04-アステラリウム
「あ、あの……」
その時、少女がノキア達の方へ歩み寄ってきた。
「助けてくれて、ありがとう……」
「別に、気にしなくてもいいよ。それより、君はどうしてあんなところに……?」
ノキアが問うと、少女は背後にある研究所の廃墟を振り返り、少し眉根を寄せて考え込んでから答えた。
「よく……分かんない。頭がぼーっとして……気が付いたら、あなたが目の前で倒れてて……」
「じゃあ、それより前のことは何も覚えてないのか? 名前とかは?」
「名前? 名前……んー……分かんない!」
少女はそう言うところころ笑った。肝心なことは何もわからないが、楽天的な性格であることだけは分かった。今度はミストが質問する。
「それじゃ……何かヒントになるようなもの、持ってない?」
「んー……あ! こんなのがある」
少女はそう言うと、首に掛かっていた細い鎖を引いた。すると、服の下に隠れていたペンダントが姿を現わす。
それは、金属製の楕円のプレートだった。大きさはノキアの親指ほどで、表面には何か文字が刻まれているようだ。
「えっと……『ケファ・アリフ』って書いてあるね……これが自分の名前かどうか、分からないけど」
「そうだよな……でも、他に手掛かりが無いようなら、ひとまずその名前で呼んでもいいか?」
「うん、いいよ! ケファ、ケファ……いい名前」
ケファと呼ばれることになった少女はまたころころと笑った。しかしふと思いついたように、ノキアの顔を覗き込む。
「そういえば、あなたたちの名前は?」
「ああ、そうか、すっかり忘れてた……俺はノキア・ハイト。こっちの竜は相棒のミストだ。よろしくな」
「うん、よろしく!」
「それにしても、竜の私を見ても怖がらないなんて、あなたも随分変わり者ねえ」
「良いひとだってことは、一目見たら分かるもの。変かな……?」
「……変っちゃ変だけど、そう言われて悪い気はしないわね」
どうやら、ミストも次第にケファに打ち解けてきたようだ。ノキアはとりあえずひと安心するも、結局ケファの正体についてはほとんど何も分からなかった。
判明していることは、謎の研究施設に百年以上封印されていたこと、圧力波を発する光の輪を作り出す能力を持つこと、無邪気な人格と氷のように冷たい人格とが何かのきっかけで入れ替わるらしいこと、くらいだろうか。
研究所の警報で『被験体』と呼ばれていたのがケファのことなら、なんらかの研究の実験台にされていたということになる。しかし、ノキアはそのことはあまり考えたくなかった。
「さて、これ以上の収穫はなさそうだし、そろそろレクシリルに帰るか……ケファ、君もここにいても仕方ないだろうし、ひとまず一緒に来るか?」
「うん、そうする!」
ケファは、提案したノキアもびっくりするような即答ぶりで首肯したが、ふと何か気になったように辺りを見回した。
「でも……レクシリルって、どこにあるの?」
周囲には崩壊してしまった研究所以外に建物は何もない。ただ、茫漠とした灰色の大地が続いていて、霞むほど遠くにこの大地を包むドームの壁があるだけだった。そしてドーム越しに見えるのは、星々の散らばる濃紺の空だけだ。
「そうか、記憶がないから『アステラ』のことも分からないんだよな……」
「あすてら……?」
「そう。俺たちがいるこの場所は、宇宙に浮かぶ丸い容器のようなものなんだ。そうだな、例えて言うなら……」
ノキアは少しの間思案して、ベルトに下げたポーチから透明な水筒を取り出した。中には飲みかけの水が半分ほど残っている。
「今、俺たちの上に広がっているドームが水筒で、立ってる大地は中に入ってる水だ。もちろん、スケールも形も違うけどな。これが、俺たちが住んでいるアステラリウムっていうコロニーだ。略してアステラって呼ぶことが多いな。俺とミストが拠点にしてるレクシリルっていうのは、こことは別のアステラなんだ。分かるか?」
「うん……なんとなく。宇宙には人は住めないんだ?」
「そりゃあ、宇宙には空気がないからな。息ができないんだ」
「じゃあ、どうやって宇宙を超えて旅するの?」
この質問にノキアは少し感心した。見た目は自分と同じ十五歳くらいに見えるのに言動が子どもっぽいので、正直ケファはあまり頭が良くないのではないかと思っていたのだ。
「いい質問だ。その答えは、話すより実践した方が早いな。ミスト、頼めるか?」
「はいはい、いつでもどーぞ」
二人乗りされるのが嫌なのか、ミストはあまり気乗りしない返事をした。これは後でお礼を弾まないと恨まれるな……と不安がりながら、ノキアはミストの背中の鞍によじ登り、ケファにも来るように目で合図した。
「ミストに乗って飛んでくの?」
「そーいうことよ。しっかり掴まっててね」
「うん!」
ケファはノキアの後ろに跨ると、遠慮する様子もなくノキアの腰に腕を回した。ノキアは内心ドキッとしたのだが、根が奥手なので嬉しいというよりも気恥ずかしい感情が優っていた。
しかもそんなノキアの動揺を敏感に感じ取ったらしく、ミストが絶妙なタイミングで水を差してきた。
「……ノキア、ケファに変な気起こしちゃダメだからね?」
ノキアは嘆息し「分かってるよ」と呟くと前方へと視線を移した。
「飛べ、ミスト!!」
その声に応えて、ミストは踏ん張っていた四本の足を一度に蹴り出した。耳元でゴウッと風がなり、体が倍ほどにも重く感じられる一瞬の後、ミストはすでに地上から十メートル近くも舞い上がっていた。
「ふあぁ、ミスト、すごい……!」
ノキアの背後からケファの感嘆した声が上がる。
「そうでしょ。さ、まずはこのコロニーを出るわよ」
ミストは素っ気なく返したが、その裏に少し自慢げな響きがあるのをノキアは聞き逃さなかった。ケファに褒められたことが嬉しいというのもあるだろう。しかし何よりこうして空を舞うこと自体が、ミストにとっては最も充実した、幸福を感じられる時間なのだ。
最初の跳躍で高度を稼いだミストは、今度は翼をはためかせて速度を上昇させる。その行く手には、アステラリウムの半透明のドームが広がっていた。




