それは残念です」
葉月は変わらずの無表情でそう言った。




