15 男装令嬢は断罪する
その後すぐに屋敷は制圧された。
ギルベルトは、第一騎士団を伴って現れたのだ。
恐らくディートがいなくなってから日を越えていないはずだ。それがこれほど迅速に居所を突き止めるということは、何か仕掛けがあるはずだった。
ディートは、穏やかな笑顔を浮かべながら、ギルベルトに問い詰めた。
「ギルベルト様。もしかして、この指輪は魔道具では?」
ディートを抱えたままなので、ギルベルトは逃げる術がない。
何度か口をぱくぱくとさせた後、観念したように項垂れながら頷いた。
居場所を特定する魔道具、しかも婚約に贈ったものがそれだったとは、普通なら婚約を考え直すところだろうが、そんな束縛も嬉しく感じてしまうのは、もう惚れた弱みとしか言いようがなかった。
「仕方ないですね。今日の事に免じて許します」
そう言って、軽く唇に口付けた。驚くギルベルトに、今度は最上級の笑顔を贈る。
「ただし、これ以上は許しませんよ。私に魔道具を持たせたかったら、ちゃんと私の許可を取ってください」
「分かった。誓う」
しょんぼりして誓っているが、発覚しなかったら黙って魔道具を増やしたのではなかろうか。そこは婚約したとはいえ、きっちりけじめをつけなければならないところだ。
「もう、その指輪をするのは、嫌か?」
国の英雄と呼ばれる最強の騎士が、まるで母親に叱られる幼子のように尋ねるのに、ディートはもう一度、今度はしっかりと口付けてから言う。
「これは私のものです。誰にも渡しませんよ。もちろん、あなたが返せと言っても」
「……そうか」
そう少し嬉し気に言ってから、今度はギルベルトから軽く口付けた。
遠くから、「ちくしょう惚気やがって。やってられるか!」「今度絶対高い酒奢らせてやる!」という第一騎士団の怒声が聞こえてきたが、ギルベルトはどうやら聞こえないふりをするようだった。
制圧の終わった屋敷にディートは自分の足で歩いて向かった。
広い応接間に、伯父夫婦と雇われたと思われる男が4人いた。
うち一人は見たことのある男だった。記憶が薄れ始めているが、あの事故の日に御者をしていた男だ。
男は、伯母の嫁入りの際に、実家から連れてきた使用人のうちの一人だったようだ。
あの日以来、別領地で金を与えて囲っていたようで、何かの有事の際にはその男を使っていたようだった。
クラウスの屋敷からは、13年前に相続について話し合いがしたいと綴られた伯母からの手紙が見つかり、伯父には直前まで知らせずに来てほしいことと、伯父が体調を崩しているので、元気づけのため途中の街で買ってきて欲しいものがあるので、どの道を通って来てくれ、という指示内容も書かれていた。
ディートの証言、事故を装うための周到な前準備の手紙、実行犯の確保、そして、消えたはずの遺品の回収と、もはや言い逃れの出来ない証拠が揃ってしまった。
逆に、これは揃えらえたと言っていいほどで、ディートは伯父をそっと見た。
伯母は精神が不安定になり、既に騎士団の馬車で護送されていた。
ディートは、騎士団の指揮官を買って出てくれたらしい、統括のマテウスに尋ねた。
「マテウスおじさま。伯父と話をさせていただけませんか?」
指揮官としてではなく、父の過去を共有する知人として願い出た。
マテウスは渋い顔をしたが、ギルベルトと同席するなら、と許した。もちろんディートは最初からそのつもりだった。
「久しぶりに聞いたが、いいものだな、その『マテウスおじさま』は」
そう言って、榛色の瞳を細めて笑った。
そうして、一つの部屋を与えられた。あの父の書斎だ。
伯父と姪はソファに向い合せで座り、ギルベルトはディートの後ろに立った。
「では、伯父様。おっしゃりたいことがあれば伺います」
そうディートは切り出した。こちらから無理に聞き出すのでは意味がないからだ。
ハインツは、少し目を見開いて、だがすぐに平静になった。
「そうだな。例の部屋は、私の書斎の左端の棚を動かすと隠し扉がある。あとは見れば分かるだろう。それと、こんなことを頼むのはおこがましいとは思うが、出来ればアルバンとアンネには便宜を図ってほしい」
アンネはほぼ一生あの修道院からは出ることは出来ないだろうが、心づけをすれば最低の扱いはされないだろうという親心だ。それとアルバンは、普通に実力で王立学園を卒業し、王都へ遊学していたことからも優秀なのは間違いなく、少しの伝手さえあればどこででも働けることは分かっているので、その伝手をお願いされているのだ。
ディートはそれにしっかりと頷く。
やはり伯父はもう覚悟を決めているようだった。
だから尚更ディートは伯父の本心を聞きたかった。伯母はもう助からないにしても、伯父は情状酌量の余地がないわけではないのだ。
そんなディートの視線を感じ取ったのだろう。ハインツは小さな自嘲の笑みを浮かべた。
「お前にはずっと苦労を掛けていた。すまなかったな」
それは伯父の偽りのない懺悔であった。そこに見え隠れしているのは、後悔と微かに感じる誰へのものともつかない愛情だった。
「これは、私の推測ですが、間違っていたらそう言ってください」
ディートは頑なな伯父に畳みかけた。
「伯父様は、伯母様から私に向けられる殺意を逸らしてくださっていたのではないのですか?」
伯母のあの憎しみを目の当たりにして、それが伯爵家の中で発露しなかったことが不思議だった。それは、そのはけ口があったからではないかと思ったのだ。
「伯母様が私に対して一線を越えないよう、あえて私に厳しく当たっていたのではないのですか?」
伯母は根っからの貴族で、自分で手を下すことは絶対になかった。軟禁も折檻も、全て使用人を使っていた。その代替的に行われるものが、品位だと思っていた節もある。
そして伯母は、伯父が血の繋がった実の姪を虐げる行為で、伯父の愛情を測っていたのではないだろうかと思う。
だからこそ伯父は、ディートの限界とガブリエラの殺意の境界を見定めていたのではないか。
そこでハインツが笑った。その乾いた笑いに、ディートは訝し気に伯父を見る。
「お前は、本当にクラウスに似ているな。人の綺麗な部分だけを拾うのが得意だ」
嘲るような言い方であるが、どこか憧憬が滲む声だった。
「残念だが、私は確かにお前も弟も憎んでいたよ。お前たちは、父の呪縛そのものだった」
クラウスの活躍を遠く噂で耳にするたび、ディートが聖女に相応しい資質を見せるたび、まるでお前はアールスマイヤーを名乗る資格はないと言われているようだった、と。
「私一人が惨めになるくらい、眩しく光って見えた」
そう言って、大きなため息を吐いた。
「嫌になる程、本当にお前はクラウスに似ている」
ハインツの遠くを見る目とその声音は、懐かしさに溢れていた。
「自分より他人を心配して家を出るような馬鹿で、それが私が仕向けたことと分かっていたのに、父の勘気もガブリエラの憎しみも、全て自分が一人被って出て行ってしまった」
伯父は弟の婚約者となった令嬢をひっそりと愛していたのだ。クラウスはそれに気付き身を引くことを決めたが、それを祖父は許さなかった。それが、祖父と父の確執を深めたのは間違いない。事あるごとにハインツを弟の下風に立たせる祖父にクラウスが反発したのは、ハインツの中に燻ぶる父への憎しみを少しでも減らしたかったからか。
クラウス亡き今、もう理由はどうなのか知ることは出来ないが、間違いなくクラウスはハインツの為に家を出たのだ。
そういう伯父の中の父は、完璧な人間に見えるのだろうが、ディートは違うと思った。
勝手に父を、手の届かない存在にしないで欲しい。
「父は、多分そんなにいい人間ではなかったんですよ。あなたと同じに失敗もするし、後悔もしていた」
突然言い出した言葉に、ハインツは思わずディートを見つめた。
「この家での最後の夜、父は悩んでいた様子だったと、バルツァー統括に伺いました」
ギルベルトとの婚約の証人となってもらった際に、マテウスは言っていた。「お前の父は、アールスマイヤー家に罪悪感を感じていた」と。
それは、兄が家を出るよう仕向けたのを知っていて、あえてあの場から逃げ出すために利用したのだと。妄執の虜である父や、恋情と紙一重の執着を見せるガブリエラとの煩わしい日常を、全てハインツに押し付けてきたのだと。
父は、マテウスに苦し気に話していたのだ。
だから、関係の清算に応じるべく、二度と踏むまいと思っていた故郷の地へ戻る決心をしたのだろう。それは無念にも、父の思い描いた結末にはならなかったけど。
「父も伯父様も、互いが互いに罪悪感を抱いて、それを伝えないままだった。そして父は、あなたの気持ちを知ることは永遠に出来ない」
ディートがぽつりと言うと、見開いていたハインツの瞳から一粒涙が零れた。
「そうか……。私は言うべきことを伝えてこなかったから、間違えてしまったのだな」
父に、弟と比べられるのは嫌だと、妻に、愛しているから自分を見て欲しいと、弟に、本当は謝りたかったのだと、そう言えば良かったのだ。
心を伝えられなかったのは、伯父一人の責任ではない。だが、それに気付いたことは、燻ぶっていた感情を昇華するきっかけとなったのだ。
どこか憑き物が落ちたような顔で、ハインツはディートを見た。
「本当は、お前のことが誇らしかったよ。お前が私を『お父さま』と呼んでくれた時は、弟の代わりが出来たようで嬉しかった」
初めて聞く伯父の愛情ある言葉に、ディートの胸が詰まった。
「それを、私は妻の愛情と天秤に掛けてしまった。狭い世界でしか生きられなかったお前たちの関係が、いびつだと分かっていたんだ。いびつなお前たちを見て、それが正しいと認識したアンネが歪んでしまったと気付いた時には、既に遅かった。全ては私の咎だ」
クラウスの分まで憎しみをぶつけるガブリエラと、それを受け入れるしかない幼いディート。アールスマイヤー家ではそれが日常であって、ディートを虐げる母を真似ることは、アンネには自然なことだった。
歪みを正せる時機を逸したことを、ハインツは後悔していたのだ。
全てを許せる程ディートは出来た人間ではない。
それでも、伯父の後悔を見て見ぬふりをすれば、それは過去の伯父と同じで、きっと近い未来に自分も後悔することになると思った。
「伯父様。私は今とても幸せです」
そう言ってギルベルトを振り返った。それまで何も言わずに見守っていてくれたギルベルトの灰褐色の瞳が、自分を包むように見つめ返してくれた。
「私は、あなたの手から零れ落ちてしまいましたが、全て不幸になった訳ではありません」
ディートはひたすら前を向いて歩いてきた。だから辿り着いた場所がある。
だが、ふと後ろを振り返ってみて、自分が歩いた道を見れば、取りこぼしてきたものが見えたのだ。
「まだ、終わってはいません。伯父様は、これまで落としてきてしまったものを拾い上げなければなりません」
誰かを不幸にした分、それを生きて償う道を歩むのは、決して罪からの逃避ではないと思うのだ。
「私は、妻がお前の両親を手に掛けるのを止められなかったのだぞ」
伯父の最たる後悔は、きっとその事だろう。妻の暴走とその結果招いた弟の死。
過去は戻ってこない。でも、それを悔いるだけでは駄目なのだ。
「だからこそ、生きて償ってほしいと、きっと父もそう思っています」
辛い生を強要しているのかもしれない。何故あの時死なせてくれなかったと、いつか恨まれる日が来るかもしれない。
だが、自分が掴んだように、その先に思いも掛けない幸せが待っているかもしれない。
だからディートは、いつだって諦めない生の方に賭けてみたいと思うのだった。
ギルベルトは、すでにディートの尻に敷かれてます。
さて、いよいよ次は最終話です。
最後まで拙作にお付き合いくださると幸いです。