12 男装令嬢は婚約する
多分、R15で大丈夫なはず。
糖度多めです。
ディートは、正式に女性として認識されることになった。
第三騎士団は、魔物相手の荒事しかない団なので女性騎士はいないが、他の団では女性の採用枠があるため、ディートは強制的にそちらの寮へ移されることになった。
そのままでいいと言うのに、ギルベルトが頑として首を縦に振らなかったのだ。
それと、少し前から髪を伸ばしていたのだが、アンネの事件があってからは、ちゃんと伸ばし始めることにした。ギルベルトが、ディートの髪が好きだと言う。
今はまだ肩に届くくらいだが、もう少ししたら一つに結べるようになるだろう。
それは、ギルベルトのささやかな独占欲だった。それくらいは叶えたいと思ったから。
ディートはこれまでの経緯とトラウマで、ギルベルトに全てを委ねることが出来ずにいた。
昨今の貴族子女の貞操観念は緩くなっているようだが、口付け以上に進まない、それはそれは清い交際だった。
側に居る、それだけでいいと、ギルベルトは言う。
ギルベルトは大人の男性である。いろいろと我慢をさせている自覚はあったが、どうしても背中の傷を見せることを躊躇ってしまうのだった。
女性の体の傷を瑕疵と見たり蔑視したりするような人間ではないと分かってはいるが、ディートの積み重ねられた自己肯定力の低さは、簡単にその信頼を越えて臆病にしてしまっていた。
だからだろうか。
未だにディートは、「ディートリンデ」を名乗れずにいた。
首飾りの件は、まずアールスマイヤー家には悟られないよう、秘密裏に進められることになった。
下手に動きを勘付かれると、これまでのようにのらりくらりと躱されてしまう可能性が高かったからだ。
伯爵家は、ディートの両親の死に何かしら関わっているのか、ただの偶然で首飾りを手に入れたのか、慎重に探る必要があった。
アンネは迂闊が服を着て歩いているような人間であるが、伯爵その人はなかなかに裏工作に長けた人間であったのだ。簡単に尻尾は出さないだろうし、下手を打つと証拠を隠滅されるかもしれない恐れがあった。
ここしばらくは、伯爵家からの動きは無いが、一月後に社交期の終わりを告げる最後のパーティがあり、その時は伯爵家も王都へ出てくると思われるので、その時に何かあるかもしれないと備える必要があった。
だが、その警戒も必要だったが、何よりその際に、ギルベルトの陞爵の儀がある。いよいよ伯爵となるのだ。
人嫌いと言われる程、貴族の世界を嫌っているのに、今回は勲章や称号の授与ではなく、ギルベルトは陞爵を選んだ。
訳は黙して語らなかったが、何か深い意味があるのだろうと、あまり詮索はせずにいた。
それよりも今は、お祝いに何を贈ろうかディートは迷っているところだった。ささやかなものでもきっと喜んでくれると思うが、何か特別なものを贈りたいと思っていたのだ。
それを思うと、アールスマイヤー家のことで鬱々としていた気分が、嘘のように浮上するのだった。
ある日の業務終わりに、ギルベルトに呼び止められた。一緒の時間に終わることは、ここ最近無かったので、これから街に食事に出ようと誘われた。
今日はギルベルトの家の馬車で街まで行き、帰りは歩きか辻馬車を拾うことにした。
着いた先は高級店だ。場末の酒場だってディートには問題ないのだが、ギルベルトは何か改まっている様子だったので、黙ってその背中について行った。
なかなかに高級過ぎて緊張する食事も終わり、食後のワインを飲んでいる時だった。
給仕も人払いして二人になった個室に、ギルベルトの小さく吐いた息の音がする。
「ディート」
「はい」
改まった様子のギルベルトに、ディートは首を傾げて応える。
名を呼ばれはしたものの、ギルベルトはしばらく視線を彷徨わせていた。その後、何かを決心したらしく、今度はしっかりとディートの目を見た。
「今度の陞爵の式典だが……」
「はい」
「その後に、祝宴が、あるだろう」
「はい」
「それに、俺と出てくれないか?」
「え?」
祝宴は、普通異性を伴う場合は、相手は家族か婚約者か配偶者だ。
「俺の婚約者として」
言葉の意味を飲み込むと、頬に全身の血が集まってしまったかと錯覚するほど赤面したのが分かった。
ギルベルトは席を立ち、ディートの側に辿り着くと、床に膝を突いてディートの手を取った。
「こんな無骨で、戦うしか能の無い男だが、俺と結婚してほしい」
そう言って、ポケットから小さな箱を取り出すと、その中から指輪を取り出した。
シルバーグレイと金の台座に赤い貴石が嵌まっていた。互いの瞳の色とディートの髪色を備えたその指輪だけで、ギルベルトの想いが分かるものだった。
戦うこと以外本当に不器用な人が、これをどんな気持ちで用意してくれたのか、それを考えるだけで、ディートの胸は苦しいほどにいっぱいになった。
「でも、私は、国から英雄と呼ばれるあなたに、釣り合わないのでは……」
震える声でディートは訴える。元は伯爵家の一員でも、今はディートは何も持たないただの一騎士だ。対してギルベルトは、国が認める唯一の「英雄」であり、ディートなど選ばなくても、国中の権門の美貌も若さも備えた令嬢が、その隣を得るためにこぞって名乗りを挙げるような人間なのだ。
交際だけならいい。
だが、将来を約束するのは違うと思った。
ディートは、ギルベルトのために与えられる権威も栄誉も何も持たないからだ。
急に握られていた手に力が籠った。
「俺が陞爵する理由を言ってなかったからか」
少し後悔するような声音で呟くギルベルトだが、すぐに真っ直ぐにディートを見つめる。
「俺は、お前に少しでも釣り合うために、伯爵位を得るんだ」
ギルベルトは、ディートとまったく同じ考えだったようだ。互いが互いと釣り合っていないと思っている。
「そんな訳ありません。あなたは既に国でも比類ない地位を得ています」
「お前は、貴族世界にあまり浸かっていないのだったな。少し、話してもいいか?」
否定するディートに、ギルベルトは焦れるでもなく話を持ちかけた。この部屋には、食事するテーブルだけではなく、食後の茶を楽しむソファもあった。そちらへギルベルトはディートを誘うと、隣に座ってそっとディートの肩を抱き寄せた。
「俺は、前のスタンピードで、『英雄』の称号と男爵の地位を受けた。その時に、領地の代わりにかなりの褒賞を受けたせいか、王族の覚えがめでたくなったためか、様々な縁談が持ち込まれた」
確か、ギルベルトは元の姓をブルーメンタールと言ったが、男爵位を受けてアーレンスとなった。7年前のことで、ギルベルトは当時22歳、同年代では最も勢いのある人間だった。
褒賞も、下手な貴族の資産よりも多くなり、すぐ後に爵位を子爵に上げたので、将来の期待値から娘のいる貴族からひっきりなしに舞い込んだのは想像に難くない。
その中で、ジークフリートからも後ろ盾を得ることは悪い事ではないと、いくつかの権門の中から選ぶことを推奨された。
そして、友人の伝手で、婚約者の候補を選ぶに至った。
結果は、婚約前の破談が2回。婚約破棄が1回となった。
ギルベルトは、平民とはいえ、遠縁ではあるが東の領主一族ブルーメンタールの末席だ。
だが、所詮は田舎出の平民という意識が、王都の貴族たちにはこびりついていた。
親たちは、ギルベルトを王族への繋ぎとその資産目当て、娘たちはギルベルトの容姿と『英雄』の婚約者という地位が欲しいだけだった。
言葉の端々にギルベルトを見下す色が透けており、無骨なギルベルトを優しさを装ってずっと嘲笑っていた。
婚約に至らなかった令嬢は、過剰に身体に接触したり、高額な贈物をねだったりと、数回の逢瀬で辟易し、縁が無かったと遠回しに断ると、ギルベルトの陰口を触れ回った。
婚約までこぎつけた令嬢は、最初こそまともな関係を築けていると思っていたのだが、婚約が確定すると、まるでギルベルトを最高級の装飾品のように扱い、周囲に見せびらかすような行為を強要された。どうやら、『英雄』であるギルベルトが、自分を求めてやまないのだと周囲に見せたかったようで、大勢の前で主かのように威丈高に振舞ったり、他の男性との逢瀬にわざと遭遇させたりし、それを許すよう仕向けられた。
ジークフリートや友人を立てるつもりで、そんな仕打ちにも耐えていたが、見かねたジークフリートからその令嬢の家に接近を禁止する沙汰が下った。
そんな醜聞を、周りの貴族たちは面白おかしく噂する。
ギルベルトは、もう貴族との結婚をするつもりも失せ、後ろ盾を得るために我慢するくらいなら爵位を捨てると言い出したのを、ジークフリートが貴族が出席を義務付けられている社交場に出なくてもいいと約束して引き留めた。ジークフリートがギルベルトを側に置くためには、どうしても爵位が必要だったからだ。
こうして「人嫌い」の「永久凍土の君」が生まれ、やがてギルベルトは社交界から遠ざかり、貴族からは噂をバラまかれるばかりで、手を出したくても出せない存在となった。
「貴族の世界は、生まれが絶対だ。そして、お前は伯爵家の者だ」
長い時間を掛けて、ギルベルトが自分の過去を話した後、苦し気にそう言った。
きっとギルベルトが話していないことの方が多い。された仕打ちも当たり障りのないほんの一握りのことだろう。
「それにお前は、既にその魔力が『聖女』として相応しく、しかも『大聖女』級であると認識している」
その言葉に驚いたのはディートだった。
初めて聞いたことだったが、神殿は既にディートの力を把握していて、聖女として神殿に上がることを打診していたが、ジークフリートが騎士団に不可欠な存在として留めおいていたのだ。勿論それは、ギルベルトが望んでいるためであるが。
「『伯爵家』の『大聖女』に並ぶためには、『子爵』の『英雄』だけでは足りない。生まれはもうどうしようもないが、地位があればいい事を知った。俺がお前を得ても、誰にも非難させないためには、せめて同じ伯爵位が欲しかった」
心に傷を負って遠ざかった貴族の世界だが、そうまでして自分を求めているのだというギルベルトに、ディートは情けなくも嬉しすぎて、涙が溢れてきた。
それをギルベルトは、丁寧に口付けながら掬い取ってくれた。
「だから、お前自身が俺に相応しくないと言わないでくれ」
ディートの手を取って、その掌にそっと口付けられる。
それは、愛の懇願を意味する場所だった。
どうしたら、こんな想いを打ち明けられて臆病でいられるだろう。
「ギルベルト様。どうか、私の全てを、あなたのものにしてください」
耳元で囁くと、ギルベルトはその目を大きく瞠った。
そして、少し緊張で震える手でディートに指輪をはめると、その頬を包んだ。
「神とは本当にいるものだな」
これまでの不信心を悔いるように言うギルベルトが愛しくて、いつかギルベルトがしてくれたように、互いの額をそっと合わせた。
「私も今、そう思っていたところです」
貸し切りにした馬車がアーレンス家へ到着したのは、月が昇りきらぬうちだった。
家の使用人たちは何も言わずに、ギルベルトの部屋へ入る二人を見送り、家の灯りは慎ましやかに消された。
部屋は、ディートの願いで月明かりだけだった。
衣擦れの音とともに露になった背の傷に、ギルベルトは丁寧に口付けて、「代わってやりたい」とだけ言った。
ディートの凝り固まって淀んでいた心の澱は、その言葉ですべて洗い流されたようだった。
薄暗い部屋の中で混じる二人の浅い息と、身を穿つ痛みに翻弄されながらも、ディートは生まれて初めて得る喜びに心を委ねていた。
幼い日に失って以来、こうして再び自分に訪れた奇跡のような幸福という言葉を、ディートはしっかりと胸に抱いたのだった。
夜も更けた頃、幸福の余韻に浸りながら指輪の感触を思い出し、自分を腕に閉じ込めて横になるギルベルトに、ディートはふと思い付いたことを言った。
「ギルベルト様。私も何かあなたに贈りたいのです。欲しいものはありますか?」
ギルベルトは、少し考えた後、ディートの額に軽く口付けて言った。
「さっき貰った。お前の大切な物を」
その言葉の意味を考えて、ディートは盛大に赤面し、部屋が暗い事に感謝した。
翌日、若干の身体の不調のあるディートを支えながら、ギルベルトはジークフリートとバルツァー騎士団統括に面会を請い、養親の代わりに婚約の許可を得た。
成人していれば、証人2名がいれば婚約は成り立つ。それが王族であれば、養親すら口出しはできまい。
こうなることを予想して、ギルベルトは二人に根回しをしていたようだった。
「『永久凍土の君』は、どうやら溶かされてしまったようだな」
悪戯げに言うジークフリートに、ギルベルトは傍目からでもそうと分かる柔らかな笑みを浮かべた。
「はい。永久凍土は理想郷となりました」
初めて聞くギルベルトの冗談に、ジークフリートもディートも思わず本人を見てしまった。東の隣国に伝わる楽園の名を上げ、今しがた正式になった婚約者の手を取って指を絡め、そこに軽い口づけを落として言った。
「今なら、地下世界であろうと攻略できる気分です」
地下世界とは、神と相反する悪魔の世界だと言われている。冗談ではなく、本気で思っていそうだった。
『英雄』のあまりに変わり果てた姿に唖然とするも、素早く立ち直ったジークフリートは、大きな咳払いをする。
「まあ、愛想を尽かされない程度に、ほどほどにするんだぞ」
これまで聞いた中で、その言葉は最も含蓄のある言葉だった。
作者自身初の大人なシーンです。
今回は無事、邪魔が入ることなく完了致しました。(←言い方)
そろそろラストに向けて頑張りたいと思います。
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