19-図書館
数日後、ノキアはレクシリル総督府のお膝元にある公立図書館を訪れていた。レクシリルは下町は文字通り流れ者の溜まり場だが、総督府周辺の上町は驚くほど整然としており、図書館のような公共施設も充実している。
レクシリルは、『あらゆる種族の者が共存して暮らせる邦を』という創立者の遺志を継いで、オーロラ海では類を見ないほどに多種族が調和している特異なアステラだった。
それでも何もかも理想通りというわけではなく、不和の上澄みが下町に吹きだまってしまっているという誹りを受けることにもなっているのだが。
「ホウホウ、ノキア殿、久方ぶりです。何か調べ物ですかな?」
声を掛けてきたのは、司書のエルベルだった。恰幅のよい老年の男性で、黄色い肌、毛に包まれて房状になった耳、白目の無いアーモンド型の目などが特徴のリル族だった。
「ご無沙汰してます、エルベルさん。えっと……『エンデスティアの園』というものについて、何か分かればと思って……」
「ホウホウ、『エンデスティアの園』ですな……ノキア殿はそれが何なのか、ご存知かな?」
「いえ、名前を見たことがあるだけで……」
ノキアは手の中で小さなメモ書きをいじりながら言った。それは、ケファが眠っていた研究所の床に落ちていたものだった。
「ホウホウ、そうですか。旅人の中ではよく知られた話だと思っておりましたが。さてさて、それでは詳しく説明するために文献を持ってまいりましょう。少し待っていてくだされ」
ややあって、エルベルは皮装丁の赤茶色の大きな本を携えて戻ってきた。
「これはオーロラ海の各地に語り継がれる伝説を編纂した本でしてな。著者はオーロラ海史上最大の民俗学者と評されるルゾラック・グレードムという半竜人ですぞ。彼は実に百三十五ものアステラを旅し、二十三の言語を嗜み、フィールドワークにて凡そ現在確認されているありとあらゆる伝承を……」
「あの、それで、『エンデスティアの園』について……」
ノキアは申し訳なく思いながらも、エルベルの話を遮った。エルベルは珍しくノキアが真面目に敬意を示すほどの知識の持ち主だが、一度話し始めるとどんどん話題が脱線していく悪癖がある。たとえ無遠慮でも、適宜軌道修正をしなければならないことを、ノキアはこれまで散々思い知らされてきた。
「おっと、そうでしたな、失礼。おそらくこの辺りの頁に……ありましたぞ! まあ、まずは読んでみてくだされ」
エルベルが差し出してきた本を、ノキアは目の前の書見台に置いた。その頁には、『エンデスティアの園——ルエル人に伝わる伝説』という表題の後に、一つの詩が書かれていた。
その地には果てない緑の野が広がり、
その全面を可憐な花が飾っている。
綿雲を戴く空は水色に透き通り、
それら全てを金色の太陽が照らし出す。
これぞ、我らが故郷。我らが源。
いざ帰り行かん、緑なす祝福の地へ
いざ帰り行かん、
麗しきエンデスティアの園へ
「これが、エンデスティアの園の伝説……このルエル人って、一体どんな種族なんですか?」
「実は、それがよく分かっておらんのです。ルエル人そのものもただの伝説ではないかと言われておるほどで。しかし、伝承に拠れば、銀色の肌と金色の髪を持った長身の美しい種族で、古代技術を受け継いでいたと言われております」
エルベルの答えに、ノキアは顎に手を当てて考え込んだ。古代技術については、ノキアも聞いたことがある。現在は失われた、アステラリウムが建造された頃の超文明の技術のことだ。
あの研究所のアステラも、古代技術の産物と考えれば納得はいく。しかしケファの容姿は、ルエル人の特徴とは合致しない。この両者に、一体どんな関係があるのだろうか。
「ルエル人についての手掛かりって、この詩以外には何も残ってないんですか?」
「まあ、かつては信憑性の薄い目撃証言ならいくつもあったようですが、ここ百年はそれすらも途絶えておるようですな。滅亡してしまったのか、そもそも存在しなかったのか……ああ、そう、一つだけ、ルエル人が住んでいたのではないかとされるアステラがありますぞ」
そう言ってエルベルは本の頁をいくつかめくった。その頁には一つのアステラの模写と、それが存在する座標が書かれていた。
「ルエリータと呼ばれるアステラです。もっともこの名は、『ルエル人が住んでいたかもしれないアステラ』としてルゾラックが命名したものですが」
「今は誰か住んでいるわけじゃないんですか?」
「現在は無人となっております。というか、人が住める環境ではないのですな。恐らくはアステラの気候を制御するステラクリスタル・コアの故障が原因で極端に寒冷化しており、雪と氷に閉ざされておるのです。その過酷な環境と、危険な動物が蔓延っておるせいで、調査が進んでおらんのですよ」
エルベルの解説を聞きながら、ノキアはエンデスティアの園の詩とルエリータの座標を自分の手帳に書き写した。
「なるほど……ありがとうございました。エルベルさん。参考になりました」
「まさか、ノキア殿、ルエリータに行くつもりじゃありませんでしょうな?」
「え、だめですか?」
「あそこはやめておいた方がいいと思いますぞ。今も言った通り、人が行くような場所じゃありません。気温は昼でも氷点下ですし、その環境に適応した凶暴生物が……」
「まあきっと、なんとかなりますよ」
ノキアはそう言ってエルベルの心配を一蹴した。エルベルの忠告はむしろ、旅人としての興味に火をつけてしまったようだった。
「まあ、無理にまで引き止めやしませんが……とにかく、無事に帰ってくるのですぞ!」
「ええ、色々とありがとうございました」
ノキアはまるで近所に買い物に行ってくるとでもいうかのように軽く頭を下げ、図書館を後にした。




