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1-2.【渡会絢哉と藤ヶ谷紗絵の事情】

 自暴自棄に陥った絢哉を見かねたのが紗絵の叔母――藤ヶ谷眞緒(ふじがやまお)である。


 ある日絢哉を自宅に招き、珈琲と茶菓子を出してもてなした。絢哉が紗絵の家を訪い、仏壇に手を合わせたのは一年ぶりであった。相変わらず遺影に(とざ)された紗絵は何も言わず、鋼の如し視線で絢哉を射貫くだけであった。


 最初は当たり障りのない遣り取りであった。バイトのことであったり、父親との関係であったり、将来の展望であったり――内容に乏しい話題ゆえ尽きるのも早かった。


「ねえ、絢哉君。私ね、このままじゃ良くないと思うんだ」


 会話が途切れた時、眞緒が切り出した。ここからが本題であろうと察した絢哉は背筋を伸ばし、居住まいを正す。


「何のことでしょうか」

「君のことだよ。今の君を見たら、あの子はきっと悲しむと思う」

「それは――どうでしょうか」


 絢哉は曖昧に答える。無論紗絵が己を憐れんでくれたら嬉しいと思う。だが、そんな妄想が何の意味も持たぬことは分かっていた。天国にいるであろう紗絵に、胸を張って会えるように生きるべきとは思えなくなっていた。絶望しているがゆえの返答であった。

 だが絢哉の失意は伝わらない。眞緒は不服そうに首を傾げるだけであった。


「きっとそうだよ。あの子、君のことが本当に好きだったんだから」


 眞緒は、傍らに置いた一冊の本をテーブルに載せる。A4サイズの分厚い冊子であり、蘇芳色(すおういろ)をした皮革の表紙には細やかな美装が施され、中央には『Three Years Daily』と金文字の刻印が踊っている。


「眞緒さん、これは?」

「日記帳。紗絵が書いていたものだよ。高校入学してから、一日たりとも欠かさずにね。ほとんどが君のことばかり」


 寂しそうに笑った眞緒は、はいどうぞ、と日記帳を絢哉に差し出した。だが絢哉は受け取ることができない。紗絵を死に追いやった一因である己に対して、途方もない罵詈雑言が綴られているのではないかと恐怖したのだ。


「俺が見ても良いものなんでしょうか」

「もちろん。その方が、あの子にとっても、君にとっても良いことだと思うよ。大丈夫、何も心配することはないよ。君が思ってるようなことにはならないからね」


 眞緒は、絢哉の葛藤を見透かしたように頷いた。


「正直、怖いです」

「怖い?」


 どうしてそう思うの、と眞緒は尋ねた。

 最初、絢哉は黙って遣り過ごそうと考えた。それどころか何かしらの理由をつけて今すぐ帰ってしまおうとも。だが紗絵の親者である眞緒に対して姑息(こそく)な真似はできないと思い直し白状することにした。己の抱えている不安を。紗絵に対する重苦しい罪悪感を。


 眞緒は絢哉の吐露を聞いたのち、これは重傷だね、と呟いた。続けて。


「絢哉君。君は、紗絵に会いたくない?」


 と聞いた。


「今の俺に、そんな資格なんて」

「資格とかそんな話じゃなくて。君の正直な気持ちを教えて」

「俺の気持ち、ですか」

「そう。会いたいなら会いたいって言ってくれないと、君を助けてあげられない」

「どういう意味でしょうか」


 まるで要領を得ぬ答弁であった。

 己に助けられる権利なんてなければ、救済を求めた覚えもない。内心不快がる絢哉に、紗絵に会いたいかどうかだけ教えて、と眞緒は問いを重ねる。

 酷い誘導尋問である。頷いたらどうなるというのだろうか、と絢哉は眉を(ひそ)める。


 だが、この上ない事実でもあった。

 絢哉は、心の底から紗絵を渇望していた。


「会いたいに決まってるじゃないですか。それがどうしたと言うんですか」


 会えなくなったから。幸せを壊されてしまったから。苦しくて悔しくて、仕方なく犯罪にまで手を染めて。その結果何もかも喪って――立ち行かなくなってしまったのだ。

 会いたかった。会えば前に進めると。この鬱屈した人生が好転してくれると信じていた。


「会えるよ」


 眞緒は言った。


「私は、あの子に会う方法を知っている。君さえ良ければ紹介してあげられる」


 最初は底意地の悪い冗談かと思った。だが眞緒の表情は真剣そのものであった。また、眞緒が何の意味もなくそんなことを言う人物ではないことを絢哉は知っていた。

 ゆえに絢哉は、自分でも意外なほど素直に聞き入れることができた。

 ただ一言。


「是非、お願いします」


 と乞うた。


宇霊羅(うれいら)の隠れ里にある塞ノ神(さいのかみ)神社に頼めば死んだ人の声を降ろしてくれる。あそこには立派な温泉旅館もあるから、ゆっくり休むにはちょうどいいところだと思う」

「うれいら――」


 聞き覚えのある場所であった。死人の声を降ろすとは恐山(おそれざん)菩提寺(ぼだいじ)で有名なイタコが行う口寄(ほとけおろし)のようなものだろうか、と絢哉は思案する。


「あれ、覚えてない? 岩泉町の山奥にある集落なんだけど、昔は私も紗絵もそこに住んでいたし、絢哉君もお父さんと一緒によく遊びに来てくれたでしょう。子供達みんなで集まって、旅館の廊下で追い駆けっこをしたり、火の見櫓に勝手に登って怒られたりしたこともあったみたいだよ」

「言われてみれば、そんなことがあったような気も」


 宇霊羅という地が父親の故郷であったことを思い出す。

 絢哉の父は度々暇を作って里帰りをしていたのだ。それに付き従う絢哉としては退屈な田舎に(おもむ)くことこそ億劫に感じていたが、片思いしている紗絵に会えるとなっては拒む訳にはいかなかった。中学に進学する頃にはその帰郷も絶えてしまったが――きっとそれは同時期に眞緒と紗絵がこちらに越してきたからだろう。


 自身の父親と眞緒が浅からぬ関係であることに絢哉は薄々勘付いてはいたが特別気にはならなかった。物心つく前に母は死んでおり眞緒は未だ独身である。不貞には当たらない。己も紗絵を好いていることもあり、他人を指摘できる身分ではなかったこともある。


「確かに魅力的ではありますが、温泉旅館となると」

「費用のことなら心配しないで。多分、向こうも絢哉君からは取ろうとしないでしょう。というより無償(ただ)になるようにお願いしてあげるから、ね?」

「いや、それは流石(さすが)に悪いですよ。というか、俺から取ろうとしないというのは」

「忘れちゃった? 紗絵のお母さん――私の姉さんはそこの旅館で女将をやっているんだよ。()()()()()()()。だから絢哉君にとっても悪いことにはならいよ」

「しかし、向こうの迷惑にはなりたくありません」

「ならないってば。きっと歓迎してくれるよ。だって、暴力に訴えたことは決して褒められることじゃないけれど、絢哉君は紗絵のために立派に戦ったんですもの。それに」


 眞緒は言葉を切ったのち。


()()()だって、君に会いたがっているはずだよ」


 と告げた。

 眞緒の言うあの子とは、言わずもがな紗絵のことである――と絢哉は認識した。


 その一言が決定打となった。


「私も詳しく覚えているわけじゃないけれど、神社にお願いできるのはお祭りの期間だけなの。たしか十月一日から十日までのちょうど十日間だったかな。宇霊羅式年祭もしくは宇霊羅例大祭っていう行事なんだけど――()()()()()()()()()()()かな――神様を模した二つの山車を作って村の中を練り歩くんだよ。機会があればお祭りのお手伝いをしてもいいんじゃないかな。観光客も参加できるようになっているからね。絢哉君には奇妙に聞こえるかもしれないけれど、里にいる人達は死者が蘇るって皆信じているんだ。ううん、それは事実なんだよ」

「事実って、死んだ人が生き返ることがですか」


 怪訝そうな絢哉に、やっぱりそんな反応になるよね、と眞緒は苦笑する。


「だって皆はそう信じているんだもの。それなら事実って言って差し支えないと思うよ。少なくとも、彼らにとってみれば死者が蘇るのは正しいことなんだと思う。その人がいつまでこの世に居残るのかは分からないけれどね」


 言葉に含みを持たせながら眞緒は曖昧に笑った。

 その態度こそ気にはなったが、絢哉は言及せずにいた。死者が蘇ることなど現実に起こり得ぬと分かっていながらも、そうあってほしいと切に思ったからである。会いもしない宇霊羅の里人に感銘すら抱いた。


「まずは向こうに連絡してからだね。日取りとか詳しいことが決まったら連絡するよ」

「分かりました。お手数をお掛けしますが、何卒、宜しくお願い致します――」


 絢哉は両手をつき、(こうべ)を垂れる。

 その後、眞緒とどんな話をしたかは覚えていなかった。

 紗絵と話せたら何と謝ろう。許してくれるだろうか。もし許してくれなかったら何をすればいいのだろうか――などと益体もないことばかり考えていた。


 絢哉は、紗絵の日記帳を持ち帰ることこそできたものの、内容を確かめる勇気は持てなかった。旅館に泊まる許可を貰えたらその時にでも読むことにしようと己に弁解(いいわけ)をした。


先方から色よい返事をもらったのは、眞緒との談話から一週間後のことであった。

 曰く、迎え入れる用意はできているからいつ来ても構わない――とのことであった。

・あの子

・今年は例大祭

・大昔からずっと

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