1話『善と悪とプリンと三百円』
「この世には善と悪が存在する。ある人が善だと言っても、他の人からすると悪にもなり得る。その逆も然りだ。善、つまりは正義だとして、それを判断するのは自分ではなく、大多数の人の意見で決まるものだと私は思う。しかし、他の誰が言おうとも自分が正義だと、善だと言えば、その人にとっては善となる。世の中はそうやって回っていると、そうは思わないかい?」
目の前にいる一個上の先輩が、制服の上からでも分かるほど豊満な胸を押し上げるように腕組みしながら、俺に言う。
綺麗な黒いショートボブに理知的な赤いフレームの眼鏡をかけた先輩は、客観的に見ても美人と言える顔立ちをしていた。
いわゆる、美少女だ。現に、先輩は男子からモテる。告白されるのは日常茶飯事で、断っているのも日常茶飯事だ。
しかも、男子にモテている先輩は女子の人気も高い。整った顔立ちと大人顔負けのスタイル、加えて性格も優しくて誰であろうと分け隔てない。
頭もよく、頼りなるクールな先輩は、女子にもモテていた。
そう、彼女はこの学校の高嶺の花。男子女子関係なく、人気のある人だ。
そんな先輩を前にした俺は、やれやれとため息を漏らす。
「……で、それが俺のプリンを食べたことと何か関係があるんですか? あと、口にプリン付いてますよ」
頬杖を突きながらジトッと先輩を睨んで言うと、先輩は一気に顔を赤く染めながらハンカチで口を拭った。
そして、コホンとわざとらしく咳払いをしてから、ニヒルに笑う。
「あぁ、もちろんだとも。つまり、私がキミのプリンを食べたというのは他人からすると悪と分類される行動だと言える。だが、私がそれを善だと言えば、それは善だ。私は悪くない」
「いや、悪いでしょ。人のプリンを無許可で食べてよくそんなことが言えますね。あと、プリンが付いているのは反対側ですよ」
小難しいことをつらつらと並び立てて理論武装しているけど、要は俺のプリン食べたけど私は悪くないもん、って言ってるだけだ。
俺の指摘に先輩はプリンが付いている方の口元をハンカチで拭い、またコホンと咳払いする。
「それはキミの意見だろう? そもそも、冷蔵庫の中にプリンを置いているキミの方が悪いとは思わないかな? 生徒会室にある冷蔵庫は、私が学校に寄付したもの。つまりは、私のものだ。その冷蔵庫の中に私の好物であるプリンが置いてある。それは、私のものと同義ではないかい?」
「同義じゃないです。あと、学校に寄付した時点であなたのものではありません。学校のものです」
生徒会長のくせに、何を子供のような言い訳をしているんだろうか。
そう言うと先輩はグヌッと呻いたけど、すぐに取り繕うように鼻を鳴らす。
「ま、まぁそうとも言えるな。それに、プリンがキミのものだという証拠がない。だから、私が食べても問題はないだろう?」
「名前書いてましたよ。ついでに、レシートもあります。面倒なんで端数はいいので、三百円下さい」
レシートをテーブルに置きながら、手を差し出した。
先輩はチラッと空になったプリンの蓋を見て、そこに俺の名前が書いてあるのを確認する。
「うわ、本当に書いてるし……お、オホン! た、確かに書いてあるな。だが、私はそれに気付けなかった。つまり、悪気はなかった。これはいわゆる……えっと、そう! 事故だ。事故なんだよ。私はキミのものだと思って食べた訳ではなく、気付かずに食べてしまった。結論、私は悪くない。そうだろう?」
「事故を起こした側が事故を起こしたくて起こした訳じゃないから悪くない、と?」
「え、いや、そういうことではなくて……」
「どうでもいいですけど、俺のプリンを食べたことには変わりないですよね? 悪気がなくても、その事実は変わりません。三百円支払って、どうぞ」
ズイッと手を伸ばすと、先輩はグヌヌと悔しげに呻く。
すると、何かを思い付いたのかニヤリと笑みを浮かべた。
「こ、ここは生徒会室。私は生徒会長で、キミは書記。つまり、私の権限はキミより上だ。そうだ……」
「パワハラですよ」
言い切る前に、言い放つ。
ピタリと動きを止める先輩に、俺はやれやれと深いため息を吐いた。
「どうでもいいですから、早く三百円下さいよ。俺より上の立場なら、それぐらい持っているでしょう?」
「……再来週まで待ってくれないかな?」
「トイチで」
「この悪徳闇金融がぁ!」
十日で一割でいいですよ、と言葉少なく答えると、先輩はバンッとテーブルを叩いて声を張り上げる。闇金融は総じて悪徳でしょうよ。
そのまま先輩はテーブルに顔を突っ伏し、肩を震わせて泣き始めた。
「小遣い貰えるのが再来週なんだよぉ、今はお金がないんだよぉ。それなのに、キミって奴は……私が金欠で甘いものが食べられない時に、冷蔵庫にプリンなんて甘味を置いてさぁ。どうせ私が羨ましげに見てる前で食べるつもりだったんだろー? 私が食べられない、のに……?」
泣き崩れてグダグダと文句を言っていた先輩が、いきなり顔を上げた。
そして、勝利を確信したように自慢げに胸を張りながら、俺をビシッと指差す。
「そうだ! キミが悪いんだ! ひもじい思いをしている私の前でプリンを食べようとするその悪行! だから私は、正義の名の下にプリンを食べたのだ! つまり、私は悪くない! 悪いにはキミだ! 私が三百円を払う必要はなく、謝る必要もない!」
「自分の正義が他の人からすると悪のように、俺にとっては先輩の方が悪です。お金がないのは自分のせいでしょう? 俺のせいにしないで下さい。三百円を払い、勝手に俺のプリンを食べたことを素直に謝って下さい」
「__ウワァァン! ケチだ! キミはケチな人間だ! 貧乏人から金をむしり取る既得権益者め!」
「生徒会長の先輩の方が権力を持ってるでしょうに……」
どうやっても自分の過失を認めないつもりのようだ。
やれやれと肩をすくめながら、立ち上がる。すると、先輩は途端にビクビクと怯え始めた。
「な、なんだ、暴力か? 力でどうにかするつもりなのか? そ、そんなことは許さないぞ……わ、私は生徒会長だぞ? そ、そうだ、話をしよう。話し合いで解決を」
「それ、殺される人の決まり文句では? あと、別に力で解決するつもりはありませんよ。俺、悪くないですし」
拳を構えて体をプルプルと震わせる先輩を無視して、冷蔵庫に向かう。
そして、冷蔵庫の上部にある冷凍の扉を開き、そこから誰もが知ってるソーダ味のアイスを取り出した。
袋を開けてアイスを一口。シャーベットの感触と冷たさ、ソーダ味の甘さに舌鼓を打つ。
「あー! あー! なんで、なんでアイスが!?」
「プリンと一緒に買ってたんです。先輩に、と思って。でも、プリン食べたんならいらないですよね?」
「ずるい! ずーるーい! 私もアイス食べたい! それ、私の!」
「俺のです」
ギャーギャーと子供のように駄々をこねる先輩を前に、俺はアイスを食べる。
男子女子共に人気がある、誰もが羨む美少女生徒会長。
蓋を開けてみれば、普通の女子高校生だったりする……普通、と言うには子供っぽいけど。
食べ終わってからふとアイスの棒を見てみると、そこにある文字が書かれていた。
「あ。当たりだ」
「え、本当!? 私の分! 私の分のアイス! ちょうだいちょうだい!」
さっきまで恨めしげに睨んでいたのに、途端にキラキラと目を輝かせる先輩。
こんな姿、他の生徒が見たらどうなるんだろう?
「……むしろ、人気が出そうだな」
「いいから早くちょうだい! というか交換してきて! 急いで! 今すぐ!」
当たり棒、ここで折ったらどうなるのかな?
そんなことを思いながら、俺の前でしか見せない素の姿を晒している先輩を見て、ため息を漏らすのだった。
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