7-3.絢哉は境内の隅に座り込み、参道を遮るように、敷地の中央で燃え盛るイザナミを見るともなしに眺めていた。
絢哉は境内の隅に座り込み、参道を遮るように敷地の中央で燃え盛るイザナミを見るともなしに眺めていた。大勢の死者が同じように、何も言わずに赤々と昇る炎を見ている。
次の式年祭は七年後である。
人形を含め、多くの者は持ち越さずに焼いてしまうのだ。幕や雪洞といった装飾を剥ぎ取られ、骨組みだけとなった山車は蔵の中に押し込まれてしまった。
七年後――己は二十五歳である。大学に進学するかは別としても、社会人になり労働していることは間違いない。自殺でもしてない限りという前条件がついてしまうが。そのような時分に、また紗絵に会いたいと思うだろうか。
――いや、もういい。
絢哉は確信していた。己はもう二度と紗絵を呼びはしないと。理由は明白である。生者と死者は住む世界が違うのだ。それなのに、あえて呼び戻し、時間の流れを見せつけてやるなど悪趣味もいいところである。
それ以上に、もう十分過ぎる時間を紗絵と過ごしたのだ。これ以上は望むべくもない。詰まるところ、絢哉は、紗絵のいない世界で生きる覚悟を決めてしまったのだ。
絢哉は境内を見回して沙羅を探すが――どこにもいない。
他の死者は、己がどこから来て、そしてどこへ去るべきであるかを思い出したのか、虚ろな顔つきで、ひとりまたひとりと拝殿裏の空間へ姿を消していく。
絢哉の隣に、誰かが座った。
未亡人の旦那――物悲しい笛の音を披露していた男である。
絢哉も男も、すぐには口を開きはしなかった。火に呑まれ、慟哭するイザナミを見詰めながら、残り僅かとなった現世の時間に浸っていた。
「君は、逝かないのか?」
最初に口を開いたのは男性であった。
「待っている人がいるので。その人を見送るまではここにいます」
絢哉が答えれば、男性は頷いて、何かを思い出すかのように瞳を閉じた。瞼の裏には、あの未亡人が映っているのかもしれない。
「あなたは行かないのですか」
この場には絢哉と男性、そして焼け焦げたイザナミしか残っていなかった。あの男児も、今さっき、神社の子供達に見送られながら、暗闇に溶けるかのように消えてしまった。
「逝こうと思った矢先に君が独りで座っていたのを見かけてな。彼女が世話になったから一声掛けておこうと思ったのだ」
「俺は何もしておりませんよ」
「謙遜しなくたっていい。不躾で悪いが、君にひとつ頼みがある。聞いてくれないか」
「なんでしょうか」
「僕はもう行かなきゃならない。どうか、見送って――否、覚えておいてほしい」
「分かりました。あの、あなたのお名前は」
「今更自己紹介も不要だろう、どうせ消える身だからな。それより、頼んだぜ」
男性は薄く笑うと、立ち上がり、颯爽と歩き出して――消えてしまった。
とうとう己とイザナミだけになってしまった。
耐え難い眠気を感じた。
眠気を覚えたのは随分と久方振りだった。
「――渡会君、起き給え」
どれだけ睡魔に身を委ねていたのかは分からない。
意識を引き上げたのは、聞き覚えのある声であった。
顔を上げれば雪彦が立っていた。
「雪彦? どうしてここに。もう逝ってしまったと思っていた」
「行くって、どこにだい?」
「神社の奥――常世にだよ」
絢哉が言えば、雪彦は鼻で笑った。
「それは生者に見送られ、心残りがなくなった者の話だろう。現世に残るか否かは本人の自由意志だ。生憎様、僕には見送ってくれる妻も輩も、いなくなってしまった」
「良かった」
「良かったって――なんだい君は失礼だな」
「もう、お前に会えないものとばかり思っていた」
絢哉が言えば、毒気を抜かれたように雪彦は笑った。
「僕のことなどいいんだ。立ち給え。神主殿が拝殿で君を待っている」
さあ行こうじゃないか、と雪彦は絢哉の背を叩き、強引に起立させる。
「待ってくれ。俺は紗絵を見送らなければならない。もう少しで紗絵が来るはずなんだ」
「渡会君。残念だが、彼女は来ないよ」
「それは、どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。それも含めて、僕達は今から君に真実というものを突きつけなければならない。予め言っておこう。恨むな、とは口が裂けても言えない。何なら恨んでくれて構わない」
「何の話だ」
絢哉は尋ねるが、雪彦は無視して拝殿へ上がっていく。追従する形で拝殿に上がれば、祭壇を背に娘が座っていた。光源は娘の両脇に置かれた行灯だけであり社の中は薄暗い。娘の前方には、向かい合うように座布団が二つ並べられている。
「神主殿、お連れしました」
雪彦が従者の如く頭を垂れれば、娘は閉じていた目を開けて、雪彦を見る。
「ご苦労だったな。絢哉、そこに座るとよい。雪彦、お前は壁際だ」
娘は視線だけで座布団に着座を勧める。平生とは異なる喋り方と雰囲気が気になったが――雪彦が何も言わずに左の壁に寄りかかるように座ったのを見て、絢哉も座布団に正座する。
「――ああ、そうだな。まずは自己紹介をしようか」
沈黙を守る絢哉を愉快そうに眺めたのち。
「私がニーロンだ。渡会絢哉、短い間ともなろうが、よろしく頼む」
と娘は言った。
「あなたが、ニーロン様?」
「然様。まあ、何だ。決して隠し立てをしていたわけではないのだが、自己紹介をする機会を逸してばかりだったからな。それに、そなたが若い男で――昔好いていたアズミという男に似ていたからな。若い娘を演じてみたくなったのだ。悪気があったわけではない、許せよ。こっちが素だ」
要領を得ない絢哉に。
「この御方こそ、我らが隠れ里の、最初の降り人というわけだ。僕らのように現世に居残っている者の上役と言うべきだろうか。宇霊羅の隠れ里の伝承は実在したのさ。しかし渡会君がアズミ様に似ていたというのは初耳でしたが」
と雪彦が補足をする。
「言えばお主はここぞとばかりに揶揄うだろうに。それはさておき、女将達についてだが今し方連絡が入った。どうにも彼奴の傷具合が良くないようで、動くのに難儀しているようだ。少し遅れるらしい。もう始めてしまってもいいだろう」
「――ふむ。骨の整復も治癒状況も悪くなかったと思ったが」
「お主が責任を感じることでもあるまい。誰だって一年も寝たきりならば、まともに動ける方がおかしいだろうよ」
話題についていけない絢哉は、この会合に出席者がまだいるらしいことを推察する。
女将の他にもうひとり――重篤な怪我人がいるらしい。
「――あの。よろしいでしょうか」
口を挟む機会を窺っていた絢哉が手を挙げれば、どうした、と娘が尋ねる。
「申し訳ありませんが、話が全く見えません。これから何が始まるのでしょうか。俺は、紗絵を見送らなければならないため、あまり長くはいられません」
「雪彦、説明しておけと言っただろうに」
娘は咎めるように雪彦を睨み付ける。
「説明しましたとも。いいかい、渡会君。先刻も言ったが、ここに沙羅君は来ない」
「それはなぜだ」
「この神域――塞ノ神神社は、式年祭最終日の夜は生者禁制だからだ」
「しかし沙羅の中には紗絵がいるんだ。今日この日を逃せば、紗絵はずっと沙羅の中に留まってしまう。見送らなければいけないんだ」
「落ち着いてくれ。そうも慌てていれば真実が見えなくなるぜ」
「落ち着けって――そりゃ無理だぜ」
雪彦との会話に見切りをつけた絢哉は、場の責任者であろう娘を見遣る。
「ニーロン様。俺がいつの間にか呼んでしまった紗絵は今、妹である沙羅の身体に宿っております。今日中に俺は紗絵を見送らなければなりません。まだ間に合うでしょうか」
少女へ乞う絢哉に雪彦が何かを言おうとするが、それを娘が手で制する。
「心配はいらん。十分間に合う。尤も、その紗絵なる娘が存在すればの話だがな」
どこか心苦しそうに娘は言った。
「あなたまで紗絵は偽物だと――沙羅の狂言だと仰りたいのですか」
娘は答えない。瞑目する。
その沈黙が答えであった。
「済まなかった、絢哉。全て、私が悪いのだ」
娘は三つ指を突いて謝罪する。
絢哉には、その謝罪の意味が分からなかった。
「ニーロン様。頭を上げてください。俺は謝罪が欲しいのではありません。いえ、そもそも、どうしてあなたが謝っているのかすらも分からない」
「それは――」
娘は何かを言わんとするが、ここからは僕が、と雪彦が話の主導権を取り戻す。
「渡会君。聞いてくれ。何度も言うがここに沙羅君は来ないんだ。なぜなら、沙羅君の中に紗絵君など最初から存在していないからだ」
「雪彦。俺にはお前の言っていることが何一つとして理解できないよ。勿論、お前に悪気がなくて、嘘も吐いていないことは分かるのだが――」
「君がそう戸惑うのも無理はない。君の妄執は根深いものだからな。いいかい。境内でも言ったが――僕達はこれから君に様々なことを、どうしても説明しなくてはならない状況に陥ってしまったのだ。その内容は、君にとっては突飛で、不可解で、理不尽で、どうしても認め難いものになるだろうが――それでも、どうか」
雪彦は、屍人特有の黒々とした瞳で絢哉を射貫くように見た。
どこまでも真剣な、屍人のくせに人間らしい眼であった。
「僕達の言うことは真実なのだ。天地神明に誓って――否、君と僕の友誼にかけて誓う。そして、できることならば許してほしい。それが無理なら僕だけを目一杯憎んでくれ」
解放されたままの戸口からは夜風が吹き込み、娘の側にある行灯が明滅する。
拝殿は妙な緊張感に包まれていた。
・ここに紗絵は来ない
・もうひとり、重篤な怪我人がやって来る




