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1-1.【渡会絢哉と藤ヶ谷紗絵の事情】

※この物語は作者の妄想に基づく完全なる虚構です。登場する団体、職名、地名、氏名、その他名称において万一符号することがあっても、創作上の偶然であることをお断り致します。

 渡会絢哉(わたらいじゅんや)が恋人の死を知ったのは高校二年の春であった。藤ヶ谷紗絵(ふじがやさえ)という幼馴染みの娘であり、絢哉とは別の高校に通うひとつ年上の彼女である。死因は虐めを苦にしての自殺であった。忘れもしない二〇一九年五月十日午前七時五十分、彼女は自身の在籍していた岩手県立盛岡××高等学校の屋上からその身を投じたのである。


 彼女は三通の遺書を(したた)めた。


 一通目は、なぜ死を選ばざるを得なかったのかという仔細(わけ)を、どこまでも切実かつ赤裸々に述べた告発書。二通目は、彼女と共に暮らしていた叔母や家族に宛てたものであり、絢哉に遺されたのは最後の三通目であった。


 絢哉が遺書を受け取ったのは、彼女の通夜に参列した時であった。

 葬儀は小さな斎場で執り行われた。

 出席者は喪主である彼女の叔母の他に、家同士で親交のあった絢哉と、絢哉の父親の三人だけであった。叔母(いわ)く、彼女の父は、彼女が幼い頃に他界しており、また母も離れた田舎で家業を営んでいるため来ることができないらしい。

 家族葬と言えばまだ聞こえはいいが――彼女の死因や経緯、そして彼女の眠る棺が既に固く閉ざされていることから察するに、彼女の叔母も内々に進めざるを得なかったのだろうと絢哉は考える。きっと紗絵にとってもその方がいいだろう、とも。


 彼女の叔母から『渡会絢哉様へ』と宛名書きされた白封筒を渡されても、絢哉にはどうしてもそれが遺書には見えなかった。何の変哲もない封筒の裏に手書きの封緘が施されているのを見て、如何(いか)にも几帳面な彼女らしい、と僅かな関心を抱いたくらいである。


 封筒の中身は、簡素な便箋一枚のみが収められていた。


 曰く――絢哉くんへ。驚かせてしまってごめんなさい。私は身体を汚されてしまったことにどうしても耐えられません。悲しくて、恥ずかしくて、情けなくて、嫌で嫌で、もう生きていくことができません。今すぐに死ぬことで、ほんの少しだけでも純粋さを取り戻すことができるような気がするのです。本当はずっと絢哉くんと一緒にいたかったけれど、私にはその資格がありません。今まで、本当にありがとう。ほんの少しだけ(はす)に構えたところがあるけれど、真面目で優しいきみのことが大好きでした。復讐なんて考えないでください。私のことなんて忘れて、きみの人生を、どうか幸せに生きてください――。


 万年筆で書かれたらしい流麗な文字であった。そう時間も経っていないせいか、青黒(ブルーブラック)のインクがやけに眩しく見えた。インクの匂いに混じり、花のような彼女の残り香も漂っているのではないかと絢哉は鼻先を近付けるが、感じるのは線香の厳かで憂鬱な香りだけであった。


 身体を汚されたこと、復讐を考えるな、などといった(おぞ)ましい言葉に、絢哉は全く心当たりがなかった。彼女の叔母に事情を聞けば、叔母はそこで一通目の遺書を絢哉に差し出した。絢哉への遺書とは異なり、ボールペンで殴り書きされた分厚い原稿用紙の束である。恐る恐る受け取った絢哉は、その告発文を読んで――後悔した。

 彼女の受けた虐めが苛烈かつ陰湿で、彼女の尊厳を思えば、口にするのも(はばか)られるものであったからではない。彼女の死は、自分にも一因があると悟ったからである。


 絢哉は、紗絵が屋上から飛び降りる一週間前に、彼女から相談を受けていた。部活動のメンバーと顧問の先生から嫌がらせをされているの、どうすればいいのかな――と。

 だが絢哉はそれを深刻に受け止めもせず、それらしい助言を述べでもすれば彼女も落ち着くだろうとしか考えていなかった。事実その時はレギュラー争いで部員間の関係が悪くなることなんてよくあることだ、今我慢すればきっとすぐに楽になるだろう、といった毒にも薬にもならぬ文句を――否、励ましに似せた突き放しの言葉をかけてしまった。


 絢哉は頭を抱えた。俺はなんということをしてしまったのだ。俺は紗絵の彼氏であったくせに、彼女の苦悩に気付かず自殺させてしまったのだ。もしかすると、彼女が最後に頼ったのは俺だったのかもしれない。なのに俺は助けてやれなかった。それどころか彼女を追い込んでしまった。紗絵は、俺が殺したようなものだ――。

 絢哉は、自身に宛てられた遺書を読み返すが、どこにも恨み言は書かれていなかった。むしろ先立つことの謝罪と今までの感謝が簡潔に綴られているだけであった。

 だが、絢哉は察した。紗絵が本当は己を恨んでいることを。その怨嗟を飲み込まんがゆえに、あえて便箋一枚に収めたことを。絢哉にとっては、彼女が恨みのまま、あなたが私の心に寄り添ってくれなかったから死ぬことにしました――とでも綴ってくれた方がまだ良かった。


 ――ごめん、紗絵。本当にごめん。


 できることなら絢哉は謝りたかった。自分が彼女を苦しめたことを。死を決意したのちも余計な気遣いをさせたことを。何より、彼女の思いに従ってやれないことを。


 絢哉は、自身を含め、彼女を傷付けた者達をどうしても許すことができなかった。手紙には復讐など考えるなと書いてあったが、それだけはできそうにもなかった。彼女が純粋さを取り戻さんがために死を選んだなら、彼女の怒りや悲しみを(そそ)いでやれるのは己にしかできぬことだ――と考えた。


 ありがたいことに、告発文には被害の詳細がこれでもかというほど徹底的かつ客観的に述べられていた。加害者がどこの誰で、何という名であるかを容易に知ることができた。まるで最初から絢哉が復讐すると分かっていたように。差し向けられている、とまで思った。

 紗絵は、言葉にはせずとも復讐してくれと乞うているのだ。無念を晴らしてくれと叫んでいるのだ。ゆえにここまで周到な用意をしたのだ、と絢哉は解釈した。


 私の仇をとってくれるならきみを許してあげる――と絢哉の描いた紗絵は微笑んだ。


 仮令それが己の妄想でしかないとしても絢哉には十分だった。己の全てを犠牲にしてでも彼女を傷付けた連中全員を殺してやろうと決意した。どんな方法で仕返ししてやろうかと考えることが愉快ですらあった。

 通夜でも告別式でも、絢哉は泣くことができなかった。




 日常に立ち戻った絢哉が真っ先にしたことは、頭髪の染色であった。どこにでもいるような優等生らしい黒髪から、如何にも不良らしいアップバングの銀髪にした。視力補正も黒縁の眼鏡からコンタクトレンズに変えた。紗絵と交際していた渡会絢哉という人間を捨てたかったのだ。幸せだった頃の記憶など復讐の邪魔になると思ったのだ。


 絢哉の通う高校もそれなりの進学校であり、当然染髪は校則により禁止されている。

 だが、全てを終えるまで学校に通う気にはなれなかった。留年すら覚悟の上だった。


 具体的な行動に移ったのはそれからである。

 まずは裏付けが必要となった。告発文には確かに加害者の名前が挙げられてはいたが、それでも事実確認を怠るつもりはなかった。絢哉は紗絵の通っていた高校に下校時間を見計らって張り込み、口の軽そうな女子生徒を探した。県下有数の名門校であるがゆえ中々都合の良い対象が見付からなかったが、それでもそれらしい女子に当たりを付けると、少しばかり尾行したのちに声を掛けた。最初は軽薄そうな態度でナンパを装い、相手のガードが緩い場合にのみ「藤ヶ谷紗絵の自殺について知っていることがあれば教えて欲しい」と本題に入る戦法であった。


 情報を掴んだのは調査開始から三日後、七人目の声掛けであった。

 連れ込んだ喫茶店で話を聞けば、この春入学したばかりの一年生であるという。絢哉が本題を切り出した時、最初は渋っていた女子も、諭吉を三枚差し出せば黙ってしまった。「有益な情報を教えてくればその都度謝礼を約束する」という言葉が決め手となり、協力を取り付けることができた。絢哉自身も、知人友人の伝手を利用して情報収集に努め――告発文に虚偽がないと分かったのは張り込みからおよそ二週間後のことだった。


 次いで絢哉は普通自動二輪の免許を取得した。今後の行動に足が必要になったのだ。自転車では距離が稼げず公共交通機関では小回りが利かない。費用は、今までの貯金と小遣いの前借りで賄った。車体は父親に頭を下げて買って貰った。


 川崎重工の中型アメリカン――エリミネーター250v後期型である。黒一色の色調と大柄な車格、アメリカンにしては珍しい静かな排気音が特徴である。絢哉としては、バイクはただの移動手段であり動けば何でもいいとしか考えていなかったが、一目見た瞬間から惹かれてしまった。正確には、エリミネーターという名称――即ち、排除者という名前に並々ならぬ共感を抱いたのだ。


 父親から事情を訊かれることはなかった。「お前の人生だからな。後悔しないように生きればいいさ。どんなことをしてもお前は俺の息子だからな」と笑って絢哉の肩を叩くだけであった。


 証拠を揃え、移動手段を確保して――ようやく下準備が終わった。

 裏付けを取ってから既に一月が経っていた。絢哉にとっても我慢の限界であった。


 告発文の複写を、小中高問わず市内全ての学校に送った。『私の恋人は自殺した。教職員による性的虐待および生徒による恐喝が原因で』という文言を添えて。またSNSを利用して加害者全員の実名を公表した。どこから噂を聞きつけたのか、名も知らぬ週刊誌の記者も絢哉の許にやってきた。雑誌に載せることを条件に情報を与え、その記事や遺書の控えを、事前に特定していた加害者の自宅に貼り付けもした。


 目的は、連中をこの地域で暮らしてやれないようにすることであった。

 本音を言えば、最も紗絵を傷付けたであろう顧問を己の手で殺害したかった。絞殺でも刺殺でも何でもいい。紗絵の受けた苦しみを少しでも分からせてやりたかった。それが紗絵のためであり、己の気分も少しは晴れるだろうと思っていたが――絢哉にも生活がある。刑事罰を犯すつもりはなかったし、紗絵の死を、復讐の口実にしているのではないかという背徳(うしろめた)さも感じていた。自身の父や、彼女の叔母に迷惑ないし心労をかけているという自覚も当然あった。落とし所は、顧問の懲戒および加害生徒の自主退学だろうと想定していた絢哉であったが、実際に県教育委員会が下した処分は減給戒告のみであった。生徒に対しては停学すらなかった。


 その甘過ぎる処分に絢哉は気が狂いそうになるほど憤慨した。減給戒告を受けた教員など自主退職しか路がないであろうことは理解していたが、それでも復讐を完遂できなかった怒りの方が勝っていた。

 既に紗絵の死から三ヶ月が経っていた。絢哉は退けぬところまできていた。憎悪で塗り固めた決意を、解きほぐす術を知らなかったのだ。


 絢哉は顧問を襲撃した。早朝のことである。紗絵が通っていた高校の駐車場に身を潜め、出勤した標的が私用車から降りたところを待ち構えていた。車体もナンバーも特定していた。人相も高校のホームページに載っているのを確認しており間違えようがなかった。


 顧問の年齢は三十台前半、教職員にしては髪の長い男であった。外見だけなら爽やかで万人受けしそうな風貌である。背後から忍び寄った絢哉は、顧問の後頭部に跳び蹴りを放った。簡単に崩れ落ちたところを、髪を掴んで地面に顔面を何度も叩き付ける。最初の数回こそ相手も抵抗をみせたが、十を超えてからは何の反応もなくなってしまった。


 殺してしまったか、と絢哉は思うが、嫌悪も動揺もなかった。他者を痛めつけることに抵抗を感じない自身が意外でこそあったが、嗜虐の興奮も陶酔もなかった。己は復讐を遂げなければならない。そうしなくては前に進めないのだ、という只々重苦しい義務感に駆り立てられるがままの凶行であった。血塗れになった顧問の顔に耳を近付ければ(いびき)のような呼吸が聞こえるため、まだ死んではない。多分、あと三四回でこの男は死ぬだろう、という冷酷な思考が過るだけであった。


 駐車場に人影はなかった。だが、いつ誰が来るとも分からない。校門側に停めていたバイクに乗り絢哉はその場から逃げ去った。途中紗絵の家に立ち寄り、焼香を上げさせてもらった。簡素な仏壇の前に座り、合掌しながら自省する。最早、誰がための復讐だったのか絢哉には分からなかった。確かに、最初は紗絵のためであった。それがいつしか己のためとなり、連中を許してはならぬという義憤が混じり、振り上げた拳を下ろすことができなくなっていた。復讐を果たしても、期待していた達成感は訪れなかった。それどころか罪悪感と虚無感に押し潰されそうであった。無論、自身が陥れた生徒達や顧問に対するものではない。相手に傷害を負わせたことでもない。紗絵の遺言に従わず、復讐に走ってしまったことにである。


 ここにいるのは復讐に身を捧げた紗絵の知らぬ男である。他人を傷付けることに躊躇しない不良である。かつて紗絵が褒めてくれた真面目で優しいところなど、()うの昔に棄ててしまった。俺は、紗絵を尊重したいあまり、彼女の死を利用して、彼女との思い出を台無しにしてしまったのだ――。


 もう、紗絵はいない。紗絵が好きと言ってくれた己も消えてしまった。


 絢哉は、今更になって、取り返しのつかぬことをしてしまったという後悔を覚えた。

以来、絢哉が紗絵の家に寄りつくことはなかった。顧問を襲った事件において、警察の聴取を受けたり、学校から説明を求められたり等余裕ない日々を送ることになった。


 幸か不幸か起訴こそ免れたが、暴力事件を起こしたがゆえに一発退学となった。

 なぜ生徒を自殺に追い込んだ教職員が減俸に留まり、それを成敗したこちらが退学なのかと思うところは確かにあったが、刑事事件を起こした身で文句は言えなかった。


 退学してからは駅前の飲食店でバイトを始めた。付き合う仲間も毛色が変わり、彼らに勧められるがまま煙草と酒にも手を出すようになった。

 だが、どんなに酔ったところで胸に(わだかま)る虚しさは消えてくれなかった。それどころか何をするにしても紗絵の姿が過り、絢哉の精神を内側から緩やかに、しかし確実に(こわ)していった。最初のうちは、遺言に背いた罰であり、苦しむのも当然であると開き直っていた。だが次第に(やつ)れていき、半年も経つ頃には完全なる神経症(ノイローゼ)に陥っていた。


 名門校に在籍していた紗絵と同じように、自分もいずれは進学するものとばかり考えていた絢哉にとって、現状は到底受け容れ難いものであった。将来が不安で仕方なかった。高卒認定の取得を目標に自学自習してこそいたが、身に入らず却って焦るばかりであった。こんな自分を家に置いてくれる父親にも申し訳がなかった。


 絢哉は、過去と現在、そして将来にも希望を持てなくなってしまった。自業自得と分かっていながらも、紗絵が生きていた頃に戻りたかった。もう一度、紗絵に会いたくて仕方なかった。だが、そう考える度、己にその資格はない、紗絵を死なせたのは他ならぬ俺なのだから、という自責が膨れ上がる。生きることが苦痛であった。


 死んでしまいたいと考えたことは一度や二度ではない。

 希死念慮はいつも心の大部分を占めていた。

 だが死ぬ訳にはいかなかった。己が死んだところで、紗絵に会えなどしないと分かっていた。己がしてきたことを思えば、彼女に合わせる顔がなかったのである。


 (もっと)も、絢哉が止めたのはあくまで積極的な自殺である。消極的な自殺については止めるつもりはなく、むしろ積極的に、消極的な自殺を幾度となく試みていた。


 即ち――タール値およびニコチン値の高い両切り(フィルターレス)の煙草を常飲すること、歩道を歩く際は常に身体ひとつ分車道側に寄せること、身辺整理を済ませいつ死んでも後悔がないようにすること、何かにつけてバイクに乗る機会を増やし、その際は必ず法定速度のプラス一〇キロを保つこと――有り体に言えば死亡率向上キャンペーンに邁進することで、絢哉はどうにか精神の平穏を保っていたのである。死なないために死を意識するというのも皮肉でしかなかったが。


 毎日のようにバイトに励み、帰宅したら苦手な英語の問題集を解いて、疲れたら紗絵と撮った写真や交わした手紙を見返して、夜遅くに帰宅する父親の晩酌に付き合って――。

 日々を惰性で遣り過ごしていれば、いつの間にか冬が訪れ、年が明けて、紗絵の一周忌が終わっていた。己が退学していなければ高校三年生の秋であり、紗絵が生きていれば大学一年生であった。

※書き溜め保有済み。約二十万文字。一頁40*40計算で180頁。纏め次第順次投稿予定。

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