番外編 君がいるから
引き続きギルベルトの過去編です。
こちらで完結となります。
『英雄』の称号を得て第三騎士団に入り、ギルベルトの生活は一変した。
母は、ギルベルトが『英雄』になった直後、役目を終えたとばかりに息を引き取った。
これで、ギルベルトの家族はいなくなってしまったが、母の顔が穏やかに微笑んでいたので、きっと憂いなく旅立たせることができたのだと思えた。
魔物討伐についてはほぼ何も変わらない。顔ぶれが領地の騎士団から王都の騎士団に変わっただけで、遠征の準備をして、現場で魔物を屠るだけの毎日だ。
だが、私生活がまったく違ったものになった。
馬車を降りて、兵団の庁舎へ行くまでに、何度も声を掛けられるのだ。着飾った女性が道々に現れるようになり、先を急ぐと言っても引き留められてしまう。
元々あまり好んで人付き合いをする質でもないギルベルトは、早々にその状況に疲れてしまった。
騎士団側も各貴族に通達を出し、用の無い訪問を禁止したのだが、ギルベルトを一目見ようと集まる人間は減らなかった。貴族は騎士団を下に見る人間も多く、通達は出しただけ紙の無駄になった。
次は、夜会や茶会などへの招待状が山ほど届いた。
それは遠まわしな縁談の打診だったのだが。
文書管理室には、ギルベルト専用の籠ができ、それもあふれ出してしまったので、担当者から苦情が来た。
いよいよとなり、ギルベルトはジークフリートへ相談した。
「仕方ない。王家主催の夜会へ一度出ろ。それでお披露目はいいだろう。もし気に入った令嬢がいれば、私が家門を調べてやる」
王都へ戻ってきたジークフリートも似たような状況だが、貴族の世界など知らないギルベルトに比べれば、まだジークフリートの方がマシのようだった。
取りあえずと、指定された夜会に出ることにした。服はヨハネスが手配してくれた。
ヨハネスは従騎士時代からの同期だが、実はいい家の出で、家訓に従い正騎士ではなく従騎士から入団したそうだ。
久しぶりに会ったヨハネスからは、「え⁉︎あの可愛かったギルベルトはどこに行った⁉︎」と驚かれてしまったが、6年も会わなければそれは人だって変わるだろう、とギルベルトは呆れて言った。
しかも10代の少年など、1日見ないだけでも変わるというのに。
そんなやり取りがあり、夜会の日となったが、ギルベルトは開場と共に既に帰りたくなっていた。
人の群れが押し寄せてきたのだ。特に嵩張るドレスを着て、香水を振りたくった令嬢たちのギラギラとした目が恐ろしかった。
前線では、人を食らう魔物の群れと対峙しようが、魔物の殺意にギラつく目を見ようが、荒野を徹夜で走ろうが怯むことなど無いのだが、この戦場はギルベルトの戦闘能力など毛ほどにも役に立たなかった。
付き添ってくれたヨハネスが無理に連れ出して、ジークフリートの所まで連れて行ってくれなかったら、ギルベルトは恐らく窒息していたのではないかと思った。
「あの中で、誰かを選べと言われても無理だろうな。だがあちらはそなたを摑まえる気満々だろうから、適当な所で帰れ」
ジークフリートはそんなギルベルトの様子を見て笑っていたが、ギルベルトは不貞腐れたように口を尖らせる。
「俺は誰か選んだ方がいいのですよね、殿下」
ギルベルトはもう西の領地でのように、ジークフリートを「ジーク」と呼ばないし、一応敬語を話すように変えた。ジークフリートも、もうギルベルトを「ギル」と呼ばずにそなたと呼ぶ。
言葉を変えたくらいで、二人の関係性は変わりはしないのだから、誰かにとやかく言わせる要素は排除した。
「まあ、確かにそなたが後ろ盾を得ることは良いことだ。そなたさえ良かったらだぞ」
「では、誰かに選んでもらった令嬢で結構です。だから、もうこんな夜会は御免だ」
包み隠さない言葉に、ヨハネスも思わず笑ったが、ギルベルトは切実だった。
食べ物どころか、飲み物もろくに口も付けられなかった様子で、ソファにぐったりともたれるギルベルトに、ジークフリートが食べ物を渡し、ヨハネスがワインを渡した。
騎士団でも前線でも悪鬼かと恐れられるギルベルトだが、放っておくと死ぬのではないかと思うほど自分に無頓着で、周囲は何かとギルベルトに世話を焼きたくなるようだった。
『英雄』に恐れを抱かせることに成功した肉食獣のような令嬢たちは、ギルベルトがもう夜会に出ないという噂を聞くと、今度は周囲に繋ぎを求めるようになり、流石に面倒になったジークフリートが、気立てが良いと聞く令嬢5人との見合いを兼ねた茶会を開いた。
もちろん、全てギルベルトには内緒でだ。
その茶会は和やかに進み、ギルベルトは一人の令嬢と懇意になった。
しめしめ、とジークフリートは思い、さりげなく二人で会う場を設けてやった。
ギルベルトはようやくジークフリートのお節介に気付いたが、取りあえず好感が持てた令嬢なので、会ってみることにしたのだ。
その令嬢は、美しい金髪と青い目をした中々の美女であったが、二人で会う前に、その父親である伯爵が、ギルベルトを無理やり食事に誘ったのだ。
伯爵家での晩餐は、ギルベルトの強靭な胃袋でも悲鳴をあげそうな豪華さだったが、伯爵が終始ギルベルトへ意見を求めるような会話ばかりして、少しも食べる暇が無かった。
それもその質問は、ジークフリートの情報を求めるもので、ギルベルトは王族に関することは言えないと口を噤んでいた。
その情報を得られないと分かると、今度はギルベルトの資産の話へと移り、代理人に任せているからと濁すと、「ギルベルト君は、最近貴族になったばかりだから仕方ないが、目上の者に何を聞かれてもいいように、ちゃんとするように」と説教された。
いくら目上から聞かれても、機密や必要以上の個人の情報は言う必要は無いと断ると、伯爵は憤慨して、どこで調べたのかギルベルトの出身の話などを始め、あの一族は何がダメだ、だから君のどこがダメだ、などと聞きたくもない話題が止め処なく垂れ流された。
そして不快な食事から解放されると胸を撫で下ろした帰り際には、王太子最有力となったジークフリートへの繋ぎを念押しされた。
いい加減にしろ、と怒鳴りつけたいのを我慢し、その日は伯爵家を辞したが、今度は令嬢の方からすぐに会いたいと連絡があり、仕事の合間を縫って伯爵家を訪れることになった。
貴族と言うのは、相手の都合を聞かずに一方的に呼びつけるのが礼儀なのだろうか、とギルベルトは疑問に思うばかりだが、勉強だと思ってしばらくは様子を見ることにした。
その令嬢に会いに行くと、自室に招かれそうになったので、断って庭を案内してほしいと頼んだ。いくらなんでも初回で部屋に行くのはおかしいと、さすがのギルベルトも気付く。
そのまま庭園で過ごすが、令嬢は向かい合って座らず、長椅子のギルベルトの隣に座り、終始ギルベルトに触れてきた。
やがて口付けを求められて、拒めずに軽いものを返したが、ほぼ奪われたようなものだ。それが令嬢はどうやら不満だったらしく、ギルベルトの女性の扱いはなっていない、女性の家を訪れるのに宝石の一つも持ってこない、だから平民出の軍人は作法を弁えてない、と直接的な表現ではなく、ゆったりとした声で遠回しに優し気になじられた。
その後仕方なく、会いに行くことになった場合は、ヨハネスに相談して、小振りな装身具を持って行くことにした。ヨハネスも、あまり会ってないうちからマメだな、と怪訝に思ったが、随分うまくいっているようで喜ばしいことだと黙認した。
だが、それがひと月も経たずに三回目となった時に、ようやくおかしいことに気付いた。
ギルベルトに聞けば、それが貴族の礼儀と言われたと言った。
ヨハネスは自分の不明を恥じた。
いくら懇意にしていても、婚約もしてない相手にこれだけのことをさせるのはおかしい、と伝えると、やはりか、とギルベルトは大きくため息を吐いた。
ヨハネスにその伯爵のことも話すと、いくらジークフリートが開催した茶会で出会った令嬢だからといって、全てを唯々諾々と従う必要はないと叱られた。
ギルベルトは、これ以上関りを持つ前に、と令嬢へ縁がなかったことを伝えた。
すると令嬢は激昂し、ギルベルトを平手打ちして追い出した。
翌日、その令嬢の父の伯爵から、娘を傷物にされたと抗議されたので、ギルベルトは身に覚えがないことを説明したが、娘とそっくりに激昂して話にならなかった。
それが団内のことだったので、すぐに上層部に話が行き、何とジークフリートが直々にやってきたのだ。
ぼんやりとしたギルベルトを心配し、令嬢に会いに行く際は、従者を付けさせていたので、その者に証言をさせるとジークフリートが言うと、伯爵は顔色を真っ白にして慌てて「娘の勘違いだったかもしれない」と言って引き下がった。
実際事実無根であるが、こうなれば一切の罪悪感を持たずに別れられるとギルベルトは安堵した。
「相手を訴えることも出来るんだぞ」
自分を思ってジークフリートがそう言ってくれているのは分かるが、ギルベルトはこれ以上事を荒立てることはしたくなかった。
手痛い勉強代だと思うことにすると言うと、ジークフリートは諦めたように了承した。
その先、また別の令嬢と知り合う機会があったので、二の轍を踏まぬよう慎重に事を運ぶことにしたギルベルトは、学習して以前付き添ってくれた従者をまた連れて行くことにした。
その令嬢は子爵家だったが裕福そうで、何かをギルベルトにねだったりしなかった。
穏やかな時間が過ぎ、二度ほど会ったのだが、それなりに楽しい時を過ごした。
三度目の訪問で、帰り際天気の雲行きが怪しくなったので、ギルベルトはその家を辞そうとしたら、本降りになるかもしれないので、応接室に移ろうと誘われた。
時間も時間なのでと断ると、領地に現れた魔物の対処法を聞きたいとその令嬢の母親が現れ、文献があるからと書斎に招かれた。
仕事だと思ってギルベルトがついて行くと、そこは夫人の寝室で、途中で気付いたギルベルトは部屋へ入る前にどういうことか尋ねると、今度は令嬢ではなく夫人が関係を求めてきたのだ。
関係と引き換えに、貴族の世界に不慣れなギルベルトに、何でも教えてやると持ち掛けてきた。
さすがにギルベルトも憤慨するが、ギルベルトの腕力で突き放すこともできずに逃げていたが、ギルベルトの制止する声を聞きつけた従者が間に合い、夫人の魔手からギルベルトを救った。
然るべき措置を取らせてもらうと従者が言うと、夫人がギルベルトから言い寄られたと反論した。従者が、ギルベルトが逃げているところを見たとジークフリートに証言すると言えば、さすがの夫人も大人しくなった。
その後、社交界でギルベルトの閨事について、面白おかしく言う噂が流れたが、全くの事実無根であったのでギルベルトは完全に黙殺した。おおよそあの子爵家の夫人が流したものと分かっていたからだ。
だがその後しばらくして、その子爵家が事業に失敗したという話が流れ、それとともにその婦人が多くの美しい青年に手を出していたことを暴露する話が広まり、ギルベルトの噂も夫人の流したデマだと判明して、その件は収束した。
その頃には令嬢というより貴族という生き物に疲れたギルベルトは、しばらくそこから遠ざかろうと決心していた。
二度もギルベルトの窮地を救った従者は、ジークフリートに願ってギルベルトの専属になった。
本人は真面目なのに、どこかしらおかしなものを引き付けるギルベルトが心配でならなかったらしい。
三人目の令嬢は、そんな出来る従者も目を光らせられない人物だった。
ジークフリートの従妹、つまり現国王の妹が降嫁した侯爵家の令嬢だった。
身元もしっかりしていて、両親とも厳格な人間で、魔物討伐にも理解のある家柄だった。
ジークフリートも「親しくしていたのは昔のことだが、悪い娘ではないと思う」と言っていたのだ。
令嬢と出会ってから三ヵ月経った頃。
互いに好感もあり、婚約が成立したのだ。
ギルベルトにとってはこの上も無い後ろ盾となる家柄だったし、ジークフリートもギルベルトと親戚になると喜んでいた。
誰もが祝福してくれた婚約だった。
ある日、婚約披露を兼ねた夜会が開かれたが、令嬢はギルベルトを目一杯着飾らせ、集まった友人たちに見せびらかすように紹介した。周囲も、確かにその気持ちも分かる程ギルベルトが美しかったので、最初は温かく見守っていたのだが、それがだんだんと常軌から外れていった。
二人が一緒にいる時は、横を女性が通り過ぎる時に、ギルベルトが道を譲るだけで気があるのではと悋気を見せ、少しずつギルベルトへの独占欲が強くなっていった。
夜会の最中で少しでもギルベルトが離れる様子を見せると浮気をするのでは、と喚いたり、茶会でも疲れたと言って抱いて連れ出すよう命じたり、挙句には、ギルベルトの愛情を測ると言って、別の男性との逢瀬に立ち会わせたりした。
大抵の物事に動じないギルベルトであるが、自分の婚約者が他の男性と半裸でソファの上で絡み合っていたら、さすがに唖然とするしかなかった。
令嬢は、「わたくしを愛しているのでしょう。それならわたくしのやることを全て許してくださるわよね」と言って、手を差し出した。敬愛を持ってその甲に口付けろと言っているのだ。
その様子に、さすがに相手の男が蒼白になって、慌てて衣服を身に着けて出て行った。
ギルベルトは、この婚約を喜んでくれた様々な人間の顔が浮かび、表情が動かぬように意思を込めると、令嬢の美しく手入れされた手の甲に、軽く口付けをした。
ギルベルトと令嬢の様子がおかしいと気付いたのは、やはり従者だった。たまに服が汚れてボタンが取れかけていたり、髪が濡れていたりするのだ。
報告を受けたジークフリートが調べると、二人の逢瀬のたびに、令嬢の行為は悪化していったようだった。
その日、ギルベルトを追いかけたジークフリートが目撃したのは、茶を出したメイドに礼を述べたことを、その娘に気があるのではと詰問し、まだ熱い茶を跪かせたギルベルトに頭から掛けている姿だった。
ジークフリートは後にも先にもただ一度だけ女性に手をあげた。
令嬢は従兄の仕打ちに激昂するも、ジークフリートの本気の怒気に触れ、恐ろしさのあまり失神してしまった。
ギルベルトを見ると、感情を殺しているのか、それとも何も感じていないのか、空虚な灰褐色の瞳がジークフリートを見ていた。
火傷を負ったのか、少し赤くなった左頬に、そっとジークフリートは触れた。
「何故、黙っていた。いくら身分が高いからといって、こんな理不尽な仕打ちを」
怒りはギルベルトではなく、この婚約を祝福さえしていたジークフリート自身に向かっていた。
ギルベルトは、権力に屈するような人間ではない。だからこそ、その理由が分からなかった。
そして、せめて自分には打ち明けてほしかったと。
やがてポツリとギルベルトは、言った。
「皆んなを、この婚約を心から喜んでくれた人たちを、悲しませたくなかった」
この感情を、何と言えばいいのだろう、とジークフリートは思った。
きっと最もこの婚約を喜んだのは自分だ。
だから、ギルベルトは皆とは言うが、それがほぼ自分の為であると分かってしまった。
これほどまでにギルベルトが苦しんでいたのに気付けずにいたことに、先程とは比較にならない自分に対する激しい怒りと、ギルベルトへの憐憫が溢れた。
言葉にならず、ギルベルトをグッと抱き寄せると、あっけないほど抵抗がなかった。
何故自分を壊してまで他人を思ってしまうのか。
もっと利己的になっていいというのに。
だからせめて、その罪悪感を薄めてやりたかった。
「私は、そなたが辛い方が悲しいよ。だから、もう我慢しないでくれ」
そう優しく言うと、ギルベルトの身体から力が抜けた。
「うん。すまない、ジーク」
ジークフリートの肩に頭を預け、まるで領地にいた頃に戻ったかのような言葉に、そのギルベルトの心の傷の深さを知った。
もう「英雄」を取り繕うこともできないのだろう。
自分たちが知らないだけで、どれだけの仕打ちを受けたか知れなかった。
それから「英雄」は、一切社交界に顔を出さなくなった。ごく一部の人間以外、出会うことがあっても会話はおろか、その表情は一切を凍結させ、瞬き以外で表情が動くことはなかった。
社交界では侯爵令嬢との婚約破棄がしばらく席巻したが、令嬢が長の療養に入って社交界へ復帰できない事が明らかになると、皆声を潜めてはいるが更に憶測が飛び交った。
それは、王室や侯爵家からの無言の圧力が掛かるまで続いた。
ジークフリートは、わざと「人嫌い」である噂を流させた。そうすれば、ギルベルトを傷付ける人間も近寄らないだろうから。
溶けることの無い「永久凍土」であれば、誰にもなびかずとも不思議ではない。口さがない風聞から、それはギルベルトを守る盾になる。
冷たい盾しか与えられない自分を呪いながら、いつか、親友のその氷を溶かす人間が現れることを願った。
こうして出来上がったギルベルトの「永久凍土」だったが、いつしか傍らにそっと寄り添う赤と金の太陽に温められ、徐々に彼を覆う冷たい盾は、ジークフリートの願いどおりに溶かされていった。
アールスマイヤーの小さな太陽は、その大きな愛で乾いた永久凍土を潤し、喜びという種を蒔いて春を連れてきた。
普段は乏しい表情をギルベルトだけに蕩けさせる娘を、ギルベルトは眩しく愛おしく見つめる。
君がいなければ、この凍えた心は朽ちていただろう。
君がいなければ、皆から向けられる愛情にずっと目を背けていただろう。
けれど、もうそれは過去の自分だ。
君がいるから、世界は今、こんなにも輝いている。
最終話にして、タイトルを「虐げられた英雄、みんなに構われる」にしてもいいかもとちょっと思ったりしました。
そんな訳で、一応番外編も完結となりました。
本当に多くの方にご覧いただきまして、もう感謝の一言です。
また、誤字脱字報告をいただきありがとうございました。あまりの誤字の多さにビックリです。この作品は皆さんに育ててもらった作品となりました。
また番外編のモチベーションが上がりましたら、アップしたいと思いますので、その際はお付き合いいただけると嬉しいです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
作者の次回作も、また閲覧よろしくお願いします。