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髪が短い女性なんて少しも珍しくない。女性のパンツスタイルもそうだ。

もし文化的にそうでない人が多い国であっても、多様化が認められ、国内外の情報が行き交う社会に暮らしていれば、恰好だけで性別を決めつけられるような経験はしない。

それが日本に暮らしていた私の常識で、日常だった。


それがどうだろう。

女性というものが皆等しく髪を長く伸ばして足首まで隠すスカートを履き、男性というものが皆髪を短く切ってズボンを履くと決まっている文化が根付いた世界では、途端にショートカットとパンツスーツだという理由で男だと認識されてしまうらしい。

そのことに気が付くのが遅すぎた。


私が体験したのは、いわゆる異世界転移というやつだ。

例えば死に直面して、あるいは穴から落ちて、または夢の中で繋がって、といった前触れや衝撃的かつ印象的な出来事を経たのなら、それを実感できたかも知れない。

それで、早々に異世界転移の可能性について多少の危機感を持って考えることができただろう。


けれど、私の場合は仕事仲間との飲み会の帰り道が分岐点だった。

つまり私は、酔っぱらっていた。賃貸マンションへの帰路も怪しくて、ふとこの道で良かっただろうかと交差点を振り返った。ただそれだけ。

それだけで、振り返った道は通って来た道とは随分と違う様子になっていた。

慌てて前を向き直しても、元のアスファルトの道路も、民家のブロック塀も、コンビニエンスストアの灯りも見当たらない。そこに広がっていたのは、石畳の道と木組み建築の家々ばかり。


こんな状況で考えるのは、異世界の可能性ではない。

随分と酔っているという可能性だ。


記憶が一部飛んでいるだけで、その間にどこかへ移動していたのか、それとも、酒に酔っているせいで妙な夢でも見ているのか。自分が住んでいた地域とは随分と異なる異国情緒あふれる街並みを前に、恐らく後者であろうと想像した。

実際には私の身体は路上で眠りについているのかも知れないとさえ思った。

どうせ夢だろうと思えば、私の行動は自然と大胆になった。


どういう訳か言葉が通じたのも、文字の読み書きもスラスラとできてしまったのもいけない。おかしな夢ではあるが、自分の想像力は意外にも豊かだなという風にしか思えなかった。しかし、異動手段に馬を使っているような文化水準と、それに伴う習慣・常識の壁を実感することになると、流石に私の想像力もそこまで豊かではないと疑わざるを得なかった。

夢ならとうに覚めている程の時間が経って漸く、これは夢じゃないと気が付いた。


そうなると、どうせ夢の中だからと大胆かつ無頓着に行動していたつけが回って来る。結果として、女性であることを隠したつもりもなかったのに、いつの間にか周囲には男として認識されていたわけだ。そして、そのことに気が付くのがあまりに遅すぎた。


いや、確かに、周囲の人間が自分を少年呼ばわりするのは何の冗談だろうとは思っていた。それを冗談だと信じて疑わなかった。

だって考えてみて欲しい。私は成人年齢を過ぎた二十三歳だ。日本にいて少年に見られた経験など一度も無い。だから、本当に少年だと思われている可能性を考えもしなかった。

自ら性別を偽ったつもりなどなかったから、困惑は大きい。


しかし、男性しかいない地方騎士団の事務員に採用されたのも、制服が男物だったのも、女人禁制の寮に入れたのも、私の夢の中だから認められているのではなく、男性として認識されているためだったわけだ。

腑に落ちたところで、今更女性だなんて言えやしない。

そのことで、現在進行形で困っている。


「私は冗談を言っているのではありません」

私が異世界に転移したのはクザンテンという王国で、その首都ジークリンゲンからやってきたという調査官のクロード・メイエに、私はあらぬ心配をされていた。

「あなたのような少年が、こんなところにいるのは危険です」

悩まし気に息を吐かれて、私は目を白黒させた。

戸惑っている理由は、少年と何度も言われているからということに加えて、目の前の男が美しすぎるせい、でもあったりする。


少し癖のある艶やかな金髪。その緩く弧を描く前髪の間からこちらを真っすぐに見つめるアクアマリンのような澄んだ瞳。男らし過ぎず、かといって女性らしい訳でもない、中性的な輪郭に、すっと通った鼻梁、形の良い唇。腕利きの職人たちが最高の技術を結集して生み出した精巧かつ緻密なビスクドールだと言われても疑わない程の、至宝級の美しさを持つ青年だ。

その美貌が眩しくて一歩後退しかけたのだが、彼は私を少年と認識しているが故の遠慮のなさで両肩をガシリと掴んで私を逃がすまいとしてきた。


「ええと、お気遣いなく?」

へらっと、どうにか愛想笑いを返してみたものの、クロードは形の良い眉毛をひょいと持ち上げて「イオリ」と嗜めるように私の名前を口にした。

出会って間もない人間から下の名前で呼ばれるのは、慣れないものがある。言葉が通じるというのに、私の名前である倉町伊織は発音が難しいらしい。この美貌の青年も、早々に私の苗字を音にするのを諦めて名前で呼びかけて来た一人だ。とはいえ、美貌の彼に名前で話しかけられるのは、他の誰に呼ばれるよりもドキドキしてくる。


「イオリは渡り人ですから、その認識がなかったとしても仕方のないことです。ですが、あなたの容姿はあまりに可愛…いえ、愛らし…。ああ、もう、仕方がない。男性にかける言葉ではないので気を悪くしないで欲しいのですが、華憐なのです」

私は日本にいる時だって、華憐なんて言葉をかけられたことはない。それにこんな美人に華憐だなんて言われたって、お世辞としか思えない。それなのに、彼は至極真面目腐った顔で私を見て「ですから、こんなむさ苦しいところへ、あなたがいるのは心配です」と続けられた。


背後では、私を雇ってくれている騎士団の面々が「おい、俺たちむさ苦しいってよ」と肩を寄せ合って、内緒話にしては大きい声で話合っている。

「いやその、むさ苦しいという程でもないかな…と」

背後をチラと見ながら、反論する。本当にむさ苦しいと言う程でもないと思っている。ゴリゴリの筋肉集団というわけでもないし、それなりに皆清潔感もあるし。

まあ、確かにクロードと比べると男は皆むさ苦しい存在になるのかも知れない。


「イオリ!」

目の前の美人に凄まれて、私は反射的に「はい!」と姿勢を正して返事をした。お話にならないとばかりにクロードは首を振り、すっと通った鼻筋をツンと上げ、麗しい唇をキュッと結んで不満を露わにする。その不満のままに、私を男だと思い込んでいるためか、さらに遠慮なく顔をずいと近づけてきた。

「とにかく。あなたは私が保護します!」

美人の圧力に負けて、私はまたしても反射的に頷いてしまっていた。

こうして、半ば強制的にクロードに保護されることが決定した。


酔って歩いた帰り道と繋がっていたクザンテン王国の北部ノルトリーンから、おおよそ数十キロメートル離れた都ジークリンゲン。その王宮に本部を持つ調査官は、文官ではなく武官に属し、近衛騎士団、宮廷騎士団と並ぶ組織で、王へ寄せられる様々な嘆願の内容を王の耳目となって調査する役割を担っているらしい。

地方騎士団はそうした武官組織の末端でもあり、つまりは、私が働いている騎士団ではクロードの決定を拒否することができないのだと皆に謝られてしまった。


「どうしてこんなことに…」

今になって男だと周囲に本気で誤解されていると気が付いたところなのに、誤解を解く前に凄い場所への転属が決まってしまった。この田舎の騎士団で性別を誤解されていますと告白するのは、まだ許されそうなものだが、中央の王立の機関で実は女でしたというのは通用しないだろう。


どうしたものかと頭を抱えていると、騎士団員の中でも群を抜いて上背のある副団長ルドルフがオールバックの髪を乱しながら本当に申し訳なさそうに「すまん。俺がお前にメイエ調査官へお茶を淹れて差し上げろなんていったばっかりに」と言う。

「ええ、本当に」なんて言えずに、私は「仕方がないですよ」と力なく首を振った。

もうどうしようもないことだ。


そもそも領主が接待する予定だったのを断ったクロードが悪い。クロード本人の希望を受けて、騎士団への滞在変更の知らせが届いた時、騎士団側は、さては今回の調査対象は自分たちに違いないと、急な宿泊客の受け入れと監査の可能性に慌てた。


「なんでわざわざ領主の接待を蹴って、お偉いさんがウチに来るんだ?」

「もしかして、俺たちの素行調査が目的なんじゃないだろうな?」

「おいおい、俺たちの素行の何が問題あるってんだ!」

「何がひっかかるか分からんだろう。とりあえず、まずそうなものは片っ端から隠すんだ。クソ真面目で品行方正な騎士を演じろ」

「だから、俺たちはどう見たってクソ真面目で品行方正だろうが!」

「さっそくお口が悪いです!ああそうだ。イオリ。あいつを世話役にするといいんじゃないか。あの可愛い顔で俺たちの印象を良くするんだ」

「それは名案だ。お茶でも淹れて話をして時間を稼いで貰おう」


このような流れで副団長による安易な作戦で私は人身御供にされたわけだ。

「は?え?私がですか?ですが、王宮からの調査官様を迎えるような礼儀作法も分かりませんし…」

「大丈夫。お前ならいける。俺たちを助けると思って接待して来い」

何がいけるのか分からないままにティーセットを押し付けられて応接へ向かえば、見たことのない美形がいたものだから驚いたものだ。

目が合った瞬間、時が止まったような気さえした。たぶん、息をするのを忘れたせいなんだろうと思う。


クロードの方も目を丸くして私を見ていたから、私は漸くここでは黒目黒髪が珍しいのだったと思い出し、応接で彼をもてなしていた団長のウルリヒに促されるままに「イオリ・クラマチです」と挨拶をした後で、異世界人であることを打ち明けることになった。

こうして名乗ったところでクロードの「心配です」攻撃は始まった。


「このような騎士団にいれば、あなたに良からぬことをしようと考える者も現れるかも知れません。いや、今もいるかも知れない。私自身もこの容姿のせいで、昔は酷い目に合いました。だから分かるのです。私の場合は、それを跳ね除ける術を知っていました。ですが、あなたにはそれを防ぐ術を持っていないように見えます。私には、どうにも昔の自分を見るようで、あなたを放っておけそうにない」


話を聞けば、クロードは予定通り領主の館に向かったらしい。そこで、女性たちが彼をめぐる熾烈な争いを繰り広げ始めたものだから、早々に撤退を決めたのだとか。

それにしたって、彼の場合は男女関係なく魅了しそうなものだから、騎士団だって危険なのではないかと思ったところへ「女性の場合は問題になりますが、男性、私と所属を同じくする武官を殴って鎮めたところで、問題になりませんから」と私の考えを読んだかのように爽やかで美しい笑みで答えられた。


「殴って…鎮める…」

そんなに腕力がありそうには見えないという目を向ければ、またしても「曲がりなりにも武官ですからね。それなりに腕は立つ方だと自負しております。ここの騎士団の面々が束になってかかって来ても、負けるつもりはありません」と続けられた。

細身の身体からは想像もできない自信に満ちた答えに困惑していると、団長のウルリヒもそれを肯定するように頷いて言う。

「イオリ、メイエ調査官は妖精の末裔と言われているお方だ」


「妖精の末裔?」

ここに来て魔法や魔物といったファンタジーな言葉を聞く機会がなかったから、唐突な「妖精」という言葉に面食らう。

「止してください。ただ単に、私たち一族に受け継がれる怪力に説明がつかないからそう言われているに過ぎません。私は妖精などではない」

苦笑するように笑って、クロードは首を振る。ふわりと揺れるくせのある金髪が、白い額に踊る様も優美で、妖精と言われているのは何も怪力のせいではないのではと感じた。


「怪力でなくとも、イオリ、貴方がここで生きていくためには強さを身に付ける必要があるように見受けられます。私が鍛えて差し上げます」

そう言って、彼は私について来るようにと迫った訳だ。

彼は、調査の仕事が終わり次第、イオリを王都へ連れて行くと言って一端は騎士の宿舎を出て行った。それまでに荷物をまとめておくようにと。


「本当にすまん。でも、大出世のチャンスだ。イオリがそんなに落ち込むほどここを気に入ってくれていたのは嬉しいが、メイエ調査官の補佐になるのは悪くない話だぞ?」

私の回想を遮るようにして、副団長のルドルフが大きな身体を丸めるようにして目を合わせながら言う。

「ええ、それはそうなんですが…」

別のことを心配しているのだと、言ってもいいのだろうか。

今言っておかないと、後になって大事故になるのではないか。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「女性の騎士や、調査官はいますか?」


そう言うと、副団長は大きな身体を揺らして「いるわけがない」と笑った。

「そうか、イオリは渡り人だからピンとこないだろうな。俺たち騎士は、いや、騎士や調査官であろうとする者は、心に決めた一人の貴婦人を自らの主君と崇めなくてはならん。その婦人からの愛を得るために行いを改め、修行に励むことができるからだ。乙女の愛は精神を磨き上げる。だから心に決めた一人の女性でなくとも、女性は大切に扱わねばならん。女性を同僚になどと、調査官殿の前で発言してくれるなよ」


「もし女性を俺たちと同様に働かせるようなことがあれば、騎士ではいられなくなる」なんて続けられて、私は益々、女だと言い出せなくなった。だって、私がここで女だと告白することは、彼らが騎士の叙任を解かれる可能性が高いということだ。

彼らに打ち明けるのは良くない。これはもう、何も気づいていないふりを貫く方が良さそうだ。男装したつもりはない。周りが勝手に勘違いしているだけ。

だから、あえて今は口に出さないと決めた。


どうしてこうなったのか。

私はこうして、性別を偽ったつもりもないのに、女性だと言い出せないまま、男性としてクロードについて行くことになった。

麗しい青年上官は、王都までの馬車の中で私に告げる。

「イオリ、最初に言っておきます。貴方が、いくら可愛…、愛らし…いえ、華憐だとしても、私は貴方に容赦しません。厳しく接しますから、覚悟なさい」

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