秘密の揺らぎとコンロ焼き肉
私には少し『欠落』しているところがある。
「先輩の家ってぇ……化け物屋敷なんですか?」
後ろからそんな呑気な声が聞こえたのは、退社時間の10分前。
密かに帰宅の用意をはじめていた私は、ぽかんと口を開く羽目になる。
「え、なんて?」
「バカっ! 井口、お前っ」
振り返ろうとした瞬間、同僚が私の前に滑り込んだ。
私の視界を遮ったつもりなのかもしれないが、彼の動きのせいで隠したいものが丸見えだ。
「これ。東京の営業所の、ボンから、嫌なメール」
同僚の背中から、ひょっこりと女の子が顔をのぞかせる……後輩の、井口さんだ。
彼女は邪魔な同僚の体を押しのけて、ノートパソコンの画面を私に差し向ける。
「一斉メールなのに、先輩だけ外されてんのムカつくんだもん」
「井口、お前、やめろって」
「なんでですか。あたし、コソコソ隠すの、だーいっきらい。ホウレンソウ大事にしろっていっつも言うじゃないですか」
メールソフトの一番上。私には届いていない一斉メールが新着マークと共に光っている。
つい、興味をそそられて私は前のめりになった。
……送り主は、本社の先輩。コネ入社の噂があるせいか、影で”ボン”と呼ばれていることだけは知っている。
「あいつ、自分が転勤したいけどノーリョクブソクでさせてもらえないから、転勤した人のあら捜ししていちいちメール送ってくるんですよね」
井口さんの声は大きく、退勤間近の社内によく響いた。憐れむような、同情するようなそんな視線が突き刺さる。
「お化け屋敷……って?」
井口さんの尖った爪先が、器用にマウスを操作する。メールに貼られたリンクを踏めば……画面は奇妙なオカルトサイトに飛ばされた。
「お化け屋敷じゃなくって、化け物屋敷ですよ」
薄暗い画面に、赤い文字が踊る。
まことしやかに流れる噂があるという……神社の隣、築60年の日本家屋、雑草まみれの庭、何より見慣れたその住所。
そこの家は、化け物なのだと記事は煽る。
「人を食べる家……?」
私は眉を寄せて、食い入るように画面を見つめた。
人を食べる。人が死んだ。奇妙な死に方をする。
大きな文字の下、差し込まれた写真はたしかに私の……マヨヒガさんの家。
加工のせいで、妙に恐ろしく写っている。本物は綺麗なのに、と私は悔しさに足踏みしそうになった。
門柱の塗装が剥げているので、これは私が入る前に撮ったものだろう。
(ちゃんとここ、夏の前に塗り直したもん。今はもっときれいなのに……)
色が落ち、ドロのついた門は恐ろしさより悲しさが勝つ。
(やだなあ。マヨヒガさんの汚れてるときの写真が流出するの……ああ、でも門の下の汚れ、ここはそのままになってたかも)
渋い赤色の門柱と、レトロなアーチ型の門。ぼかされた写真は、まるで犯罪者のような扱いだ。
(今度の週末、門の下の所もちゃんと掃除しよ。うん。やっぱり雑草も抜こう……門のあたりはマヨヒガさんの目が届かないから、ついつい後回しにしちゃうのは良くなかったな)
「ボン、先輩の住所調べて、この噂にたどり着いたって」
口を、イーッの形にして井口さんが私を見上げた。
私が身じろぎもしないので、悲しんでいるとでも思ったのだろう。井口さんは眉を寄せて私の肩を突く。
「先輩、法務部のメールアドレスいります?」
「……え? あ、いいよ、いいよ」
気がつけば、周囲に人だかりができている。主任も課長も同僚も、心配そうに私を見ている。
じっと画面を見つめる私は、さぞ不安そうに見えただろう。実際は、掃除の計画を立てていただけなのだが。
「えーっと……」
おやおやこれはオオゴトだぞ。と私は慌てて表情を曇らせる演技をした。
「大丈夫です。私ほら……霊感とかないですし、今の家、すっごく広くて住心地もよくて本当、気に入ってて……それに」
「それに?」
「うん、そう、気に入ってるんです」
……マヨヒガさんもいるし。と、私は心の中だけで追加する。
マヨヒガさんの声を、家鳴りを、思い出すだけで胸の奥がすん、と落ち着くのがわかった。
「何言ってるの。本社に注意入れとくわね。女の子のひとり暮らしなのに、個人情報の漏洩もいいとこよ」
いつもは福福と恵比寿様のような主任が、しぼんだきゅうりのような顔をしてノートパソコンを閉じた。
最後に見えた文字は「ここでは何人もの人間が憑かれて殺されて」という物騒な文字だ。
それを見て、私は恐怖より先に怒りを覚えた。
(……憑かれて?)
やがて、チリチリバラバラと皆が退勤を始めていく。スーツ姿の集団をぼんやり眺めながら、私はこの珍しい感情を持て余した。
(マヨヒガさんが? 人に危害を?)
胸のあたりをくっと締め付ける、ああこれは怒りなのだ……などと久々に気がつく。
だから私はカバンを抱きしめて、無意識のうちに井口さんに声をかけていた。
「ねえ井口さんって、嫌なことがあったとき、どうする?」
「んー……お肉かな」
椅子で一回転して、彼女は大きな瞳で私を見上げる。
「ハンバーグとかソーセージじゃだめですよ。ちゃんと肉。んで、煮るんじゃなくって焼くんです。肉って何か幸せ成分を持ってるんですって」
「焼く……お肉。んー……煙くなっちゃうかな。台所、匂いが籠もっちゃうかも……でも、確かに焼いたお肉って美味しいし……」
「先輩の不機嫌顔、初めてみました」
爪の先を噛む私を見て、井口さんが楽しそうに笑った。
「珍しく、ちょっと怒ったでしょ。ボン、ムカつきますもんね」
ボン、の響きを聞いて私は慌てて大きく頷く。
「あ、うん。そうだね。そう、ムカつく」
私が頷くと同時に、古いエアコンが大きな音を立てて、動作を止めた。壊れかけたエアコンに気を取られたせいで、皆、私の焦った顔には気づかなかったはずだ。
「じゃ……じゃあ、帰るね。ありがと。お疲れ様でした」
皆が私のことを忘れた瞬間を狙い、私は狭苦しい事務所から飛び出す。
外は残暑差し迫る夕暮れの色。日が落ちるのが早くなり、茜色の日差しが狭い階段を黄金色に染めている。
夕日の絨毯を踏んで私はようやくビルの外に足を踏み出した。その途端、酔っ払いが私にぶつかり、罵声を上げる。連れの男性が慌てて私に謝り、雑踏に消えていく。
それを聞いても、肩がちくりと痛んでも、私の心には波風一つ立たない。
そうだ。私には『欠陥』がある。
……それは、感情の欠如である。
昔から愛想笑いは得意な方だ。人の話を聞くのは得意なので、おかげで営業は天職だ。
悲しむべきタイミングも、怒るべきタイミングも、理解している。それは経験の中で学んできた。
ただそれはあくまでもわかるだけで、感情は伴わない。いつも私の心は凪いでいる。
私が最後に悲しんだのは、10代の最後。祖母の死だ。そして祖母の家を失ったときだ。
あの瞬間、私の中でとうとう感情のレバーが壊れてしまった。
短期間お付き合いした男性に「どうしていつまでも他人行儀なのか」と泣きながら別れを告げられた。
次の恋人も、別の友人にも。少し長く付き合うと、私の浅はかな演技がバレてしまう。「僕では君を救えない」ドラマチックなセリフとともに去っていった男性もいた。
そうして、そんな何十人もの邂逅を経て、ようやく私は気がついたのだ。
私は、例えるなら小さな箱の中で生きている。
怒りも悲しみも喜びも、すべて箱の外で起きている。だから私は悲しみも喜びも怒りもしない。
しかし。そんな私が5ヶ月前、久しぶりに恐怖を感じた。
マヨヒガさんに出会ったときだ。
そして、喜びと楽しさを知った。マヨヒガさんと話ができたときだ。
久々に怒ったのはつい先程、マヨヒガさんを中傷する記事をみたときだ。
不思議なもので、マヨヒガさんに出会えて私は自分を覆う箱からようやく足を踏み出すことができた。
人ではないマヨヒガさんが、私を箱から出したのだ。
それはきっと、奇跡だった。
(……色々考えたせいでお腹、すいちゃった)
バスを出て1分。角を曲がって神社の鳥居の前を通り過ぎれば、その先が、我が家だ。マヨヒガさんだ。
(今日はお肉にしよう。冷凍のお肉と、えっと、焼き肉のタレもあったし、でも匂いがついちゃうかなあ……蓋をして焼けば、ちょっとはましかな。窓も開けて……)
空腹をこらえ、私は息を吐く。一秒でも早くマヨヒガさんの声を聞きたい。そう考えて、足に力が入る……が、途端、人にぶつかって私は慌てて顔をあげた。
ぷん、と甘い香が匂う。その人は、上品な着物に身をまとわせた、老婦人だった。
「あ……すみません、うちの家に何かご用でした……か」
この先には神社と我が家しかない。滅多に人の通らないこの場所に着物姿の女性は異質だった。
ぼんやりと道の真ん中に立っていたと思われる彼女は、私の声で初めて気づいたのだろう。驚くように目を丸め、私を見つめる。
「あら、あなた。もしかして、この家に住んでいらっしゃるの?」
彼女が指し示したのは、道の奥……マヨヒガさんだ。
彼女は優しい笑みで私を見つめる。
「ここの……ご家族の方?」
「いえ、あの、借りていて……」
ああ、賃貸にしたのね。と、彼女は、つぶやき少しだけせつなそうな顔をした。
「……ごめんなさいね。ここ、私のお友達の家だったものだから。近くを通りかかったので、懐かしくて覗きに来てしまったの」
彼女の言葉に私の心臓が、大きく跳ねる。動揺なんて滅多にしなかった体に、汗が流れる。
しかし老婦人はそれに気づかない顔で、暑そうに手で顔を扇いだ。
「だからこんなに綺麗なのね。もうすっかり潰されて……新しい家でも建ってると思ったものだから、昔のまま残っていてすごくびっくりしたのよ」
彼女は目を細め家を見上げる。夕日の落ちた紺碧の空に、赤茶けた屋根がぼうっと浮んでいた。マヨヒガさんは静かにそこに立っている。
「残してもらえて、すごく喜んでると思うの、彼女はここが大好きだったから」
彼女はそう言って、目尻を指先で拭った。
「ごめんなさいね。綺麗に使ってくださってるのを見て、嬉しくて」
門の外はマヨヒガさんの視線の範囲外だ。
マヨヒガさんはきっと、見られていることにも、こんな会話が繰り広げられていることにも気づいていないだろう。
「彼女はね、家を大事に使っていたから……それはもう綺麗に使っていてね。うちの人が魚釣りが趣味だったから、時折、魚を差し入れに来たの。でもねえ、焼き魚は絶対にしないのよ。なぜだと思う? 家が煙がるでしょ。って……ね、変わってるでしょう」
「あの、その方は、どこに」
「色々……そうね、色々あったわ。それで、ここを手放して……本人は引っ越しをして、そこで亡くなった」
彼女は皺の寄った瞳を閉じる。
「今でもあの人が、そこの玄関を開けて、出てきそうな気がする」
私の手からカバンが落ちた。存外大きな音に驚いて、彼女が目を丸める。私は愛想笑いも忘れて、慌てて頭を下げた。
……私の前にも住人がいた事くらい、分かっていたはずだ。それなのに、私の知らない過去が垣間見えたせいでこんなにも動揺している。
「門柱も塗ってくれたのね。あの人、ここを気にしてたから。腰が悪いから手が届かないって悲しんでて……代わりにお礼を言うわ。本当に、ありがとう」
「気づく範囲、どこでも綺麗にします」
まだ手入れが行き届かない門柱の下。そこを足元で隠して私はうつむく。
「今は、私の……家だから……あ、もちろん、賃貸ですけど、でも」
「でもねえ……あの人がいないのに、家はそのままというのは悲しいわね」
彼女は濡れた目で家を見つめた。
「人は死ぬから寂しいわ。家もいつかは潰れるんでしょうけど、人よりずっと長生きだもの。人ばっかり置いていかれちゃう」
雲が割れ、名残の夕日が差し込んだ。彼女はまぶしそうに顔を手で隠すと、私に小さく頭を下げて背を向ける。
その藤色の着物だけが、いつまでも私の目の奥に残り続けた。
「今日は、焼き肉、です!」
パン、と手を打ち鳴らして私はコンロの上に分厚い鉄のフライパンを置く。ガン、という音に驚くようにマヨヒガさんがかすかに揺れた。
「……メイ?」
「ちょっと煙くなるけど、いいよね。これからは焼き肉も焼き魚も、全部ぜんぶ一緒に食べよう」
私はビニールの袋から分厚い肉を取り出し、息を吸い込んだ。
「マヨヒガさんの知らない味、私がいっぱい作るから」
あの藤色の着物を見送った後、私はなにかの衝動に押されて、スーパーへ駆け出したのだ。
買ってきたのは、味付けされたパックの焼き肉と、鶏肉と、カボチャに玉ねぎ、人参。
「まず、野菜は大きめに切って……おっと、その間にお肉を、フライパンで、焼く」
コンロの横に椅子を引きずり、私はその上に陣取った。
「机では食べないのか?」
「コンロ前だと、焼きたてで食べられるでしょ」
おろおろとするマヨヒガさんがかわいくて、私は苦笑する。
(コンロの前で焼き肉をするなんて、おばあちゃんが知ったら怒るかも)
祖母はきれい好きな人間だった。曲がったことも、間違ったことも嫌いだ。
コンロの前、フライパンから食べるだなんて、知ったら怒るだろうか。案外、合理的なので喜ぶかもしれない。
(コンロ焼き肉より先に……マヨヒガさんのことを知ったら……?)
じゅ、と脂が散る。腕にちりり、と痛みが走る。
肝が据わっていた祖母は、応援してくれるかもしれない。親戚のお年寄りたちは、きっと不気味がって反対するだろうけれど……一口で年寄りといっても、その性格は様々だ。
(……着物の人のお友達……ご年配の人、どんな人だろう)
祖母や親戚の顔は段々と、見知らぬ年配の女性の顔に塗り替えられた。
優しそうで、頑なで、腰が悪くて……この家が大好きだった。
「メイ、焦げるぞ」
マヨヒガさんの声に私は慌てて顔を上げる
大きなフライパンはあっという間に熱が広がる。少し目を離したすきに、肉はこんがりと焦げ色をつけていた。ひっくり返せば脂と煙を撒き散らす。
「……よし、いい焦げ色」
片手でビールのプルトップをこじ開けて、黄金色のそれを一口含む。苦くなった口の中に、熱々の焼き肉を放り込むとぱっと目の前が明るくなった気がした。
「今日は遅かったな。一回、戻ってきた気配はあったのに」
「食べ物を買いに行ったの。焼き肉を食べたくって……それと、明日、魚を焼こうと思って……」
机の上に乱雑に並んでいるのは、鶏肉、豚肉、まるまる太ったアジ。
自分の勢いを恥じるように、私はもう一枚の肉をフライパンに置く。じゅ、じゅ、じゅ、と音を立てて白い煙が部屋の中いっぱいに充満する。
宙に舞う煙を見上げて、私は赤面した。
……けして家を汚さなかった前住人。家が煙がると言った前住人。
きっとこの風景を見れば、眉を寄せるに違いない。
(だって、その人も、マヨヒガさんを……知ってた)
それが悔しく切なく、堪らない。その気持ちが、こんな子供みたいな衝動に走らせた。
焼けたお肉を口の中いっぱいに頬張ると、喉が鳴る。口の中がちりりと焼け焦げて、噛みしめると鼻の先に甘い香りが駆け抜けて、私はきゅっと目をつむる。
「……美味しい」
「メイがいっぱい食べるのは、良いな。でも酔っ払うのは、控えめに」
「お婆ちゃんみたいなこと言うんだね」
ねえ、マヨヒガさんの前の住人は、どんな人だったの。
その一言をビールの泡で流し込み、私は首を振る。
フライパンの中には、肉と野菜が並んだ。
煙と水蒸気と美味しい香りが真っ白になって家中を覆い尽くす。マヨヒガさんは煙いなんて文句は言わない。幸せそうに家鳴りを起こす。
そこにいなくても、私と並んで食べている……そんな気持ちになる。
冷たいビールの缶を額に押し付けて、私は目を閉じる。
「……マヨヒガさんは何を食べて生きてるんだろう」
「メイの笑顔」
迷わず放たれた言葉に、私は照れた。
「あ、ほんとだ」
「メイ?」
「お肉を食べると、嫌なこととか色々忘れられるかも」
「……嫌なこと? 何か、あったか」
マヨヒガさんの声が珍しく低くなる。彼にも感情のゆらぎがあるのだ。それを知り、私の箸が止まった。
「ちょっと会社で……でももう平気」
「メイが嫌な気持ちになると、私は悲しい。何もできないのは、もっと悲しい」
腕がないから、抱きしめられない……そんなマヨヒガさんの声が蘇る。顔が急に熱くなる。
(……きっと、コンロの前で座っていたからだ)
心臓が跳ねるのも、焦って頭が真っ白になるのも、泣きそうになるのも久しぶりの感情過ぎて、今の私には負荷が高すぎる。
通り過ぎていった恋人たちがこんな私を見れば、怒るのだろうか。悲しむのか……気持ち悪いと詰るだろうか。
「あ……そうだ……っと」
私は慌てて椅子から飛び降りた。
「メイ、どうした……」
「窓、開けよう。煙いよね」
ああ、私には感情が芽生えたのだ。あのとき、壊れた感情が、蘇ったのだ。欠陥が、治ったのだ。
……そう、嬉しくなったのは、ほんの一瞬だけ。
「……え?」
ガタつく窓を開けた途端、私はひゅっと息を呑む。
白い煙が流れていくその先に……人がいる。
それは、着崩した制服に、髪は金髪。メイクはまるで周囲を警戒するように色彩が濃い。
強い視線に睨みつけられ、私は窓枠をつかんだまま固まるはめになる。
彼女が立っているのは窓の外。そこは庭で我が家の敷地だ。門を越え、庭を踏み越えなければ到達できない場所である。
私と目があっても彼女はまるで動じずに、ただ煙がるように咳き込んだ。
「ね、あんた、ここに住んでんの?」
彼女が発したのは、乱雑な一言。
吐き捨てるようにそう言って、彼女はきゅっと唇を尖らせる。
「住人?」
「……どちら様……ですか」
「何年?」
「え?」
「だから、何年住んでんの、って聞いてんの」
「……まだ……5ヶ月くらい……かな」
間抜けな格好のまま、私は答える。彼女は少し驚くように目を見開き、やがて舌打ちをした。
「……気をつけたほうがいいよ」
彼女はポケットに手を突っ込んだまま、踵を返す。
伸び切った雑草がむき出しの足を傷つけるが、彼女は気にせず庭を横切っていく。
「ちょ、あなた」
シャン、とどこかで音が聞こえた。隣の神社に参拝客が来たのだ。そちらに気を取られているうちに、彼女はもう庭の向こう。門の横に立っている。
影はあるので、生きた人間だ。
そしてこれまでの経験上……生きた人間が、一番怖い。
「あんたさあ」
謎の女子高生の声は、よく響いた。
「ここに住むと、食われるよ」
嫌な言葉ほど、よく聞こえる。
「この家、バケモンだから」
その声は、夜の静寂を割るように響いた。