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7 男装令嬢は抗う

少し暴力表現があります。

 1時間も休めば体調は完全に戻った。

 仕事に穴を開けるのは望むところではないので、すぐにホルストの所へ謝罪とお礼を述べにやってきた。あまりジッとしているのも、余計なことを考えるので、身体を動かした方が気が楽であるというのもあった。


 ホルストは死人のようだったディートの顔色を見ていただけに、大げさに心配してくれたのだが、厚意だけありがたく受け取って仕事に戻りたいとお願いした。

 天幕の外をうろつく気配があったので、アンネお付きの神官が中の様子を窺っていたと思われ、あのまま寝ているのも落ち着かなかったのだ。

 それを話すと、思案する顔になってホルストは頷いた。


 実はあの後、怒りが収まらないアンネは、ギルベルトに謝罪を要求したようだったが、無視してさっさと前線の様子を見に出てしまったらしい。

 アンネは強烈だが、一緒に来た神官たちはそれなりに常識的で、ギルベルトがとうとう明らかな怒りを露にしたのを聞いて、謝罪のための面会に来たようだった。それを天幕の外で小姓が止めていたらしい。

 まあ、実際中にいたのはディートなので、面会には応じられなかったのであるが。


「確かに、あそこにいるよりは、こっちの方がまだ落ち着けるかもな。いつあのお嬢様が団長の天幕に殴り込みにくるか知れないし」

 縁起でも無い事を言うホルストに、ディートは顔を顰めて見せた。


「いや、ホントに冗談抜きでやるぜ、あのお嬢様。何を根拠にそんなに偉そうにしているのか分からんけど、世の中の人間は自分以外全員価値が無いみたいなこと言ってたし」


 ディートは、せっかく良くなった体調が悪化するかと思った。

 以前は、傲慢ではあったが、他人の前では多少取り繕うところがあったのに、今はそんな些細な労力さえ使っていないようだった。


 どうか、自分の知らない場所でやってほしい、と切に願うディートだった。


「じゃあ、そういう訳だし、ここをお願いしようかな」

 そう言ってホルストは、チェックの進捗を引継ぎして物資の天幕を出て行った。


 リストに目を通すと、やっぱりと言うか、団長以下隊員たちは非常にこういった細々とした仕事が苦手なのか、効率の悪い搬入をしていたようだ。種別ごとと名前順に割り振っていた搬入場所に、適当な感じで置かれた物資たちに、ホルストに渡されたリストは半分もチェックが終わっていなかったのだ。


 用途ごとに箱に色が塗ってあるのに気付いたのか、少し並べ替えをしながら確認をしていた痕跡がある。1時間遊んでいた訳ではないのは分かるので、ディートが来るまでの大規模遠征の惨状を想像して、ホルストの頑張りをそっと讃えた。


 そして、ここからがディートの仕事であり、気合を入れてそこら辺にいる騎士たちを呼んだ。もちろん、物資の入れ替えである。


 騎士たちは素直に年下のディートに従う。彼らは、ディートに逆らうと怖い事を知っていた。

 温かい飯が出るようになった遠征で、ディートを怒らせた一人が、その日一日冷たいスープしか出てこなかったという地獄を見たのだ。


 今のように、隊員の士気を食事で上げることが効率的だと認識される前に、最低限の物資で行っていた遠征で温かいものが食べられたのは、出発時に配られた温かいパンやスープを「温かいまま保つ」という補助魔法をディートが掛けていたからだ。怒ったディートは、その魔法を消してしまったので、温かい食事に舌鼓を打つ同僚を見ながら、その隊員は一人ぼそぼそになったパンと、冷えて脂肪分が固まったスープを食べる羽目になったのだ。

 まさに悪魔の所業であると、隊員たちは震えあがった。


 この魔法を使えるのはディートしかいない。もちろん火の魔法であれば熱を与えることも出来るだろうが、火力の調整が出来ずに焦がすのが落ちだろう。

 ましてや、ディートのような長時間効果を持続させるような芸当は出来ない。


 そんなディートの持つ魔法の特殊さに気付いていないのは本人だけだった。


 ディートは自分を事務仕事ができる人間で認められたと思っているが、それはあくまで付属の効果であって、その真価は未知の魔法を使えるのはもちろん、それを応用する発想力にあった。


 効果を増幅し継続させる「補助」は、使いようによってはほとんど万能に近い能力であり、その使い道が善良なものしか思いつかない無垢なディートが使い手であることに、隊員たちは一様に神に感謝するのであった。

 そんな能力を欲深い人間が知ればどうなるか。ディートの周囲は、ディートが望まない力を使わないでいられるように、それぞれが沈黙を守っていたのだ。


 自分の思い通りに搬入しなおした物資に、満足げに少し口元を綻ばせるディートを見て、隊員たちも「やれやれ」といった表情で笑ったのであった。




 物資のチェックに興が乗って、気付けば辺りは暗くなっていた。

 凝った肩をぐるぐると動かして解す。肉体的な疲労はあるものの、今日中に目標を終えることができて、ディートは大満足であった。

 腹もいい具合に空いていて、野営地ではないため夕食にも期待が持てたので、ディートは更に良い気分になった。


 このままこの辺りに潜んでいれば、アンネにも会わずに済んで、無事に仕事を終えることが出来るだろう。

 ギルベルトやホルストには悪いと思うが、出来る限りここにいる間は外に出ないようにしようと思う。


 そうしてふと、眼裏に先ほどのギルベルトの顔が浮かんだ。

 真剣な灰褐色の瞳が自分を射抜いた。魔物と対峙している時や作戦会議をしている時とも違う、自分だけを見つめる眼差しは、不思議な熱と憂いを帯びているようだった。


 それと共に思い出されるのが、長く無骨な指が頬に触れた感触だ。


 思わず、頬にカッと血が上り、心臓が早鐘を打った。

 ディートは、自分を落ち着けるために頬を手で扇ぎ、空の木箱に腰かけて、心臓とのぼせた頬が元に戻るのを待った。


 不意に、入り口からカタンと音がした。夕飯時になっても戻らないディートを心配して、ホルスト辺りが様子を見に来たのかもしれない。

「ホルス……トさん……」

 音がした方へ顔を向けたが、目の前の光景に言葉を失った。


「……お前」

 呆然とこちらを見て、相手が呟く。目の前にいたのはホルストではなかった。


 赤く燃えるような緋色の髪に、軽く瞠った瞳は金。

 その顔は、2年前まで朝に夕に、眠る時以外はずっと意識させられていた顔だ。忘れたくとも忘れ得ぬ顔。


 暗い部屋で、乏しいランプの光だけだからだろうか。その顔は、記憶の中にあるものよりもくすんで見えていた。

 だが、そんなことよりも、衝撃でディートの頭の中は真っ白になった。


 今度は呼吸だけでなく、心臓すら動くことを忘れてしまったかのようだった。


 相手は、驚きに止めていた表情を徐々に崩すと、小さく小刻みに身体を揺らした。それが徐々に大きな揺れとなり、ついには嘲笑へと変わっていった。


 白く裾の長い神官服を素早く捌いて、恐ろしいほどの速度でディートに詰め寄った。

 そして、長く美しく整えられた爪を立てるようにして、ディートの腕を掴んだのだ。


「ようやく、見つけたわ」


 少し低い位置からディートを見つめるその瞳には、ゾッとするような歓喜が浮かんでいた。

 紅を刷いた形の良い唇が、歪んだ弧を描き、そっと開かれる。


「わたくしのディート」




 耳に入る声は、毒のように速やかにディートの心を侵していった。


「やっぱり、ここには何かあると思ったわ。やけにここから遠ざけられるんですもの」


 反射的に後退ろうとした時に、喉が痙攣した。カハッと呼気が漏れて、その時に息を止めていたことを知った。

 浅い呼吸を繰り返すディートに、アンネは優しく問い掛ける。


「どこに行くつもり?」

 非力であることが一目瞭然である細い指なのに、ディートの腕は万力に締め付けられたかのように、ピクリとも動かすことが出来なくなった。


「せっかくわたくしに会えたのに、随分つれないのね」

 甘えるような声音だが、そこには滴るような悪意が潜んでいる。


「ねえ、何故わたくしから逃げたの?お父さまに、わたくしと神殿に行くよう言われたのよね?」

「……あ」

「大切な姉を置いて、こんなところでのうのうと暮らしていたなんて」


 アンネの指先が伸びてきて、ディートの頬に触れた。体温があるはずなのに、触れられた指先から身体が凍っていくように感じた。

 暗がりでも分かる金色の瞳だけが、やけに鮮明に見える。そして、その目が細められた。


「許さないわ」

「っ……!」

 頬に鋭い痛みが走った。アンネの爪が、ディートの頬を薄く削いだのだ。


「痛い?でもね、わたくしの心の痛みは、こんなものではないわよ」

 アンネはしな垂れかかるように顔を寄せて、ディートの耳元でそっと囁いた。傍から見れば、恋人の逢瀬にも見えるだろう距離だった。


「見なさい。この服はね、神官が着るローブドレスなのよ。このわたくしが、聖女たる力を授かったこのわたくしが、何故、神官ごとき真似をしなければならないの!」


 語気が荒くなり、アンネはディートの髪を鷲掴みにした。

「全部お前のせいよ!お前のせいで、わたくしは神殿で惨めな思いをしたのよ!何故わたくしがメイドのように働かなくてはならないの。『期待外れだ』?何故、わたくしよりも下の能力しか持たない凡人たちに、たまたま出来なかった事を貶されなければならないの!」


 神殿は、清貧を尊ぶ教えだ。そして、女神の前には皆平等だと説いている。もちろん神殿生活に使用人は連れて行けないし、全てを自分の力で行わなければならない。アンネは元々ディートを使用人のように使うために一緒に連れて行く予定だったが、それが狂ったことで自分の身の回りのことは自分でやらされることに憤りを感じているらしい。


 だが、アンネの言葉を聞いていて、伯爵家にいた時は何も感じないようにしていた言葉に、今は静かな怒りを感じていた。


 アンネが言われたという「期待外れ」も「たまたま出来なかった」ことを貶されるのも、ずっとディートが伯爵家の人間にされてきた仕打ちの何分の一も軽いものだ。他人には平然と言ってのけることを、自分の身に振りかかると途端に不満に変わるのを目の当たりにして、ディートは萎縮して何も言えなかったあの頃の自分が悔しくて仕方なかった。


 騎士団に入って、他人を尊重し、他人から尊重されることを初めて知った。

 人には、踏みにじられてはいけない尊厳があることを、初めて知った。

 理不尽には、立ち向かっていいことを、初めて知った。


 だからこそ、今こうして罵られている自分を守りたいと、ようやく感じることができるようになったのだ。


「私は、『出来ない』と言うことさえ許されなかった」

「何ですって?」

 少し震える声は小さくて、アンネが顔を顰めてディートを睨んだ。


 何故だろう。あれほど怖かったアンネの声が、今は遠くの雑音のように聞こえる。

 きっとそれは、ディートの全てを「大丈夫だ」と言ってくれる人がいるからだ。


「姉さまが他人から貶されるのは、全て姉さま自身の責任だ」


「……お前!」

 今度ははっきりと反論したディートに、アンネは凄まじい形相で掴みかかった。

 爪が食い込むほど、ディートの首を絞め上げたのだ。


「お前は、わたくしたちがいなければ、何もできない落ちこぼれのくせに!」

「違う!何もできないのは、姉さまの方だ。これまで他人のものを掠め取っていただけだから、姉さま自身は空っぽなんじゃないか」


 アンネには、身分という努力せずに得たものしかないから、他人を言葉や力の暴力で押さえつけなければ、対等な立場にすら立てないということに気付いた。


「よくも言ったわね。あの痛みを思い出させてやるわ」

 怒りに震える唇が凄絶な笑みを象る。

 そして、全身を衝撃が襲った。


「……っ‼」

 上げかけた悲鳴は、地面に叩きつけられた衝撃に飲み込まれた。声すら出ない痛みが全身を襲う。それは、幼い日に背中に刻まれた記憶。血を流さぬように抑えられたアンネの聖魔法の力だ。

「やはり、お前にはこれね。さあ、許しを請いなさいな」

 ディートを見下しながら、楽しげに言う。


「ああ、それだけでは駄目ね。そうだ、こうしましょう。お前と親し気だったようだから、ギルベルト様とわたくしが結ばれるよう協力しなさい。それで許してあげるわ」

 一瞬痛みを忘れて、アンネを仰ぎ見た。


「卑しい平民の出というのが気に障るけど、容姿も魔力も称号も、ギルベルト様ならわたくしに相応しいわ」

 先ほどとは比べ物にならないくらいの怒りが胸を満たす。初めて激怒という言葉の意味を知った。


 心の中を土足で踏みにじられたと思った。どれほど虐げられても、心の中は侵されなかったのに、ギルベルトというディートの心の柔らかい部分に、無理やり手を突き込まれてかき混ぜられたような気分だった。


「あの人は、団にとっても国にとっても、とても大切な人。アンネは相応しくない!」

「なんですって。もう一度言ってごらん」


 起き上がろうとして、肩に激痛が走る。関節が外れているかもしれない。

 脂汗が流れて目の前がチカチカして、すぐにでも気絶したいが、それでもこれだけははっきりと言わなければと思った。


「何度でも言う。人の痛みも分からないアンネには、私たちにとって大切な団長を渡すことはできない」


 そうだ。団長は、私に側に居ていいと言ってくれた。

 団長が、いつか一生を添い遂げる人を見つけるまで、その一番近くには自分が居たいと思った。

 そして、団長の隣にアンネが来ることは、絶対に無いと断言できる。


 心には純粋な怒りが満ちていたけれど、微かだがその中に確かにある、生まれて初めて灯る想いをディートは感じていた。

10話程度と思っていましたが、予定より話数が伸びそうです。


閲覧ありがとうございました。

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