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5 男装令嬢は月夜に酔う

 そうして、約束の食事をおごる、というのを実行する日が来た。


 最初ギルベルトは、高級な店を予約しようとしていたようだが、ディートが気兼ねしない場所で、と念押しをしたので、高級店ではないが、少し品のいい店に繰り出すことになった。


「騎士団の連中が来ない場所がいい」

 とギルベルトが主張したので、王都の外れの方の店だったが、量も味も評判の店を何とか見つけたらしい。そういえば、事務方のダミアンと何やらコソコソしているな、とは思っていた。

 騎士団の人間がいると、それこそ宴会へとなだれ込んでしまい、ディートに食事をおごるどころではなくなるのが理由のようだ。


 国の英雄ともなると、王都の一等地に屋敷を構えていて、いつもは専用の馬車で通勤しているそうだが、今日は迎えはいらないと言ったらしく、二人で辻馬車で現地に向かうことになった。

 街へ繰り出す時のギルベルトの服装は、隊服から庶民的なものに着替えたのはいいが、その麗しい顔をすっぽりと大き目のフードを目深に被って隠していた。寒空のこの季節でなかったら、立派な不審者である。。

 あえてそこには突っ込まずに、ディートは行儀よく沈黙を守った。


 店は、思ったよりも小奇麗な感じで、食事も酒を飲むためのではなく、食事をちゃんと楽しむための場所だ。半個室でプライバシーも保たれるような、いわゆる恋人同士で来るのにいい店だった。そういえば、ダミアンは近頃結婚する予定があったな、と思い起こす。


 ギルベルトは、もごもごと言い訳をしているが、酒を飲むのではなく、食事に重点をおいて、尚且つ、ギルベルトが周りの目を気にしなくていい店を聞いたらここになったらしい。

 その条件であれば、もう納得の選択だったと思う。


 微妙な空気が流れるが、それは食事が来るまでで、一度食事を口にすれば、勧められるのもなるほど、と思う内容だった。とにかく、何を食べても美味しかった。


 あらかじめ前菜だけを頼んでいたようで、食事も途切れることなく運ばれてきたため、口数の少ない二人であっても気まずい時間は無かった。

 それに、ギルベルトが頑張って訥々ながら話をしていた。


「そういえば、何故酒を飲まない店を頼んだんです?団長はお好きでしたよね」

 せっかく自由に食事を取れるようになって、少しディートも酒を嗜み始めたところだったので、残念といえば残念なので尋ねてみた。もっとも、団の歓迎会と同僚と飲みに行った時に、それぞれ飲酒を禁止されてしまったので、何か粗相をしてしまったのかと自分で自粛していたので、それほど回数を飲んだことはないのだが。


 それにしても、いったい自分は何をしてしまったのだろう、とディートは頭を抱える。

 それほど量を飲んだわけでもないし、記憶もちゃんとあるのだが、先輩に聞いたところによると、酒とは自分の記憶を勝手に改ざんすることもあるらしく、ディートも言われるままに飲酒を控えていた。


「ああ、それはエドムントに、お前には酒を控えさせた方がいいと言われたからだ。飲みたいか?」

 副団長まで禁止するのって、本当にいったい何をしたんだ、といっそ知りたい気持ちが首をもたげて来た。

「とても美味しくて楽しかったのは覚えているのですが、皆さんにご迷惑をお掛けしたのかもしれないので、遠慮しておきます」


 伯爵家でも、パーティを開いた際に、伯爵家の一員として出席しなくてならない時に飲んだことはあるが、特に美味しいと思ったことはなかった。

 だが、団員と飲んだ時は、驚くほど美味しかったので、銘柄を聞いてみれば、伯爵家のものとは10倍ほど値段が違うものだった。

 高くて美味しくない伯爵家のワインは、もう二度と飲むことはないだろうが。


 その記憶があって、本当は少し飲酒を楽しみにしていたのだ。

 ふと前を見ると、ギルベルトが少し表情を和らげた顔をしていた。

「飲みたいなら飲めばいい。俺なら潰れても連れて帰れる」

 どうやらギルベルトにはお見通しのようだった。


 確かに、例えディートが暴れてもギルベルトなら制圧など造作もないだろうが、分かっていて上司にそれをお願いするのは如何なものかと思う。

 躊躇しているのが分かったのか、お前くらいなら片手で担げる、と言われてちょっとムッとしていると、先ほどよりも口角が上がった表情でギルベルトがディートを見た。これはもしかして、笑っているのか?という微妙な変化であったが。


「たまに羽目を外してしまえ。お前は周囲に気を使い過ぎだ」

 そう言われてハッとする。


 伯爵家で培われた習慣はなかなか抜けずに、誰かが何かをするまえにその行動を読んでしまい、自分を優先することに罪悪感を感じてしまうのに気付いた。

 初めて言われた言葉に戸惑いを感じるものの、ここには自分を縛るアンネや伯爵家の人間はいないのだと言い聞かせ、ディートはようやく頷いた。


 ギルベルトが頼んだのは、初心者でも飲みやすいくせの無い発泡酒で、驚くほどするすると入っていった。美味しさのあまり、表情が緩むのを止められない。


「美味しい、です」

 感想を伝えると、ギルベルトも少し嬉しそうにして頷いた。

 ほんの少しだが、ギルベルトも表情を緩めているので、彼にとってもこの食事が気の置けないもののようだと思うと、ディートはより幸せな気分になった。



 それから同じ酒を3度ほど頼むと、少しふわふわとして良い気分になってきた。

 ギルベルトは、ディートを気遣ってか、いくつか話を披露してくれて、恐らく職場の半年分くらい話しているのではないかと思う。

 時々笑いながら、食事や酒を飲んでいるので、ディートは満腹になりかけていた。


「もう食べないのか?」

「はい。お腹いっぱいです」

「お前は細すぎる。もっと食べろ」

 顔を顰めながらギルベルトが言うが、ただでさえ毎日の食事がきちんと取れる今の状況で、ディートは家を出てから随分肉がついてきたのだ。

 これ以上は、女性らしい体型になってしまうため、ある程度制限をしながら生活していく必要があったのだ。


「元々あまり食べない性質なので、これ以上は無理です」

 あながち演技でもなく、哀しそうに上目でギルベルトを見やると、何故かギルベルトが馬車に轢かれた蛇の死骸を見るような目でこちらを見てきた。それに何故か衝撃を受け、何か粗相をしたのかと慌ててギルベルトに尋ねる。


「あの、私は何かまずい事をしましたか?」

 ディートの言葉に、ギルベルトはハッと気付き、次いで大きなため息を吐いた。

「……いや、エドムントが言っていたことを思い出しただけだ」

 どうやらディートが何かやらかした訳では無いようだが、ギルベルトは再び先ほどよりも重いため息を着いた。


「お前は、やはりあまり酒は飲まない方がいいようだ」

「え?やっぱり何か失礼を……」

「いや。お前ではなく、周りの問題だ」

 まったく意味が分からないが、とにかくそれ以上をギルベルトが語ることは無かった。


 取りあえず、ディート自身が何かをした訳ではないらしいので、今日はこの良い気分のまま終わりたいと思った。

「もう、遅い時間だな。辻馬車が無くなる前に帰るか」

 楽しい時間は本当にあっという間だった。


 辻馬車を拾うと、ギルベルトはまたフードを深く被って一言も発しない彫像のようになった。ディートたちと同じように、飲みに行った帰りの酔客も何組か乗っていたからだ。


 しばらくは揺れに任せて無言でいたので眠気と戦っていたが、何やら視線を感じて目を向けると、酔客の数人がこちらをニヤニヤと見て、下品に笑っていた。

 隣にギルベルトがいるので絡まれても何の心配もないが、面倒な事この上ないので無視しようとしたが、ギルベルトが身動きしてフードを少し上げて酔客の方を見ると、男たちは途端に大人しくなった。

 これは、馬車内の雰囲気を悪くしている男たちをひと睨みして黙らせたようだ。


 無表情の時は、冷たく近寄りがたい印象のギルベルトであるが、軽く目を怒らせるだけで背筋が凍り付くほど恐ろしい表情になることを知っている。

 内心で男たちに同情しながらも、静かになった車内は良い雰囲気になったので、少しいい気味だとも思う。


 それからすぐに、急にギルベルトが馬車を止めた。宿舎からもギルベルトの邸宅からもまだ少し距離がある場所だ。

 早くしろ、とばかりに顎をしゃくられたので、慌ててギルベルトの後を追って馬車を降りた。


「酔い覚ましだ。少し歩くぞ」

 ぶっきらぼうに言って、少し前を歩き始めた。

 満月に近い月夜なので、足元が覚束なくなる事もなかった。

 広いギルベルトの背中を見ながら歩く。

 冬の冷気が、酔いで火照った頬に心地よい。


 誰もいない夜道。静かな月夜は、家を出たあの夜を思い出す。

 だが、あの時とは違って、今日は皓皓とした月夜で、それに一人ではなかった。


「綺麗な月だ」

 微かな呟くような声が聞こえた。

 見れば、ギルベルトも月を見上げていた。


「こんな夜は、昔のことを思い出す」

 饒舌なギルベルトに、ディートは「どんな?」と先を促した。ギルベルトが、何かを語りたいと思っていることが分かったからだ。


 ふと目線で、ギルベルトの隣を示されたので、少し速足になって隣に並んだ。

 英雄と並んで歩くことに恐縮しているディートを見やると、ぽつぽつと話し出した。


「俺は平民の出で、15の時に従騎士に志願した」


 ディートが18歳で正騎士となったのは、王立学園の卒業と推薦があったからで、通常は15歳で見習いとして正騎士に付く従騎士から出発となるのだ。


「昔、俺には憧れの人がいた」

 その人物は、魔力がとても高いだけでなく、剣の腕も一流だったという。魔物も置き物かのような簡単さで討伐して、鬼人のような強さだと誰もが称賛した英傑だったようだ。

 そして、その公明正大で朗らかな性格から、誰からも愛されていたそうだ。出が南方の名家らしいが、偉ぶったところも実力を誇示すこともなくて、国王の覚えもめでたかったようだ。


「俺は、当時付いていた正騎士との折り合いが悪くて、よく折檻されたり食事を抜かれたりしていた」

 こんな立派な人でも、自分と同じような経験をしていたのか、と驚きながらもやけに親近感が湧いた。


「そんな時、その人はこっそり食事が出来るように部屋に呼んでくれたり、どうしようもない理不尽に騎士を諦めようかと思った時に、配属を変えてくれたりした。お陰で今の俺がある。憧れの人というだけでなく、その人は俺の恩人であり、人生の目標になった」


 俺はまだまだだけどな、とぽつりと言ったのが聞こえたが、ギルベルトは既にその目標を達成しているようにディートには見えた。

 肯定も否定もせずに、ただディートはギルベルトを見上げた。

 今の団には、それに該当する人物が思い当たらなかったからだ。


「その人は、11年前、妻と娘と実家に帰る途中で、馬車の事故に遭って亡くなった」


 ディートは、思わず足を止めてしまった。

 その気配に、2歩進んだところでギルベルトも足を止め、ディートを振り返った。


「燃えるような赤い髪に、金の目をした人だった」


 ギルベルトは、1歩戻ってディートの前に立った。


「お前は、その人を思い起こさせる」


 月を愛でていたのと同じ眼差しで、ギルベルトがディートを見る。

 ディートは、何度か口を開いたが、喉が詰まってうまく言葉が出ない。胸が苦しくて、それは哀しみも呼び起こすが、同時に奇跡のような廻り合わせに喜びも混じっていた。


「わ、私も……」

 ようやく声が出たが、自分でもおかしく思える程震えていた。


「私も、その家族を知っています」

 目を閉じると、俯瞰で見ているかのような、親子3人が仲良く手をつなぐ姿が浮かんだ。


「とても、仲が良い親子で、とても、とても、幸せそうでした」

 昔日の幸福な思い出が胸に溢れかえり、小さな嗚咽と共に涙が溢れた。


「……とても、とても……」

 言葉になっていたかも分からないが、そう繰り返すディートを、不意に温かな感触が包むのを感じた。


 ギルベルトがディートをそっと抱き寄せていたのだ。


「……そうか。幸せだったか」

 幽かな呟きは、深い感慨を乗せて夜気に溶けた。


 縋るように、目の前にある胸元のシャツを、ディートはギュッと握りしめた。


「はい」


 月だけしか見る者のいない夜道。


 押し殺した嗚咽が僅かに夜気を揺らし、重なった影は、その嗚咽が止むまで、慈しむように寄り添っていた。

「月が綺麗ですね」は日本語の名言ですが、その言葉の意味が無い世界線でも、違和感なく雰囲気を引き寄せる言葉に思えます。

そんな美しい文章を書けるようになりたいものです。

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