16 男装令嬢は……
最終話です。
「全部終わったな」
晴れ渡った初夏の空を見上げながら、隣に立つギルベルトが言った。
あれから2年が経った。
今は、伯父が住んでいる最北の地からの帰りだった。
全ての罪が明らかになった後、精神の均衡を崩した伯母は処刑を免れたが、それは回復の見込みがないためであった。
伯父の罪は、伯父自身の予想よりも軽くなった。爵位を返上し、その伯母を療養させるためにこの地にやって来ることを許されたのだ。
そこに、姪の嘆願があったことは、伯父は疑わなかっただろう。
名家の生まれで、薪一つ自分でくべたことの無い伯父には、北国の冬はさぞ厳しかっただろうと思う。それも、不覚に陥っている伯母の面倒も看ながらであり、食べることにも事欠いたであろうことは、想像に難くない。
だが、ディートたちが訪ねた時には、手際よく伯母に食事をさせていたところで、その後自らディートたちに茶を淹れてくれたのだ。
伯母は、このような辺境の寂れた場所の病床にあって、衣服も髪もきちんと整えられていた。
以前とは比べるべくもないが、質素でも綺麗に整えられて、伯母はニコニコと笑っていた。
夢の世界を彷徨いながらも、伯父の想いは心に届いているようだった。
ディートの胸に、様々な想いが去来する。
伯父も、祖父や伯母に翻弄された人生だった。
伯父は、社交界の白百合と呼ばれた祖母に似た、優美な貴公子だった。魔力も政治力も容姿も非凡な人間であったのだが、周囲の目は皆、クラウスに向いてしまった。
自分の息子であるアルバンも、存命だった父が自分に似たクラウスのように育てるべく、騎士然とした振る舞いをさせていた。
まるで、騎士らしからぬ容姿の伯父を認めないかのように。
全てが伯父を素通りしていく中で、伯父が何を思ったかは分からないが、それでも伯父は家族を愛していたことは確かだった。
もし、アールスマイヤーに生まれなければ、伯父は穏やかで愛情深い人生を歩めたのだろうか。
ディートは、まだ拙い淹れ方のお茶を口にしながら、アールスマイヤー家のその後の近況を話した。
アンネは、最初こそ不安定な精神状態になっていたが、徐々に自分が特別ではないことを感じ取って、最低限の身の周りの世話は出来るようになったようだ。そうしないと、水の一つも飲めないのだから当然といえば当然なのだが。
ガブリエラに植え付けられた異常なまでの自己愛は、完膚なきまでに叩かれているようだが、そうでもしないときっと死んでも治らない。
そこの修道院は、厳格だが人徳のある修道女長がおり、そんなアンネの我がままぶりを叩き折りつつ、投げ出さずに更生に付き合ってくれているようだ。
完全に心を入れ替えることは無理かもしれないが、少しでも他人との共感を学んでくれたらと思う。
アルバンのいるアールスマイヤー領は、真っ先にディートが訪ねて行った場所だ。
領地はそのままアールスマイヤー家の管理に落ちついた。人が亡くなったものの、言うなればお家騒動の域を出ず、当主は直接の関与が認められなかったことと、後継者であるアルバンには瑕疵が見つからなかったためだ。
何故真っ先かというと、例の開かずの扉の封印を解かなければならなかったからだ。
やはり扉は聖女の聖痕とあの剣がないと開かないようだったが、なんと試しにギルベルトが一撃を加えたら、あっさりと壊れてしまったのだ。
何人もの人生を狂わせたその扉の末路に、その場にいた3人は思わず声を上げて笑ってしまった。
きっとこの扉は、聖痕で開けては駄目だったのだろう。そうでなければ、ずっと祖父の呪縛から逃れられなかったかもしれないから。
暗い過去の祖父の妄執も、笑い声と共に全て消え去ったように思えた。
そうしてアルバンに、その権利書は渡った。
最初アルバンは、この権利はディートにあると固辞したのだが、ディートにはこの地を治める気も利権を管理する気もさらさらなかった。
押し付ける、とも言うが、この地に愛着の無いディートよりも、生まれた時から領主の嫡男として育ったアルバンの方が相応しいのは間違いない。
これまでの風聞で、あと数年は大変な領地経営となるだろうが、心を入れ替えたアルバンになら問題なく乗り越えられると思ったのだ。
良い情報と言えば、昨年の春に隣国の鉱石学の権威が、質の良い鉱石と名高いアールスマイヤー領を視察したいとの申し出があり、ひと月ほど伯爵家に滞在したのだが、その時に熱心に鉱山経営や鉱石自体についても学んだらしいので、その権威にアルバンは気に入られたらしい。
アルバンは言いにくそうにしていたが、今度は家族も連れてくるそうだが、どうやら年頃の娘がいるらしい。
そういう話は、領民にとってもいいものだと思う。
赤毛で金目の赤子を見るのも、遠い事ではないかもしれない。
それを聞いていた伯父は、かなり白髪の混じった髪を掻き上げると、「そうか」と呟いてテーブルに肘を突き、俯いた。
テーブルに小さな染みが出来たが、ディートもギルベルトも見えないふりをした。
そうして、伯父の家を後にしたのだが、休暇はまだまだ余っていた。
ディートもギルベルトも相変わらず第三騎士団で働いている。
結婚式は1年前に上げたのだが、二人とも仕事に忙殺されて、ろくに家にも帰らない生活だったのだ。
しかも、ジークフリートやらマテウスやら団員(第一騎士団も含め)やらが、やたらとギルベルトを連れ回し、夫婦水入らずの時間が持てずにいた。
とうとうギルベルトがキレて、夫婦揃った3ヵ月の休みをもぎ取った。
それもせっせと魔物の間引きをした夫婦がいて、湧きが減ったおかげでもあるのだが。
二人で馬を並べて街道を行くが、まさに平和そのものだった。
「さあて、これからどうしましょうか」
ディートが肩の荷が下りた清々しい顔で夫を見る。
ギルベルトは馬を寄せて、背中まで伸びた妻の赤い髪を一房取って指に絡めた。
「二人きりで過ごしたい」
「どこで?」
「どこででも。お前と二人なら」
ギルベルトは淡く微笑んで、妻の髪に口づける。
「もう、逆に難しいですよ。そうだ。このまま南下するとアンハル山の麓を通りますが、そこは温泉地みたいですよ」
「いいな」
「では、そこで美味しいものを食べて、少しゆっくりしましょう」
「そうだな。じきに二人きりでいられなくなるだろうし」
「ええ?まだふた月は休みが残ってると思いますが、仕事ですか?」
激務を片付けてきたのに、と不満を漏らす妻に、夫は淡い微笑みを艶っぽく変えて言った。
「そろそろ、新しい家族が欲しくはないか?」
一瞬顔が固まった妻だったが、その顔が徐々に赤く染まっていく。その様を見るのがギルベルトの楽しみの一つでもあった。
ゆっくりとした馬の歩みに、妻の赤い髪が揺れる。
その髪を更に攫うように吹いた風が、夫の耳に、小さな小さな「はい」という声を運んできた。
お付き合いありがとうございました。
たまに真面目な話を書こうかなと思い立ってやってみましたが、いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたら作者冥利に尽きます。




