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9 男装令嬢は婚約を破棄する

婚約破棄ですが、悪役令嬢的な婚約破棄とちょっと違います。

でも、ちゃんと婚約破棄します。

 前線に行きたがって駄々をこねる副団長エドムントの世話を焼きつつ、いつも通りに訓練と書類整理に没頭する日が戻って来た。


 ディートの宿舎軟禁が解けた頃、エドムントが苦虫を嚙み潰したような顔で執務室に来て、非常に悔し気に教えてくれた。

「お前の従姉の、ああ、なんだっけ、アンナマリーだったか?釈放されちまった」

 意外とディートの衝撃は少なかった。名前が違うのは面倒なので無視した。


「で、なんでかっていうと、前線に遠征に出る前に実は還俗の申請を実家で出してたんだが、『神殿側の処理漏れ』ということで、遡って還俗が認められちまったんだと。神殿側は文書管理の人間が一人更迭で御仕舞いというわけだ」

 ここでもアールスマイヤー家は罪を被るつもりはないようだ。気の毒なのは神殿側の更迭された人だった。

 恐らく相当な金銭が動いているのだろうが、アンネの面倒を看た上でこの扱いでは、さぞ胃を痛めたことだろう。

 まあ、アンネを追い払えただけでも、かなりの苦痛が減ったとは思うが。


「そういう訳で、お前への暴行は『免罪』になっちまったよ」

 「免罪」は、あまり風聞が良くないため、そうそう乱発するものでもないが、この決定の速さから手慣れた感があった。ここにも少なくはない金額が動いているはずだ。

 エドムントの悔し気な態度は、すべてディートに対する罪を償わせることが出来なかったことへのものだった。

 確かにアンネの処遇については思うところが無いわけではないが、エドムントのその気持ちだけでも救われる想いだった。


「まあ、気持ち的にはアールスマイヤーを焼き討ちしたいとこだが、これでしばらくお前には手出ししてこないだろうな。いくら何でも外聞が悪すぎる」

 同意したいとはいえ、過激なエドムントの感想はともかく、アールスマイヤー家に関わらないことが、一番ディートにとっては喜ばしいことだった。

 あとは、ギルベルトの帰還を待って、陞爵の準備とお祝いをして、日常を取り戻すだけだ。


 団では、ディートの事情を公にしたが、表向きは変わらず「ディートリヒ」として扱われることとなった。

 ただ少し、隊員たちが余所余所しくなった気がして落ち込んでいたが、「男の純情ってやつだから、目を瞑ってやってくれ」とエドムントに言われて、それが照れからくるものということを察して、言う通りに目を瞑った。


 あまりに順調に物事が進んでいたので、ディートも団側も気を抜いていた。

 後、2日でギルベルトが帰還するといったところで、突然その話は舞い込んできたのだ。



「私の婚約者、ですか?」


 自分でも素っ頓狂な声を上げたと自覚しているが、それを上回る衝撃にディートは礼儀も飛ばしてエドムントに聞き返した。

「結婚の準備に入るから、お前を返せって連絡が来たってさ」


 青天の霹靂とは、まさにこのことかと思う。


「私の婚約者って誰なんですか?そもそも性別はどっちなのでしょうか」

「やっぱりそうだよなぁ」

 おかしな話の流れだが、事実なのでこんな確認の仕方しかできない。生まれてこの方、「ディートの婚約者」なる生き物にディートは会った事がなかった。余所さまの婚約者には学園時代から様々に会ったことがあるのでどういうものかは知ってはいるが、自分にそんなものがいるとはついぞ知らなかったのだ。


 恐らくこの婚約とやらも、お得意の「遡及」を使ったのだろう。


 貴族の婚約はある意味商売の契約みたいなもので、王家や侯爵以上の直系の婚約以外は、いちいち届け出の必要がない。ただし結婚については、血統や軍事力の均衡などを調整するため、貴族録に記載のある人間は須らく国王の承認が必要であった。

 だから、ディートの婚約者は捏造できても、「結婚」となると当事者が揃って王へ裁可を仰がねばならないので、本人が必要になるのだ、とは分かるのだが。


「こう言っちゃなんだが、お前の一族って、お前を大事にしないくせに気持ち悪いくらい執着してるよな」

 ディートもそれが一番気になっていた。


 アンネの事情があるのは分かる。ディートがいなければ何もできないのだ。おそらく、アンネが聖女として認められるために、今になってディートの「補助」が有用であることを知って取り戻そうと思っているのだろう。

 だが、それが「結婚」とどう結びつくのかがまったく分からない。


「取りあえずは、国の大事である魔物討伐以上の急務はないってことで、面会も断ったんだけど。なんか、その婚約者様ご本人が、もう領地を出発してこっちに向かってるらしいんだよ」

 なんと、ご本人の登場があるらしい。

「……会います」

「まあ、そう言うと思った。お前が絶対に嫌だと言えば、強権を発動して団長を迎えに行ってもらおうと思ったけど、一度はっきりと決別の意思を見せとくのも悪い事じゃないと思うぜ」


 エドムントの言う通りだと思った。ディートは一度も自分の意思を伝えたことがなかったのだ。言わせてもらえない状況だったのは事実だが、少なくとも成人してからならその機会は十分にあったのだ。

 だから、その権利を取り戻そうと思った。


 アンネにははっきりと伝えることが出来た。アンネより伯爵の方が恐ろしいが、独りではない今ならきっと、自分の言葉で拒絶することが出来ると思えた。


「ちなみに、いつですか?」

「ああ、明日だな」

「そうですか」

 あちらはどうしても「英雄」のいない隙を狙いたいらしい。


「心配すんな。俺が明日は付き添う」

「でも、私事に団を巻き込むことは……」

「あぁん?先に向こうが騎士団に喧嘩売って来たんだ。もうお前一人のことじゃねぇよ」

 エドムントのガラの悪い返しに、そうだったと思い出す。あろうことか騎士団にディートを「返せ」と言ってきたと聞いたのを。


「まあ、明日ならあいつも何とか間に合うかもしれんし。つーか、間に合わんかな」

 ぼそぼそと独り言をエドムントが言っているのを、ディートはキョトンとして首を傾げながら見つめた。

「おま、そういう顔は、団長にだけしてやれよ。ほんと、マジで頼むわ」


 いろいろと不可解な事を命じられるが、「意味が分かりません」と冷たく突っぱねると、「それそれ、そういう顔で俺たちには話しかけるんだぞ」と、更に混迷を深める言葉が返ってきた。




 翌日の午後。例の「婚約者様」がやって来た。

 誰が来るのだろうと思っていたのだが、予想外の人間が来たのだ。


「いやぁ、お前の一族って、ほんと見た目だけはキラキラしてるよな」

 婚約者という相手を見て、小声で耳打ちするエドムントに、ディートは大きなため息を吐いた。


「2年ぶりだな、ディートリンデ」

 伯爵譲りの威丈高な口調だが、伯爵家では優しい方だった。

 だが、わざわざ女性名で呼ぶところは、こちらの都合を考えていない証拠だ。


 目の前の青年は、綺麗に整えられた赤毛も金の目も、ディートやアンネよりも少し色素が薄いが、紛れもなくアールスマイヤー家の特徴を備えていた。

「お久しぶりです。アルバン兄さま」

 堂々と婚約者だと名乗って乗り込んできたのは、2つ年上の従兄であった。

 ディートを嫌う伯爵家が、次期跡取りを寄越すとは思ってもみなかったのだ。


 ディートと離れてくすんでしまったアンネとは違い、アルバンは男振りを上げていた。

 元々アールスマイヤー家は容姿に優れているが、アルバンは文官然とした伯父よりも騎士であった父クラウスに似ていると言われていて、立ち姿もこの騎士団の騎士たちに引けを取らないものだった。まあ、実際には祖父に似ているのだが。


「早速話に入りたいところだが、何故部外者がここにいる?」

 そう言って、無遠慮にエドムントを睨んだ。

 一応エドムントは、脳筋で粗野な言動をしているが、子爵家の人間だ。敬意を払って然るべき身分なのだが、アルバンには敵としか見えないのだろう。


「お言葉ですが、ディートリヒ卿は国の最優先事項である魔物の大海嘯(スタンピード)攻略の任に当たっており、公的な面会であれば応じる旨を先触れにはお伝えしておりますので、副団長である私が同席することは当然のこととご存知かと」

 エドムントが貴族仕様の言葉遣いをしていて違和感しかないが、「忙しいって言ってんだろ。てめえ耳ついてんのか?それで理解できねえその頭は飾りか、あぁん」と内心で言っているのが聞こえてきそうだ。ディートは少しエドムントを尊敬した。


「アルバン兄さま、いえアールスマイヤー殿。エドムント卿のおっしゃるとおり、私は現在王立騎士団で、非才の身にはありがたいことに大切なお役目を賜っております。私のやむを得ない事情とはいえ、領を去ったことは非難も甘んじますが、ご子息との結婚については、一切をお断りする所存です」

 はっきりと、初めて伯爵家に対して自分の意思を伝えたディートに、アルバンは驚いて大きく瞠った目を向けた。


「そう言えと、上司から強制されているのではないのか。お前の意思ではなく」

 エドムントを見て、アルバンはそう結論付けたらしい。もしかしたら、ディートのことを心配しているのかもしれないが、アールスマイヤー家は、自分たちがやってきたことを棚上げにして、他人の悪意を堂々と非難する。

 アルバンは他の人間に比べて非道というほどのことは働いてないが、やはり根底は伯爵家の人間である。


「兄さま。私を久しぶりにご覧になって、どう思われましたか?」

 ディートは、また呼び方を昔のものに戻して尋ねた。

 意図が分からないのか首を傾げるアルバンだったが、ジッとディートを見つめてからスッと目を細めた。


「美しくなった」


 良くも悪くもアルバンは正直な人間だ。

 少し目元が赤くなっているが、衒いも無くそう言うアルバンに、エドムントがギョッとして目を向ける。アルバンの気持ちが透けて見えてしまい、予想外の展開に落ち着かなくなったのだ。

 逆に、歯の浮くようなことを言われても、ディートは何事も無かったかのように続けた。


「ここでは、訓練は厳しいですが、不満や意見を堂々と言うことが許されています。食事や眠る時間を奪われることも無く、誰かを引き立てるためではなく、自分のために努力することができます。理不尽なお義父さまの命や、いつ降るか分からないアンネの暴力もありません。口答えをして、お義母さまに軟禁や折檻をされることもないのです。私は、普通の生活を送っただけで、特別なことは何もしていません」


 アルバンは、ディートの変化に気付いて「美しくなった」と評したが、ディートはただ食べて寝て働くという人間的な生活を送っただけだった。それだけで、ディートの伯爵家での生活がどれだけ「普通ではない」ものだったかを物語るに十分だったはずだ。

 主観であるはずのディートが淡々と語る内容は、全容ではないのに他人が眉を顰めるものだ。

 言われて初めて、アルバンもそのことに気付いたようだった。


「だからこれは、強制でも何でもない、私自身の答えです」

 あくまで冷静な態度を崩さずに、ディートは毅然と言った。


「私は、伯爵家とは今後一切関わりません」


 アルバンは、絶望するような、泣き出しそうにも見える顔になった。

「私は、ずっとお前を想ってきた。父にずっと結婚を願っていたが、ようやく許しが出たんだ。諦めることなどできない」

「真っ直ぐに来やがった。めげねぇな」

 真剣に訴えるアルバンに、エドムントが水を差すようにボソッと呟いた。


 ムッとしながらもディートに訴える方を選んだのか、そんなエドムントを無視して、アルバンは尚も言った。

「お前は以前『自分は伯爵家には相応しくない』と言って、私の手を拒んだ。今のお前なら、十分伯爵家に相応しい功績も力もある。もう、私の手を取っても誰も非難しないはずだ」

「今度はそう来たか。それ遠回しに断られてんだろうが。どんだけ前向きなんだよ」


 もう、エドムントは敬意を払わないことにしたようだ。「しかも、手ぇ出す寸前だったのかよ」と、アルバンよりも青い顔で頭を抱えていた。必死のアルバンの告白も、何だか勢いを削がれ、ディートは苦笑するしかなかった。


「先ほどから貴様は何なのだ。無礼にも程がある!」

 現実を突き付けられ、アルバンはエドムントへ怒りを露にした。アンネとまったく同じことを言うのだから、やはり兄妹という血は争えないようだ。

 話が進まなくなるので、ディートはため息を吐きつつ、意識をこちらに向けた。


「アルバン兄さま。もう一度言います。確かに兄さまは私に直接手を上げなかったかもしれませんが、使用人にまで私が虐げられていても止めなかった兄さまを、私が男性として慕うことも、ましてや嫁ぎたいと思うことも絶対にありません。結婚はお断りいたします」

 それは、完膚なきまでの拒絶だった。

 これまでアルバンは、その容姿や家柄から、女性に断られたことなどなかったのだろう。先ほどよりも深い絶望を湛えて、アルバンの顔は蒼白になっていた。


 これでアルバンが逆上でもしてくれれば、例え再び「免罪」を使われようとも、十分結婚に応じない理由になる。それに、そうなってもエドムントがいてくれるので、まったく恐怖は感じなかった。

 だが、そうはならなかった。


「お前は、それほどまでに、伯爵家を疎んでいるのか」

 あれだけのことをされていたことを知りながら、何故今までそう思い至らなかったのか。


 聖女に固執するあまり、いつだってアルバンはアンネの下風に立たされていた。あの家は、アルバンにとってもあまりいい家とは言えないと思うのだが。

 もしかしたら、アルバンは本当は愛情深くて、あの家を彼なりに大切に想っていて、ディートのことも本気でそう思っているのかもしれないと思った。


 そうは思うものの、アルバンも傲慢な部分があることは確かだった。

 そのアルバンが、激昂するでもなく、力なく項垂れる姿は憐憫を誘うものではあるが、ディートはあえて微笑みを浮かべた。


「騎士団流に言うなら、『クソくらえ』です」


 その笑みにハッと胸を衝かれたように目を瞠り、やがてアルバンは力なく笑った。

 どこか吹っ切れた様子だったのだ。

「……そうか。私はやり方を間違っていたのだな。分かった。父には結婚の意思はなく、婚約も破棄とすると伝えよう。これ以上、お前に嫌われたくはない。すまなかった」


 まさかアルバンから謝罪の言葉が出るとは思わずに、驚きに目を見開いてしまい、それを見たアルバンは、今度は少し寂し気に笑った後、急に表情を引き締めて言った。

「私との結婚は無かったことになるかもしれないが、ただ、私には両親が諦めるように思えない。お前がいなくなって2年、何かに憑りつかれたようにお前を探していたんだ。両親を止められない私が言えた義理ではないが、どうか気を付けてくれ」


 アルバンはそれだけ言うと、来た時と同じように凛然とした姿勢で帰っていった。

 少なからず貴族としての矜持は持ち合わせているようだった。


「あいつも、育った環境が違えば、随分いい男なんだろうけどなぁ」

 遠ざかる伯爵家の馬車を共に見送りながら、エドムントがぽつりと言った。

 ふとディートもそうかもしれないと思うが、どれほど態度を改め、強い想いを寄せられても、何故かアルバンとの未来は思い描けなかった。


「まあ、うちらにとっては幸いだったけどな」

「何がですか?」

 軽い調子でエドムントは言うが、その目はまるで冗談を言うようなものではなかったが、何が幸いかディートに告げることはなかった。


 少し釈然としない終わりであったが、ディートは痞えていた想いが少しだけ軽くなったような気がしていた。


 ふと、この気持ちを伝えたいと思った。

 真冬の雪空のような灰褐色の瞳が、ひっそりと脳裏に浮かんだのだった。

予想より兄が硬派になってのですが、微ざまぁのためにフルボッコです。

というわけで、次話は婚約者(幻)出現に間に合わなかった団長のお話です。


またの閲覧をお願いします。

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