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2 男装令嬢は家を出る

 ディートが男になってから、伯爵家の扱いは、悪意が顕著なものになった。


 家庭教師も外され、国に4つある最高学府である王立学園への入学も実質不可能になった。

 家での扱いは、使用人。侍女や侍従ではなく、ただの使用人だ。無給である分、アンネと2つ年上の兄のアルバンのお気に入りの使用人よりも低い扱いである。


 伯爵家からの冷遇の産物として、ディートに付いていた専属メイド達は辞めさせられ、それに伴い雇われた使用人達は一斉に主人のやり方を真似た。


 アンネ達のお気に入りの使用人たちは、表面では恭しく従っているが、内心では主人を毛ほども敬っていないことは明白であり、アンネやアルバンの気まぐれで理不尽な性格から溜まった鬱憤を、堂々とディートで晴らしていた。

 わざと汚した床の掃除や危険な高所の作業を命じたり、薪割りをさせたり、厩の汚物の処理をさせたりと、下男に近い扱いをさせて留飲を下げているようだった。本当の下男は、昨年雇い始めた通いの男性だったが、見るからに華奢なディートがそんな仕事を請け負っているのを不思議そうにしていた。


 ここ数年で雇われた若い使用人は、ディートが女性であること知らない。

 古い使用人は、あえてそれを正さないでいる。

 ここでは、伯爵家の血筋とて庇われることはなく、女性に対する暴力も躊躇されることはないだろう。

 そして、ディートは男性と思われている現在でさえ、鬱陶しい秋波を送られているのを、古い使用人たちは非常に憂いていたのだ。

 つまりは、貞操と矜持を天秤に掛けた結果の緘口令であったのだ。


 時には食事や睡眠さえまともに与えられない生活の中、ディートに同情的で手助けをしてくれる使用人たちによって、何とか伯爵家の一員としての体裁は保っていた。

 しかし、大っぴらにディートを庇った使用人が、伯爵の不興を買って辞めさせられてからは、皆ディートから距離を取るようになってしまった。それでも、伯爵も辞めさせることができない数人の使用人から、陰で助けてもらい、何とか生き延びてきた。




 ディートが息を殺した生活に慣れてきた頃、伯爵家では一つの問題が持ち上がった。

 12歳で受ける神殿での魔力判定で、アンネは聖女候補と見做されたが、それゆえの問題であった。


 通常神殿へ上がるのは、一般的に15歳からとされているが、魔力が重視されるとはいえ、国民の手本となるべき聖女たるにはある程度の優秀さが求められるため、聖女候補は王立学園の卒業が義務付けられている。

 要は、学園卒業の箔付だけの特例入学だ。


 しかし、非常に残念なことに、アンネはある程度の課題と出席さえこなせば卒業できる特例枠でも、非常に危うかったのだ。

 何せ、我慢という事をしてこなかったアンネが、規律の厳しい学園に通うだけでも一苦労だろうから。


 そこで伯爵家では、ディートに学園の課題やアンネのしでかした後始末などをやらせるため、一緒に同じ学年の「弟」として学園に通わせることにしたのだ。


 ただし、ディートはアンネのような神殿の特別枠入学ではないため、自力で合格しなければならない。

 伯爵自身がディートから学ぶ機会を全て取り上げていたにも関わらず、学園合格を既に決定事項としてディートに命じた時は、さすがのリックも主人を窘めた。

 本当に合格を命じるのであれば、少なくとも必要な教材と、勉強に当てる時間を与えるべきだと説得してくれて、合格までは朝と晩のアンネの世話だけは免除されることとなった。


 微々たる時間ではあるが、大手を振ってアンネに会いに行かない理由を与えられたことは、ディートの中では大変大きな出来事であったのだ。


 そして、もう一つ。

 ディートは貴族なら誰でも受ける魔力判定を受けさせてもらえなかったが、リックの言で、「弟」なのに魔力判定を受けていないとは言えないことに伯爵も気付いたようだった。


 慌てて神殿から平民用の魔力判定の簡易鑑定紙を手に入れてきて、そこでディートは、アンネよりも強い聖魔力を有することが判明してしまった。

 ただそれは、使える魔術が「補助」というあまり例のないパッとしないものだった。


 通常は、「状態回復」や「結界構築」や「身体強化」と具体的に示されるのだが、「補助」とはあまりに漠然としていて、聖女の魔力に関しては一家言あるアールスマイヤー伯ですら、「補助」というのは聞いたことがないと怪訝そうにしていた。


 ちなみにアンネは、「魔法攻撃(聖属性)」である。

 魔力の属性と本人の人間性は、残念ながら全く関係ないようだった。


 最後には、伯爵から「やはりただの役立たずか」と忘れずに貶された。


 試しに使ってみれば、練習嫌いの為、不安定でどこへ向かうか分からないアンネの魔力が、本人の思うように使えるようになることが分かった。そして、威力も上がるようだ。

 これには伯爵も喜び、伸び悩んでいたアンネの力を増幅させる不正の片棒を担がされるなど、アンネを聖女に仕立てるべく、陰から補佐することを命じられた。

 神に与えられた魔力さえ、伯爵家に搾取されるための能力であったことに、今更ながらこの世の神に慈悲は無いのかと信仰を疑いたくなるのだった。



 そうした学園入学に向けた準備を1年ほど行い、何とかディートは合格をもぎ取った。

 幸いというか不幸というか、肉付きの悪い身体は中性的に見え、アンネとは髪と瞳の色と容姿も似ているので、アンネの「弟」と疑われなかったのだった。

 万全を期すと言って、肩まで伸ばすことが許されていた髪も、騎士見習いかというくらい短くされてしまった上、女性らしさを消すよう腰位置を変えるための補正下着まで着用させられた。


 こうして迎えた学園生活であったが、神への不信の神罰なのか、これ以上悪いことはないと思っていたが、まだ底辺を見ていないことが判明した。

 伯爵が無理にねじ込んだのか、アンネとは同じクラスであった。これで、朝から晩まで、ディートには息をつく暇も与えられない日が始まったのだ。


 休憩には言われる前に飲み物を用意し、昼食も食堂で席の確保やアンネの食事の準備をした後、同席を許されないので、自分の分の食事を別に確保し、一人で食事をする流れになった。

 もちろん課題は出来のいいものをアンネに、もう一つわざと出来の悪いものを自分用にと用意せねばならず、ほとんど寝る間もなく学業に勤しまねばならなかった。


 そんなディートをアンネは、「わたくしはいいと言っているのだけれど、小さい頃に身体の弱かったわたくしを心配して、色々と世話を焼きたいみたいですの」と、みんなに触れ回っていた。

 最初は生徒たちも、メイドを連れてくる高位貴族も同じだったのでそのように納得していたが、日が経つにつれ、徐々に外面だけのアンネの言葉に違和感を感じるようになっていた。


 ディートの行動は、メイド以上に義務的であったし、アンネの紡ぐ言葉や態度の端々にディートを見下す色が透けて見えていた。

 なによりも、使用人というよりむしろ奴隷と言った方がいいような「弟」の献身を平然と受け入れているアンネに、周囲は大いなる疑念を持つようになったのだ。


 幼い頃は明るかったディートは、この頃には感情を表に出さない物静かな人間になっていて、アンネとの間に存在する高く分厚い壁を他人にも作っていると誤解を受けていた。

 最初は周囲も敬遠していたが、アンネがいる時以外では気さくな人間だと知られると、その中性的で端正な容貌と炎のような緋色の髪と金の目から「沈黙の太陽」と陰で呼ばれて、女生徒の間では密やかな人気を博していた。


 アンネは容姿に優れた「弟」を従えることで優越感を得ているようで、用もないのに良く近くに侍らされ、今まで以上に一人の時間が否応なく削られて、ディートは自分の容姿が嫌いになった。


 そんな暗い記憶しかない学園生活でも、救いが無いわけではなかった。

 卒業と同時に伯爵家を出るために、知識の習得や準備が出来たからだ。


 それとあまり親しくは出来ないが、幾人か気の置けない友人や信頼できる教師にも出会えたのだ。

 そういった人たちは、いくらアンネの不始末を被せられようとも、それがディートの咎でないことを理解してくれていた。

 この地方の有力貴族であるアンネに対し、表立ってそれを言うことは無いが、ただ理解してもらえるというだけでも、ディートにとっては十分幸せなことだった。


 そしてついに、伯爵家を出るために、最難関と言われる王都の王立騎士団への推薦をも手に入れた。

 何故騎士団かというと、ここは完全個室の寮生活で、身一つでも生活ができるからだ。


 伯爵家には、この事については黙っていた。

 知られれば、ディートの幸せを憎む伯爵やアンネに、その計画を潰されることが目に見えていたからだ。

 どうせ学園を出れば、用済みと放逐するつもりなのに、その先々までディートを惨めにしたくて仕方がないようなのだ。


 来月にでも、卒業後に必要な資格を取るために数日王都へ出ると伝え、こっそりと騎士団の試験を受けるつもりでいた。もちろん旅費など出してもらえないため、学生時代に代筆や翻訳などでコツコツとお金を貯めていた。

 出来るだけ早めに家を出たかったから、寝食を削って計画を進めていた。


 最近では、領地経営勉強のために王都に行っていた兄のアルバンが戻ってきて、用もないのに呼びつけたり、身体に触れてきたりと、ディートに対して所有欲を示すようになったので、一刻も早くこの家を出なければならない状況になったからだ。



 そして、卒業をあと2月後に控えたある日。

 養父の書斎に呼び出され、久しぶりに伯爵の顔を見た。


「ディートリヒ。卒業後は、アンネの側仕えとして神殿に上がれ。もちろんお前の力は隠し通せ」


 始め、養父の言葉を理解し損ねたが、ディートは慎重に切り出した。

「お義父さま。私は男性として身分登録されております。神殿には姉さま側仕えとしては一緒に上がることはできないかと」

「口答えだけは一人前だな。お前が卒業後は女に戻るよう手筈は整っている」


 ディートは絶句した。女に戻ることを厭うた訳ではないが、このままでは一生アンネに搾取される生活が待っていることに絶望した。アンネが聖女候補として神殿に上がりさえすれば、ディートは放逐されると楽観視していたが、現実は甘くは無かったようだ。


 どれほど努力しても、どれほど功績を挙げても、それはすべてアンネのもので、自分のものになるものなど何もない。人格を否定され、搾取され、虐げられたまま、人としての尊厳を貶められて生きていくことに絶望しない人間がいようか。


「入殿までには間に合わないが、そのみっともない髪を伸ばせ。いいな」

 学園に男として通うために切らされた髪は、勝手に人生を変えられてきたディートにとって、男であることの象徴のようなものだ。

 内面はおろか、押し付けられた外見までも否定されてしまった。


 言い終えて退出を命じられたディートは、固くこぶしを握った。

 誰も自分を肯定し、守ってくれないなら、自分で守るしかない。


 卒業後には、伯爵家二女である「ディートリンデ・アールスマイヤー」という「女性」が成年貴族として家系図に載るだろうが、「ディートリヒ・アールスマイヤー」という「男性」は伯爵家とは無縁の人間になる。

 そして、「ディートリヒ」は、学園の身分証があれば存在することが出来た。

 男であるディートリヒは、伯爵家からは自由になれる。


 もう、「ディートリンデ」はいらない。

 11年前の、あの馬車の事故で、ディートリンデは両親と共に死んだのだ。


 このままこの家にいる必要はなくなった。それどころか、一瞬たりとも無駄に留まりたくなかった。

 数人の使用人にだけ、これまでの感謝を伝えられないことだけが心残りだったが、それ以外の未練も感慨も愛着も何も無かったのは良い事だと思った。

 血縁者の無慈悲に感謝すらしてもいい。


 使用人も寝静まった深夜。

 暗い色合いの服を着て、そっと裏口から屋敷を抜け出した。

 正門も裏門も警備の私兵がいるから、低木に隠れた秘密の抜け穴からそっと表に出る。

 夏の温んだ夜気を大きく吸い込み、新月に近い三日月を見上げた。

 兵に見つかりにくい控えめな月明かりさえ、ディートを祝福しているかのようだ。


 肩に掛けたズタ袋には、2着の着替えとこっそり貯めた金貨を詰めた。あとは、学園が発行した身分証を握りしめる。

 ディートの持ち物はたったそれだけ。

 本当の両親との思い出の品も、両親が残した財産も、すべて伯爵家に奪われてしまった。


 ディートはその己の身体しか自由になるものはなくて、それでもそんな自分を恥じることはしないと決めたのだ。


 ディートは、力強く歩き出し、もう後ろを振り返ることは無かった。

とりあえず主人公は、「クールビューティだけど話してみると意外と面白い」の設定ですので、男性の友人が多めです。

ちなみに、血族はみんな赤毛に金目です。血が濃いんです。


また明日投稿します。

閲覧ありがとうございました。

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