2話『哲学とソクラテスとキャラクターと大量の仕事」
「世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ……という名言を知っているかな?」
生徒会室で仕事をしていると、ふと先輩がニヒルな笑みを浮かべながら俺に聞いてきた。
ペンを走らせていた手を止め、ため息混じりに先輩に目を向ける。
「なんですか、いきなり」
「単なる雑談さ。それで、キミは知ってるかい?」
「たしか、ソクラテスの言葉……ですよね?」
朧げな記憶を辿って答えると、先輩は満足げに頷いた。
「そう、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの名言だよ。なんだ、意外に博識じゃないか」
「そこまで詳しい訳じゃないですけどね。それで、それがなんなんですか?」
「ふむ、ならこの言葉の意味は分かるかな?」
意味、と聞かれて一度考える。
「自分の環境を変えたいなら、まずは自分自身で動いた方がいい……ですかね?」
「うむ、私も同じ考えだ。自分の環境、つまりは世界。それを変えるには、まずは自分から動き、変える必要がある。そう言った意味を持つ言葉だと認識している」
うんうんと何度か頷いてから、先輩は勢いよく立ち上がった。
「そう! つまりは__こんなに仕事に忙殺されているような今の環境はおかしいから、私自身が変わらねばならないということだ! なんだこの書類の山は!?」
感情を爆発させた先輩は、うがーと頭を掻きながらデスクに置かれた書類の山を指差す。
立ち上がった衝撃でグラグラと揺れて崩れそうになる書類の山を慌てて手で抑えた先輩は、ホッと胸を撫で下ろしてからキッと睨んできた。
「どうしてこんなに仕事があるんだ!? どうなってるんだ!?」
「仕方ないでしょう。部活動の予算割り当て、他校との合同奉仕活動、今度の定例会議での資料作り……色んな仕事がブッキングした上に、副会長と会計が風邪で寝込んでるんですから。残っているのは先輩と、庶務の俺だけです」
あらゆる仕事が一気に重なり、しかも生徒会のメンバー四人のうち二人が風邪で欠席。膨大な量の仕事を俺と先輩の二人でこなさないといけない状態だ。
そもそも、と俺は不満げにしている先輩をジロッと見つめる。
「先輩が仕事を先延ばしにしてたのが原因でしょう?」
「うぐ……」
「男子からの告白、女子からの相談、教師からの頼み事、学食のおばちゃんとの会議という名の雑談……先輩だけが悪いとは言いませんが、結果的にこうなったのは自業自得でしょうに。生徒会のメンバーはみんな優秀だから、このぐらいの量などすぐに終わる! って豪語してたのも……」
つらつらと説教をしていると、先輩はバンッとデスクを叩いた。
「えぇい、うるさいうるさい! キミは小姑か何かか!? 私よりも年下のくせに、どうしてそう説教くさいんだ!?」
「俺より年上ならもっとしっかりして下さいよ」
逆上しながらまた崩れそうになった書類の山を抱きついて抑えている先輩に、やれやれとため息を漏らす。
すると、先輩はグヌヌと呻きながらビシッと俺を指差してきた。
「とにかく! 私は今のこの環境を変えるためにも、私自身を変えねばならぬと思ったのだ! そう! かのソクラテスが言っていた言葉の通りに!」
「世界を動かす前に、手を動かして欲しいんですけど」
「えぇい! 上手いこと言ったつもりか!? 座布団などやらないからな!?」
いりませんよ、と言葉にしないで代わりにため息で返す。
こうなると長いんだよなぁ、と残った仕事のことを思いつつも頬杖を着いて先輩に付き合うことにした。
「それで? どう自分を変えるつもりですか?」
「ふむ、そうだな……まず、このような状況に陥った原因から探る必要があるな」
原因、ねぇ?
さっき俺が言った通り、色んな人からの頼み事やらを断らずに仕事を先延ばしにしたのが原因だと思うけど。
と言っても、それが先輩のいい所でもある。どんな悩みだろうが、話したこともない男子からの告白だろうが、先輩は真摯に向き合い、しっかりと答えを出す人だ。
だからこそ、先輩は誰からも慕われ、人気がある。生徒会選挙投票でぶっちぎりの一位を取ったのは、伊達ではないってことだ。
さて、先輩はどんな答えを出すのか。顎に手を当てて思考を巡らせていた先輩は、静かに口を開いた。
「キャラクターを変えてみる、とかか?」
「キャラクター? 性格ってことですか?」
「うむ、そうだ。私は自分で言うのもなんだが、頼りになる美少女優等生だろう?」
「まぁ、そうですね」
客観的に見ても、頼りになる美少女優等生で間違いない。俺の前では子供っぽい素が出てるけど。
否定せずに肯定すると、先輩は頬を赤らめながらそっぽを向いた。
「ど、どうしてキミは変なところで素直なんだ? いつもは私を小馬鹿にするような態度のくせに。あれか、ツンデレという奴か?」
「違います。あと、小馬鹿にしてません」
子供扱いして適当にあしらってるだけです。そう言うと確実に面倒なことになるから、心に秘めておく。
先輩はコホンと咳払いしてから、話を戻した。
「と、とにかく。私は今の自分のキャラクターを変え、誰からも頼られない普通の美少女になればいいのでは、と考えた訳だ」
「普通の美少女とは……まぁ、いいですけど。それで? どう変えるんですか?」
俺が聞くと、先輩はニヤリと不敵に笑う。
「まずは、正反対のキャラクターになってみようか」
「正反対?」
「あぁ、そうだ。そうだな……ヤンキー美少女、と言うのはどうだろう?」
美少女は変えないのか。それにしても、ヤンキーねぇ。
「出来るんですか?」
「無論だ! 私を誰だと思っている! 私ならば、誰もが認めるヤンキー美少女になって見せよう!」
見てろ、と先輩は咳払いをすると赤いフレームの眼鏡を外し、俺を鋭く睨んできた。
おぉ、意外と様になってる気がするな。期待していると、先輩は口角を歪ませて口を開いた。
「__おう、指詰めろや」
「それ極道です。ヤンキーじゃないです」
一段階上の立場の人になっちゃったよ。先輩の思っているヤンキー像って、極道だったようだ。
即座にツッコむと、先輩は「ふむ」と顎に手を置く。
「違ったか?」
「違いますね。ヤンキー通り越してやばい人になってます」
「ヤンキーはドスを持ってたりしないのか?」
「ドスって言うな」
思わず敬語が抜けてしまった。
すぐにヤンキーキャラクターを辞めさせて、違うのを求める。先輩は首を捻りながら悩み、次のキャラクターを考えていた。
「ふむ、なら次は……おバカキャラ、はどうだろう?」
「おバカキャラ、ですか?」
「あぁ、そうさ。自分で言うのもなんだが、私は成績優秀の美少女生徒会長だ。その私が、おバカなキャラクターになれば、誰も私に頼ったりしないだろう?」
言ってることは分かるけど、出来るのだろうか?
さっきのことを思うと、無理な気がするな。
「……じゃあとりあえず、やってみて下さいよ」
「いいだろう、ちょっと待っていろ」
そう言って先輩は目を閉じ、数秒の間を空ける。
そして、目を見開くと__。
「キャルルーン! 私、おバカだからよく分かんなーい!」
「それはただの痛い人です。あと、おバカなキャラは自分をおバカとは言いません」
先輩の思うおバカキャラクター像って、誰をイメージしてるんだろうか?
やっぱり無理だったな、とため息を吐く。生徒会に入って先輩と絡むようになってから、ため息が増えた気がするなぁと思いつつ先輩に提案してみた。
「キャラクターを変えるよりも、手っ取り早い方法がありますよ」
「ふむ、例えば?」
「そうですね、仕事を先延ばしにしないことから始めてみればよろしいのでは?」
「うぐッ!?」
そもそもの原因は、先輩が仕事を先延ばしにしていたからだ。 はっきりと指摘すると、先輩はまるで痛いところを突かれたとばかりに仰け反った。
「あと、いくら仕事が忙しくて嫌になったからと言って、キャラクターを変えるなんていう現実逃避をしないことですかね」
「うぐぬッ!?」
「現実と向き合いましょうよ。世界を変えるのは、それからです」
「うぐぁッ!?」
先輩は俺の言葉に耐えきれず、がっくりと項垂れる。
あぁ、ソクラテスと言えば……。
「汝自身を知れ、と言う言葉もありますね。仕事を先延ばしていた自分をしっかりと理解して見直し、残っている仕事を片付けましょう」
「……ソクラテスなんて嫌いだ」
ソクラテスは何も悪くありません。
不貞腐れている先輩を適当にあしらいながら、残っている仕事に取り掛かるのだった。
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