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瓜子姫と天邪鬼の冒険譚  作者: らんた
瓜子姫と天邪鬼の冒険
7/122

解説

一.チャタテ

 チャタテとは秋田に伝わる天邪鬼で元々はチャタテ虫の事です。横手市の天邪鬼は子守をして子供を泣かせないという伝承から子供たちを守る鬼として本作は登場しました。秋田伝承の天邪鬼の名前ですが福島県を舞台にした創作童話であっても拙著はチャタテを登場させました。天邪鬼という存在は「邪鬼」の名に反して実は人間の守護者だったという事を知ってほしいという意味で筆を執ったからです。


二.毘沙門天

 天邪鬼は四天王に踏まれていますが本当は踏まれているわけじゃありません。特に毘沙門天を支える天邪鬼が多いことで有名です。


三.鬼穴

 坂上田村麻呂と戦って「鬼」として滅せられた大多鬼丸が自刃した鬼穴というものが本当にあってあぶくま入洞とつながっています。本作は大多鬼丸こそ登場させませんでしたが鬼の隠れ場、魔法の石の採掘場として登場させてました。


四.柿の実

 実は天邪鬼は柿の実がなっている樹に昇って、瓜子姫に柿の実をぶつけて気絶させるという説話が散見されます。本作品では瓜子姫ではなく鬼面をかぶった敵に柿の実に仕込んだ爆発の術で敵を倒しています。


五.カラス

 本来の瓜子姫は天邪鬼に殺されたときにカラスに転生して成り代わった天邪鬼に真実を伝えます。スズメの場合もあります。この場合天邪鬼はほとんどが人間に殺されます。ただし逃亡する時もございます。


六.時代背景

 本作品は磐城平藩が相馬側に着くか佐竹側に着くかで迷っていた戦国時代となっています。したがって物語の最後に出る阿賀(新潟県)の毘沙門信仰も「越後の虎」と呼ばれた上杉謙信の影響から生まれたものです。

 高倉山城跡というものが広野町にあるのですが1474(文明6)年に作られました。岩城氏と相馬氏の奪い合いとなっておりました。岩城は佐竹という茨城の勢力に付くかつかないかでももめていたので陰謀が渦巻く状態だったのです。その高倉山城のさらに高い位置にチャタテらが新しい拠点として作った五社山があったのです。


七.チャタテの正体


 実はチャタテ、伊達の忍です。福島市の近所には伊達市がありここが伊達氏ゆかりの地です。つまりチャタテが仕えていた領主とは実は伊達家第十七代当主伊達政宗です。本人は瓜子姫に一言も話していませんでしたが。なお政宗は相馬藩との戦いで初陣を飾るほどの敵対国家です。しかしチャタテの忍の村全員が伊達氏に仕えたわけではなくWスパイを行っていた鬼にして忍が居たという事です。それがコチャテだったのです。コチャテは上杉側の忍でした。


八.元伝承


 本作品はチャタテの部分を除いて一番オーソドックスな「瓜子姫伝承」を基にしています。


 『婆が川で瓜を拾って持ち替えり絵の中で爺といっしょに食べようとすると瓜の中から女の子が生まれる。これが瓜子姫です。姫は成長して機織りが上手になる。評判が良く嫁入りが近づいたとき、天邪鬼がきて、姫をだまして家から外に出し、瓜子姫を木に縛り付け、姫に化けるのです。なぜ天邪鬼がそんなことしたのかというと恐らく貧困と嫉妬からでしょう。偽瓜子姫である天邪鬼は嫁入りの途中、木の上から「天邪鬼が嫁に行く」という声がしたので人間達は邪鬼を殺し樹につるされた姫が助け出され無事に嫁入りする』


 という話を創作しかつ瓜子姫と天邪鬼は友情関係にあったということにした冒険物語としてこのマイナー民話を普及させようとしたのが本作品群の最初の創作となりました。

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