5話『夏と山と海と時々アイス』
「キミは夏と聞いて、何を思う?」
窓の向こうでは蝉の鳴き声がうるさい、茹だるような暑い空気のまさに夏の風景が広がっている。
夏休みに入って二日目。こんな暑さの中でも、生徒たちは外で汗水を流しながら部活に励んでいる。
それに比べて、俺と先輩がいるこの生徒会室は天国と言っていいだろう。
生徒会権限だ、ということで六代前の生徒会長が設置したエアコンは今でも現役で、二十六度という俺には少し暑く感じるぐらいの冷風で生徒会室を涼しくしている。
どうして俺や先輩が、夏休みに生徒会室にいるかというと……端的に言えば、仕事だ。
生徒会に夏休みなんてあってないようなもので、生徒会庶務の席に座っている俺や生徒会長の先輩も例に漏れずにこうして仕事をしている訳である。
冷風に涼みながら仕事をしている最中、またいつものように突拍子もなく先輩が俺に問いかけてきた。
仕方なく仕事の手を止め、頬杖を着きながら先輩の問いに答える。
「何をって、暑いとかですか?」
「そんな当たり前なことを私が聞くと思うのか?」
「はぁ……じゃあ、先輩が望んでいる答えはどのようなものですか?」
「ふむ、それはだな」
そう言って先輩はコホンと咳払いしてから、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「夏と聞いて、山と海のどちらを思い浮かべるか、だ」
「山と、海?」
目をパチクリさせて首を傾げると、先輩は何度も頷いた。
夏と聞いて山と海のどちらを思い浮かべるか。どうしてそんなことを聞くのか疑問に思っていると、察したのか先輩は説明をし始める。
「夏休みというのは生徒たちに与えられた長期休暇、自由な期間だ。遊ぶもよし、勉強するもよし、悪いことさえしなければどう過ごしてもいい。学生の特権とも言える……そうだろう?」
「まぁ、社会人でも夏休みはあるでしょうけど、こんな長期の休みは早々ないですから」
「うむうむ、そうだろうそうだろう? そこで、だ。そんな夏休みにどこに行くのか、遠出をするならば山と海のどちらを選ぶのか。そういう意図を持った問いかけだ」
なるほど、そういうことか。
たしかに長期休暇中に遠出をするなら、山や海という選択もあるだろう。
そして、もう一つ分かったことがある。
「夏休みに仕事をしているのか嫌になったんですね?」
そう指摘すると、先輩はバンッとデスクを叩いて勢いよく立ち上がった。
「そうだ! なんで私たちは夏休みなのに学校に来て仕事をしているんだ!? 不公平とは思わないか!? 私たちは学生で、社会人ではないのだぞ!?」
「仕方ないでしょ、それが生徒会の役目です」
「仕方ないってことはないだろ!? だったらどうして私たちだけなんだ!? 副会長と会計はどうした!?」
「二人は祖父母の家に旅行中です」
「ずるい! ずーるーい! 私もどこか行きたいのに! 仕事があるから行けないのに!」
子供が駄々をこねるように不満を言いながら地団駄を踏む先輩に、やれやれとため息を一つ。
二日で我慢の限界が来たかぁ、と呆れつつ生徒会室にある冷蔵庫から事前に買ってあったアイスを取り出す。
「はい、先輩。アイスですよー」
「わーい、アイスだー! 準備がいいではないか、キミぃ!」
アイスを手渡すと先輩はさっきまでの不満を忘れ、ニコニコと嬉しそうにアイスを頬張り始めた。
これで少しは大人しくなるかな、と思いながら仕事を再開する。
すると、アイスを食べ終わった先輩は我に返ったようにまたデスクをバンッと叩いた。
「子供扱いするなぁ!? これで機嫌が治ると思ってるのかキミは!? 私をなんだと思ってる!? 先輩だぞ私は! 先輩! しかも生徒会長だぞ!?」
「先輩で生徒会長なら大人しく仕事して下さいよ。あと、アイスは一日一つだけですよ?」
「だから! 子供扱いをするなと言ってるだろ! アイスはごちそうさま! ありがとうございますぅ!」
烈火の如く怒っていても、ちゃんとお礼が出来る先輩は偉い。親御さんがしっかりと躾を施したからこそだろう。
目を細めながらうんうんと頷いて先輩を見つめていると、先輩はまた地団駄を踏む。
「子供を見るような目で見るな! あと、私の問いに答えていないぞ!」
「えっと、バニラ味とチョコ味のどちらのアイスが好きかって話でしたか? 俺は抹茶派です」
「違う! あと私はストロベリー派だ! そうじゃなくて、夏と聞いて山と海のどちらを思い浮かべるかという問いだ!」
「アイスと言えば、駅前にアイス専門店が出来たみたいですよ」
「え、本当? 行ってみたい」
「仕事が終わったら行きますか?」
「うん、行く! って、違うわぁ!」
満面の笑みを浮かべていた先輩が、いきなり俺に向かって消しゴムを投げてきた。
消しゴムは真っ直ぐに俺の額を捉え、スコーンと衝撃に仰反る。
「あ痛!? ちょっと、消しゴムを投げないで下さいよ。これ、生徒会の備品ですよ?」
「え? 注意するところ、そこ? それはごめ……だから、違う! 話を逸らすな!?」
ダメだったか。少し痛む額を手で撫でながら、深いため息を吐いた。
「山か海か、でしたね? 俺は家です」
「三つ目の選択肢!? なんだキミは、インドア派か?」
「こんなクソ暑いのに外に出ること自体、考えられませんよ。家でゲームしたり映画観た方がよくないですか?」
「む、まぁ……分からなくもないが」
そもそも、夏休みだからと言って外に出なければならないなんて決まりはない。
夏休みが学生に与えられた特権で自由ならば、家で過ごすのも間違ってないはずだ。
「それに、こんな暑いのに外に出たら熱中症になってしまいますよ。意外と危ないですからね、熱中症は」
「そうだな、しっかりと水分と塩分を補給しないといけない。それは夏休み前の学校集会で話したからな。って、違う違う。話の趣旨がズレてる」
納得しかけていた先輩は首を横に振り、改めて問いかけてくる。
「仮に、どちらかに行かなければならない場合。キミは山と海のどちらを選ぶ?」
「絶対にどっちかですか?」
「絶対にどちらか、だ」
外に出たくないインドアな俺が、絶対にどっちかに行かなければならないという究極の二択。
その二択で、夏と聞いて思い浮かんだことを直感で答えた。
「海、ですかね?」
「ほう、海か。その心は?」
「虫が嫌いなんで」
「それが理由? まぁ、私も苦手だが」
意外そうに目を丸くしている先輩。だって虫、気持ち悪いし。
男なのに情けないという意見もあるだろうけど、性別は関係ないだろう。男でもスイーツが好きな人はいるし、女でも豚骨油マシマシのコッテリラーメンが好きな人もいる。
ラーメン食いたいな、と思いながら先輩に向かって肩をすくめる。
「まぁ、夏と聞けば大抵の人は海と答えるんじゃないですか?」
「なるほどな、つまりキミは女性の水着を見て夏を感じるということだな」
「言ってませんけど?」
何を言っているんだこの先輩は、とジトッと睨みつける。
一言も水着目当てで海を思い浮かべた、なんて言ってなんだけど。
だけど、先輩は俺を無視してニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「そうかそうか、枯れているように見えてキミもしっかりと男の子ではないか」
「言ってませんって」
「たしかに魅力に思うだろう。大丈夫だ、私はキミの考えを否定するつもりも軽蔑したりもしない。男ならば仕方ないことだ。ちゃんと理解しているさ」
「言ってねぇって」
勝手に盛り上がらないで欲しいんだけど。
すると、先輩はフフンッと自慢げに鼻を鳴らし、制服の上からでも分かるぐらい豊満な胸を押し上げるように腕を組んだ。
「つまり、キミは私の水着姿を見たいということだな? このスケベ」
「言ってません。スケベでもありません」
「いやぁ、私も罪な女だな。こうして生徒会室に二人でいる間も、キミは私を見て水着姿を思い浮かべてしまう訳だ。たしかに? 私はそれなりにスタイルがいいと自負しているし? まったく、こうして普通に過ごしているだけでも私は幼気な男子高校生の心を乱してしまってるのだなぁ」
つらつらと饒舌になりながら、調子に乗り始めている先輩。 客観的に見ても先輩は美少女でスタイル抜群なのは否定しない。だけど、こうやって目の前で調子に乗られると面白くないな。
その鼻っ柱、折ってやろう。
「先輩、水着になれるんですか? さっきアイス食べてたのに」
俺の一言に、調子に乗っていた先輩は時が止まったように動かなくなった。
そして、顔を真っ赤にしながらバンバンッとデスクを叩く。
「な、なな、何を言っているんだキミは!? デリカシーというものがないのか!?」
「デリカシーで言ったら先輩もどっこいでしょ」
「あ、アイス一つで太るような体ではない! 問題なく水着になれる!」
「へぇ、そうなんですか。そういえば、昨日の先輩の昼食とおやつは……」
「言うな!」
ギャーギャーと騒ぐ先輩に、俺はさっきの仕返しとばかりに責め立てる。
「運動もしないで男子顔負けのでかい弁当を食べ、トドメとばかりにデザートを貪り食う。そんな人が水着になれるとは思えませんね」
「貪り食う!? なんだその表現! 私は普通に食べてたぞ!? それにでかい弁当って……いや、まぁ、ちょっとは大きいとは思うけど」
「自分のスタイルに自信があるのは構いませんが、そんな不摂生を繰り返していれば大変なことになると思いますけど? 若いからなんて言い訳が通用しなくなるのも時間の問題ですし」
「ぐ、ぬぬ……」
「さて、先輩。俺の前で水着になれますか? 本当に?」
意趣返しにニヤニヤと笑いながら言うと、先輩は悔しそうにデスクを叩いていた。
論破完了、俺の勝ち。どうして負けたのか明日までに考え、今日は大人しく仕事をしてて下さい。
そう思っていると、先輩は涙目になりながらカバンを手に取った。
「うるさいバーカ! デリカシーのないアンポンタン! もういい! 私、帰る!」
「ちょっと仕事は……」
「明日やる! もう帰る! 駅前のアイス専門店でやけ食いする!」
俺の制止を振り切って先輩は扉に手をかける。
そして、涙目になりながら頬を膨らませて、俺を睨んできた。
「せっかく新しい水着を買ったから、仕事が終わったらプールにでもって思ってたのに……もういい!」
「え」
最後にそれだけ言い捨てて、先輩は去っていく。
取り残された俺は目を見開き、口をあんぐりと開けながら呆然とすることしか出来なかった。
先輩が最後に言い残した言葉、新しい水着を買ったからプールにでも、だって?
あの誰が見ても美少女でスタイル抜群の先輩の、水着姿?
「__やらかしたぁぁッ!?」
非常にもったいないことをしたと、俺の慟哭が生徒会室に響くのだった。
お読み頂きありがとうございます!
あと2話ほどで完結にしようと思います!
最後までお付き合い下さい!