元伝承「虹はなぜ消えるか」 解説
「虹はなぜ消えるか」
むかしむかし、小鬼の天邪鬼がぶらぶらそこらをうろついておりました。みなさんごぞんじのようになんでも人と反対のする性分の人を≪あまのじゃく≫とよぶのは、人間の目には見えたり見えなかったりするわがままな鬼の性分に似ているというつもりなのです。それほど天邪鬼は人とは反対の事が好きで人が白といえば黒、右といえば左というように、ひねくれ者でした。
その天邪鬼がぶらぶら歩いていますと、東の方の村のこどもたちが、次のような歌を歌っていました。
お晩が紅さした、夕やけ小やけの紅さした
父と母に言うてやろ
あしたァ天気、いわしぐも
天邪鬼はこれをきいて「なんだと、お晩が紅さしたから明日は天気だと。だれがそんなこと決めたんだ。よし、雨の神のところへ行って、明日は雨を降らしてやろう」
それを聞いて天邪鬼は空へのぼって雨の神に会い、明日は雨を降らせてくれとたのみました。雨の神はせっかくあすも一休みとおもっていたところを天邪鬼に頼まれて迷惑しましたが天邪鬼のいうこときいてやらぬとどんな仕返しをされるかわかりませんので、よんどこなく雨を降らせることを承知しました。そして明日の夕立の相談に風の神や雷神にすぐ来てくれと使いを出しました。
急に空もようが変になってきたので村の子供たちは、今度は気を変えて別の歌を歌い始めました。
雨がこんこん降ってこう
蓑と傘と呼ばれ
雨こんこんふってこう
かわいたたんぼにいっぱいなあ
夕立朝立降ってこう
川の岸をあらってこう
カエルが行水まっている
天からたらいで水あけろ
これを聞いてかんかんに怒った天邪鬼は今度は急いで日照り神のところへとんでいきました。東が照って、西が降ったり、南が照って、北が降ったり、照ったり、降ったりの片てり日でりで干し物を出したり入れたり、みんな大騒ぎでした。天邪鬼はおもしろそうにみんなのさわぐのを見ていましたが、ふと染物屋の少女がつぎのような歌を歌っているのを聞きつけました。
片てり日でり
虹の橋のかけた
山から山へ
虹の橋かけた
あしたは天気になるであろ
片てり日でり
虹の橋かけた
川から川へ
虹の橋かけた
あしたは大雨ふるであろ
天邪鬼は怒り声で少女にむかい、「天気か雨かお前はどっちがいいんだ」と、聞きました。少女はにこにこして、
「あなたは天邪鬼さんね、いくらえらいあなたでも染物屋にはなれないでしょう」といいました。
「おれに染物屋ができないって。そんなことがあるものか」と天邪鬼は怒りました。すると少女は「ではあそこに出ている虹帯から七色の染め粉をとってごらんなさいな」と、からかい顔でいいました。
天邪鬼はよろしいとばかりに、すぐに虹姫のところへのぼっていって、
「やあ虹姫、おれに虹の帯の染め粉をゆずってくれ」とたのみ、やっとのことで染め粉を手に入れたのですが、うっかりするとその粉は消えてしまいそうです。それをやっとのことで持って下りてくると、
「さあこれから帯を一本、七色に染めて、さて山から山へ干そうか、川から川へ干そうか」
すると少女が歌いだしました。
山から山へ虹の帯ほしたら
あしたは天気になるであろ
川から川へ虹の帯ほしたら
あしたは雨がふるであろ
これをきいた天邪鬼は「そんなはっきりしないことはいやだ」と言って怒って帰ってしまいました。それで虹の帯は虹姫さんが干しても、じきにいじのわるい天邪鬼に消されてしまうのだと言われています。
藤澤衞彦 「日本の民話 四国編」グーテンベルク21 2009年 「虹はなぜ消えるか」より
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まず分かることはこの天邪鬼は雨の神や風神、雷神よりも偉い神であるという点である。少女も「「あなたは天邪鬼さんね、いくらえらいあなたでも……」と言ってるほどなので人間でも天邪鬼の権威を分かっているということである。天邪鬼と聞くと小鬼というイメージがあるが全く違う。壱岐の天邪鬼は冬をもたらした一種の神であるし、天邪鬼がだいだらぼっちになって国づくりをすることもある。したがってこの天邪鬼も国づくりを行った一種の神であることが分かる。「天邪鬼のいうこときいてやらぬとどんな仕返しをされるかわかりませんので」とあるくらいであり、権力を持ってる天候神であることが分かる。
まして雷神は道真の例でも分かる通り位の高い神であり同時に鬼神でもある。そんな鬼神よりももっと立場が上の神だったということになる。天邪鬼は神道では天逆神という国津神が祖先であるからまだ天邪鬼が零落する前の姿を留めたままでこの民話は伝わっているという事である。
日照り神も天邪鬼の配下である。「日照り」という部分がポイントであり太陽神の天照などではないことが分かる。そして日照り神を配下にするくらいなのだから天邪鬼は禍神でもあり国津神であることもわかる。
虹姫から染粉をもらっているという事は虹姫も配下であり、しかも天邪鬼は本当は虹を消すだけでなく虹を作る側にもなるということをこの物語は示している。
今の現代に生きる我々の感覚と違い、虹というのは現世と異界の狭間に出来るものである。ゆえに吉兆を占うということを行ったようである。つまり「凶事」の可能性もあるということで虹は決して歓迎されたものではない。それどころか異世界から虹を通じて妖がやって来るのかもしれないのである。
次に少年が歌っている歌詞を見る。
「あしたァ天気、いわしぐも」
これは変である。いわし雲というのはたしかに夕焼けになると綺麗な雲であるが、天気が急変する前触れなのである。別名「うろこ雲」である。この歌の通りにしたら大変な目に会う。天気予報の無い時代雲や風を読む力は生きる上で最低条件とも言ってよく、少年たちがいわし雲の意味を分かっていないという点は注目に値する。実はこの歌の後には続きがあるのではないか?実は間違ってましたなどといった歌詞が。それはともかく2020年の今となってはこの歌がどのようなメロディーをもって歌われていたのか不明である。もし完全に消え去ってしまった歌であるならば、この解説を機会に復活を願いたい。
執筆者の藤沢衛彦氏は「民話が示すアマノジャクの系類」という論文を1956年に執筆している。(藤沢衛彦「民話が示すアマノジャクの系類」『文学』 24(11)、岩波書店、1956より)論文データベースを見る限り童謡や民謡を終戦直後から研究していた模様である。
最後に、この天邪鬼は少女に「からかい顔で」言われるくらいなので威張っているもののユーモラスな存在であり、同時にフレンドリーな存在であることが分かる。どうかこのような民話が香川県で末永く大事に伝承されることを願いたい。故郷の記録は消してはならない。




