戦いの始まりⅦ
ネームレスがナイフを引き抜く動作をする前に、エインヘリヤルのブースターの慣性で自動的に抜けてしまう。さらに状態のバランスを崩し、制御を失った結果、そのまま地面へと倒れていくことになった。
地面から土煙が上がり、ブースターによって拡散される。
「戦闘可能敵機なし。戦闘終了、だな」
青年は一通りコクピットのモニターを全て見回した後、ナイフを格納させる。
機体の状況を示すモニターには損傷として、装甲の破損度が示されていたが、いずれも軽微で稼働には問題ないレベルだった。
「助か、った?」
アリスは自分の口から言葉が漏れるが、未だに信じられない気持ちでいっぱいだった。
少なくとも、自分は夢を見ているのではないかと思い、両手で頬を抓ってみるくらいには目の前の光景から現実感が感じられなかった。
「おいおい、マジかよ。お前、動かしたことない奴の動きじゃないって、これ」
後ろからシャルの呆然とした声が届く。
起動から戦闘終了までにかかった時間は三分もない。それでも、行われた戦闘の密度は初めて搭乗した二人にとって濃い物だっただろう。それこそ、手が震えて汗が滲むくらいには。
「とりあえず、俺はどうしたらいい?」
「あ、えーとこのままだと……この人たちと同じでニアムーンに侵入した軍人と間違えられちゃうから、武装解除して待ってるのがいいんじゃないですか? 両手を上げれば、より効果的、かも? 通信もオープン回線にしておけば、警備の方から声がかかると思う――――!?」
アリスが言い切る前にふわりと体が浮き上がる感覚に襲われる。
すぐにそれが重力場が乱れたことが原因だと悟り、アリスはベルトの肩辺りを両手で掴んだ。
「何だ? 急に浮いて」
「多分、近くで重力嵐が起こっているか、ニアムーン基地の重力発生装置が故障したかのどちらかです。でも、こんなこと今まで起きたなんて話聞いたこともありません」
アリスの説明を聞くなり、青年は操縦桿とペダルを操作する。すると、態勢を立て直して地面へと再び着陸した。そのまま膝立ちになると、スラスターの出力を最小限に、機体を地面へと押し付けるような状態を維持する。
「ここも街の方もどんどん瓦礫が外に吸い出されていく。この機体を降りてなくて良かった」
シャルが胸を撫でおろしながら、モニターを見上げた。モニターには土煙や金属片がだんだん空へと舞い上がり、離れた天井へと加速していく光景が映し出されている。
外に出ていれば、宇宙服なしで真空へと放り出されて死を迎えていたであろうことを考えるとゾッとする話だ。
「うん? あれなんだ?」
シャルが見上げていたモニターに何か発見したのか、指をさして声を上げる。青年とアリスも振り返った後に、その指先が示すものを追った。飛翔する他の物体と違い、何か蠢いているようにも見える。
アリスは目を凝らしていると、その特徴的な青色に見覚えがあった。
「嘘、ロン君!?」
「おい、あいつまだシェルターに辿り着いてなかったのかよ!?」
二人が焦った声で叫ぶと、青年は何かを操作しながら問いかけた。
「知り合いか?」
「あぁ、いけ好かない奴だけど、あれでも友人なんだ。お願いだ、助けてやってくれ!」
青年は逡巡した後、やってみよう、と小さく頷いた。
ネームレスの上半身を起こし、ペダルを踏みこんで一気に空へと飛翔する。舞っていた瓦礫を弾き飛ばし、上空を飛ぶ人影の先へと先回りできるコースに入った。
重力から逃れるために推進力を割く必要が無いので、ネームレスの速度はぐんぐんと加速していく。
モニターに映る人が両手足をばたつかせながらも、ネームレスの方に顔を向けているのがわかる。すると、ネームレスの速度を一気に青年は落とし始めた。
「おい、何して――――」
「相対速度を合わせないと、彼を弾き飛ばすことになる。時間はないが、慎重にやらないといけない。大体、機体の手で飛んでいる人間を回収するなんて、一歩間違えれば大惨事なのはわかるだろう?」
目を見開いて青年は操縦桿とペダルを細かく操作。向きと速度を調整していく。その間にも漆黒の闇へと繋がる死の穴は近付いてきていた。




