不穏Ⅰ
キンメリアは北半球にある大陸の一国家だ。南に大陸の海側に面したエリシウム。東にはサバエア、西にはコペルニクスがいて、ある意味では地球保全連合と宇宙開拓連合の緩衝地帯の役目を果たしていると言ってもいい。
ただ、サバエアとの間には海と見紛うほどの巨大な湖があり、その点では軍事的衝突はサバエアとはほとんど考えられない。むしろ、湖の利権を巡っては対等に話し合えるビジネスパートナーといった認識が各国にはあった。
それ故に、今回のキンメリア軍のアルギュレ軍とサバエア軍に連動したように思われる南下は、ほとんど誰も予想していなかった出来事だ。
ただ、それを見抜いていなかった人物がいなかったわけではない。それがエリシウムの総理大臣である小石雅弓であった。
「キンメリア軍は恐らく二手に分かれて、大陸側と島側の二正面作戦を仕掛けて来るだろうな」
その推測される目的は主に二つ。
第一はアルギュレ・サバエア連合軍のアラビアにある軌道エレベーターの奪取作戦に西側からの挟撃をさせない為。そして、第二はあわよくばエリシウムの軌道エレベーターを支配下に置く為。
この想定は第二次ニアムーン大戦後、小石がエリシウム軍に指示し、いくつか挙げさせた中で最も危惧していた状況であった。
遠くの敵より、近くの蝙蝠を警戒すべし。それはかねてより軍のトップにずっと言い続けてきた言葉であった。事実、キンメリアはコペルニクスと外交を頻繁に行う裏で、サバエアにURU軍の兵器や型落ちとはいえトライエースを横流ししていたことが確認できている。
何度か地球保全連合には報告しているが、それで好転した試しは無く、キンメリアも知らぬ存ぜぬの一点張り。それならば、やるべきことは万が一に備えて、平時より準備をしておくことだ。
笑顔で握手をしながら後ろでは武器を用意する。それが外交というものだ。
「動きやすいが、コペルニクスの援軍が来るかもしれない大陸領土。動きにくいが、邪魔が入らない島側領土。どっちが本命だ?」
キンメリア軍の戦力はエリシウム国のおよそ二倍から三倍とされている。一方で、その兵器の質は二つ、三つ格が落ちる。防衛に徹すれば、ぎりぎり耐えることはできるが、少なくとも国土の大半にミサイルが降り注ぐことになるのは避けられない。
「シェルターの配備を進めていて助かったな。国民を避難させた上で存分に戦うことはできる。如何に鍛錬を積んでも、国民を守りながら戦うのは無謀の極みだからな」
既に防衛大臣に軍への指示は出させている。己がやるべきことは総理大臣として、国民に今の状況を説明し、一刻も早く命を守る為の行動を促すことと今後のエリシウム国が取るべき方針を示すことだ。
即ち、エリシウム建国以来数百年ぶりの防衛戦。情報収集で出方を窺うなどという時間は残されていない。全軍の出撃を以て、迎撃に当たる準備を整えなければならない。
「中立国という皮もあと数日でおさらばという訳だ」
立ち上がった小石は張りの無くなった頬を両手で叩き、自身を鼓舞する。この地位に辿り着いたのは金の為でも、名声の為でもない。ただ、この国に生まれた者として、次の世代により良い国を、安心して暮らせる未来を手渡したい。その想いだけであった。
幸いにも、国民はその想いを是とし、自身が党首を務める議員たちへと投票をしてくれた。議員たちもそれぞれの想いはあれど、「次世代の為の国防と未来」という点において、ブレずに手を取り合って来れたのも大きい。
小石は両手を握りしめ、扉へと向かう。既に記者会見の準備は整っている。後は秘書が呼びに来るのを待って、会場にいくだけだ。
ただ、身体はじっとしていることを許さず、足は勝手に扉へと進んでいく。
「小石さん。会見の――――」
「今、行く」
秘書が扉をノックした瞬間、小石は扉を開いて、秘書を押しのけるように部屋を出る。慌てて、道を開ける秘書だが、すぐに表情を元に戻すと小石の後に続いた。
「小石さん。シャツ、はみ出してますよ」
「む、それはいかん」
「あまり張り切らない方が良いですよ。国民の皆さんが緊張しちゃいます」
「今日は緊張して構わん。命が掛かっとるんだからな」
廊下を二人の靴音と会話が木霊する。
そして、目的の部屋に小石が足を踏み入れた瞬間、カメラのシャッター音がこれでもかというくらい浴びせられた。
眩いライトに目を細めた小石は見えないように下唇を軽く噛んで、己の決心を揺るがないようにする。
――――この国は必ず守り通す、と。




