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8 男装令嬢は立ち上がる

血が出る暴力表現があります。

 不可視の力で押さえられながらも、ディートは必死に起き上がろうとしていた。

 それを嘲るようにアンネが見下ろす。


「わたくしに無礼な口を利いた罰に、足でも折ってやろうかしら。それとも指がいい?」

 嗜虐的な言葉に、それでもディートは恐怖することはなかった。

 団長に迷惑を掛けるくらいなら、足の1本や2本、アンネにくれてやると思った。


「好きにすればいい。私は悪くないから謝らないし、伯爵家にも戻らない。団長もアンネになんて渡さない」

 静かな言葉だったが、それはアンネの脅迫を凌駕する強い意志があった。


「黙りなさい!」

 顎に鋭い痛みと衝撃が来て、グワンと脳が揺れた。アンネがディートの顔を蹴ったのだ。

 脳震盪を起こして、ディートは蹴られた方向に横倒しに倒れた。それを、関節が外れかかった肩を蹴られて、仰向けにされる。

「いいわ。その顔を二目と見られないようにしてやるわ。そうすれば、人前に出られずに神殿に上がるしかなくなるわね。いい考えだわ。そもそも、わたくしより美しい顔の女なんて側にいらないもの」


 何かを喚いているが、ディートは酷い耳鳴りで良く聞こえていなかった。

 振り上げられる足がぼんやりと見えて、随分と足くせが悪くなったな、と場違いな感想が浮かぶばかりで、危機感を持てずにいた。

 ああ、失明だけは避けないと、とようやく身を守ろうという考えに至った時、天幕の中に暴風が吹いた。


「きゃあぁー!」

 存外に可愛らしい悲鳴を上げて、アンネが床に転がった。

 次いで複数の足音がバタバタと響き、すぐに自分のすぐ隣に駆け寄って来たことが分かった。うっすらとそちらへ顔を向けるが、黒っぽい隊服であること以外、未だ焦点の合わない視線では誰か捉えることが出来なかった。


「急に起こすな。頭を打っているかもしれん」

「顎に靴の飾りの跡が付いてる。あのクソ女、ディートの顔を蹴りやがった!」

 冷静に聞こえるギルベルトの声が少し遠く、ホルストの声が一番近くで響いている。顎を少し何かが流れる感触がすると思ったら、顎を蹴られた時に靴の装飾が当たって皮膚が割れたようだ。

「おい、ディート。しっかりしろ。今、神官のところに連れて行ってやるからな」

 そういえば、治癒を授かった女神官が同行していたのだっけ、とディートはぼんやり思い、ゆっくりとホルストの声に頷いた。今は、酷くその動作も億劫に感じる。


「お前は、いったい何をした」

 声は静かではあるが、その響きだけで物が切り裂けそうな殺気を纏わせ、ギルベルトがアンネへ問いかけた。


「その者は、我が一族の者で、逃亡の罪を犯したのです。一族に戻るよう説得したら、逆上したので仕方なく……」

「そんな言い訳が通用すると思っているのか」

 断定的というよりも、断罪するかのようなギルベルトの声に、アンネが息を飲むのが分かった。


「枷を付けて拘束しろ」

「無礼者、おやめなさい!わたくしを誰だと思っているの⁉」


 数人が揉み合ってガシャンと硬質な音が響き、アンネの悲鳴が聞こえた。恐らく魔力を抑える拘束具を付けられたのだろう。そうしないと、曲がりなりにも攻撃魔法を使う神官であり、周囲の人間に危害が及ぶから当然なのだが。

 そちらへ視線を向けるが、ホルストが盾になってうかがい知ることは出来なかった。

「何度も言わせるな。お前は還俗しないかぎり、貴族ではないのだと。例え今から還俗しても、遡及して貴族法が適用されると思うなよ」


 貴族法は、貴族録の家系図に名の載った成人貴族が受ける法で、貴族の在り方や権利、罪科を示した大綱であった。そこには、貴族の特権として、常法であれば罪に問われる行為を、金を払って罪を無くす「免罪」という制度があった。

 もっともこれは、戦乱期や凶作などで起こった領民の反乱を治めるためのものだが、多くの貴族が拡大解釈をして利用しているのである。


 ギルベルトは、その適用は無いと言っており、それはアンネの有罪が確定していることを指していた。何しろ現行犯だ。これ以上の証拠は無い。


「いやよ!その者はわたくしの物よ。自分のものをどうしようとわたくしの自由だわ!」

「……うわぁ。マジで言ってんのか、あのお嬢様」

 呆れというよりも軽蔑という感じでホルストが呟く。


「それに、その者はあなたたちを騙しているのですよ」

 その言葉に、その場の空気が止まった。それに、我が意を得たりとばかりに、アンネが間髪を入れずに話し始めた。

「その者は、『男』であると偽って、この騎士団に入団したのですわ。本当の名は、ディートリンデ・アールスマイヤーというのです!」


 ああ、とディートは嘆息を止められなかった。

 確かにギルベルトはそのことを知っているが、他の隊員はそうではないだろう。ギルベルトは「大丈夫」とは言ってくれたが、ともすると、このまま悪い流れになり、ディートの騎士生命が危うくなるかもしれない。


 アンネは最後までディートを逃してなるものかとばかりに、爪痕を残そうとしていた。


「それがどうした」

 発せられたギルベルトの答えは予想に反して淡々としたものだった。

 今度はアンネが息を飲む番だった。いや、ディートも同じであったが。


「それは、俺の指示で、わざわざそうさせていただけだが、何が問題だ?」

 唖然として、アンネは口が塞がらない状態になった。

 隊員の騎士たちも驚きを露にしているが、ギルベルトの態度に一様に行儀よく沈黙を守っている。


「嘘よ!そうよ、きっとディートに色仕掛けか何かで、仕方なくそんな嘘をついているのでしょう?ギルベルト様、わたくしはあなたの味方ですわ」

 必死に言い募るアンネだったが、ギルベルトは怒りよりも冷徹な視線をアンネに送った。


「聞くに堪えんな」

 吐き捨てるギルベルトの言葉に、沈黙ながら肯定の空気が流れる。

「いっそ舌を切り落とすか」

「うわあ、待って待って!お嬢は俺が見るから、ギルはディートを連れてって!」


 物騒この上ない台詞に、思わずホルストがギルベルトを愛称で呼んでしまった。

 さすがのアンネもギルベルトの言葉がほぼ本気であったのを察したのか、ようやく口を噤んだ。絶句したと言った方が正しいかもしれないが。

 同い年で同期のホルストの言うことを聞いたのか、ギルベルトは渋々と従ったようだ。


 アンネを一人で連行するのが嫌なのか、ホルストはギルベルトとディートを除き、残りの騎士たちを連れて行ってしまった。静かになった室内に、ギルベルトの軽鎧の擦れる音だけが響く。


「すまなかった。気付くのが遅くなった」


 すぐ横に膝を突いて、ギルベルトが声を掛けた。音階の下がった声は、先ほどまでの殺気を満載したものと違って、深い労りが溢れたものだった。


 ディートはゆっくりと首を振って謝罪は必要ないことを伝えた。

「もう……大丈夫です。ありがとうございます、団長」


「大丈夫じゃないだろう。血が出ている」

 そう言って頬に手が来ると、ギルベルトの掌の熱が頬の掻き傷に沁みた。


「腕も、関節が外れている。応急処置だが、俺がやってもいいか?」

 眩暈は治まってきたが、確かに痛みが酷かったので、ディートは素直に頷いた。訓練でも何度か見かけた光景なので、ディートは特に不安に思う事なくギルベルトに任せる。

 壁に背を預けて座らされるとそれだけで激痛だったが、片方の袖を噛むように言われ、グッとギルベルトが腕を持ったかと思うと、あっという間に関節を入れてしまった。

「ありがとうございます。嘘のように痛みが無くなりました」


 痛みに湧いた生理的な涙を拭いながら、見下ろすギルベルトへ礼を述べる。

 その頬へギルベルトが指先を伸ばすが、その手を少し彷徨わせた後、何かを堪えるようにギュッと握り込んだ。


「でも、あんな嘘を吐かせてしまって、申し訳ありませんでした」

 ディートを庇うために、ギルベルトはアンネに「俺の指示で」と、知っていながら男として入団させたと言ったのだ。それで、全責任がギルベルトに掛かってしまった。


 それを謝ると、ギルベルトは逆に不思議そうに見なおしてきた。

「嘘は言ってない」

「は?」

「お前に直接指示してないが、幾人かにはそのように伝えてあった」


 上層部が知っているのは聞いていたが、まさか隊員にも知る人がいたとは。聞けばホルストもその一人らしく、さりげなくディートを補助していくれていたようだ。

 飲酒を止めていた人たちがその人たちだったようで、随分と長い事見守られてきたらしい。


「それなら、私にも教えておいてくだされば」

 お門違いだとは思うが、何故か疎外感を感じてしまった。自分を守るためだとは分かっていても、守られるだけの人間というのは信頼されていないのではないかと不安になるのだ。


「お前のことを話した奴らは、皆いい奴らだからな。お前を助けていることを知ったら、感謝から特別な感情を持つのではないかと……」


 その言葉だけを聞くと、ディートと隊員が距離を縮めることに、ギルベルトが嫉妬しているように聞こえる。まさか、と思い、特定の人間と親密になることは隊規上良くないと言うことなのだろうと思い直した。


 そんな風に解釈して「なるほど」と頷いたディートに、ギルベルトが深い溜息をついた。

 そこで、ディートを見つめる眼差しが、痛いほど思いつめたようなものであることに気付いた。

 ギルベルトが、少し身体を近付ける。


 吐息が分かる程に距離を縮められ、居心地の悪さに何かを言おうとした時。


 若手の騎士が担架を用意してきたと雪崩れ込んできて、天幕が俄かに賑やかになったが、急激に不機嫌になったギルベルトが「俺が運ぶ」と言って断ってしまった。

 まだ、はっきりしない頭でそれを聞いていたが、不意に身体が浮き上がり、すぐ目の前にギルベルトの顔が来て、ようやくその言葉の意味を理解した。


 同僚たちの生温い視線を受けて、騎士として、同じ騎士から横抱きされて運ばれるのは如何なものか、とディートはここにきて初めて慌てた。

「お、下ろしてください」

「駄目だ。大人しくしていてくれ。でないと、あの女を殴りに行きそうだ」

「……はい。承知しました」


 それはアンネの為では無くて、ギルベルトが傷害で訴えられないように慮った結果だった。

 そうして救護所へ行くまでの道中、揺れをほとんど感じさせないギルベルトの歩みに身を委ねるうちに、ディートは疲れからか深い眠りに就いたのだった。





 次にディートが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。


 あの後すぐに神官に治癒を施してもらったが、あまり慣れていない神官だったようで、疲れもあってか熱を出してしまい、随分しっかりと気を失ってしまったようだった。

 ほぼ丸一日寝ていたようなもので、同僚たちからは「もう目を覚まさないかと思った」と半泣きのような状態で縋られた。


 顎も頬も腫れは引いたが、まだ小さい傷が残っているのでガーゼを当てていて、肩は湿布と包帯でこんもりしている。

 治療に当たった神官には、ディートの事情を話してあるようで、女性だけで施術してくれたようだ。


 夕方報告に来てくれたホルストによると、アンネは今朝早く拘禁のために王都に送られたらしい。

 同じくディートも、明日には強制的に王都に戻され、熟練の治癒魔法を持つ神官の治療を受けなければならないようだ。

 そして、帰っても一週間は療養を命じられてしまった。


 そうしてディートは、とんぼ返りのように王都に戻って来たのだが、何故か騎士団宿舎の最上階の一室に閉じ込められてしまった。

 どうやらギルベルトが戻るまで軟禁するよう指示があったようだ。

 伯爵家の軟禁と違って、上げ膳据え膳の騎士たちの見舞い攻撃の嵐で閉じ込められたようなものだったのだが。


 ディートの性別やアンネの件は保留のまま、ただ日々が過ぎていった。


 そのギルベルトは、前線で急用が出来たと言って、あの日以来、ディートと顔も合わせていなかった。このスタンピードが僥倖だという謎の言葉を残して。


 そんな生活が7日続いて、ようやく命令のあった療養期間を終えようとした時だった。


「大変だ!団長が……!」

 そう言って部屋に駆け込んできたのは、以前ギルベルトと行った食事場所を選んでくれたダミアンだった。

 その形相と言葉の内容に、ディートはサッと血の気が引く思いをした。

 もしかしてギルベルトの身に何かあったのだろうか。


「最短期間で、スタンピードを制圧してしまった!」


 最初聞き違いかと思ったが、どうやら空耳でもダミアンの冗談でもないようだった。

 前線の急用とは、どうやら魔物の殲滅の事だったらしい。急務とはいえ、急用じゃないだろう、という虚しいツッコミは置いておいても、もはや人間業ではないというのは言ってもいいはずだ。


 前回のスタンピードで、ギルベルトは貴族位と「英雄」の称号を賜った。


 今のギルベルトは子爵である。騎士団長は将軍職であり、本来なら侯爵または辺境伯位以上でないと就けないが、「英雄」という称号は爵位に関係なく将軍職に就けるのだ。

 恐らく今回も何等かの称号の授与または陞爵のいずれかがあると思われた。


 また一つ、ギルベルトが遠い存在になるような気がして、ディートは喜ばしい気持ちとは裏腹に、何故か複雑な気持ちになった。


「団長が帰ったらお祝いだからね」

 ダミアンの嬉しそうな声に、ディートは神妙な顔で頷いた。


 ギルベルトが帰って来るまで、恐らく前線の指揮および管理系統の再構築と、現場の収拾があるだろうから、早くて半月は掛かるだろう。

 それまでは、変わらず「ディートリヒ」としていようと思った。


 その後に、どのような処分となろうとも、ディートは騎士団には残りたいと、全てを懸けて願い出ようと誓った。

作者のヒロインはだいたい理不尽な目に遭ってますが、他のコメディ作風とはかなりテイストが違ってびっくりです。

ディートには、タイトルどおり頑張って虐げられてもらうことにします。


次は、婚約破棄だ!

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