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4 男装令嬢は赤面する

 入団当初は、騎士団に求められる役割や心構え、組織や制度についてなどの座学でひと月が過ぎた。

 9月ではまだ残暑が厳しく、体型補正下着を着たままでの訓練にならずに済んでホッとしていた。


 10月に入って始まった訓練では、とにかく体力づくりに重点を置いた。

 どう頑張っても、騎士たちと比べて膂力、体格に劣るのなら、持久力くらいは付けるべきだと思ったからだ。もちろん、通常の訓練を除いた自主練習もした。


 そもそも団長のギルベルトも、文官志望から無理やり連れてきたディートに、他の騎士たちと同じ訓練内容をこなせるはずもないことは承知していたので、基本的には補助魔法による連携訓練を行っていた。

 最初は一日動いていただけで気を失いそうになっていたが、徐々に走り込みだけなら付いていけるようになった。そして気付けば、軽鎧であれば遠征でもへばらなくなっていた。


 ディートの努力も当然ながら、偏に食事がまともに摂れるようになったのが、体力充実の大元のようなものであったが。


 最初は、何でこんなやつが、という隊員からの非難めいた視線が多かったが、ディートの補助魔法により戦果が恐ろしいほど伸びたのと、何より一人努力する姿が隊員たちに認められたのだ。


 ディートには努力は全く苦にならなかった。

 何故なら、ここにいる限り、自分の努力が全て自分に返ってくるからだ。

 伯爵家にいた頃は、努力しても全てはアンネのものであり、心身の疲労だけで何の充実感もなかった。


 それなのに、ここは成果が思うように出なくても、努力する姿だけでも認めてもらえる要素になった。もちろん、成果を出さなくていいと言うことではなくて、それに甘えることは許されないが、すべてが自分のために評価されることの喜びは、これまで感じたことの無いものだった。


 そして、ディートの補助魔法はその効力だけでなく、先を読んで的確な時に最適な魔法を使う細やかさから、隊の負傷率が激減し、任務の達成速度も上がり、精神的負担もかなり減ったのだった。

 特に、野営に温かい食事を提供したり、仮眠の環境を良くしたりと、これまで二の次にしていたことをどんどん快適にすることで、任務の効率が上がることを実証したのだ。非戦闘員として戦う人間を補助すれば、それに割かれる労力分、戦闘員の負担が減ると思っての事だったが、思わぬ効果が出たのだった。


 実は、ようやくまともに食事が摂れるようになり、もう任務中でも味気も無い固い干し肉と水で薄めたワインなどという食事など食べたくないという、ディートの至極個人的な理由から思いついたことだったのだが……。


 徐々に、ディートが欲しいという他隊からの申し出が増えたのだが、断固としてギルベルトが頷かなかったため、随分と上に文句を付ける隊も出てきたのだった。

 そこから、それぞれの隊に、非戦闘員の衛生兵や補助員を置くことが少しずつ浸透してきた。

 


 周りの環境もディートを見る目も変わってきた頃、ディートの隊での立ち位置も変わってきた。

 隊の補助員的な役割だけでなく、騎士団全体の物資や現場管理を任せられるようになってきたのだ。

 ようやく元々志望していた業務が回ってきたわけだ。

 討伐だけでなく書類仕事も増えてきたが、ディートにとってはそれもやりがいと感じられるものだった。


 そして、書類仕事が増えるにしたがって、ギルベルトとの仕事も増えていき、早いもので、入団から5か月が経とうとしていた。


 大雑把な副団長のエドムントの補助をしながら団長へ渡す書類を整え、集中力が切れる(主に副団長の)ころにお茶や軽食を出して適度な休憩を入れることから、時間外勤務が大幅に減った(主に副団長の)と事務方の人にディートは褒められるようになった。


 自分では実感があまりなかったが、随分と仕事がしやすくなったと周囲から伝えられれば、それはある程度世辞があるにしても、純粋に嬉しかったのだ。

 恐らく、先を読んで行動しないと、いつ折檻されるか分からない伯爵家の生活から、相手が何を望んでいるか察することに慣れたのだと思われる。


 アンネの我がままに応えていたのも無駄ではなく、人生何が良い方向に作用するか分からないものだと思った。


 ディートは、今の生活がとても好きだった。

 衣食住に足りていて、団員は男性しかいないが、何人か友人も出来た。

 困ることと言えば、月の物や浴場を大っぴらに使えないことだけだったが、学園どころか伯爵家でも同様の生活をしていたので、うまく誤魔化したり、団員との生活の時間をずらしたりして調整し、今更動じることも無かった。

 ここに来て、あの伯爵家での生活に感謝する日が来ようとは夢にも思わなかったが。

 それに何といっても、広くは無いが、寮が個室というのが一番ありがたいところだ。


 今の生活は、そもそもがあの試験の日に、ギルベルトが強引にディートを事務方から現場採用にしたことから始まった。

 初対面のはずなのに、ギルベルトはディートの能力を知っていたかのようだった。



 現在、団長執務室にはギルベルトとディートの二人だけだった。

 お茶の支度をしたが、ギルベルト以外はそれぞれの用事で席を外している。

 そこで、随分と日が経ってしまったが、ディートはずっとギルベルトに聞いてみたかったことを尋ねるのは今しかないと思った。


「団長。少しよろしいでしょうか」

 ディートがそっと声を掛けると、目を落としていた書類から顔を上げた。


 英雄と言って熱烈に祀り上げられているが、それは単に腕っぷしの強さだけではなく、この人の容姿に拠るところも大きいのでは、とディートは思っていた。

 男性らしくはあるが、冷たく整った顔に、吸い込まれそうなほど綺麗な灰褐色の瞳で見詰められれば、性別を問わずに惹きこまれそうだった。

 ディートは面には出さずに深呼吸して心を鎮めると、ギルベルトは無言ながら先を促すように視線を寄越したので、思い切って口を開いた。


「団長は何故私を、事務方ではなく実戦部隊の方へ配属なさったのでしょうか」


 尋ねると、少しの間だけ口を引き結んで、何かを思案するようにしていた。少し首を傾げているので、無造作に整えられたような黒にも見える濃紺の髪がさらりと揺れた。


 最初ディートは、ほとんど単語だけ、しかも一日に数言しか喋らないギルベルトに、本当に英雄と呼ばれている人かと疑ったものだが、団員たちが親切にも英雄初心者であるディートに教えてくれたのだ。


 平民出ながら、一兵卒から功績を挙げて騎士団長にまで上り詰めた、立身出世の生き見本であるが、元々多弁な方ではなかったが、英雄と呼ばれるようになった出来事の後に賜った爵位のせいで始まった貴族生活に馴染めなかったようだ。

 何をしても非難や陰口を叩かれる生活に、貴族付き合いや話をする労力が勿体ないと、人と関わることを最小限にしてしまい、今では極度の人嫌いとして、「永久凍土の君」とあだ名されるようになってしまったのだ。


 そんな心無い風評を聞き、最初は本当に英雄か疑いもしたが、確かに口数と表情は極端に少ないものの、騎士団内部での様子では噂のような冷たい人間には思えなかった。

 そして、ギルベルトの人柄に接するうちに、いつしか疑いも解けて、尊敬を抱くようになった。

 だから、ずっと心に引っ掛かっていたことを尋ねようと思ったのだ。


 ギルベルトが重い口をようやく開いて言ったのは、意外なことだった。

「自分の誕生日に善行を積むと、自分に良い事が返ってくるらしい。しかも見返りを求めては善行ではなくなるそうだ」


 今度はディートが言葉を失くす番だった。

「まさか、あの時の人ですか?」


 誕生日に「祝福の実」を分けた男性が、まさかギルベルトだったとは思わなかった。

 なるほど、だから私の「補助」の能力を知っていた訳か。

 それに、試験の時の謎の「双子の兄弟姉妹はいるか?」という質問は、ギルベルトを助けた本人か確認するためだったようだ。

 今までの疑問に、これ以上はないほどの納得感が得られた。


 たどたどしくギルベルトが話すことには、礼もさせてもらえず去ってしまったディートを、試験会場で見つけて喜んだものの、あの時の自分が情けなくて大っぴらに話しかけることが出来なかったようだ。


 何でも、騎士団の外に出ると、人に囲まれて途方もなく疲労するため、ああして顔を隠して本道から離れて移動をするらしい。そして茂みに潜む毒蛇にやられたという訳だ。

 確かに格好のいいものではなく、言いづらいことだと思った。


 それからずっとズルズルときてしまい、この日を迎えたという訳だ。完全に人嫌いをこじらせた結果、普通の人付き合いも忘れてしまったとのこと。

 英雄らしくも男らしくもない事情に、英雄と呼ばれる人でも完璧ではないのだなぁ、とディートはむしろ好感を抱いた。


 たまに自分を見てるなぁと思っていたが、まさか裏で必死に話しかけるきっかけを見つけていたなど、呆れを通り越して可愛さすら感じた。


「そんなに気にしなくてもいいんですよ」

 小さく笑って言うと、無表情の中にも僅かにムッとした気配を感じた。

「そうはいかない。お前が善行に見返りを求めないのが矜持のように、俺は受けた恩を返さないのは矜持に反すると思っている」

 要は貸し借りを無しにしたいようだが、どこか切実さすら感じる言葉に、ふとディートは嫌な予感がした。


「もしかして、私が試験を合格したのは……」

 そう言いかけると、凄まじい怒気がギルベルトから発せられ、思わずディートは身体を強張らせてしまった。

「お前は、俺が温情で実力も無い者を騎士団に入れると思っているのか」

 ギルベルトは確実に怒っているのに、その言葉を聞いてしまったら、その怒りの原因が自分の失言だったにも関わらず、思わず嬉しさに頬が緩んでしまった。

 暗に、ディートの実力を買っていると言われているのだから。


「何をニヤついている?」

「いえ、団長のお言葉が嬉しくて……ありがとうございます」

 久しぶりに自然な笑みが浮かんだとディートは思った。それを見たギルベルトは、一瞬目を瞠ったように見えたが、すぐにそれは無表情の中に溶け込んでしまった。


「いや、礼を言うのはこちらの方だ」

 そう言って、少し何かを考える素振りを見せた後、ディートを見つめながら言った。


「では、こうしよう。入団が見返りでない証明に、俺が食事をおごるというのは?」

 なるほど。旅の途中で遭った、行きずりの親切には妥当な落としどころだった。これで互いに貸し借り無しとなる。


「はい。喜んで」

 直属の上司とは言え、英雄と食事を共にできるのは大変名誉なことだ。ディートは素直に厚意を受け取ることにする。


 今日はいつもより丁寧にお茶を淹れ、上司へと差し出した。

 そして仕事へ戻ろうとしたディートの背中に、ギルベルトが声を掛ける。


「一つ、言い忘れていたことがあった」

 何か忘れていることでもあったろうか、と首を傾げると、ギルベルトは口元に小さな笑みを浮かべた。


「成人、おめでとう」

 不意討ちだった。


 誰かから祝われることを諦めていたのを祝われ、それに歓喜してもいいはずなのだが、今はその嬉しさよりも、思いも掛けぬ美貌の主からもたらされた「表情筋の痙攣」ではない本物の笑みに、ディートは顔が真っ赤になることを抑えられなかった。

人を避けて山道行ったら蛇かまれて動けなくなったって、ヒーローなのにめっちゃカッコ悪いです。


閲覧ありがとうございました。

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