20-出立
「『エンデスティアの園』……どうしてノキアがその言葉を知ってるの?」
ノキアの話に、ケファは驚いた声を上げた。場所はノキアたちが住む下宿『大きな木の家』の庭。二人の横には、ミストが昼下がりの草地の上にだらりと体を横たえて話を聞いていた。
「ケファが最初にいた部屋に落ちてたメモに書いてあったんだけど……ケファも知ってたのか? もしかして記憶が……」
「ううん、昔のことは何も思い出せないんだけど……でも、夢の中に出てきたんだ。誰かが唄ってたの、『いざ帰り行かん、麗しきエンデスティアの園へ』って……」
「俺が本で読んだ詩と同じ言葉だ……その夢のことで、他にも覚えてることはある?」
ノキアの質問に、ケファは顎に手を当て、少しだけ眉根を寄せて考え込む。そして言葉を慎重に選ぶようにゆっくりと話した。
「緑色の草原と、水色の空の風景……それに、どうしてか分からないけど、不思議と『ここが故郷だ』っていう思いが閃いたの。うまく言えないけど、夢の中ではそういうことって、あるでしょ?」
「なるほどな……やっぱり、この言葉がケファと深い関わりがあることは間違いないか。実は……」
ノキアはケファとミストに、図書館でエルベルから聞いた話をそのまま伝えた。話が終わると、ミストが首を擡げながら口を挟んだ。
「……それで、どうせルエリータに行ってみたいとか言い出すんでしょ?」
「きっと、そこに行けばケファのことが何か分かると思うんだ。ただ、相応の危険は伴うと思う。それで二人に相談しようと思って」
「私は、ノキアの行くところならどこでも行くわよ。というか、私がいなきゃ行けないでしょ? そんな辺鄙なところに、定期船なんかあるわけないし」
「いや、まあそうなんだけどさ。別に嫌なら反対してくれていいんだよ?」
するとミストは答える代わりにフンと鼻を鳴らした。ノキアはその真意を図りかねたが、特に異存はないと言う意味に取ることにした。
「ありがとう、ミスト。ケファは、どう思う?」
「うん……またあたしのために、ミストとノキアを危険な目に遭わせるのは嫌だけど……でも、あたしも自分のこと、知りたいな。それに、今のままだとこれから先も、宙賊たちに狙われ続けることになっちゃうもんね。あたしが何者なのか分かれば、対処もできるかも」
自分をまっすぐ見つめてくるケファに向かって、ノキアは頷いた。なぜかここ数日の間で、ケファは随分と成長したようだった。
「それじゃあ、話は決まりだな。となれば、ルエリータは寒冷地らしいから、まずは防寒着を……」
「あんた、まさかまた母さんに何も言わずに出てこうって言うんじゃないでしょうね?」
突然背後から声がして、すっかり油断していたノキアはビクッと飛び跳ねた。そして振り向いた先にいたのは言わずもがな、エプロン姿のアリムだった。
「ま、まさかそんな訳ないだろアリム……」
「全然気持ちが篭ってないんですけど?」
「い、いや、そんなことないって……」
ノキアは言い訳がましく言ったが、アリムには当然通用しなかった。そうしてまた非建設的な言い合いをしているのを見ながら、ケファは小声でミストに尋ねた。
「……ねえミスト、ノキアって、どうしてアリムさんと距離を取ろうとするのかな? あたし、アリムさんってすごくいいひとだと思うんだけど」
「さあ、私も出会う前のことだからよく分からないけど……どうも実の親のことで何かあって、家族っていう言葉に拒否反応があるみたいなのよね。でも……」
ミストはつかの間言葉を切って、ノキアとアリムに目をやった。どう話が広がったのか、いまや部屋が汚いことについて言い争っている二人の様子は、種族は違えど本物の親子のようにさえ見えた。
「こうしてこの下宿に居着いてるところを見ると、本心ではトラウマを乗り越えたいと思ってるのかもしれないわね」
「そっか。ノキアも色々とあるんだね。悩み事なんてない能天気な人なのかと思ってた」
「ケファ、流石にその言い方は失礼よ……」
ミストがやんわり嗜めている間に、ノキアたちの会話は一周して元の話題に戻っていた。
「だから、別に引き止めやしないって言ってるでしょ! どこに行くかくらいちゃんと言ってから行きなさいって言ってるの!」
「だからそれが余計なお世話だって言ってるんだろ!」
「出かける前に一言残すくらいどうってことないでしょ!」
しかし、だからといって解決しそうな気配は一切なかった。ミストはわざとらしく嘆息して、苦笑いしながら言った。
「トラウマを乗り越えようとしている……んだったらいいんだけどね」
そして同じく苦笑で返すケファをあとに残し、二人の間に仲裁に割り込んでいった。
結局、二人の口喧嘩が終戦するまでには小一時間ほど掛かった。
「要は、ケファちゃんのためにルエリータに行くってことなんでしょ。何もやましいことないんだったら、別に隠すことないじゃないの」
「そりゃ、そうなんだけどさ……」
ノキアはまだ言い返したそうにしていたが、ミストが目を光らせているのでそれ以上は何も言わなかった。
「ケファちゃんのこと、しっかり守るのよ。そして必ずこの家に帰ってくること。いいわね?」
「……分かったよ」
ノキアが嫌々ながらもついに発した同意の言葉に、アリムは満足気に頷いた。そして今度はミストとケファに向き直る。
「ミスト、ケファちゃん。二人も、無事に帰ってくるのよ。ケファちゃんだって、もう大事なうちの子なんですからね」
「はい、必ず」
「ありがとうございます、アリムさん……」
ミストとケファはそれぞれに答えた。ケファの方は、感動して少し泣きそうにすらなっている。
「うむ、誰かさんと違って素直でよろしい! それじゃ早速、ケファちゃんの防寒着買いにいきましょ!」
「え、アリムも付いてくるのかよ」
「だってノキアにケファちゃんの服を選ぶセンスがあるとは思えないもの。竜のミストだって人間族の服は分からないだろうし」
「それを言うならアリムは兎だろ!」
またしても騒がしく言い合いを始める二人に、ミストとケファはもう何度目か分からない苦笑の交わし合いをするのだった。




