食堂座席争奪戦
桃園学院の学食は連日大盛況だ。必然、生徒たちがランチタイムを快適に過ごせるかどうかは四限目の終了時刻にかかっている。少しでも早く終わってくれれば、学食にしてはレベルの高い昼食を満喫できるが、少しでも授業が遅く終われば気の抜けない座席争奪戦の始まりだ。それに負け続けようものなら冷めきった昼食を残り少なくなった昼休みのうちにかっ込む羽目になる。
そんな生徒の切実な事情を思い、四限目の担当の時には早めに授業を切り上げてくれる教員もいれば、お構いなしに何分も延長する教員がいる。結弦のクラスの水曜日の教員がそれだった。
結弦はクラスメイトの掛谷正法とともに学食のど真ん中に立ちつくしていた。二人が手に持っているお盆の上では学食の大人気メニュー、ハンバーグ定食が徐々に最高の状態から遠ざかろうとしている。
「須藤先生の授業は長引くって聞いてたけど、思っていたよりえぐかったなあ。10分オーバーて」
掛谷が大あくびをしながらぼやいた。彼の眼は周りに濃い隈ができており見るからに眠たげではあるが、鋭い目つきで食堂内を探っている。ただし、探しているのは空席ではなく協力者の姿だ。
学食を利用する多くの生徒は別のクラスの生徒と曜日替わりで席を確保してもらう協定を結ぶ。掛谷と結弦も例外ではなかった。
「なあ、千鶴見つかった?」
掛谷が尋ねた。だが、結弦はぼーっとした目で虚空を見つめている。
「高木?」
名前を呼ばれた結弦はかすかにビクッとして、掛谷の方を見た。そしてすぐに自分が席を先に確保してくれているはずの蜂須賀千鶴を探していたことを思い出す。
「ああ。ごめん、みつかんないや」
「寝不足か?」
「いいや、掛谷じゃないんだから。少し考え事をしていただけだよ」
「言ってくれるねえ」
そういって掛谷はまた大あくびをした。
実を言えば、結弦は昨日から世界樹跡地で会ったあの少女のことが頭から離れなかった。猫に変化するとという奇怪な現象も気になっているが、あの少女をどこかで見た気がしたのだ。制服からみて同じ学校に通っているのだから見たことがあってもおかしくないのだが、どうも廊下で一目みた程度の関係ではない気がする。
もし万が一、相手が自分のことを知っていて、こちらだけ覚えていなかったら傷つくだろう。それは良くないことだと思った結弦は昨日から必死に思い出そうとしているのである。
再び記憶の発掘作業にのめり込んでしまっていると掛谷が肘でこづいてきた。
「いた。あっちだ」
掛谷が顎で指した方向にはふわふわしたカーブのかかった、茶髪の女子生徒が二人に向かって手を振っていた。その手の動きに合わせて肩まで伸びた髪が揺れている。
「もー遅いですよ~! 牛丼が冷めちゃうじゃないですか~」
「いやーすまんすまん。だが文句は須藤先生に言ってくれ」
掛谷が千鶴に小言に対して軽口を返す。
「ごめん」
結弦は千鶴に会釈して、彼女が確保してくれていた席に座った。三人は同時に手を合わせいただきます、と言ってから食事に手を付ける。
「で、考えてたことってなんだ?」
「別に。大したことじゃないよ」
結弦はハンバーグを箸で一口大に分割する。一方で同じハンバーグ定食を注文した掛谷はナイフとフォークを使って切り分けていた。
「大したことないって言ってもよ、今日はずっと心ここに在らずって感じだったぞ。家族を人質にでも取られたか? だったら力になるぜ。経験はある」
「そんな事態になったら学校なんて来てないよ」
「経験があることについては突っ込まなくていいんですか?」
牛丼を口いっぱいに頬張った千鶴が静かにツッコミを入れた。
「じゃあ、女絡みか」
その指摘に結弦の箸が止まった。
「図星か」
掛谷正法という人物は優れた観察力の持ち主だ。特に人が困っていることを見抜く能力はずば抜けている。入学以降、一年とちょっとの付き合いの中で掛谷がその観察力を発揮するところを結弦は幾度となく見てきたが、いざその視線が自分に向けられるとなると、その目は自分を助けようとしてくれているはずなのに、目つきが悪いせいで獲物として狙われているような気分だ。
「なるほどなるほど……」
掛谷は意味深に何度も頷いた。そして。
「実は我が校の生徒会はお悩み相談という活動を行っていてな」
「いや、聞くだけ聞いて人任せなんかい」
またしても千鶴のツッコミが入った。
「だって、恋の悩みって難しくてさ」
「人質助けたことあるのに?」
「あれは力で勝てばどうにかなるだろ?」
「力でどうにかしていい問題なの?」
「恋愛ってさ、双方の気持ちを取り持たなきゃならんわけよ。俺に言わせりゃ恋の成就より世界平和の方が簡単だね」
「世界平和も双方の気持ちが大事だと思うよ?」
「というか」
千鶴と掛谷のやりとりに結弦は口をはさむ。
「別に恋の悩みってわけじゃない。女の人が関係しているのは事実だからちょっと見抜かれたような気持になったけど」
「じゃあ何をそんなに考えていたんだ」
「昨日、世界樹跡地でうちの生徒にあったんだ」
「あー。願いが叶うってやつな。意外だ。高木ってそういうの興味ないと思ってた」
「実際興味はなかったんだけどね。ただ、恥ずかしいことに昨日帰る途中で道に迷ったんだ。その時、たまたま存在を知った」
「先輩、道に迷ったことは気にしなくていいですよ。十年以上通っていながら未だに校内で迷う人もいますので」
千鶴の声からは気苦労を感じさせる声で言った。二人は家が隣同士で十年来の幼馴染だ。年齢は掛谷の方が一つ上だが、その付き合いもあってか千鶴は掛谷に敬語を使っていない。
「まあ正法が迷うのは校内だけじゃないんですけどねぇ、ほんっとに」
「お、俺のことはいいじゃないか。で、その女子生徒がどうしたんだ?」
「どこかで会った気がするのに思い出せなくて。それが引っかかってた」
「なんだ。要はその子に一目惚れしたってことか」
「違うよ」
「ワリイな、俺は力になれそうにない。特徴を言えば名前ぐらいはわかるかもしれないが、その後の話は女子に……」
と言ってこの場の紅一点である千鶴に話を振ろうとして、言葉を止めた。 千鶴の目は新しいおもちゃを見つけた子供の目のよう爛々と輝いていたからだ。
「いや、千鶴はダメだった。そういえばこいつは恋愛脳だった」
「任せてください! デートプランから結婚式場までなんでも相談に乗っちゃいますよ!」
「別にいいって」
「なんでですか! そんなことおっしゃらずに! 私、先輩のためを思ってちゃん~と相談に乗りますよ! なのでもうちょっとください!」
「人のためを思っている人間は『もうちょっとください』とかいわないよ。そもそも別に恋愛的な意味で気になっているわけじゃないって」
「じゃあ、なんで思い出そうとしてるんですか?」
「もし面識があったのに忘れていたら、次あったときに相手が傷つくだろう。それはよくないよ」
「次って……やっぱり、気になっちゃったからお近づきになろうとしてるんじゃないですか?」
「いや、あの子が置いていった制服を渡さなきゃいけないし」
「「どういう状況!!?」」
結弦の爆弾発言に二人の声が重なった。
「え、その女の子の制服が今手元にあるってことですか!?」
「あるよ」
「「なんで!?」」
再び二人の声が重なった。
「なんでって、それは」
「いや、言わんでいい! そうなる状況なんて決まってるよな!」
「先輩! そういうのは良くないと思います!
「突然消えた?」
「え、怖い話してました?」
二人が落ち着くのを待った後、結弦は昨日見たことを話した。ただし、「猫に化けた」というのはただの推測なので伏せて。
「見間違いかもしれないけどね。ただ世界樹跡地に制服が落ちていたことも、そこで見た女子生徒に見覚えがあることも事実だ」
「ふーむ……もしかして、生徒会のアレってそういうことか」
掛谷は小声でそう言うと調味料置き場に置かれていたアクリル製のカード立てを手に取り、結弦に差し出した。そこには「悩みは一人で抱えずに生徒会室へ!」と書かれた広告が挟まれている。当然、結弦もこの広告の存在は把握している。普段は気に留めていないがとある一文が目を引いた。
「『不思議な現象にお悩みの方もどうぞ』……? こんな文言、あったっけ」
「俺も気づいたのは最近だけどな。でもこの広告は今期の生徒会発足時に置かれたからずっと書かれてたんじゃないか?」
「この広告って前の生徒会の時にはなかったんだっけ」
「ああ。お悩み相談という活動自体は伝統だからどの代もやってるんだが、今期はなぜか力を入れている印象がある」
「今期は二人だけなのに頑張るよねー。例年ならおまけ扱いなのに」
「二人?」
結弦は千鶴に聞き返した。
「今の生徒会って二人しかいないのか」
「あれ、知らなかったんですか。結構大騒ぎになってましたよ」
結弦は首を横に振った。
桃園学院の生徒会選挙で選ばれるのは会長のみであり、他のメンバーは会長から任命によって決定される。したがって、立候補者がなく欠員ということにはならないはずだ。だとすれば、
「全員に断られた、とか? いや、でも拒否権ってあるのか?」
「会長が副会長以外の任命を放棄したんです。規則の解釈について一悶着ありましたけどね。最終的には“生徒会長は役員を任命できるとしか書いてない。よって、任命は義務ではない“という会長の言い分が通ったらしいです」
「確かにそう解釈もできるけど……人手が減るだけでメリットはないし規則を書いた人はそんなこと想定しなかったんだろう」
「ただですねー、男子の生徒会長が女子副会長だけを任命したので、また別の議論が巻き起こったんですよね。職権濫用だとか、最初から愛の巣を作るために生徒会長に立候補したんじゃないか、とか発足当初は叩かれてました」
「まあ、想像に難くないな」
「とはいっても、部活動加入義務の廃止とか、例年の生徒会よりも着実に実績を上げているので半年間でそんな声も聞かなくなりましたけどね。むしろ、二人のような優秀な美男美女という関係性に憧れている人もでてきちゃってます」
「と、いうことでだ」
話が一度落ち着いたところで掛谷はハンバーグの刺さったフォークを結弦に向けた。
「生徒会に相談してみたらどうだ。どちらにせよ、落とし物管理も生徒会の仕事だしな」