【コミカライズ発売中】無敵のシスコン三兄弟は、断罪を力技で回避する。
大陸の南に位置する、ここワグナー王国。
大きな戦争や内紛が数十年起きていない為、平和で豊かなこの国には、社交界に名を馳せる侯爵一家が存在していた。
正しくは有名なのは侯爵一家の三兄弟で、「麗しのシスコン三兄弟」と陰で呼ばれている彼らは、マリナード侯爵家の三人の令息たちである。
マリナード侯爵家――。
それは侯爵の中でも高位に位置し、領地経営も至って順調、つまり貴族の中でも『お金持ち』の家だった。
22歳の長男エヴァンは知的な文官タイプで、王太子の側近に選ばれてからは将来の宰相候補との呼び声も高い。
20歳の次男のジェスは武芸の才能を買われ、狭き門の近衛騎士に任命されている。
14歳の三男のショーンはまだ中等科の学生だが、稀代の天才魔術師と評判で、学院卒業後は王宮魔術師となることが内定していた。
実家がお金持ちで将来有望な三兄弟は、その素晴らしく整った外見も相まって、社交界では常に注目の的なのである。
そんな華々しい三兄弟の中で、マリナード侯爵家唯一の娘であるエミリーは、極めて地味で埋没していた。
エヴァンとジェスを兄に、ショーンを弟に持つエミリーは現在17歳。
これといった目立つ特技や才能もなく、見た目も三兄弟と比べるとなんだかぼんやりとした素朴な外見をしている。
周囲に哀れまれ、兄と弟の中で自分だけが平凡なことを悲しんだ時期もあったが、優秀な彼らをエミリーは誇りに思っていた。
しかも、地味な自分を卑下して呑気に悲しみに暮れる暇など、シスコン三兄弟に常に構われるエミリーにはなかったのである。
◆◆◆
「ただいま、私のエミィ。ステファン殿下から城下で人気のマフィンをいただいたんだ。エヴァンお兄様と一緒に食べよう」
ワグナー王国の第一王子で、次期国王に決まっている王太子のステファン殿下。
その側近として日々忙しく働いているエヴァンは、珍しく早帰りを許され、スキップをするかのような軽い足取りで王宮から急ぎ戻ってきたところだ。
はやる思いで屋敷へと辿り着き、最愛の妹の元へと駆け付けたのだが、妹のエミリーはサロンで既に次男のジェスとお茶を楽しんでいた。
「って、なんでお前がここにいる。さっさと仕事に戻ったらどうだ?」
「は?俺は午後は半休だ。兄貴こそ俺がエミィと二人きりで楽しく過ごしているのが目に入らないのか?久々の俺の癒しの時を邪魔しないでくれ」
さきほどまではエミリーに甘い笑顔を向けていたジェスだったが、エヴァンに邪魔をされてすっかりご機嫌ナナメだ。
普段は近衛騎士専用の寮で暮らしているジェスにとって、今日の半休は久々の実家への帰省だった。
エミリーとの貴重な触れ合いに乱入し、妨害する兄を、いっそ脅してやろうかと剣に手をかけて威嚇する。
知力ではエヴァンにとても敵わないが、剣の腕なら余裕でジェスが勝っているからだ。
「もうっ、お兄様たちったらケンカはやめてちょうだい。せっかく久しぶりにジェスお兄様が帰ってきたというのに」
エミリーが頬を膨らませてプリプリして見せると、兄たちは途端に口をつぐんだ。
自分たちのことで怒っているエミリーが可愛く、ケンカなどどうでも良くなってしまったのである。
「ごめんごめん。私も久しぶりに早く帰れたのに、エミィを独占されてつい焼き餅をやいてしまったんだ」
「俺も悪かった。エミィの笑顔を独り占めしたくてさ」
途端に態度を変えて甘くなる二人には、当然婚約者も彼女すら居やしない。
「ふふっ、わかってくださればよいのです。みんなでお茶にしましょう。エヴァンお兄様もジェスお兄様も、王宮で立派にお仕事をされていて私は鼻が高いです。二人は私の自慢のお兄様です」
嬉しそうにはにかむエミリーに、二人の兄がデレデレと鼻の下を伸ばしていると、サロンに三兄弟の残りの一人が突撃してきた。
「エミィお姉様、僕の新しい魔法を見てください!……って、あんたたち邪魔なんだけど。どっか行って」
「ショーン、エミィと私たちに対する態度が違いすぎるだろう……」
「そうだ、兄に対する敬意はどこへやった?お前はエミィの前でだけ可愛い子ぶりやがって」
「あんたたちの前で可愛く振る舞ってなんの得があるのか教えてよ」
三男のショーンの登場により、再び口喧嘩が始まってしまう。
仕方がないわねと溜め息を吐きつつ、兄と弟に大切にされてエミリーは幸せを感じていた。
とりあえず四人揃ったので、お茶を再開することにする。
兄弟全員がこの時間に揃うなんて、貴重な機会だった。
エミリーの両隣の席を争って、三兄弟がすったもんだした挙げ句、先にエミリーと過ごしていた次男のジェスが泣く泣く向かいの席へと追いやられることに決まった。
いつも溌剌と剣を振るっているジェスが、今は明らかに気落ちしている為、エヴァンは内心静かにほくそ笑んでいた。
「それで?ショーンはどんな魔法を新しく覚えたのかしら?本当にショーンは勤勉で偉いわ」
エミリーが右隣に座ったショーンの頭を優しく撫でる。
嬉しそうに目を細めながら大人しく撫でられているショーンに、「ニマニマしてんじゃねーよ」とテーブルに片肘をつきながらジェスが悪態をつき、エヴァンは甲斐甲斐しくエミリーにお土産のマフィンを取り分けていた。
これがマリナード侯爵家の日常の光景なのである。
「で?何を習得したって?隣国へ一瞬で飛んでいけるとか、死人が生き返るとかか?」
明らかに不可能な魔法を並べながら、ジェスがショーンに意地悪そうに尋ねる。
もはや挑発にしか見えない言い方だったが、ショーンはそんなジェスを睨みながら素っ気なく答えた。
「違うよ、自白魔法さ」
…………え?なんですって?
サロンは静寂に包まれ、エミリーがショーンを撫でる手が止まった。
エヴァンがガタンと音を立てながら慌てて立ち上がる。
「ちょっと待て、自白魔法ってとっくに廃れた禁忌魔法ではないか。ショーン、一体どういうつもりだ?」
「そんなの知ってるよ。この前魔術師団長が訪ねて来た時に、『君なら自白魔法も復活出来たりしてな。ワッハッハ』とか言ってたから、これはフリか?と思って独自に研究してみた」
「いやいや、それ絶対フリじゃねーし。しかもなんで簡単に習得出来ちまうんだよ、おかしいだろ……」
ジェスが呆れたように言って、頭を抱えた。
「え、ええと、ショーンは悪いことにその魔法を使うつもりはないのよね?」
再び頭を撫でる手を動かしながらエミリーがとりなすように訊くと、ショーンはエミリーだけに向けるいい笑顔で返事をした。
「もちろんです。しばらくは使えることも世間には内緒にするつもりですから。あ、もちろんエミィお姉様の為ならいつでも使いますからね」
「ふふふ、ありがとう。でもそんな機会はないと思うけれど」
エヴァンは『変なフラグは立てるなよ?』と心の中で心配しつつ、ソファーに座り直しながら訊いた。
「それで、実際の効果はどうなんだ?まさか誰かに試したんじゃないだろうな?」
「そりゃあ試したに決まってる。おかげでめでたく一組の使用人カップルが誕生したってわけ」
ショーン曰く、たまたまフットマンに好きな女性を自白させたら、お相手の侍女が傍で仕事をしていたらしい。
運良く相思相愛だった為、その場でカップルが成立したそうだ。
「そ、それはおめでたいわね。良かったわ、うまくいって」
エミリーはホッと胸を撫で下ろした。
もしフットマンの片思いだったら、とんだ悲劇を生んでいたところである。
「エミィ、誉め上手なのはエミィのいいところだが、あまりショーンを甘やかすなよ?」
ジェスに釘を刺されてエミリーはキョトンと首を傾げたが、途端にショーンが食って掛かった。
「なにさ、あんたも人のこと言えないだろ?僕たちのモチベーションは全部エミィお姉様なんだから」
ショーンの台詞に二人の兄は黙るしかない。
まさにその通りだからである。
積極的な人柄ではないからか、気付いている者は少ないが、エミリーは子供の頃から誉めるのがとても上手だった。
人より優れている部分を目敏く発見し、まだ本人が自覚していない才能に気付かせてくれるのである。
「一度目を通すだけで記憶出来るなんて凄いです」「お兄様は領地経営の才能も素晴らしいです。この国も更に発展するでしょうね」などと誉められたエヴァンは、本の虫となり、次々と知識を増やして文官の道へ。
「お兄様はなんて力が強いのでしょう」「まるでダンスのように軽々と剣を振る姿が素敵です」なんて言葉に乗せられて、ジェスは騎士学校へ。
「まだこんな小さいのにもう呪文を覚えたなんて」「いつも魔法の弱い私を助けてくれて嬉しいわ」と頭を撫でられたショーンは、ひたすら魔法の腕を磨いてきた。
いつだって三人の原動力はエミリーの言葉であり、エミリーの喜ぶ顔なのである。
しかし長所を見つけることが得意なのにも関わらず、自分の良さには全く気付けないエミリーは、いつも三兄弟が甘やかしてくれるのは彼らの優しさからだと信じて疑わない。
そんな無自覚で謙虚なエミリーを、シスコン三兄弟は更に愛おしく感じずにはいられないのである。
「ところで、エミィのポンコツ婚約者についてなんだが……」
ジェスがエミリーの婚約話へと話題を変えた途端、サロンの気温は確実に下がり、一気に冷気が漂い始めた。
「アイツを婚約者などと呼ぶな。ヤツがネジがはずれたポンコツなのは心から同意するが、婚約など私は認めていない」
低い声でエヴァンが吐き捨てるように言うと、ショーンもそれに続く。
「よりによってあんなバカをお姉様と結婚させようなんて、父さんもバカだよ」
三兄弟の意見が揃う時――。
それはエミリーの婚約者に対して文句を言う時に他ならない。
エミリーに婚約者が決まったのはちょうど一年前のことだった。
普段から侯爵の仕事を長男のエヴァンに押し付けては、妻とフラフラと旅に出るのが趣味だったエミリーの父、マリナード侯爵。
突然旅行先の彼から届いた手紙には、唯一の娘エミリーの婚約が結ばれたことがしれっと書かれていた。
まさにマリナード侯爵家始まって以来の青天の霹靂である。
当然烈火のごとく怒り、反対した三兄弟だったが、侯爵は旅先の飲み屋で意気投合したタウラー侯爵と、その場で正式な婚約の手続きをしてしまっていた。
お相手はタウラー侯爵家の長男、エリオットである。
そんな父も、さすがにお酒が抜けてからマズイと思ったらしい。
三兄弟に怒られ、半殺しの目に遭うことを恐れた侯爵は、なんとそれから一度も王都へ帰らずに逃げ続けているのである。
おかげで当主が戻らず、ずっとエミリーの婚約解消が出来ない三兄弟はイライラしっぱなしなのだ。
「あの、みんなが心配してくれるのは嬉しいわ。でもお父様がお決めになられたことですし、私には反対する理由がありませんもの。この家を出ていくのは悲しいけれど……」
エミリーが三人を宥めようとするが、彼らの怒りは収まるどころか増す一方だった。
さっきまでの国を揺るがす禁忌魔法の話など、すでに記憶の彼方へと追いやられてしまっているが、彼らはエミィファーストなのだから仕方がない。
「エミィは優しい子だから父上や家のことを考えているのだろうが、アレは駄目だ。あのクソバカポンコツ野郎は調べてみてもろくな噂がない。いや、噂じゃなく事実だろう」
「ああ、俺も近衛の同僚に聞いた話じゃ、クソバカポンコツスカポンタンは頭の軽い、女遊びの激しい放蕩野郎だってよ」
クソバカポンコツスカポンタン……。
どんどん悪口が足され、なんだか語呂が良くなっている。
「そもそもさ、初対面の一言で一発アウトでしょ」
ショーンの尤もな言い分に、兄二人は大きく頷いた。
一年前、婚約を知らされたエリオットはアポなしでこの屋敷まで押し掛けてきた。
たまたまエミリーしかおらず、玄関まで出迎えたエミリーを一目見るなり「なんだ、地味な女。ガッカリだな」などと暴言を吐いて、エリオットは帰ってしまったのだ。
呆然と立ち尽くすエミリーと、はらわたが煮えくり返った使用人たち――。
その後、使用人からそれぞれ告げ口を受けた三兄弟は、荒れに荒れて家具を破壊しまくったという経緯があるのである。
「その通りだな。ステファン殿下にお願いして、さっさと国外追放にでもしよう」
「俺が斬ってやるよ」
「僕が魔法で燃やすのが一番早いって」
なんだか物騒な話になっている。
エミリーは慌てて止めに入った。
「冗談でもそんなことを言っては駄目です。エリオット様が私をお嫌いなのは残念ですけれど仕方のないことですし、歩み寄れないようでしたらお父様と相談した上で、婚約はなかったことにしていただきます」
エミリーの決意に三兄弟も一応納得したようだった。
「親父はまだ見つからないのか?」
「私たちに詰め寄られるのがよほど怖いのか、居場所を転々としているようだな」
「いっそ僕が転移魔法を習得した方が早いんじゃない?」
とりあえず父の帰還に全力を尽くすという方針で動くことが決まったのだが、侯爵が王都へ戻ってくる前にエミリーは婚約破棄騒動に巻き込まれてしまうのである。
◆◆◆
国王主催の夜会。
それは社交界に籍を置く者にとっては大きな意味を持つ。
招待されることが誉れであると同時に、失敗が許されない、責任感を伴うプレッシャーの場でもあるのだ。
今宵、マリナード侯爵家からはいまだ行方知れずの侯爵の代理として長男のエヴァン、そして社交界デビュー済みのエミリーが参加することになっていた。
次男のジェスは近衛騎士として会場の警固にあたり、三男のショーンはまだ社交界に出ていない為、屋敷で大人しく留守番と決まっている。
「さすが私のエミィだな。なんて可憐なドレス姿なんだ。誰にも見せたくないのが本音だが、今日は私がしっかりエスコートするからね」
正装である燕尾服でビシッと決めたエヴァンが、嬉しそうにエミリーへと近付いてくる。
幾重にも重なった柔らかいシフォン素材のイブニングドレスに身を包んだエミリーは、照れ臭そうに微笑んだ。
腰から裾へ向かって水色から淡い紫色へと変化するグラデーションが鮮やかなドレスは、上品な雰囲気でエミリーによく似合っていた。
「ありがとうございます、エヴァンお兄様。今日はよろしくお願いいたしますね」
マリナード家は代々、青みがかった銀色の髪を持つ者が多く、エミリーと三兄弟も髪色だけはそっくりであった。
三兄弟は、それぞれ印象は違えど涼やかな切れ長の紺碧の瞳とクールな立ち振る舞いから、「麗しの三兄弟」と呼ばれていた。
しかし、クールな表情はエミリーがいない場所限定だと周知されてからは、「麗しのシスコン三兄弟」と陰では言われている。
エミリーは家族で一人、黒目がちでくりくりとした丸い瞳の持ち主だった。
それが彼女を幼く見せているのだが、常に遠慮ぎみな態度もあってか目立つ存在ではない。
しかし、よく見れば可愛らしい顔立ちをしているのがわかる。
華やかな貴族令嬢の中では埋もれてしまうが、三兄弟はエミリーの控えめな容姿も愛してやまなかった。
「あー、僕もエミィお姉様となら一緒に夜会に行ってみたいです。可愛いお姉様とダンスがしたかったなぁ」
頬を紅潮させながらエミリーの着飾った姿をうっとりと眺めていたショーンだったが、ふいに表情を引き締めるとエヴァンに向き直った。
「エヴァン兄、ちょっと嫌な予感がする。不穏な空気を感じるから、お姉様から目を離さないでよね」
「なに?夜会で何か起こるというのか?――まさか、クソバカポンコツスカポンタンじゃないだろうな?」
お兄様、まだその呼び名を使っているのですね……。
もしやお気に入りなのでは?
エミリーが苦笑しつつも兄に声をかける。
「お兄様、エリオット様からは本日の夜会でのエスコートは出来ないと文をいただいております。欠席なのではありませんか?」
そう、常識的な令息であれば、国王主催の夜会で婚約者をエスコートしないことなどありえない。
あらかじめエスコートを断ってきたということは、何かしらの理由で夜会を欠席せざるをえないからと考えるのが普通である。
『しかし、あのポンコツだぞ?ポンコツ過ぎて、こちらの予想の範疇を越える行動を起こすかもしれない。用心するに越したことはないな』と、エヴァンは独りごちた。
「そもそもアイツは今まで一度もパーティーでエミィをエスコートせず、贈り物だって花束一つ寄越したことがない非常識なヤツだ。今回に限って殊勝にも断りの文を寄越したっていうのが引っかかる」
「そうかしら?」
「僕も妙だと思う。文を送るなんて当然のことを、あのバカが普通に出来るわけがない。裏があるね」
文を書いただけで不審がられるというのもある意味凄いと思いつつ、エミリーはショーンの手を握った。
「大丈夫よ、あちらにはジェスお兄様もいらっしゃるし。ショーンこそお留守番気を付けてね?」
「はい!何かあったら僕も駆けつけますから」
「まあ、それは冗談でも心強いわ。それでは行ってくるわね」
エミリーはエヴァンに手を引かれて馬車に乗り込むと、夜会へと出発した。
ショーンが二人を見送った後も、難しい顔で王宮の方角を見つめていることなど知るよしもなかった。
◆◆◆
夜会は和やかに進行していた。
国王、王妃も入場し、挨拶とファーストダンスも問題なく終わり、人々はそれぞれ歓談したり、食事を摘んだりして過ごしている。
壁際で真面目に警固しているジェスが、時折エミリーと目が合うと少しだけ口角を上げて微笑む素振りをみせてくれる。
そのたびに令嬢から小さい歓声が湧き、本当はそばまで近付きたいエミリーは、小さく手を振って応えるだけで我慢していた。
「エヴァン、ちょっとこちらへ来てくれないか?」
王太子のステファンに突然呼ばれ、エヴァンがエスコート中のエミリーを心配して離れることを躊躇していると、エミリーの親友であるセレスとアリアーナが背後から現れ、そっとエミリーを両脇から挟んだ。
「エヴァン様、エミリーのことならわたくし達にお任せくださいな」
「しっかりガードしておきますから」
感謝の気持ちを込めて二人に軽く礼をすると、エヴァンはエミリーの元から去って行ったが、わずか数分後、会場の雰囲気は一変したのである。
「マリナード侯爵家の地味女、前へ出てこい!!」
エミリーの婚約者エリオットが、ダンスフロアの真ん中で大声で叫んでいる。
地味女とは酷い言い草だが、どうやらエミリーを呼んでいるらしい。
「は?あの男、エスコートを断ったくせになぜここにいるの?」
「あっ!他の女の腰を抱いているわ!一体どういうつもり!?」
セレスとアリアーナの苛立ちを耳にした勘のいい貴族連中は、即座に状況を理解したようでエリオットに冷たい目を向けた。
古い慣習を尊ぶ彼らにとって、婚約者を蔑ろにする行為は断じて許されない。
セレスが恐々と目線をやった方角には、この状況を面白そうに笑う国王とステファン殿下、目を細めて呆れ果てる王妃、そして青筋立てて怒気を放つエヴァンの姿があった。
そして壁の方では、「俺をエミィの元へ行かせてくれ!」と叫びながら、両腕を同僚の騎士に押さえつけられているジェスの姿が……。
『タウラー家のバカ息子、終わったわね……』
セレスの思いは居合わせた皆共通のもので、ポンコツ婚約者エリオットは一言発しただけですでに詰んでいたのだった。
「エミリーが出ていく必要なんてないわよ」
心配と憤慨を混ぜ合わせたような顔で言うと、アリアーナはエミリーを守るように彼女の前へ立ちはだかった。
セレスとアリアーナは共に伯爵家の令嬢で、アリアーナはスラッとした長身をしている為、小柄なエミリーは彼女にすっぽりと隠れてしまう。
いつの間にかエミリーの前にあった人垣が綺麗に割れていたので、少し離れた場所にエリオットと彼に腰を抱かれている令嬢が目に入った。
なんとなく見覚えのある女の子だと、アリアーナの後ろから顔を出して覗いていたエミリーはエリオットと目が合ってしまった。
「見つけたぞ!そこにいたのか。――よく聞け!お前の立場も今日で終わりだ、地味お……ん?」
フンと鼻で笑い、獲物に狙いを定めたかのような鋭い視線で顎をあげながら声を張り上げたエリオットだったが、その言葉は途中で途切れた。
当然貴族の注目を浴び、期待の目で見られていると思いきや、エミリー以外の会場中の視線が自分ではない他に向けられていることに気付いたからである。
皆の視線はエミリーの二人の兄、エヴァンとジェスに向けられていた。
シスコンで有名な彼らが最愛の妹の窮地に大人しく引っ込んでいるはずがなく、その動向に興味津々だったのだ。
「ステファン殿下。私は兄として、愛する妹をクソバカポンコツスカポンタンの魔の手から守る義務がありますので、少々御前を失礼いたします」
「ぶはっ、いい名前をつけているな。もちろん止めやしないが、少し待て。私も出る。――陛下、よろしいですか?」
ステファンが父である国王を見やると、国王は頷いて手をヒラヒラと振った。
「お前の好きにやれ」とのことらしい。
「ありがとうございます。では――近衛騎士ジェス・マリナード!しばし任務を解く。こちらに加われ」
「はっ!!」
幾人もの同僚に押さえつけられ、「フガーッ、離せー!」と暴れていたジェスは、瞬く間にその拘束を解かれ、水を得た魚のように嬉しそうにエミリーのそばへと駆け付けた。
ステファンとエヴァンもすぐさまエミリーへと歩み寄る。
「エミィ、大丈夫か?セレス嬢、ありがとう」
ジェスがエミリーを案じ、庇うように肩を抱いてくれていたセレスに礼を言うと、セレスは頬を赤らめて一歩引いた。
エヴァンもエミリーの前でガードをしてくれていたアリアーナの勇気を讃えると、あとは自分らに任せるように伝えて珍しく微笑んだ。
「おいおい、どういうつもりだ?ワラワラと集まりやがって!」
エリオットが苛立ちながら叫んでいるが、そもそも国王主催の夜会という厳粛な場で、私的なことを持ち出したのはエリオットのほうだ。
「『どういうつもり』なのはあんたのほうだし、ステファン殿下に向かってなんて口の利き方なのかしら……。常識を疑うわ」
「あの方に常識なんて期待したって無駄よ。ね、エミリー?」
セレスとアリアーナの言葉に、困ったようにエミリーは苦笑したが、まさか婚約者がここまで残念な人だとはエミリーも正直思っていなかったのだ。
ステファンが王太子らしい堂々とした態度で言い放った。
「この場は私が預かった。さて、タウラー侯爵令息エリオット。貴殿の言い分をまず聞こうか。この大事な場で訴えなければならない余程のことがあるのだろう?私はあくまで中立の立場であるから、心配は無用だ。さぁ、好きに話すがいい」
ステファンがエヴァンと共にエミリーを守るように並び立っている時点で、中立のはずなどないことは誰の目にも明らかなのだが、ポンコツ婚約者は都合よく捉えたのか嬉しそうに答えた。
「さすがステファン殿下。私が今から行うことを理解し、認めてくださるのですね!必ずや殿下の期待に応え、憎き地味女を一瞬にして成敗してご覧に入れましょう!!」
ステファンは嫌味を言って煽っただけなのだが、それすら通じずにエリオットは王太子が味方だと受け取ったらしい。
めでたい男だと皆呆気に取られたが、彼は鼻息荒く続けた。
「マリナード侯爵家エミリー!貴様は地味女の分際で父上を騙して強引に俺との婚約を結んだ挙句、ここにいる俺の愛するシシリーヌに嫉妬し、害そうとしたことは明白だ。よって、婚約破棄と他国への追放を宣言する!!」
……………………は?
突っ込みどころ満載な口上に、聞いていた全ての人間の口が呆れて開いてしまっている。
たかが侯爵令息が何の権限があって追放などとのたまうのか。
あまりの頭の悪さと、そんなことを平気で口に出せるメンタルの強さに、しばらく声を発する者は居なかったのだが……。
なぜかステファンだけはツボに入ったらしく、お腹を抱えて笑っていた。
「殿下!何がそんなに面白いんですか!!エリオットめ……お前こそ絶対追放してやる!!」
「いや、俺が斬る!!」
ステファンが笑いころげ、エヴァンとジェスが殺意を隠そうともしない中、ホールの入口から聞き慣れた声が響いた。
「僕が魔法で燃やすってば。あ、エミィお姉様、お待たせしました!」
予告もなく三男のショーンが現れ、夜会は更におかしな展開を見せ始めた。
しかし、誰もがわかっていた。
シスコン三兄弟が揃ったことで、エリオットに勝ち目など万に一つもないことを。
弟のショーンの登場に驚いたのはエミリーである。
「ショーン?なぜお留守番のあなたがここに?」
疑問を投げかけると、ショーンは当然のようにあっけらかんと言った。
「お姉様に何かあったら駆け付けるって言いましたよね?」
確かに言ってはいたけれど……冗談だと思っていたわ。
どうやって入れたのかしら?
規格外のショーンにエミリーが曖昧な笑みを浮かべていると、笑い終わったステファンが話を進めていた。
「なるほど。貴殿の言い分は……理解しがたいが、まあ今はいいだろう。それでは、こちら側にはおあつらえ向きにも当主代理がいるんだったね。エヴァン・マリナード侯爵代理、何か反論は?」
いよいよこちらのターンが来たようだ。
兄がいてくれたおかげで、エミリーは矢面に立たずに済んでホッとしていた。
エヴァンはまず、エリオットが連れている令嬢について尋ねた。
「確認ですが、エリオット殿の隣にいるシシリーヌという女性はあなたの恋人で間違いないですか?」
「そうだ。シシリーヌは男爵令嬢だが、見た目も美しく、俺と気が合う。俺はこのシシリーヌと結婚する!!」
エミリーという婚約者が目の前にいながら、躊躇なく堂々と恋人宣言をかまし、満足げなエリオット。
そんな彼の肩に嬉しそうに寄りかかるシシリーヌは、確かに綺麗な顔をしているが、頭の中身はエリオットといい勝負のようだ。
夜会の参加者は『何を見せられているのだろう』と思いつつ、静かに見守るしかなかった。
「こんな基本的なことを説明するのも馬鹿馬鹿しいが、仕方がないのでお話ししましょうか。エリオット殿と、我が家が誇る愛らしくも聡明で自慢の妹エミリーとの婚約は、当主同士の交流の中で決められたことであり、あくまで家と家の契約です。婚約に不満があるのならまずはタウラー侯爵に話をつけ、しかるべき手順を踏むべきでしょう。このような王家や貴族の集う場で闇討ち的に私の可愛いエミィを傷付けようなど、浅はか過ぎるのでは?」
途中、シスコンらしいおかしな表現は気になったものの、エヴァンの指摘は至極当然のものだった。
エリオットに婚約破棄を決定出来る権利があるはずもなく、いたずらに夜会を邪魔し、混乱させた罪は非常に重いといえる。
しかし、エリオットは少しもへこたれなかった。
さすがメンタルお化け、むしろここからが本番とばかりに声のボリュームを上げた。
「エミリーは学院でシシリーヌを虐めていました。男爵令嬢だと見下し、私物を壊し、時には突き飛ばし、なんと誘拐まで目論んだのです!!」
………………ええっ!?
エミリーだけが驚いていた。
「まあ!」「なんてひどい」「許されることではないな」という声が上がる――はずもなく、聴衆はただ静まり返っている。
「あ、あの、私はシシリーヌ様にそんなことをしておりません。多分学年も違いますし、お見かけしたことがあるくらいで……」
「はっ、そんなはずがないだろう。証拠もある」
エミリーが勇気を出して否定を試みたが、簡単にあしらわれてしまった。
「ちょっと!なんでエミリーが好きでもないあんたの恋人を虐めなきゃいけないのよ?」
「そうよ!エミリーとシシリーヌ様が面識すらないのは、いつも学院で一緒にいる私たちが良く知っているもの」
セレスとアリアーナがすかさず援護射撃をしてくれたが、エリオットは全て無視し、証拠品とやらを取り出している。
「これをご覧ください!!エミリーが壊したシシリーヌの手鏡と、シシリーヌが突き飛ばされた場所に落ちていたエミリーのハンカチです!!」
自信満々の割には証拠品がショボい。ショボ過ぎる。
誰かが鼻で笑ったのが聞こえた。
その時、ずっと成り行きを見守っていた令嬢の一人がおもむろに発言した。
「あのぅ、エミリー様は平民の方とも分け隔てなく話されるお方なので、身分で見下すことはありえないかと……」
更に他の令嬢も続いた。
「その手鏡は当家の所領の名産なのですが、元々はエミリー様が誉めてくださり、改良を手伝っていただいて人気商品となったものです。ヒットしたことを一番喜んでいたエミリー様がそんなことをするはずがありません」
しまいにはハンカチを眺めていたステファンがエヴァンに尋ねた。
「エヴァン、このハンカチはエミィのものではないよね?」
「殿下、勝手に妹の愛称を呼ばないでいただきたい。――ああ、これはエミィのハンカチではありません。エミィのハンカチは、私が王妃様専属の刺繍家にお願いして、イニシャルを入れてもらっている特注品ですから」
え?そんな凄いハンカチだったの?
急に明かされた事実に、エミリーが衝撃を受けた。
そして周囲は愛が重いエヴァンに若干引いている。
「違う!そんなのは、エミリーがシシリーヌを虐めていない証拠にはならないじゃないか!!」
エリオットが騒いでいるが、それを言ったら『エミリーがシシリーヌを虐めた証拠にもならない』のだが、そこは見て見ぬふりらしい。
「さて、そろそろこの茶番を終わりにしましょうか。いい加減愛するエミィをコケにされて、私も限界なのですよ。あ、これ、エリオット殿の脱税と横領の証拠です。私の立場を最大限利用して収集しました。父上である侯爵の代理と偽って、色々やらかしていたみたいですね」
「ちょっ、ちょっと待て!俺にはまだ切り札がある。エミリーがシシリーヌを拐うために雇った悪党どもだ!」
「あ、そいつらなら俺がさっき見かけて、少々痛め付けたら『タウラー家の長男に金で雇われた』って吐いたぞ?あんな見るからに怪しいヤツら、エミィの視界に入れたくなかったからな」
エリオットの頼みの綱は、ジェスによって呆気なく切られていた。
「そんなの嘘だ!あの地味女が全てやったんだ!!」
理性を失ったかのように頭を振りながら叫ぶエリオットを、寄り添うシシリーヌが不安そうに見つめている。
「いよいよ僕の出番かな?」
今までエミリーに引っ付いていたショーンがエヴァンのそばまでやって来ると、国王に向かって言った。
「陛下ぁー、自白魔法使っちゃってもいいですよね?」
さらっと飛び出た爆弾発言に、夜会の参加者は目を剥いた。
エミリーだけが「だから魔術師のローブを着てるのね……」と、呑気なことを言っている。
『こんなところでフラグを回収するな』と思いつつ、エヴァンは苦笑するしかない。
まさかこんな絶好の機会がやって来るとは思っていなかったのである。
「それは興味深いな。好きにやってくれ」
これは愉快だと国王がゴーサインを出したので、ショーンは禁忌である自白魔法を発動させると、持っていた杖をエリオットへと向けた。
白い閃光がエリオットを包み、表情が失われたエリオットが事務的な口調で話し出す。
「エミリーはシシリーヌを虐めていません。証拠はすべて俺が用意した偽物です。脱税と横領も俺がやりました……」
――茶番が終了を迎えた瞬間であった。
呆気ない幕切れにどよめくフロア……いや、どよめいたのはショーンの自白魔法の威力のほうであった。
エリオットの暴走など、すでに興味を失われつつある。
国王が「ブラボー!!」と叫び、慌てて会場まで駆け付けたのに世紀の瞬間を見逃した王宮魔術師団長は、その場で座り込んでさめざめと泣いていた。
「私が……私がショーンに自白魔法の存在を教えたのに……」と、時々嗚咽を漏らしている。
すっかり居ないものとして扱われていることに焦りを感じたのか、突如男爵令嬢のシシリーヌが叫んだ。
「ちょっと!無視しないでよ!言っとくけど、私は何も知らされてなかったのよ!?」
すかさずショーンの自白魔法がシシリーヌへと発動されると、彼女もスンッとした表情で淡々と話し始めた。
「私が狙っていたのはエリオット様の妻の座よ。でも、今日は黙ってそばにいろと言われただけで、本当に何も知らなかった。マリナード侯爵家にエリオット様の名を騙って手紙を出しただけ。エミリーがエスコートを断られてショックを受ければいいと思って……」
なんと、やはりあの手紙は偽物だった。
エヴァンとショーンの違和感は正しく、エリオットは手紙を寄越すようなまともさなど持ち合わせていなかったようだ。
エミリーは、自分が手紙で少しもダメージを受けなかったことを申し訳なく感じてしまった。
「やっはーっ、私も見られたぞーー!!」
今度こそ自白魔法を間近で見られた魔術師団長は、一転して嬉し涙を流している。
色々忙しない人だ。
「結局、アイツ一人の計画だったみたいだね」
ショーンが魔法を解除すると、エリオットとシシリーヌは目をぱちくりさせている。
そんな二人に王太子のステファンが近付き、怪しく微笑んだ。
「さて、これだけの騒ぎを起こして、どう落とし前をつけるつもりなのかな?罪は重いよ?」
シシリーヌは隣で震え上がるエリオットを睨み付けると、憎々しげに呟いた。
「全部あんたのせいで……こんなバカだとは思わなかった。あんたがこんなことをしでかしたせいで私まで……」
そしてエリオットの胸元を掴むと、思いっきり頬を叩こうとした――ところを、ショーンが止めた。
「お姉さん、コイツを殴るならちょっと待って。――うん、よし!これでいいよ。思いっきりやっちゃって」
ショーンがなぜ一度止めたのか――それはすぐにわかった。
シシリーヌが仕切り直してエリオットを叩いた途端、彼の体は放物線を描き、ホールの窓ガラスを破って外まで飛んでいったからである。
「え?なんで!?」
シシリーヌが自分の手のひらを見つめて驚いたように瞬きを繰り返したが、なんだかスッキリした顔をしていた。
「僕の大事なエミィお姉様を傷付けたんだから、これでも足りないくらいでしょ」
シシリーヌに一瞬だけ力を増幅させる魔法をかけたショーンは、腕を組んで冷ややかに言った。
『この三男だけは敵に回してはいけない』――今宵、皆の心に刻まれた教訓であった。
庭で動けなくなっているエリオットと、憑き物が落ちたかのように大人しくなったシシリーヌを、騎士が連行して出ていくと、ホールは静けさを取り戻した。
「エヴァン、エミィはもちろん婚約破棄するよね?マリナード家側から」
ステファンが確認するかのようにエヴァンに尋ねた。
「だから愛称で呼ぶのはやめてくださいと……当然そうなりますね。この場で破棄したいくらいですが、父が戻り次第ですね」
エヴァンの返答に、『ふむ……』と何か考える素振りをみせた王太子は、急に国王に向き直った。
「陛下、これだけのことをしでかしたのですから、この場で両家の婚約はタウラー家有責での破棄ということにしていただけませんか?」
ステファンの発言の意味がわからず、疑問符を浮かべていたエミリーだったが、国王は何かを察したらしい。
「よし、ただいまをもって、エリオット・タウラーとエミリー・マリナードの婚約は、タウラー家有責のもと破棄されたものとする。エヴァン、侯爵が戻ったら速やかに書類を提出するように」
「はっ。ありがとうございます……?」
聡明なエヴァンでも理解が追い付かないのか、珍しく困惑している。
「では晴れてエミィが自由の身になったということで……」
ステファンは言葉を切ると、エミリーの前までやって来ておもむろに膝を突いた。
「エミリー嬢、私と結婚してください」
「「「はぁぁぁっ!?」」」
三兄弟の声が響き、エミリーはポカンとステファンを見つめることしか出来ない。
国王夫妻だけが全てをわかっているかのように、温かい目で見守っていた。
婚約破棄からのプロポーズ……。
急転直下の展開にエミリーは気持ちが付いていけず、戸惑うばかりだった。
そんなエミリーに、ステファンが優しく問いかけた。
「エミリー嬢……いや、エミィ。僕のことがわからない?昔よくマリナード家に遊びに行っていたんだけどな。髪色を変えて」
エミリーはしげしげと跪くステファンの顔を眺めた。
彼のアメジストのような瞳を見た時、ふと記憶の中に残るある人物が浮かんできた。
「……ステフ様?エヴァンお兄様の親友の……」
「そうだよ!思い出してくれたんだね!!」
立ち上がったステファンにギュッと手を握られたが、エミリーは依然として動揺を隠せない。
そんなエミリーに、種明かしとばかりに説明を始めた。
ステファンは学院でエヴァンと親友になり、変装して侯爵家に出入りしていたそうだ。
「ステフ様がステファン殿下とは知らず、失礼いたしました。でもなぜ私と結婚なんて……」
ショーンが忌々しげにステファンの手をエミリーからどけようとするのを、ジェスが止めもせずむしろ加担し、エヴァンは「もしや私が二人を引き合わせたせいか?」と、青白い顔でブツブツ言っている。
「覚えてないかな?『ステフ様は、お話を聞くのがとってもお上手なのね。しかも耳がいいわ』と君が言ったんだよ。僕はその時、次期国王という立場の重さに潰されそうになっていてね。気晴らしに遊びに行っていたんだ。けれど君の言葉で、僕は様々な人々の声に耳を傾ける国王になろうと思ったんだ。耳がいいならと他国の言語もたくさん学んだ」
確かにステファンは城下の者の話をよく聞き、他国との繋がりも深いと評判であったが、まさかエミリーが関係していたとは……。
しかしだからと言って、すぐに結婚を受け入れる訳にもいかない。
「あの、ありがたいお話ですが、私は一度婚約破棄した傷物ですし、釣り合わないと思います」
聞き捨てならないとばかりに、エヴァンがすかさずエミリーを慰めにはいった。
「エミィ、可愛いエミィに傷なんてありえない。ずっと私達と一緒に暮らせばいいさ――ステフ!急に勝手なことを言うな!!私がエミィを大切にしているとわかっていながらあなたという人は……」
すっかり学生の気安さに戻って文句を言っているエヴァンに、ステファンは嬉しそうにしている。
「こうなったら不正を偽造して、ステフを国外追放に……」
「俺が護衛と見せかけて斬ろうか?」
「僕が魔法で燃やすってば」
「もうっ!!馬鹿なことを言うのはやめてください!不敬罪ですよ!!」
すっかり取り乱して王族に対してあるまじき発言をするシスコン三兄弟に、とうとうエミリーの雷が落ちた。
一斉にシュンと肩を落とす三人を見て、最強はエミリーだったのかと周囲は考えを改めていた。
「エミィ、僕と結婚するのは嫌?僕が嫌い?」
「えーと、決して嫌いとかではないのですが、突然ですし……」
「わかった。確かに突然だったよね。じゃあ、とりあえず僕のことは兄だと思って気軽に接してみてよ」
「「「「は?」」」」
マリナード家四人の声がハモり、エヴァンが真っ先に噛み付いた。
「なに意味不明なことを!勝手に兄を増やさないでください!!」
「えー?とりあえずだよ。僕も前まではエミィを妹みたいに可愛いと思っていたし、思いっきり甘やかしてみたかったんだよね」
ステファンの言葉にエミリーの顔は真っ赤に染まる。
「殿下、兄になるのでしたら、結婚はしなくてもよいのでは?」
ジェスの提案にショーンが頷いたが……。
「兄もいいけど、最終的にはエミィを独占したいからそれは無理」
絶対にエミリーと結婚は出来ない三兄弟は憤慨したのだが、「僕と結婚したら三人とも職場でもエミィと会えるのになぁ」というステファンの台詞に、心が揺れ出したのだった。
◆◆◆
夜会の騒動の後。
マリナード家は一気に騒々しくなった。
「殿下!エミィに会いたいからといって、うちを執務室がわりに使わないでください!!」
「そんなこと言って、エヴァンもエミィのそばで仕事が出来て嬉しいだろう?あ、エミィ!今日はタルトを持ってきたよ。あとで僕の膝の上で食べさせてあげるね」
「殿下、それ以上エミィに近付かないでください。っていうか、なんで俺は護衛なのに毎日実家にいるんだよ……」
ステファン殿下は側近のエヴァンと近衛騎士のジェスを伴って、なぜかマリナード家で仕事をするようになっていた。
「あら、今日はタルトですって。エミリー好きよね」
「エミリーは甘いものなら大抵好きだけれど、愛されてて羨ましいわ」
クスクス笑いながら揶揄うのはセレスとアリアーナである。
夜会でポンコツからエミリーを守ろうとした彼女らは、三兄弟から感謝され、放課後学院帰りにマリナード家に立ち寄るのが日課となっていた。
セレスはジェスを、アリアーナはエヴァンを密かに想っているのに気付いたエミリーは、二組の恋が成就するのを願っているところである。
「僕の可愛いエミィ、そろそろ婚約したくなった?」
「ステフ様、それはまだ……」
「ちぇっ、まだ兄貴止まりかー」
いつの間にかシスコン四兄弟となってしまったマリナード家。
「ちょっと、なんでこんなに人が多いんだよ!僕とエミィお姉様の時間を邪魔しないでよね!!」
ショーンの叫び声が今日も虚しく響き渡っていた。
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