星に願いを
──書いた願いが必ず叶うと伝えられる、伝説の短冊。その秘宝を巡り、熱い戦いの火蓋が切って落とされた。
「……それは、俺のだああッッ!」
アムルガルの双剣が黒い影を凪いだ。しかしそれはするりとかわし、返す一撃を爪で軽く受け止めた。
「はァ……、ダメねェ。このアタシから奪おうなんて。ルシファーでもやらないわよ」
反対の指に挟まれた光る紙切れ。それをこれ見よがしに見せびらかして、サタンはニヤリと口を歪めた。
「この世界を魔界のものにするの。それにはこれが必要なのよ」
「させるかあああっっ!!」
双剣が唸る。だが、魔界の支配者に届く事はなかった。
「どうせアナタの願いなんて、背を伸ばしたいとか、そんな小さな事でしょ?
フフッ、牛乳でも飲めばいいじゃない、お・チ・ビさん」
この一言が、アムルガルの逆鱗に触れた。
「……小さいって言ったかあああッッ!!」
飛び上がった勢いの激烈な斬撃が、魔王の頭上に落ちる。サタンは黒い翼を翻して避けるも、刃は腕に深く食い込んだ。その衝撃と痛みで、短冊は魔王の手を離れ、ひらひらと宙に舞った。
「……やるじゃない、アタシを本気にさせるなんて」
魔王の双眸が赤く光った。
「地獄の炎で抱き締めてあげるわ!!」
長い爪の間に現れた炎球が竜人の剣士を襲う。アムルガルの肌に鱗が光る。魔法をも防御する竜の鱗も、地獄の獄炎には耐えかねた。
「……うぐっ!」
両腕でかばうその目の前で、魔界の王の爪が鋭く光った。
「……肝心の短冊を放ってのバトルごっこですか。呑気なものですなぁ」
白い手袋をした手が、光る紙片を拾い上げた。フッと埃を払い、赤いシルクハットの下から戦う二人をチラリと見やった人物は、落ち着いた歩調でその場を離れた。
──そして、背中に向けられた銃口に気付き、足を止める。
「おやおや、素手の相手に武器を向けるとは、卑怯ではありませんかな?」
「魔法を使う相手には先手を取るようにって、ムーニア師匠に教わったのよっ!」
紫の髪を揺らし、冒険者の装備を身に付けた少女は、引き金に指を掛けた。
「これはこれは、落ち着こうではありませんかな。話し合ってからでも遅くはない、ですよ」
両手を上げ、少女を振り返る。その赤い目を睨みながら、少女は銃をカチャリと鳴らした。
「メフィストフェレスなんかと話し合ったら、騙されるって誰にでも分かるわよ」
「やれやれ、吾輩は信用がありませんなぁ」
赤眼の悪魔は、頭上に上げた指に挟んだ紙片を示した。
「皆から信用されますように、とでも書きましょうかな」
「そんな無駄遣いはさせないわよっ!」
少女──アディは銃口を外さずにゆっくりと一歩進んだ。
「ものすっごいお宝なんだからっ。何がなんでもゲットしてやるわッ!」
「ほぅ? ではあなたは、これをどのように使うつもりで?」
問われて、アディは少し考えた。
「えっと……、ムーニア師匠に見せて、パメラに自慢して、それから……」
一瞬目線が逸れた隙を、メフィストフェレスは見逃さなかった。
「結局、あなたはこの宝を手に入れる事が目的で、この宝を生かす事は考えていないのですなぁ」
悪魔の指先に紫の霧が現れる。その指を鳴らすと、霧は一面に広がり、アディの身体を包んだ。
「……な、何、これ、は……? 苦、しい……」
アディは膝を折り、ゴホゴホと咳き込んだ。
「毒、ですよ。
なに、死ぬような代物ではありませんからご安心を。半日ほど苦しめば消えますからな。──それまで、生きていれば、ですが。
では、ご機嫌よう」
メフィストフェレスはシルクハットを胸に一礼すると、その場を去った。
「勝手な事はさせませんよ」
メフィストフェレスの行く手を阻んだのは、天界の騎士たちだった。
その中央に、四枚の翼を背負った大天使が進み出た。光り輝く杖がメフィストフェレスの目を細めさせる。
「魔界が動き出したと報告を受け、監視に来たのです。さあ、その手のものを渡しなさい。それは天界が持つべきものです」
大天使ファヌエルが手を差し出す。
「素直に渡せば罪は問いません。しかし、逆らうのであれば、その身の罪に相応しい罰を与えます。さあ、今すぐ決断するのです」
すると、メフィストフェレスはやれやれとため息を吐いた。
「誰が天界のものと決めたのですかな?
罪に相応しい罰を与える? あなたは自分が正義だと勝手に思い込んでいる。その正義の根拠は? 答えられますかな?」
「正義にベストはありません。常にあるのはベターです。
少なくとも、あなたがそれを手にするよりは、天界の神々の方がマシな使い方をするであろうと、私は考えています」
即答したファヌエルに、メフィストフェレスは小さく舌打ちした。ファヌエルはそんな悪魔に質問を返した。
「そう言うあなたは、それを手に入れて、どうするつもりなのですか?」
狡猾な悪魔は、シルクハットの下から真っ直ぐに、廉潔な執行者を見据えた。
「スー商会に売るのですよ。
そうすれば、天界にとっても魔界にとっても脅威となる。大金を払ってでも買おうと必死になるでしょう。その金を工面している間は、無駄な戦争などを起こす余裕はない。この世界に束の間の平和が訪れるのです。
で、吾輩は大金持ちで万々歳。しばらく南国でバカンスでもしようかと考えております。
誰も損をしない、ベストな使い方ではありませんかな?」
メフィストフェレスはニヤリとファヌエルを見上げた。
「どうです? 一緒にバカンスを楽しむというのは?」
ファヌエルはしばらく、悪魔の赤眼を眺めていたが、やがて口を開いた。
「あなたが嘘つきな悪魔でなければ、聞き入れたやもしれません」
「……これは参りましたな」
メフィストフェレスは短冊を挟んだ指を顔の前に上げた。
「交渉決裂、ですな」
「己の罪を省みなさい」
悪魔の手が毒を帯びるより早く、天の騎士・エスペランサの剣が動いた。鋭い一閃が手袋を斬り裂く。
「──ッッ!」
飛び散る血飛沫と共に、短冊が風に舞った。それはくるくると旋風に乗って、天高く飛んでいく。
「あれを追うのです!」
「そうは、させないッ!」
よろめきながら現れたアディの銃口が、エスペランサたちの動きを止める。
「あのお宝を手に入れるのは、私……!」
「あら、ファヌちゃんじゃないの。こんなところで会うとはね。残念だけど、あれを最初に見つけたのは、アタシなの」
アディの後ろで、サタンが火球を弄ぶ。
「撤回、しろッ! 俺を、チビと呼ぶなッッ!!」
満身創痍になりながら、アムルガルが双剣を振り回す。
「……随分とややこしい事になってきましたなぁ」
そっと立ち去ろうとするメフィストフェレスを、ファヌエルは見逃さなかった。
「己が運命から逃げる事は許しません」
「そうね、ファヌちゃんと運命を感じちゃうわね」
「ファヌエル様をお守りするのだ!」
「お宝は渡さない……」
「俺はこれでも、十八歳だああッッ!」
──その頃。
風に流された短冊は、旅人の足元にひらひらと舞い落ちた。それを拾い上げた肩の上に、青白く光る骸骨が浮いている。
「なんだコレ?」
骸骨はカタカタと顎骨を鳴らして言った。
「──短冊」
黒いフードを目深に被った少女は、背丈よりも大きな鎌を抱えながら、まっさらな紙面を眺めた。
「七夕の夜に、願い事を書くの」
「どうせおまじないだろ? 効く訳ないって」
「織姫が彦星と会えた記念に、叶えてくれる」
「ふーん、ロマンチックだねぇ」
骸骨は退屈そうに欠伸をした。
「もう夜だしさ、宿を探そうぜ?」
「…………」
骸骨の言葉を無視して、少女はポケットからペンを取り出した。そして、切り株を机に、短冊にペン先を走らせる。
「……アズの願い事って、何だ?」
骸骨が顔を覗かせると、少女は迷惑そうに睨む。
「骨三郎、邪魔」
書き上がった短冊を、少女は、星空へと伸びる笹竹の枝に吊るした。
「……こんな願い事でいいのか?」
それを見て、骨三郎は首を傾げた。
「これが、私の願いだから」
「まぁ、死の天使だけどよ。もうちょっと何つーか、ロマンがあっても……」
骨三郎が言い終わらないうちに、少女は歩き出した。
「待てって! アズリエル!」
──二人が去った後、風に揺れる短冊は強烈な光を放ち、その願いは叶えられた。
──『安らかな死を』
そして、世界は静寂に満たされた。