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リュシヴィエールになる前もなってからも、人生には常に諦念がともにあった。自分自身を削るようにして一歩下がってみせることが処世術だった。


前世ではどうしても教室に、会社に、社会に馴染めなかった。やりたくもない勉強を頑張って難関試験を突破し資格職に就いたけれど、結局のところ人間が生きていくため必要なのはコミュニケーション能力だった。心の拠り所はゲームや小説やアニメだったけれど、感想を乗せたネットでの人間関係は楽しいより疲れが勝った。


今世では人生の最初で躓いた。父母はどちらも彼らを捨て、振り返ることはないだろう――どちらにもすでに代わりの子供がいるのだから。


今更、社交界に入ることはできない。麻痺していてもわかるほど顔と身体の痛みは重症である。傷物の令嬢などに引き取り手はいない。貴族が欲するのは五体満足の血統正しい妻だけだ。


(エクトルが無事ならそれでいい……)


と思い、けれど、それなら、なんで。思ってしまうのは止められない。


(なんのために生きてきたのかわからない)


もう終わるのか。せっかくもう一度生きることができたのに。前世を思い出して、ここがゲームの世界だったと思い出して、未来に何が起きるのかもわかった。知識を使って世の中を器用に優雅に渡って――今度こそ、地を這うような思いをしないで生きていけるはずだったのに。


何をしても可愛いと守ってもらえて、笑われるのではなく笑いかけてもらえる少女たちのことが本当は羨ましかった。成績がよかろうがいい大学に入ろうが、結局尊敬される女とは可愛くいじらしく微笑ましい魅力を持った人たちのことで――リュシヴィエールには得られない。金の髪、青い目、貴族の美貌、美しいドレスやティアラや指輪やブレスレットがあってもなお、望んでも得られない。


(生まれ変わってもだめだったなあ……やっぱり私には、だめだった。就職失敗したし。ああ、ヒロインが別の攻略対象を選んでしまうとエクトルは裏社会で本当の暗殺者になって、姿を消してしまう。それはいやだ……でも暗殺は、今のエルはしてない)


思考は支離滅裂に点滅する。突然、自分の身体が引き攣れたのがわかった。意思で止めることができない痙攣だ。まだ、身体はあるのだ。燃え尽きてはいない。


(エクトル、エクトル)


彼の顔が見たい。声が聞きたい。笑いかけてほしい。思い出すのはあの髪、あの目、あの少年のことばかり。わたくしを愛して。


……普通の貴族令嬢ならば、いや、普通の女の子ならば――父母のどちらかが外で作ってきた子供などを受け入れないし、どんどん減っていく使用人や綻びていくドレス、質が下がる一方の食事、どこかの誰かに毟り取られ続ける財産目録に、耐えられまい。


元々、エクトルのことは好きだった。お気に入りのルートで、キャラクターだった。好きなゲームの好きなキャラクターのそばにいられて、幸せだった。


そしてそれ以上に。たとえ前世の記憶が蘇らなくても、赤ん坊のエクトルがあれほど美しい子でなくても、彼が愛してくれなかったとしても――ともに人生を耐え抜く相手として自我のない赤ん坊は最適だった。


彼をリュシヴィエールの外側のかたちに沿わせて育てたのは、リュシヴィエールの所有欲と前世の記憶の持ち主の愛だった。あなたは優しい少年だった。ヒロインと恋を育み、必要を感じれば身を引くような。暗殺を担う自分の血みどろの手を恥じるような。あなたがあれほど優しく、まっとうでさえなければ、姉に殺されかけることもなかったのだ。


リュシヴィエールというキャラクターを舞台装置以上に思ったことはなかったが、もしゲーム通りの自分が目の前にいたら間違いなく殴り飛ばしていただろう。


だからリュシヴィエールはこの結果に後悔はなかった。エクトルは五体満足で生きている。焼ける前、この目で確かに確認した。魔法の火は彼に危害を加えることはなかったのだ。リュシヴィエールの勝ち、だ。


身体じゅうを刺し貫く痛みがある。誰かの魔法が痛覚を鈍らせ、リュシヴィエールを眠らせる。眠りはありがたかった。意味のない思考を止めることができるから。気が触れてしまいそうな焼け付く思考を。


(わたくしはずっと頭がおかしいと思われてきた……)


と、思った。


(わたくしを見てくれる人は……エクトルだけだった)


洗脳するように愛でくるんだ異父弟だけが、リュシヴィエールの全部である。エクトルはリュシヴィエールを愛してくれているが、それはリュシヴィエールが注いだぶんを注ぎ返してくれているのであって、刷り込みみたいなものだ。彼自身が考えた末の結果ではない。


恥ずかしく惨めだった。自分が卑怯者だというのをリュシヴィエールは知っていた。


生まれた時からそばにいる特権を使って子供が自分を愛するよう誘導した。そうまでしないと愛されなかった。


けれど、それでも。


「エ……ル……」


と唇が勝手に動いて、その名を囁く。


銀の髪は風になびくたび光沢を放ち、精巧に作られた銀細工そのもののよう。青い目は海の色、晴れ渡った夏の日を映した色。たまに現れる銀色のふちが怪しく光るのを、リュシヴィエールは綺麗だと思っていた。とびきり腕のいい職人が生涯にひとつだけ生み出した精巧な作り物、自然よりも自然らしく光を模したような少年。


八歳年下の義理の弟を、エクトルという少年のことを、リュシヴィエールは愛していた。


破滅しつつあるクロワ侯爵領キャメリアで、まるで世界で二人きりのように暮らすのは楽しかった。彼に寄りかかり、彼に頼り頼られて生きることが喜びだった。かつて望んでも得られなかったものが全部、かたちを変えて手の中にやってきたように思えた。


なんて身勝手な。エクトルが道ならぬ想いをリュシヴィエールに抱いたというのなら、その原因は他ならぬリュシヴィエール自身に感化されて発生したのだ……。


「先生、ご令嬢に意識があります」


「まさか?」


医療魔法大学出の医者とその助手の驚きの声をリュシヴィエールは聞き取れなかったが、廊下で待つエクトルの耳には届いた。彼は顔を上げ、歓喜の細い息をヒュウッと吐き出した。


魔法と薬草が導く眠りにリュシヴィエールの精神は沈んでいく。火傷は重く、柱に押し潰された足の損害はさらに重い。


金の髪が燃え尽きてしまったことに、リュシヴィエールは気づかない。たとえ生還できても続く人生は過酷なものになるだろう。彼女は美しい令嬢だったが、これからそのように扱われることはないだろう。


けれどエクトルの魂がリュシヴィエールを呼ぶので――彼女は生き返り、これから先もまた歩んでいくのに違いない。



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