平穏Ⅲ
アリスが顔を洗って、リビングに戻って来ると響の笑い声が聞こえて来た。
「あっはっはっ、いや、ごめん。まさか、そんなことになっていたとは。僕もアリスに気を付けるよう声をかけるべきだったね」
「いえ……その、すいません」
響きに頭を下げているジョンの姿を見て、再び、アリスは顔が赤くなるのを感じた。
「わ、私は何も見てないから!」
アリスが告げると、響とジョンがキョトンとした顔になる。
「まぁ、アリスもこう言っているし、気にしないで大丈夫です。むしろ、彼氏の一人くらい――――」
「お父さん、それ以上言ったら怒るからね」
アリスが拳を握って振り上げる動作をすると、響は両手を上げて降参のポーズをとった。
もちろん、アリスも最初から殴る気はないが、少しばかりデリカシーに欠ける発言だったのでわざとらしく怒っただけである。
仕方ないとばかりに小さくため息をついてたアリスだったが、響が作った料理の並べられたテーブルを見て表情を一変させる。
「さぁ、召し上がれ。他の人たちの分もあるから、遠慮しないで」
響きに促され、アリスはすぐに手を合わせた。
「いただきます」
「では、俺もいただきます」
ジョンも戸惑いながら、アリスに遅れて手を合わせる。
アリスは最初に味噌汁のお椀を持ち上げると、立ち昇る香りを摺ってから一口すすった。
「おいしい! 久しぶりだけど、お父さんの料理は最高」
「ありがとう。でも、お母さんの料理には敵わないから、その言葉は夜にとっておいてあげて」
照れくさそうに響は言うと、自身も手を合わせて箸を持つ。
「今日の味噌汁は、白味噌になめこと玉葱をたっぷり入れてあるからね。あっちでちゃんと野菜採ってなくても、今日からはちゃんと食べてもらうつもりだよ」
「あ、酷いなぁ。私、あっちでもちゃんとお野菜はしっかり食べてたんだから」
「自炊の方は?」
響がニヤリと笑いながら問いかけると、アリスは思わず目を逸らして、スクランブルエッグの隣に添えられた目玉焼きに箸を伸ばした。
最初は自炊をしていたが、途中から面倒になって、食堂やスーパーの御惣菜コーナーのお世話になることが多くなった。可能な限り、栄養面には気を使っていたので問題はないはずだが、どこか胸が痛んだ。
「まぁ、こういう時間の無い時代だからね。できないよりはできた方が良いし、お金を貯めることもできるけど、それで生活リズムが狂うのも良くない。アリスの出来る範囲でやっていけばいいさ」
そう言って、響も味噌汁をすすった。
アリスは何か居た堪れなくなり、ジョンへと話を振る。
「ち、因みにジョンさんはお父さんの料理どうです――――」
しかし、途中でジョンの異変に気付き、言葉が途切れてしまう。
彼は味噌汁のお椀を片手に、キッチンの向こう側。まるで壁の向こうを透視しているかのように遠い目をしながら、一粒の涙を零していた。
「ど、どうしたんだい? 何か、変な物でも入ってた?」
「――――あ、いえ、失礼しました」
ジョンは、はっと我に返ったようで、右手の袖で自分の顔を拭いた。
「その、お恥ずかしい話ですが、こういう家庭的な味を口に入れるのが久しぶり過ぎて思わず……」
何とか笑おうと取り繕うとしているがアリスにもわかった。表情は笑っているのに、また目尻に涙の玉が浮かんでいる。
「……こういうのは聞いていいかわからないんだけど、一体、こちらに来る前はどんな生活を?」
「仲間と一緒に旅をしたり、怪物を倒したりしていました。時には軍に混ざって巨大な化け物と命懸けで戦うこともありましたね」
ジョンは、そこで一度口を閉ざすと、躊躇ったように視線を彷徨わせた後、小さな声で告げた。
「それが最初の異世界、ここが二つ目の異世界。自分の親とは、もう長いこと顔を合わすどころか、連絡を取ることもできていません」
「そうか。辛かっただろう」
「すいません。朝から空気を悪くしてしまって」
もう一度、ジョンは目を擦ると、味噌汁をかきこんだ。




