御霊櫃峠
福島県の猪苗代湖の東にある小さな峠。ここを根城にする山賊を、陸奥守源義家と猪苗代の地侍の濱路源五郎が、協力しながら退治する。峠の名前の由来にまつわる物語。
峠には、猪苗代湖から常に強烈な西風が吹いており、山賊討伐の障害になると思われたが、義家と源五郎は、これを逆手に取る方法を思いつく。
御霊櫃峠は、猪苗代湖の東にあり、福島県湖南町濱路と郡山市片平を結ぶ、標高八七六mの小さな峠である。この峠は小さいながら奥羽山脈の一部を成しており、太平洋側と日本海側を隔てる分水界を越えてゆく。
この峠には、年間を通して猪苗代湖から強烈な西風が吹き付けるため、樹林が育たず、峠の頂上付近には、膝程の高さの芒と躑躅の藪が広がっている。五月下旬にはこの藪に山躑躅が咲いて峠を朱赤に染め上げ、多くの観光客が訪れる。
だが、その芒と躑躅の藪の中に、八月になれば数多の山百合が咲くことは、意外に知られていない。
◇
「源義家と申す。濱路源五郎殿はおられるか。」
日差しの強い晩夏の或る日、猪苗代の地侍である濱路源五郎の屋敷に、一人の武将が訪ねてきた。
「なんと、義家様でございますか。いや、お懐かしゅうございます。」
「二十年ぶりじゃが、儂がよう分かったな。」
「面影が残っておられます故。」
「此度、陸奥守に任ぜられてこちらへ参ったのだが、多賀城の陸奥国府へ入る前に、こちらで少しやることがあっての。暫く郡山におる。こちらへも何度か足を運ぶことになろうと思う故、よろしゅう頼む。」
「それはそれは。」
源五郎はそう言った後、ふと思い当たったように、義家に尋ねた。
「もしや、こちらで兵をお集めになるのでは?」
「うむ。さすが源五郎。その通りじゃ。北の俘囚の清原一族が今ちょっとごたごたしておっての。このままいくと内輪の戦になりそうなのじゃ。内輪の戦と言うてもあれだけ大きな豪族じゃから、戦になれば周りを巻き込んで大変な騒ぎとなる。そうなれば陸奥守としては、仲裁に入らねばならぬが、仲裁と言うても、こちらにもそれなりの数の兵がおらねば向こうも儂の言うことなど聞くまいからの。」
「そうでございますか。何か二十年前を思い出しますな。」
◇
二十年前、源義家とその父頼義は、猪苗代に逗留していた。
後に「前九年の役」と呼ばれることになる戦で、当時の陸奥守であった源頼義とその息子義家は、陸奥の俘囚である安倍氏との「黄海の戦い」で大敗し、わずか六騎となり敗走。逃れた先の猪苗代でしばらくの間兵を募りながら、戦力の立て直しを図ったのだった。
その際に、陣屋として使えるよう、屋敷の一部を提供したのが、源五郎の父、濱路威三郎であった。
源五郎も、此度はそれに倣うことにした。屋敷の離れを、猪苗代に来た際の陣屋代わりに使ってくれるよう申し出た。
「有り難い申し出じゃ。忝ない。」
◇
「義家様、瓜でございます。」
源五郎が義家の陣屋へ訪ねてきたのは、まだ朝早い明け六つの頃である。
陣屋と言っても、源五郎の館の離れである。
従って、陣屋には門番などおらず、このような早朝に訪ねることができる。
「おお、早いな源五郎、よう来た。瓜か。有り難い。」
そう言う義家の方が朝は早い。源五郎もそれを承知でこのような時間に訪ねてくる。
「お主がくれる瓜はうまいが、何か作る秘訣でもあるのか?」
それを聞くと、源五郎はにやりと笑ってこう言う。
「作り方は普通でございますよ。ただ、とる刻に秘訣がございます。」
「なんと。とる刻で味が変わると申すか。」
「朝早く、まだ日が昇る前にとるのでございます。そうすると、少しばかり甘い瓜がとれまする。」
「それは知らなんだ。」
「まあ、私のような地侍は半分百姓のようなものでございますから、こういうことは義家様より詳しゅうございますぞ。」
東の空がだんだんと白んでくる。
今日も暑くなるのだろう。
「御家来衆の分もございます故。では私はこれで。」
◇
「兵は集まりそうでございますか。」
五日ぶりに猪苗代の陣屋へ来た義家に、源五郎が尋ねる。
「まあ、ぼちぼちという所かのう。とりあえず、今日は葦名から良い返事をもろうてきた。まあ、いずれにせよ、稲刈りが終わってからでなければ陣触れが出せぬがの。」
「それまでは、如何なさいます?」
「まあ、向こうも事情は同じの筈じゃからな。多賀城にはいくらか兵が常駐して居る故、何かあればそれで凌ぐことになろう。ま、その前に根回し合戦になるじゃろうがな。結局のところ、戦も七割ほどは腹の探り合いじゃ。」
「ところでな。前任の陸奥守が建立を進めておった猪苗代の寺が、もうすぐ完成するようなのだ。うまく行けば落成式に立ち会えるかも知れぬなあ。」
「寺、でございますか。」
義家は、寺というものに対してちょっと特別な思い入れがある。
「もう二十五年ほど前になろうかの。」
「前回の東征の折、敵味方共に甚大な死者を出した戦があっての、その時に父の頼義に命ぜられて、敵味方の区別なく亡骸を集めて寺へ運び、供養をしたことがあったのじゃ。まあ、亡骸はどれもひどく傷んでおってな、顔もわからぬものばかりで、蛆が涌いておって臭いもすさまじい。あれは二度とやりたくないと思うたな。」
「そうやって亡骸を寺に運び入れておったら、寺の門の前で一人の老婆が儂の鎧の裾をつかんでな、どこそこの村のなんとか言う者の亡骸がこちらに運ばれておりませんでしょうか、と尋ねるのじゃ。儂は、この寺で敵味方の区別なく供養をしておるところじゃが、亡骸は傷みが激しく、誰のものかもわからぬ故、まとめて荼毘に付しておる。済まぬが儂にもわからぬ。と言った。」
「で、その後に続けて儂は余計なことを言うてしもうた。」
「何と?」
「もしかしたら儂が殺した敵兵かも知れぬ、と。」
「あー。」
「儂もまだ若かった故、その場で思うたことを正直に言うてしもうた。そしたら、その老婆が泣いてしもうてのう。」
「いや、それは泣きまする。」
「さすがに儂もしまったと思うて、寺は誰の物でもない故、門より入って拝んで行かれよ、と言うたのだが、結局老婆は中には入らず、門の前に跪いて拝み、ありがとうございますと何遍も言うて去っていった。それを見て以来なあ、この戦の多い世にあっては、寺は大事で、必要なものじゃと思うようになったのだ。」
「左様でございましたか。」
鬼、悪魔などと言われて恐れられた源氏の頭領、義家の、意外に心優しい一面を、源五郎は垣間見た気がした。
◇
「源五郎はおるか。」
義家が、源五郎の館を訪ねてきた。
が、いつもの義家と少し様子が違う。どうも、源五郎には言いにくい用事を持ってきたのではないか。そんな感じである。
「どうぞお上がりくださいませ。今、茶を入れまする。」
「いやいや、ここで良い。すぐ済む話じゃ。」
うむ。これは、すぐ済む話かも知れぬが、多分面倒くさい話じゃ。源五郎はそう思った。
「片平越の峠に山賊が出るという話は聞いておるか。」
義家が単刀直入に尋ねる。
「存じておりまする。峠を越える行商人等を襲い、金品をせしめる連中がおるそうでございますが、侍の恰好をしている者は襲いませぬ故、たまに行商人等から、郡山側の片平まで護衛を頼まれることもございます。」
「それがな、最近は見境がなくなってきて、侍まで襲うそうなのだ。それで郡山の郡司のところに討伐の請願が来ておる。実は儂の従者もこのあいだ襲われての。」
「なんと。」
「幸い馬に乗っていた故、逃げおおせて無事だったそうじゃ。」
「それは良うございました。」
「で、その者が言うには、野盗にしてはどうも人数が多いと。二十人程が、刀を手に襲ってきたそうじゃ。」
「二十、でございますか・・・・。」
源五郎はちょっと考え込んだ。
これは何だ?一体何が目的であろうか。
明らかな侍の恰好をした馬上の二人を襲うのに二十人?単に金品を奪うのが目的であれば、そのような人数が必要だろうか。
第一、分け前が少なくなるではないか。儂ならやらんぞ。
そもそも、金品が目的ならば、侍なぞ襲っても割に合わぬ。下手すれば返り討ちに遭う。それゆえ、今まで侍は襲わなかったのではないのか。
うーむ。
「それでな。」
義家の言葉で、源五郎は我に返った。
「済まぬが、源五郎にこの山賊の討伐を頼みたいのじゃ。」
「は。」
来た。
義家様が言いにくそうにしておったのは、これか。
いやしかし、こうして陸奥守様に直々に頼まれてしまっては、これは断れんぞ。
どうする?
「本当ならば、この義家が手勢を引き連れてさっさと片づけてしまいたいところじゃが、儂は陸奥守として京から赴任してきたばかりで、今は文官しか連れて来ておらぬ。正直今すぐ集められる手勢がおらぬ。そこでな、これはもう片平越の守護とも言うべき濱路源五郎殿にお願いしたいと思うたのじゃが。」
いやいや、
守護は義家様にございますぞ。
「濱路家の所領は、湖から片平越へと入る道の、まさに両側に広がっておる。さすれば、源五郎殿は、さしずめ片平越えの守護ではないか。」
持ち上げてきましたな。そう来られますか。
まあ、よろしゅうございますとも。どのみち断れないのであれば、やる他あるまい。
「わかりました。この一件は是非ともこの濱路源五郎にお任せ下さりませ。」
ああ、言うてしもうた。
◇
「そういう訳でな、片平越の山賊共をわしらで討伐することになった。」
源五郎は、家人衆を館に集め、皆の前でこう言った。
「えー。」
家人衆の反応は、まあ何というか、源五郎の予想通りであった。
地侍は半分百姓でもある故、農作業の障りになるような事はやりたがらない。このあたりは稲刈りはまだだが、稗はそろそろ刈らねばならぬ。稗は刈り時を逃すと粒が落ちてしまう。
「不平を言うでない。これは陸奥守様に直々に頼まれたこと故、簡単に断る訳にゆかぬ。」
「あー。」
「まあ、正直なところ、儂もお断りしたかったがの。」
「相分かり申した。やるとなれば、我ら家人衆、きっちりとお役目を果たしまする。」
「頼んだ。」
「さて、どうやるかの。」
◇
それから数日後、源五郎は、三十ばかりの手勢を引き連れて、片平越の峠の少し手前まで来ていた。
どうせやらねばならぬのであれば、さっさと片づけてしまいたい。少し多めの手勢を動員して、時間をかけずに制圧してしまおうという作戦である。
但し、鎧を着た侍が大勢でぞろぞろと峠道を歩けば、山賊共は用心して姿を見せないであろうことは想像に難くない。そこで、峠道を使わず、西側の林の中から峠に近づき、峠道の脇の藪の中に兵を隠して待ち伏せすることにした。峠に通行人が通りかかれば、山賊は出てくるだろう。そうしたら藪の中から出て、賊を斬り伏せればよい。
幸い、峠の両脇には、芒と躑躅の藪が広がっている。藪は峠道からゆるやかに下る斜面にあるため、藪の中に潜んでしまえば、峠道からは兵は見えなくなる。
「早う行商人など通りかからんかの。」
「御屋形様。」
「何じゃ?」
「こうしておりますと、何か儂らのほうが山賊のようでござります。」
「言うな。」
さて、待てど暮らせど、峠を越える者は現れない。
「今日は空振りかのう。」
源五郎がそう言った次の瞬間、矢が飛んできた。
矢は、峠の東にある小さな山の上から飛んでくる。矢は次々と飛んできて、待ち伏せしているところを、上から矢衾を浴びせられる格好となってしまった。
「まずい。退却じゃ。林の中へ逃げ込め。」
◇
源五郎とその手勢が峠で苦戦していた頃、郡山の義家の元に、兵を引き連れて訪ねてきた者があった。義家の弟、源義光である。
「フライングじゃ義光。まだ戦になっておらぬ。」
「でも、戦になるのでございましょう?」
「それに、史実よりもだいぶ早いではないか。」
「史実とは?」
「いや何でもないが。しかし、正直言うと、助かる。今、確実に当てにできる兵はまだ少ない故、お前が兵を連れて来てくれたことは、まことに心強い限りじゃ。」
兄弟が、久々に酒を酌み交わす。
「しかし、朝廷がよう許したのう。」
「いやあ、許可は頂いておりません。勝手に参りました。」
「なんじゃと?」
「どうせ閑職ゆえ、しばらくはばれますまい。」
「いやいやいやばれるばれる。左兵衛尉が勝手に兵を率いて戦に出るなど、お主罷免されるぞ。」
「別に構いませぬ。私にとっては、兄上のお役に立つ方が大事でございます。」
「全く。こういう時だけ儂より度胸が良いのだからなあ。」
◇
翌朝、郡山の義家の元に、源五郎からの使いがやって来た。
「申し上げます。義家様より我が主、濱路源五郎に申し付けられておりました、片平越の山賊討伐についてでございます。昨日、手勢三十名を引き連れて討伐を実行いたしましたが、峠の脇の小山の上より賊に矢衾を浴びせられ、返り討ちに遭いましてございます。これにより討伐は失敗に終わりましたことをご報告いたします。」
「何と。返り討ちに遭うたか。」
「申し訳ございませぬ。」
「いや、そうか。矢衾か・・・うむ。」
義家は、その場で暫く考え込んでいたが、顔を上げると使者にこう告げた。
「これは、儂のほうにも少しばかり思い違いがあったかも知れぬ。この件について軍議を行いたい。準備が出来たら儂の方から連絡する故、郡山まで来てほしいと源五郎に伝えよ。」
「承知いたしました。」
◇
「軍議を始める。」
早朝から郡山の陣屋に呼ばれた源五郎は、緊張で身も細る思いであった。
軍議の参加者は三人。義家と、義家の弟の義光、そして源五郎である。
山賊の討伐に失敗した上での軍議である。一体何を言われるやら、何を命ぜられるやら、分かったものではない。
義家の目の前には、大きく浅い桶が置かれていた。中には目の細かい笊が伏せてあり、桶には水が張られている。
その脇には、たくさんの花材が並べられている。芒と、躑躅と、山百合だ。
義家は、桶にまず芒を生けた。まだ穂の出ていない芒である。
次に、少し大ぶりな躑躅の枝を生けた。こちらは既に花の終わった躑躅である。
花の無い生け花など聞いたことがない。しかもここは軍議の席じゃ。義家様は何をなさるつもりか。
「濱路源五郎!」
突然、義光が立ち上がり、源五郎を叱責しはじめた。
「かような山賊ごときにしてやられる等、武士の名折れである。此度の事、いかに始末をつけるつもりか!良いか、二度の失敗は許され・・・」
「義光。」
義家が義光の叱責を遮る。
「今日、源五郎をここに呼んだは、斯様な叱責をするためではない。軍議と申した筈じゃ。控えよ。」
「は。」
義家が、再び黙々と芒と躑躅を活け始める。山のように用意された花材を、義家が桶に次々と活けてゆく。
それにしても、ちょっと多いのではないか。
「あいた。」
「義家様?」
「芒で指を切ってしもうた。」
「大丈夫でございますか。」
「血までは出ておらぬ。大丈夫じゃ。」
「血が出ておらずとも、後でヒリヒリしてまいりますぞ。」
「言うな。それを聞いたら余計痛くなるではないか。」
やがて、こんもりとした異様な活け花ができあがった。
「いや、どうも義光のようにはゆかぬか。」
「さて、源五郎。」
義家が問いかける。
「これをなんと見る。」
突然の謎かけである。しかしこれは、軍議と何の関係があるのであろう。
源五郎は考える。
しかし、よくよく見れば、これはこの間行ってきたばかりの、あそこのあれではないか。
「これは・・・・片平越の峠の藪にござります。」
「そうじゃ。峠のあたりは、強い風のせいで木が生えておらぬ。このような芒と躑躅の藪じゃ。その中に、風に矯められて背の低くなった山百合が咲いておる。義光はまだ峠の景色は見たことがないであろうから、よう見ておけ。」
そう言うと義家は、今度は花の咲いた山百合を手に取った。そして、茎の真ん中あたりで切ると、芒と躑躅のあいだに隠れるように活けて見せた。
「この山百合を、兵の頭と考えてみよ。」
「峠のすぐ東に、小山があるであろう。仮にそこから賊どもが峠の様子をうかがっておったとしたら、藪に隠した手勢はどのように見えるであろうか。」
「・・・バレバレでございます。」
「賊が少人数で峠道の脇に潜んでおるのであれば、源五郎のやり方で問題なかった。だが、実際には、賊どもは峠の東の小山の上で、源五郎の兵が森から出て来て藪の中に潜んでおるのを見ておった。まず、直接の敗因はこれじゃ。」
「次に、この躑躅じゃ。」
「芒に膝ほとの高さの躑躅が混じる藪は、まこと歩きにくい。これがただの芒の藪であれば、源五郎の手勢も速やかに退却でき、矢傷を負うものも少なくて済んだはずじゃ。」
「この藪に囲まれた峠と、それを一望できる小山の上に砦があるとする。さすれば、賊の側からは、攻めてくる敵は丸見えじゃ。一方、攻める側からすれば、この藪のせいで砦に近づくのに時間がかかる。また、この間の源五郎の手勢のように、退却することも難しい。かというて、道に出れば、狭い峠道ゆえ兵は一列になってしまう。恰好の標的じゃな。となれば、これは、小さいながらなかなか良くできた天然の要害ではないか。」
◇
「あとな。もう一つ気になることがある。」
「源五郎。この間の討伐の様子を、もう一度聞かせてくれ。」
「は。」
源五郎は、この間失敗した討伐の様子を説明した。
「朝、三十名ほどの手勢を引き連れて峠の西側の林の中から峠に近づき、道から離れた藪の中に身を潜め、旅人や行商の者が通りかかって、山賊が現れるのを待ち受けておりました。先程義家様が言われた通り、賊が峠道の脇に潜んで待ち伏せていると考えて、斯様な方法をとったのでございます。」
「ところが、暫く藪の中に潜んでおりましたところ、突然峠の東の小山から矢衾が飛んでまいりました。手盾など持たせておりませんでした故、すぐに退却を指示したのですが、躑躅の藪が邪魔をして素早く動けませぬ。幸い飛んできたのが軽い矢でありました故、深い傷を負ったものはおりませんでしたが、半分ほどが矢傷を負う結果となってしまいました。その後、山の上から刀を持った盗賊が駆け下ってきました故、森の中へ逃げ込んで、猪苗代の館まで戻ってまいりました。」
「ふむ。」
腕組みをして源五郎の話を聞いていた義家が、ゆっくりと口を開いてこう言った。
「この戦いぶり、野盗にしては、ちょっと出来過ぎだとは思わぬか?」
「と、申されますと?」
「最初に矢衾を浴びせておいてから、その後刀で斬りかかる。この戦法は儂らにはなじみのあるやり口ではないか。しかも、矢衾を浴びせるには、誰かが采配を振るなりして合図をせねばならぬ。およそ、儂の知る野盗などという連中は、斯様な統率のとれた動き方などできる連中ではない。」
この言葉で源五郎は気づいた。義光も同じことに思い当たった。
「こ奴ら、武家ではないか?」
◇
「仮に、片平越の山賊が武家、もしくは武家崩れの連中であったとしよう。昔は所領を持っておったのだろうが、戦に負ける等して失い、山賊に身をやつして喰うておったのだろう。それが何らかの理由で勢力を盛り返して、人数が増えた。それで、今、拠点を造ろうとしているのではないか。」
「最近侍まで襲うようになったというが、話を良く聞くと金品を奪われたという者はひとりも居らぬのだ。つまり、侍どもは襲われているのではない。追い払われているのじゃ。」
「侍を峠から追い払いたい理由はひとつしかあるまい。あ奴らは峠に砦を造ろうとしておるのじゃ。いや、もしかしたら、城かもしれぬな。」
義家の大胆な推論に源五郎は驚いた。
しかし、改めて考えてみると、確かに腑に落ちるところがある。義家様の従者が襲われた時に、二十人もの盗賊が出てきたという話も、襲ったのではなく追い払ったのだとすれば納得がいくではないか。
「それでな源五郎。峠に砦を作ったら、次は、あ奴ら何をすると思う?」
「次、でございますか。」
いや、何であろう。すぐには思いつかぬ。
「義光はどう思う?」
少し考えた後、義光はこう答えた。
「勝手関所を作って、通行料を取るのではありませぬか?」
「うむ。儂もそう思う。野盗などやっておっても、通りがかる者が必ず路銀をたんまり持った行商人や旅人であるとは限らぬ。また追い剥ぎが出る等という噂が広まれば、峠を通る者も減ってしまおう。であれば、関所を作って通行料を取れば、安定した収入になるではないか。料金は、そうじゃのう。源五郎が行商人からもろうておった護衛料より、ちょっと安いくらいにするかの。」
これは大変じゃ。山賊どもが商売敵になるとは。
「で、そうやって経済力と軍事力をつけたら、次は何を狙うか。」
源五郎は嫌な予感がしてきた。
「所領じゃ。」
「まさか、うちの所領を奪うと?」
「峠の近辺で、手近に狙えそうな所領を、と考えると、真っ先に候補に挙がるであろうな。儂ならそうする。必ずやる。」
「しかし、周りの国衆が黙っておらぬのでは?」
「そこじゃ。確かに蘆名など周りの国衆は面白くないじゃろうが、峠に砦を構え、勝手関所を作る位の力をつけたとなれば、下手に手出しをするとそれなりに痛い目に逢うかも知れぬ。もちろん本気で戦を仕掛ければつぶすことは出来ようが、自分たちの所領から離れた所で起きた騒動に、そこまで首を突っ込みたくない、というのが本音ではないか。」
「しかし、そのようなやり方で所領を奪うことを、周りの国衆が認めるでありましょうや?」
源五郎が義家に尋ねる。
「いや、周りの国衆に認めてもらう必要はない。ただ、知らん顔をしてくれればそれで良い。黙認されれば、それで『力による現状変更』が認められたのと同じことになるじゃろうからな。」
これは大変なことになってきた。どうしよう。
「それでな。今から偵察に行かぬか?」
突然、義家が峠の偵察を持ち掛ける。
「ええ?」
「二つ引両の幟旗を背負うて馬でゆく。賊共も源氏の武将とわかった上でそうそう喧嘩を売れるものでもなかろう。確認したいことがあるのじゃ。なに、馬ならばここから峠まで大して時間はかからぬ。昼には着くじゃろう。」
「源五郎、お主も旗を背負え。安全のためじゃ。とりあえず今日の所は『みなもとのごろう』を名乗っておけ。」
◇
馬上の三人が峠に着いたのは、昼少し前であった。
この時期の峠は、猪苗代湖からの西風が弱まり、時に無風の日もある。今日は丁度そのような日であった。
細い峠道の両側は、膝の高さ程の芒と躑躅の藪が広がる。その中に、風の弱まる季節を待っていたかのように、数多くの山百合が、藪に半ば埋もれるようにして、大きな白い花を咲かせている。その甘い香りが、峠の一帯に漂っていた。
「何と美しい峠じゃ。」
義光が感嘆の声を上げる。
「今は風の弱まる季節じゃからな。花もそれを待って咲く。しかし、普段の風が殊の外強いことは、あの木を見ればわかるじゃろう。」
義家が指差す先を見れば、西側には枝がなく、東側のみに枝を広げ、幟旗のような姿になった五葉松が、藪の中に点々と屹立していた。
「さて、儂が確認したかったのは、あれじゃ。」
義家が今度は峠の東、小山のある方向を指さす。
小山の上には、何やら木の柵のようなものが見える。
「あれは峠を見張るための物見じゃろうな。あの小さな山の上には、砦を作っても大した人数はおれぬじゃろうから、兵が待機するための大きな砦が別にあるじゃろうと考えた。」
「成る程。」
「それだけではないな。見よ。」
義家が今度は地面を指差す。
峠道の脇に、太い杭と長い丸太が置いてある。
「砦ができあがったので、次は峠道を閉ざす門を作る気じゃろう。」
良く見ると、峠道の両脇には穴を掘りかけた跡がある。
「門扉を据える穴を掘ろうとしておるのだろうが、地面が石だらけで難儀しておるようじゃな。」
すると、小山の奥の方にある山の上から、煙が上がってきた。
「狼煙では?」
「狼煙にしては煙が薄い。多分、飯を炊いておるのじゃろう。」
義家が、にやりと笑って続ける。
「良く見れば物見のような櫓の頭が見えるな。おそらく、今煙が上がっておるあの山が本丸じゃ。よし。あそこを襲うぞ。」
◇
強行偵察から戻った義家達は、軍議を再開する。
「もうじき秋になれば、再び峠にはあの強風が吹き始めまする。そうなれば弓矢が使えませぬ故、戦がやりづらくなりましょう。今のうちに片づけねばなりませぬ。」
源五郎が言う。
「しかしまた何というか、攻めにくい砦じゃ。数を頼んて力押しするならともかく、いま使える源五郎と義光の手勢のみでこれを落とすとなれば、ちと工夫がいるな。」
義家が考え込む。
「だが、今判っておる賊の砦はいずれも山の上じゃ。水も得られぬじゃろうし、恐らくは山の中腹の、どこか水の得られる場所に、生活のための根城を持っておるじゃろう。まずはそこを潰すか。」
「根城の場所は、私の手勢から斥候を出して探らせましょう。」
義光が提案する
「そうじゃな。水が得られて、根城を建てる場所があって、というような場所は、山の中にはそんなに多くあるまい。麓という可能性もないではないが、もし麓に根城があれば、源五郎がとうに知っていそうなものじゃからな。おそらく山中にある。」
「そうなると、残る問題は砦の攻め方じゃな。」
◇
「ときに源五郎。」
義家が、何か思いついたように、源五郎に問いかける。
「前に、秋から春にかけて、あの峠の強風は、風向きがずっと変わらぬ、と申したな。」
「申しました。」
「思ったのだが、変わらぬということは、当てにできる、ということでもあるのではないか?」
「と、申しますと?」
「常に変わらず吹く風であれば、それを味方につける方法さえあれば、戦の与力として当てにできるではないか。」
「あの山の西側に、矢を射かけられる開けた場所はないか。」
源五郎は考えた。
「一か所だけございます。」
「何と。」
「砦の山の西側に少し平らな尾根がございまして、そこに木の生えぬ平場がございます。何年か前、妻の桔梗が、あの山に咲く珍しい野菊を見たいと申しまして、一緒に登ったことがございます。その時に、猪苗代湖の方を見ておりましたら、平らな山の尾根の途中に、木のない場所があったのを思い出しました。猪苗代湖の方角でしたから、ほぼ真西のはずでございます。」
「野菊を見に山へ登るとは、源五郎も意外にかわいらしい事をするの。」
「桔梗は一度言い出したらききませぬ故、ついてゆく他なくなりまする。」
「・・・そうなのか。なんか、すまん。」
「ところで、その場所から砦までの距離はどうじゃ?」
「ぎりぎりで矢の届く範囲ではないかと。風上から強風にうまく乗せられれば、なんとかなりましょう。あと、あそこの藪は躑躅が少なく、多くは笹でありますから、矢衾を放ったあとも、芒と躑躅の藪よりは幾らか攻め易うございましょう。」
「そうか。よし、それで行こう。じゃが、矢がうまく届くかどうかは、山賊がおる峠では試しが出来ぬ故、当日その場で試し矢を射てみるしかあるまい。」
「故に源五郎、そなたの手勢の中で、試し矢を射る者を選んでもらいたい。弓の腕が立つ者で、弓を引く力は普通か、むしろやや弱い位が良いと思う。源五郎のような剛力では、後から矢を射かける者の参考にならんからの。」
「承知いたしました。」
「決行の日は、峠に西風が吹き始める九月初め頃を目途として決める。まあ、源五郎の瓜と同じじゃな。甘くなるまでしばし刻を待とうではないか。後日儂から連絡する故、それまでの間、源五郎。準備を頼む。」
「承知いたしました。」
「よし。これで戦の形が出来た。では酒にしようぞ。ちょっと奥へ行って酒と酒肴を頼んで参る。」
義家が酒を頼みに奥へと消えるのを見届けると、義光が源五郎の元へとやってきた。
「源五郎殿。今朝程は大変失礼なことを申しました。」
「いえ、とんでもない。私の不手際による討伐失敗でございました故。」
「実はあれは、兄上の怒りをそらそうと思うてやったのだ。兄上が本気で怒るとそれは恐ろしいことになる故、先に私がきつく叱責してしまえば、兄はなだめる側に回ってくれると思うたのだ。だが結局、私の思慮が浅かった。兄上が賊の正体について、まさかあそこまでの考えを巡らせているとは思わなんだ。」
それは確かにそうだ、と源五郎は思った。知り得たわずかな情報から、実態が理屈に合わぬ所や腑に落ちぬ点などを突き詰めて、相手の正体を推測し、ここまでの戦略を立てるなど、並みの武将にできることではなかろう。
が、それはそれとして。
「義家様が怒ると、それほどまでに恐ろしいので?」
義光の怖がり方が尋常ではないので、源五郎はちょっと聞いてみたくなった。
「源五郎殿もいろいろ噂は聞いておろうと思うが、あれは本当に鬼か悪魔じゃ。」
「なんと。」
「これまでにも、降伏してきた敵将の首を全てはねて晒したり、手足や舌を切り落としたりと、戦の場では、それは恐ろしいことをしてきたのじゃ。」
「うわ。」
「兄上は、こ奴だけは許さぬ、と決めた相手には、かように容赦がないのじゃ。」
うむ。これは本当に鬼か悪魔かも知れぬ。
「しかし、兄上も源五郎殿には心を許している様子。あれで意外と友達の少ない方である故、源五郎殿、兄上をよろしゅうお願い申します。」
「いえいえ、とんでもない。こちらこそよろしくお願いいたしまする。」
「それでな。鬼か悪魔などと言うたことは、兄上には内緒じゃ。」
義光が小声で言う。
「承知でございます。」
つられて源五郎も小声で答える。
義家が戻ってきた。
「酒はすぐに来る。酒肴も程なく用意出来るとのことじゃ。」
義光が源五郎の隣に居るのを見て、義家が言った。
「おや、お主ら、いつの間に仲良うなったのじゃ。さては二人で儂の悪口でも言うておったな?」
「当たりでございます。」
源五郎が返す。
義光が少し慌てる。
さて、軍議の緊張から一転して、ここからは和やかな雰囲気の酒宴となった。
「義光は弓馬も得意じゃが、文人でもあってな。笙などを嗜む。儂のような武芸しか能のない武士とは一味ちがうぞ。故に、自分で思いついたことではあったが、今日の花生けは、義光が見ておると思うといささか緊張してしもうた。」
「いやいや、花を活けながら戦術を説明するなど、兄上もなかなかに風流ではございませぬか。私にはあれは思いつきませぬ。」
「義光にあの歩きにくい藪を説明しようと思うた時に、言葉だけでは上手く説明できぬと思うたのじゃ。」
「確かに、あれはよう解りました。」
◇
「さて、私はそろそろお暇させていただきまする。」
「おお。そうじゃな。今日は早朝から軍議に偵察に酒宴にと、丸一日源五郎を引っ張りまわしてしもうた。桔梗殿や家人達が、今頃源氏の鬼に喰われているのではないかと心配しておろう。」
義光が、また少しばかり慌てる。
帰り支度をした源五郎を、義家と義光が玄関先まで見送る。
「では、討伐の日時を決めたら知らせを送る。頼んだぞ。」
「承知でございます。」
「それでな。源五郎にはひとつ心に留めておいてもらいたいことがある。」
「何でございましょう。」
「あの賊どもがやろうとしておることは、規模が小さいとはいえ、二十年前の安倍と同じ、平定成った筈の陸奥国の秩序に対する挑戦じゃ。故に見過ごす訳にはゆかぬ。二度と立ち直れぬ程に叩かねばならぬ。」
「故に源五郎。賊の砦にもし女子供が居たとしても、決して情をかけてはならぬ。必ず皆殺し、根絶やしにせよ。」
いつの間にか、義家の顔から、笑みが消えていた。
義光が「鬼か悪魔」と言った、その姿がそこにあった。
◇
後日、源五郎の元に義家からの書状が届いた。
山賊の根城は、二か所見つかったという。
根城は峠の両側、郡山側と猪苗代側にあり、いずれも同じくらいの大きさであったそうだ。それぞれに出入りする賊の服装などが異なるため、元は別の山賊であったものが合流して大きくなったのではないかという、義家の推測が書かれていた。
戦の手順は、まず山頂の砦は源五郎の手勢が襲う。それと同時に根城の方は義家と義光がそれぞれに襲い、片付いたら峠を登って源五郎の手勢と合流するという流れである。
文の最後には、決行の日時が記されていた。
◇
雲一つない、快晴。
その快晴の空の下、まるで野分のような西からの強風が絶えることなく吹き付けている。
源五郎の手勢はおよそ六十。今は賊の砦のちょうど風上、西側の緩い尾根上の、開けた笹原の手前にある森の中に、息を潜めて待機している。
「桔梗。」
源五郎が妻の桔梗を呼ぶ。
「この風ゆえ、砦から矢が放たれたとしても、絶対にお前には届かぬ。が、お前の矢は砦に届くはずじゃ。矢を射る角度を、お前の試し矢で皆に教えるのだ。」
「承知しておりまする。お任せ下さりませ。」
「では、頼んだ。」
桔梗は無言で頷いた。
武者姿の桔梗が立ち上がり、靭を背負い弓を持って、ひとり森を出て砦の方向へと歩んでゆく。
森を出た途端、背中を押されるような強い風を感じる。だが、ほぼ真後ろからの風である故、歩くのにさほど支障はなかった。これならば、矢も左右に流されることはあるまい。
砦の物見櫓に、ひとりの賊の姿が見えた。こちらにはまだ気づいていない。まさかこの強風の中、弓矢で襲撃されるとは夢にも思っていまい。
この強風だ。あまり上に向けて放つと、矢は風に乗らず、逆に風に押さえつけられ方向が狂う。よって、角度は低めが良いだろう。
弓に矢をつがえ、ゆっくりと引き絞り、砦に向けて、まずは試しの一の矢を放つ。
放たれた矢は沈むことなく飛び、砦の手前の斜面で、まるで鳥のように浮き上がって上昇して行く。
えっ?
まさか。
矢は桔梗の想像を大きく超えた高さまで到達し、偶然にも物見櫓にいた賊の脳天に命中した。砦の手前の斜面で風が駆け上がり、矢を浮き上がらせたのだ。
ここから矢は砦に届く。それは分かった。
だが、これでは矢が砦を飛び越えてしまう。それでは矢衾にならぬ。
桔梗はすぐさま次の矢をつがえ、今度はさらに低く構えて二の矢を放った。
矢は低く、恐ろしい速さで飛び、砦の中へと飛び込んだ。
これだ。これで良い。山の斜面を狙うくらいの感じだ。
「この角度で放て!」
桔梗は弓を持った左手を、その角度のままに留めて横を向き、弓を構えた角度を森の中の兵に示した。
「射かけよ!」
源五郎の振る采配を合図に、弓矢をもった兵が森を出て、前後二列で砦に向けて一斉に矢を放った。前の一列が矢を放つと、次の矢をつがえる間に、後の列が前に出て矢を放つ。敵に状況判断の余裕を与えぬためだ。
ようやく異変に気付いた賊は、弓で応戦しようとするが、山の斜面を駆け上がる風に煽られた矢は、方向を失い、森のはるか手前で落ちてしまう。源五郎たちの陣取る場所までは一本も届かない。
靭の矢が尽きるまで矢衾を浴びせると、今度は刀を抜き、賊の砦へと山の斜面を攻め登る。
風鳴りに両耳を塞がれ、笹薮を踏み分けて進む自分の足音すら聞こえない。
雲一つない青空の下、源五郎の兵達は、まるで夢の中で合戦をしているような、現実感のない、ある種不思議な感覚に捉われていた。
やがて砦の柵に手がかかる。思っていた通り、砦の柵は大して高くない。
先鋒の兵たちは、易々と柵を乗り越え、向かってくる賊を切り伏せると、中から砦の入口を開けた。入口からは他の兵たちが入り、一時乱戦となったが、刀や薙刀の接近戦では、源五郎の手勢が明らかに一枚上手であった。
その頃には、山中の賊の根城を急襲していた義家と義光の手勢も、郡山、猪苗代それぞれの側から峠に向かって攻め登っていた。山を降りて峠の方へと逃げた賊は、やがて義家か義光の兵と鉢合わせになる。しかし戻れば源五郎の手勢がいる。こうして挟み撃ちにされた山賊は、昼過ぎまでに全て殲滅された。
最初の討伐失敗からわずか一月後の、実にあっけない勝利であった。
山頂の賊の砦にたどり着いた義家は、用意していた幟旗を、砦の物見にくくりつけさせた。青空の下、源氏の旗印である二つ引両の白い幟旗が、絶えることなく吹き続ける強風にあおられて、千切れんばかりにはためいた。
「討伐の証じゃ。」
義家はそう叫んだのだが、強風のせいで誰にも聞こえていなかった。
◇
その数日後、義家は源五郎とその家来達を郡山の陣屋に招いた。戦勝の宴である。
宴の前に、義家が少しばかり口上を述べる。
「皆、山賊討伐苦労であった。何か褒美を、と思うたのだが、寺の造営で予算がだいぶ喰われてしもうておっての。思うにまかせなんだ。まあ、そのかわりと言うては何だが、料理と酒は大いに奮発させてもろうた故、此度はどうかこれで勘弁願いたい。次は必ず褒美を用意する故。」
「あとな、山の上では風が強すぎて勝鬨を上げられなんだ。儂が何を叫んでも誰にも聞こえておらなかったようでな。そこで、この場で勝鬨を上げてしまおうと思うがどうか。」
「応!」
それから、地鳴りのように、陣屋の中に勝鬨の声が響いた。
宴の始まりである。
◇
「いやあ、見たかったのう。桔梗殿の一の矢と二の矢。」
義家が、さも残念そうに言う。いや本当に残念だったのだろう。源氏一門は昔から弓の名手が多く、義家もまた弓を得意としている。源五郎から聞いていた桔梗の弓の腕前を、さぞ目の前で見たかったに違いない。
「わが妻ながら、見事でありました。褒めてやりとうございます。」
源五郎が答える。
「そのような大したものではございませぬ。」
源五郎の横で、桔梗が恥ずかしそうに言う。
「いやいや、大したものですぞ。あの強風を読み切って、わずか二本の試し矢で砦に矢を飛び込ませるとは。我が一門でも、同じことをやれと言われて、できるものが果たしてどれだけ居るか。なかなか出来るものではござらぬ。」
「あと、あれじゃ。二の矢を放った後、弓を構えたまま横を向いて、弓矢隊に弓を放つ角度を教えたという、あれは源五郎が考えたのか?」
「いえ、あれは桔梗が咄嗟に思いついてやったそうでございます。」
「そうか。いや大したものではないか。儂も咄嗟にそんなことは思いつかぬ。全く大した奥方をもろうたの、源五郎殿。」
「恐れ入りまする。」
義家は、今まで見たこともないくらいの上機嫌だった。
「ところでな。賊の山中の根城じゃが、猪苗代側と郡山側の賊の根城には、いずれも「八幡大菩薩」の掛け軸があった。やはりあやつらは武家じゃった。」
「そうでございましたか。」
「じゃから、源五郎の所領を狙っていたのではないかという儂の話、本当であったかも知れぬぞ。」
「いや、それはちょっと怖すぎでございます。」
「何にせよ、あれを討伐できて良かった。これで儂も安心して多賀城へ行けるな。」
これで、猪苗代から郡山へ最短で越える片平越の峠が、再び安心して使えるようになった。
めでたし、めでたしである。
それで、話はもう少しだけ続く。
◇
「――からの、祟り。でございますか。」
「そうじゃ。」
義家の陣屋に呼ばれ、そこで義家から聞かされた話に、源五郎はあきれ返る他なかった。
「何という恩知らずな噂を。」
この年、会津一円で五穀全ての実りが悪く、凶作となることが決定的となった。これは討伐された片平越の山賊が、義家を恨んで祟りをなしたのではないか、という噂が、百姓達を中心に広まっていた。
「所領の百姓共には、良う言うて聞かせまする。」
「よいよい。人の口には戸など立てられぬ。大体において、噂などというものは、広まるだけ広まって、人がその話に飽いてようやく収まるものじゃ。」
「しかし・・・」
「うむ、気持ちはわかるがの。まあ飲め。」
義家が源五郎に酒を勧める。この酒も、来年には貴重なものになってしまうだろう。
「こういうことにはな、昔からの対処の仕方というものがある。かような噂を立てられるのも別に初めてではないしの。まあ、ここでの儂の最後の仕事じゃ。源五郎は、館で桔梗殿と柿でも喰いながら、義家が何をしたか、噂話が聞こえてくるのを待っておれば良い。」
「いや、そうは申されましても。」
「大丈夫、大丈夫。儂はもう、こういうことは何遍もやっておるのじゃ。」
◇
さて、猪苗代に造営が進められていた寺が完成し、法要が営まれた。
先の片平越の山賊討伐で死んだ者たちの供養も同時に行われた。その供養の場に、義家は二つの石を持ち込んだ。ひとつは、郡山側の山賊の根城から、もう一つは、猪苗代側の根城から拾ってきた石である。
それに先立ち、義家は片平越の途中にある、櫃石と呼ばれる大きな岩を訪れ、寺の住職と共に、五穀豊穣と風水害からの安全を祈願していた。
その際に、義家は岩の前に、賊の砦から持ち帰った二つの石を置き、その石に山賊の怨霊を移す祈祷を行った。そうして怨霊を移した石が、此度の法要で再び祈祷を受けた。討伐した山賊達の霊を神として祭る故、以後は神霊となって峠を鎮護するようにと祈願したのである。
そうして出来た神霊の宿る石を、再び峠に持って行き、小さな石の祠(霊櫃)に収めたのである。二つの祠はそれぞれ雨神社、風神社と名付けられ、雨神社には郡山の根城の石を、風神社には猪苗代の根城の石を収めた。ここに移された山賊達の怨霊は、以後、片平越の峠の守護神とされた。これで山賊達の霊は慰められ、祟りは収まるであろう、というわけである。
それが効いたかどうかはわからないが、翌年は会津一円で五穀が豊作となった。
これより、片平越の名もない峠は、「御霊櫃峠」と呼ばれるようになったという。
◇
山賊討伐の折に、源五郎は峠の山百合を一本掘って持ち帰り、館の庭に植えた。
峠の風の軛を解かれた山百合は、やがて身の丈を超える程に大きく育ち、毎年十数輪もの花をつけるようになった。その野武士のような立ち姿と、馥郁と重たい芳香を漂わせる白い花は、花好きの桔梗を大いに喜ばせた。
◇
源五郎と濱路家のその後については不明である。
蘆名のような大きな国衆に飲み込まれたか、あるいは子孫を残せず家が絶えたか、いずれにせよ、今に残る歴史の中にはその足跡を見出すことが出来ない。猪苗代湖畔の地名にわずかにその名を残すのみである。
そして、峠の山賊討伐も、いつのまにか名前の似た義家の家来「鎌倉権五郎」の手柄、ということになってしまった。
◇
御霊櫃峠には、今も八月になれば、膝ほどの高さに数多の山百合が咲く。
芒と躑躅の藪の中に、風に矯められた背の低い山百合が群れ咲く風景は、他では決して見ることの出来ないものであろう。
御霊櫃峠縁起の物語である。
風鳴りで自分の足音も聞こえない、というのは、この峠に初めて来た時の自分の実体験です。時々セリフに現代語が出てくるのは、ギャグと言うよりは、当時の侍言葉で全てのセリフを書けなかった私の開き直りです。「角度」とか地味に無理でした。美しい峠です。皆さん機会があったら是非訪れて見て下さい。