69-惨状
「なんてことだ……」
普段は感情をほとんど表に出さないアロール・レッゲルであったが、この時ばかりは目の前の光景に大きく表情を歪ませていた。
そこはスペルリタスの市街地、その最奥にある皇宮の側の研究所。皇室付き技術顧問であるルディロの根城。その地下に作られた、よくここを訪れるアロールですら知らなかった部屋。
オーラノイドの少女に逃げられたアロールは、本来ならその後を追うべきだったが、偵察にあたらせていたレーベが持ち帰った情報は、その任務の意味を根底から覆しかねないものだったのだ。
そしてアロールは今、オーラノイドの追跡は手下たちに任せて、この帝立研究所にやってきた。自らの目でその光景を確かめ、もたらされた情報が紛れもない事実であることを思い知らされたのだ。
薄暗くやたらと広いその部屋には、壁に沿って無骨な檻がズラリと並んでいる。そして、その一つ一つに、老若男女様々な獣人たちが、手足を拘束具で縛られて閉じ込められていた。
それだけでも十分に異様な光景だったが、何より恐ろしいのはそれらの獣人たちが生来の腕や脚を切り落とされ、様々な形の機械が取り付けられていたことだった。
「ローズ、ミエト、エンデ……これを全部、ルディロが、やったのか……?」
アロールは近くの檻に入れられた獣人たちの名前を呟いた。そう、アロールは彼らを知っていた。アロールの生まれ故郷、スペルリタスの奴隷村の一つである十八地区の住人たちだった。しかし、かつて笑顔で挨拶を交わし合った彼らも、今は気を失ったり、虚な目であらぬ方向を見ていたりして、誰一人としてアロールの声に反応することはなかった。
「ルディロの奴の人工知能搭載型機械義手……あの技術の、実験台にされたんでやす……」
背後にいるレーベが重苦しい声で説明する、その言葉が耳をすり抜けた。半ば停止した頭で目の前の現実を理解しようと努めるが、結果は思わしくなかった。
あちこちから、呻き声が聞こえる。壁に頭を打ちつける音や、床を爪で引っ掻き続ける音らしきものも聞こえた。それはまるで亡霊たちの怨嗟の声のように、アロールの耳朶を打った。
「人工知能を接続されたことで、心を侵されてしまったのか……」
アロールに専門的な知識はなかったが、あの技術について基本的なことはルディロから話を聞いていた。人間の脳と機械の脳を接続し、機械の体で身体能力を上げるだけでなく、思考能力や計算速度も強化する技術――たしかルディロは『キマイラ』と呼んでいた。
素人目にも危険であることがはっきり分かるその手術を、なぜルディロは臆することなく自分に施すことができたのか。その謎の答えも、この光景を見れば一目瞭然だった。
『獣人族を奴隷とし続けることは、スペルリタスにとっても何一つ得のないことなのですよ』
かつての――技術顧問になる前のルディロの言葉が記憶を過ぎった。今のように、自分の体を改造し始める前のことだ。
『獣人族を市民として受け入れ、その力を借りるべきです。今のような旧態依然としたやり方では、もはやスペルリタスを支えることはできないのです』
そう語っていた頃のルディロの目は真っ直ぐだった。今のようなぼんやりと曇った目ではなかった。
また、アロールはオーラノイドを連れてくれば、十八地区の人々に会わせてくれると約束したルディロの言葉を思い出した。しかし当然、あの時にはすでに彼らはこうなっていたに違いない。ルディロは顔色ひとつ変えずに空約束を結んだのだ。
アロールは歯軋りした。自分の牙が全て砕けてしまうのではないかと思うほどに、強く、強く。握りしめた手の爪が、掌に食い込んで傷をつける。血が滴り落ちる。一滴落ちる毎に、アロールの中で一つの決意が固まっていく。
ルディロがおかしくなり始めてからも、アロールは決定的な裏切りがない限り、ルディロを信じ続けようと決めていた。十年間、同じ夢を追い続けた仲間を、簡単に見限ることはアロールの流儀に反することだったのだ。
だが、そんな自分の甘さが、この結果を産んだのだ。もっと早く行動していれば、決断していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。そんな後悔と、自らの信頼を裏切ったルディロへの怒りが、ふつふつと滾ってくる。
こうなれば、もはや自分のすべきことはただ一つ。
「……レーベ、ここを頼めるか」
「へい……船長は、どうするんでやす?」
「決まっている……」
アロールは踵を返すと、実の家族のように慕う人々の哀れな姿に背を向けた。そして、銃剣付きのリボルビングライフルのグリップを握る。
「ルディロの奴を捕まえて、どんな手を使っても皆を元に戻させてやる」
そう言って、アロールは誰に聞かれることも構わずに雄叫びを上げた。狼の咆哮が混じったその声は、屋内の壁に反響して壁や天井や窓を激しく震わせた。
長く尾を引いた雄叫びが終わった瞬間、一発の銃声が鳴り響くと、もうそこにアロールの姿はなかった。




