狼とペンギン 09
「よ、よし……もうちょっとだぜい! みんな頑張れぇ!」
動き回り続けて疲れ切った声を必死に励まして、ニックは仲間たちを鼓舞した。その視界の端では、ペント族の一人がすばしっこいジャンプで雪の竜の視線を撹乱している。ニックより三歳ほど歳下の男性のペント族で、ニックにとっては弟のような存在だ。
「アット、あと十秒したら一旦隠れて休むんだぜい! 今度はオイラがあいつを引きつける!」
その青年に向かって叫ぶと、すぐに「分かった、村長!」と答えが返ってくる。が、その声にはやはり余裕は感じられない。
ニックたちは互いに入れ替わりながら雪の竜の注意を引きつけ、一人が過度に消耗してしまわないようなフォーメーションを組んでいた。そうでなければ、すでに何人もの仲間が氷の檻に閉じ込められてしまっていただろう。
ただ一つ、期待が外れたことには、雪の竜はいくら光線を放っても疲れた様子を見せていなかった。ものすごい体力の持ち主なのか、そもそも普通の生き物の常識が通用しない存在なのか。ニックには分からないが、おそらく後者だろうと思った。
もしそうであるならば、いつかはこちらが力尽きてしまうことになる。だがニックも、こんなことを永遠に続けるつもりはなかった。
今回の作戦の鍵は、目指す先の雪山にある。その崖の上では、ニックたちと別行動している残りの仲間たちが準備を進めてくれているはずだ。だからそこまで竜を連れて行くことが、今のニックたちの最大の使命だ。
幸い、ここまでは一人も欠けることなく作戦通りにことを運べている。油断せず、このままペースを保てさえすれば……
だが、現実はそれほど甘くはなかった。むしろ、うまく行ったと思い上がった時ほど、想定外の事態は起きるものだ。
「んぎゃ!」
突然、アットが悲鳴を上げた。疲れのせいか、雪の竜の動きに気を取られていたせいか、ジャンプした先で杉の木の枝に激突してしまったのだ。
「アットォッ!!!」
ニックは慌てて助けに行こうと地面を蹴るが、アットのいる場所までは十メートル以上もある。ペント族といえどひとっ飛びで届くような距離ではない。
足を挫いたのか、その場にうずくまるアットに向けて、雪の竜は情けのかけらも見せることなく光線を浴びせかけた。
ニックはフラッシュに目を眩ませながらもう一度弟分の名前を叫ぶ。間に合わなかったかもしれないと知りながらも駆け寄る。
すると、眩しさから立ち直った視界に、光線によって作り出された氷塊と、その淵に倒れ伏したアットの姿が映った。ありがたいことに、まだ息はあるようだ。ただ、逃げ損なった片足が氷の中に閉じ込められてしまっている。
「ニ、ニックにぃ……」
アットが昔の呼び方でニックを呼ぶ。弱々しい声に、ニックの胸は打たれた。
かつて、ペント族が住んでいた一つ前の集落で、猛獣たちに阻まれてなかなか魚が獲れず皆で腹を空かせていた時も、アットは育ち盛りの子どもだったのに文句の一つも言わなかった。
そんな場合ではないのに、思い出が一挙に溢れてくる。ニックは、人間族の手と同じように器用に動く翼の先端を、ぎゅっと握りしめた。胸のうちには、理不尽に対する怒りが燃え盛っている。
雪の竜を見上げて、ニックは声を張り上げた。
「お前がなんのためにオイラたちの村を襲ったのかは知らねえ……けどな! これだけは言っといてやる! お前がいくらオイラたちの住処を凍らせたって、オイラたちの胸の奥にあるモンまでは、絶対に凍らせることはできねってな!!」
竜は、まるでニックの啖呵の全てを否定し尽くしてやろうというように、今度はニックを標的に定めた。ニックは震えながらも、竜の視線を真っ向から受け止め、睨み返す。
逃げたかったが、逃げなかった。仲間が傷ついて動けないでいるのに、それを置いて行くことなどできない。たとえそれで、自分が氷漬けにされることになるとしても。
アットを守るように間に立ちはだかったニックを、冷凍光線が襲うことはなかった。間一髪、仲間たちが雪玉を次々と投げて竜の気を逸らしてくれたのだ。
「おりゃ! おりゃ!」
「これでも食らえ!」
竜は体を透過する雪玉を嫌がるように身悶えして、更に高い位置に退避する。その間に、他の仲間たちがニックのもとに駆けつけてきた。
「村長! アットのことはボクたちに任せて! 先に進んでください!」
「分かった! 頼んだぜい!」
仲間たちがさっそくアットを氷から解放しようと行動を始めるのを視界の端に捉えつつ、ニックは再び雪山へと向き直り、走り出した。雪玉で牽制していたペント族たちがその後に続く。
竜がアットではなくこちらを追ってくるのを確認しながら、ニックは走り続けた。
*****
「村長たちが、あと少しで目標ポイントに到達します!」
こちらは雪山、ほぼ直角に聳り立つ数十メートルの崖の上。見張り役を買って出ていたペント族が報告を行っていた。
報告を受けているのは、リップ・ラ・トック。別働隊を率いて、ニックの立てた作戦の最も重要な役割を引き受けていた。
「竜が目標ポイントに入るまでに、なんとしても準備を終わらせるんな!」
自分自身も汗をかいて働きながら、仲間たちを鼓舞する。その周りでは、たくさんのペント族たちが動き回り、『あるもの』の用意を進めていた。
ほとんど夜が明ける前から働き続けていて、誰もが疲れていたが、文句を言うペント族は一人もいなかった。自分たちの村を取り返すため、自ら危険な陽動役に名乗り出たニックたちの信頼に応えるため、全力を尽くす。それはペント族にとって、当たり前のことだ。
作業を続けながら、リップはこちらに向かってくる雪の竜の方を振り返った。そして、作戦の成功と夫の無事を祈るのだった。




