前編
肌寒くなるこの時期に毎年男はこの廃城を訪れた。
長い時代を知る男であったが、この城の起源は知らなかった。
ただ、物心ついた時から、ここは人の住むことのない朽ちかけた城であり、城壁の一部さえ今はもう残ってはいなかった。
ただただ小高い丘の上に建物の痕跡が残るばかりだ。
その崩れた石壁の一つに腰を下ろし、男はただひたすらに待ち続けていた。
それはとある女と交わした約束の日であったのだ。
女とは同じ村で生まれ育った幼馴染だった。
子供時代には、この廃城にやってきて一緒に遊んだ。
そして、いつか一緒になろうと誓い合った。
どこにでもあるようなありふれた話であった。
そして、やはりよくあるように、その誓いが果たされることはなかった。
厳しい時代でもあったのだ。
魔物や盗賊、戦争や貧困、あまりにも幼かった二人は抗う術もなく運命に引きさかれた。
丘の上で待ち続ける男の元に向かって、誰かが丘を駆け上がってきた。
それは一人の兵士であった。
息を切らし、重そうに甲冑を揺らしながら草の中を必死に男の方へ向かって走ってくる。
「勇者様!」
男は思わず顔を背けたくなった。
この日、この場所を離れる気などなかったのだ。
もともと男は勇者として生まれたわけではない。
男は転生し続け、今回で9度目であった。
8回も転生しているということは8回分のスキルがあるということなのだ。
産まれた時から魔法が使え、剣を持てばその武器の技を自在に扱えた。
数百年も生きてスキルを磨き、強くなった力がそのまま受け継がれている。
それ故、6度目に転生したあたりから勇者と呼ばれるようになった。
世界を救えと言われる。
魔物を倒せと頼まれる。
花嫁にしてほしいとすがられる。
魔王を倒すためにここで彼女を待てない年もあった。
その時にすれ違っていたかもしれない。
この世界を何度救っても、愛した女一人救えない。
転生9度目の今度こそ、毎年この場所で待つと決めていた。
だが、勇者を呼びに来た兵士は血まみれであった。
「勇者様!魔物が出ました!」
深手を負っている兵士に治癒の魔法をかける。
兵士はみるみる回復し、勇者を連れてふもとの村へ戻ろうとした。
「行きましょう!」
男の驚異的な能力を秘めた目からは人の肉眼では見えない村の様子がよく見えた。
魔物に蹂躙され、逃げ惑う人々と倒されていく兵士達。
だが男は躊躇った。
もしかしたら今年こそ、彼女が来るかもしれない。
さらに、自分が待てなかった年にも、彼女は来ていたかもしれない。
そう考えればもう9度目だ。
どれほどの年月を待たせていることになるのか。
焦燥に身を焼かれそうになるのを必死に堪え、どす黒い感情に飲まれないように心を抑え込む。
「勇者様?」
「お前たちは俺に救ってくれという。だが、俺の救いたいものに無関心だ」
勇者は動かない。火の手が上がり、ついにここからでもその炎が見えるほどになった。
「勇者様、お願いです!」
兵士の声が切羽詰まったものになった。
勇者は弱者を必ず救わなければならないと誰が決めたのか。
だが、もし見殺しにしたら彼女がどんな顔をするのかわかっていた。
男は鉛のように重い足を引きずるように持ち上げた。
それでも、地面を蹴れば一瞬であった。
蹴り上げ、足が地面を離れた瞬間に、大砲が打ち出されるように体が前に飛んでいく。
数秒足らずで燃えあがる村の真ん中にいた。
そして周りの魔物たちを一瞬で跳ね飛ばした。
オークやゴブリンどもだ。この程度であれば剣を振るうまでもなかった。
だが上空で鼓膜が破れそうな咆哮が轟いた。
ドラゴンだ。
さすがに一瞬では終わらせることは出来ない。
男は剣を構える。
倒せる敵ではあるが、それでもいくらか時間はかかるのだ。
あの丘を登り、誰も待っていないことを確かめ、そして失望し去るほどの時間はかかる。
どうか今は来ないでくれ。
もし来てしまっていたら、待っていてくれ。
切に願いながら男は地面を蹴り、ドラゴンの飛ぶ中空まで跳躍した。
__
彼女と最初に別れた日のことをまだ覚えていた。
最初の人生、まだ無力で幼いだけの頃であった。
彼女の家は貧しかった。
親に娼館に売られるところだったのを冒険者ギルドが買い取った。
まだ娼館で働ける歳ではなかったからだ。
男も一人で稼げる歳ではなかった。
彼女を買い取りに来た冒険者ギルドの人達の中には女戦士もいた。
物々しい装備で身を固めた男たちに交じって、女戦士も傷だらけであったのだ。
むき出しの肌には刀傷や魔物に襲われた傷が見て取れた。
彼女もこんな危険な目に合うのかと思うと心配で仕方がなかった。
性格的にも戦闘には向いていない。
彼女が冒険者ギルドからやってきた連中に連れて行かれる時、男は約束した。
「大きくなってお金を稼いで迎えに行くから」
女は冒険者ギルドに所属する奴隷の一人になったのだ。
それが、最初の別れであった。
冒険者ギルドに買い取られた子供は下働きから始める。
冒険者が狩った獲物の解体や、戦利品の仕分けなどだ。
訓練を重ねると、村が襲われた時などの冒険者が間に合わない時のつなぎや、新人冒険者がスキルを磨く森やダンジョンの見回りといった危険な仕事が増える。
男はまだ働ける歳になる前から冒険に出た。
必死に戦い、戦利品を売ってお金を貯めていった。
数年、女もなんとか生き延びていた。
そして男はようやく女を買い取れるほどの資金が貯められそうであった。
あと数日でそれが達成できると伝えようと冒険者ギルドに顔を出した時、彼女が今危険な森にいることを知った。
駆け付けると、そこは大惨事であった。
冒険者ギルドの奴隷たちは新人冒険者たちを守って魔物と戦っていたが、全く勝ち目がなかった。
力尽きている者たちさえいたのだ。
女は生きていた。
男は傍に駆けつけ逃げるように告げた。
だが、この魔物を倒さず逃げては罰金が追加されるかもしれない。
「俺が必ず魔物を倒す。お前は逃げろ。
もうすぐお前を買い戻すための金が出来る。数日も待たせない。
だから、安全なところに身を隠していてほしい。
あの廃城の前で三日後待ち合わせだ。そこで会おう。」
心配そうな女に大丈夫だと告げると、女は血と埃に汚れた顔で頷いた。
「気をつけてね」
手傷を負っていた女に手持ちのポーションを渡した。
敵を一人でひきつけ、彼女の行く手が安全であることを確かめた。
彼女を見送り、男は残りの魔物を一人で全部倒しきった。
罰金を増やすわけにはいかなかった。
新人冒険者達も無事保護された。
男は計画通りに予定された全ての資金を回収し、冒険者ギルドに行って彼女を買いとる手続きをした。
あとは約束の日、約束の廃城で落ち合うばかりだったのだ。
その時、幼いあの日の約束を果たすつもりであった。
だが、その日彼女は来なかった。
聞き込みをして、探し回った。何年も何年も。
たった一人で戦い、探し続けたのだ。
気が付けばスキルも上がり、英雄と呼ばれていた。
だがその人生で彼女の手がかりは得られなかった。
森で別れたその時が、二度目の別れになったのだ。
それから8度転生を繰り返し探し続け、まだ戦い続けている。
彼女もまた転生を繰り返しているならばいつか必ず会える。
英雄と呼ばれようと勇者と呼ばれようとそれだけが男の変わらない願いであった。
__
何度目かの跳躍で男はドラゴンの翼を切り落とすことに成功すると、落下するその巨大な体の上から魔法の力を宿した剣でドラゴンの脳天を刺し貫いた。
轟音と共に、地面を震わせ、その巨体が地面に落ちた。
剣を引き抜き、その素材を回収しようともせず、男は丘の上の廃城に駆け戻った。
地面を蹴れば風のように進んだ。
夕闇に沈み、青く陰ってきたその丘の上には冷たい風が流れ込み、伸び放題の草がさらさら揺れるばかりであった。
辺りをまわってみても人が来た形跡もなかった。
そしてその日、そこにはもう誰も現れなかった。
また一年に一度のその日は終わってしまったのだ。
あの日、森で女と別れて以来、男の時間は止まっていた。
翌年も、また翌年も、男は約束したその日に必ずその丘に登った。
数年が経ち、そしてまたその日が巡ってきた。
肌寒い風が吹き、廃城を囲む草にも枯れた色合いが目立つ。
そして今年もまた日が落ちようとしていた。
男はふと、彼女と別れたあの森へ足を向けた。
一瞬で移動すると、そこはその当時よりもずっと荒れ果てた危険な森となっていた。
狩りや森の恵みを収穫に人々が入ってきている形跡が一切ないのだ。
多少の魔物の気配はあるが、特別危険な森といった気配ではない。
その時、背後から近づいてくるかすかな気配に気づき振り返った。
粗末な服を着た村の娘のようであった。
息を切らせて走ってくると、男の顔に気が付いた。
「勇者様!ああよかった。こんなところでお会いできるなんて。
弟が、弟が森の中で迷子になってしまったのですどうか……助けて下さい!」
「この森に一人でか?」
「この森は深く入ってはいけないとされてきた森なのです。なのでいつもは入り口付近で木の実を収穫するぐらいだったのですが、どこにもいなくて、入り口付近はもう探しつくしていて……。」
長いこと探していたのか、スカートの裾は汚れ、茂みや木の枝にひっかけたのか、ぼろぼろに切り裂かれていた。足元も傷だらけだ。
男は空を見上げた。そろそろ日も暮れる刻限であった。
今年もその日が終わる。
男は娘に村に戻っているように告げた。
そして迷子の子供のために再び地面を蹴った。
すぐに魔物の気配に気が付いた。
新人冒険者でもなんとかなる程度の弱い気配だが、何も持たない子供にとっては強敵だ。
突然森が途切れ、視界が開けた。
森の真ん中に突如現れた空き地の真ん中に人間の子供の姿があった。
その周りを数体のゴブリンが囲んでいる。
風のように飛んで男は子供を抱き上げていた。
そして襲ってきたゴブリンを一刀のもとに葬る。
子供を抱えたまま、片手で充分であった。
一匹残らずゴブリンを倒してしまうと、男は子供の体を地面に下した。
「なぜこんな奥地まで一人で来た?」
子供はよほど怖かったのか、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃであった。
「キコの実を摘んでいたら夢中になって、奥まで来てしまっていて、そしたら幽霊がいて、怖くて逃げたら迷子に……」
「幽霊?」
「言い伝えだったけど、本当に女の子の幽霊がこの奥の方にいたんだ。石がごろごろしているところだよ」
男は勇者と呼ばれるだけあって当然ながら光の魔法も扱えた。
「わかった。後で除霊に行ってみよう」
男は子供を村に送ると、再び森にとって返した。
既に日も落ち、森は闇に包まれている。
火を入れたランタンを掲げながら子供に教えられた方向へ進んだ。
足に固い岩の感触が当たった。
灯りをかざしてみると、森の中に苔むした墓石のような形の岩がぼこぼこと現れた。
そこはまるで大昔は墓地であったのではないかと思わせるような場所であった。
木々や草花が墓石があるのも構わず生い茂ってしまったようで、木々の根元から、あるいは茂みの中から、朽ちかけた墓石がいくつもその姿を不気味に覗かせている。
地面から生えるように立っている墓石の間を縫うように進んでいくと、その先に白いぼんやりとした影が見えた。
子供が言っていた幽霊かもしれないと、男は光魔法の準備をした。
悪い気配は全くしない。
そちらへ向かいながら呪文を唱える。
だが、ほんの数歩手前で男は息を飲み、足を止めた。
そして呆然とその姿を見つめた。
手にしていた剣がするりと落ちて地面に切っ先を埋めた。
その淡く光る人影は懐かしい面影を残していた。
男は口を開いた。
「エイラ……?」
白いぼんやりとした人影が振り返る。
数百年も前に失われ、数百年も待ち焦がれてきた女の姿がそこに佇んでいた。
透けるような体の女が微笑んだ。
「ああ、やっと会えた。ごめんなさい。あの日、あの場所に行けなくて。
ずっとそれを伝えたくて動けなくなってしまった。」
今にも消えそうな声が空気をわずかに震わせる。
その体も、闇に沈む木々の影が透けてみえるほどに薄かった。
「ああ、エイラ……」
呻くように、悲しみに打ちひしがれた声がこぼれた。
その体は完全に死んでいる。
転生したものではない。
この世でまた会えるかもしれないという希望が完全に絶たれたのだ。
その現実に男はひたすらに胸を締め付けられていた。
「また失ってしまう……」
これで3度目の別れであった。