もう一人のケファ 15
「さて、ここまでは予定通りですね」
まるで盗聴を恐れているかのような小声で、ナシュが呟く。
ハスノ総督とその部下たちを安全なモニタールームに残し、ケファと科学者たちはミオリを連れて奥の通路へと進んでいた。
この通路の先に、物質消滅装置の部屋がある。だが、ケファたちはそこにミオリを連れて行くつもりはなかった。
「これがいいかしらね。ロボットとはいえ、なんの罪もないのに申し訳ないとは思うけれど」
ケファは通路の途中に安置されていたメンテナンス・ボットの一体を指した。ナシュが頷き、早速肩に提げていた黒い鞄を下ろして開ける。
そこに何が入っているか、ケファは知っていたのだが、それでも実際に目にすると流石にぞっとした。まるで、人間の皮を丸ごと剥いで丸めたように見える。
もちろん実際は、精巧に似せた作り物だ。ナシュたちに頼んで、航宙船団の出発までに極秘裏に用意してもらったもの。
「ひ……」
小さく悲鳴を上げたのは、ミオリだった。相変わらず反応が少なく、自分の置かれた状況をどこまで理解できているかは謎だったが、さすがに自分と瓜二つの『抜け殻』を見ればそれは驚くだろう。
「ほらほら、大丈夫、怖くない怖くない」
ミオリの手錠をピッキングしていたラナがすぐにフォローに入って、ミオリの気を逸らしてくれる。うまく誘導して、こちらの作業の様子がミオリの視界に入らないようにしてくれた。お礼を言う暇もなかったが、ケファはそんなラナの気遣いに心の底から感謝した。
ぶっつけ本番である上に時間を掛けていられない焦りからだいぶ手間取ったが、数分後にはメンテナンス・ボットにミオリの着ぐるみを着せ終えることができた。
我ながら古典的な手法だとは思っていたが、いざやってみると思いのほか様になっている。近くで見ればすぐに看破されるだろうが、モニタールームから遠目に見る分には本物のミオリとそうそう見分けはつかないだろうと思えた。
「それじゃあナシュ、こっちのことは任せるわね」
「はい、うまくやって見せます」
ナシュの心強い返答を受け取りながら、ケファはミオリの方に向き直った。
「さあ、ミオリ、こっちよ」
しかしミオリは周囲の重々しい雰囲気に気圧されたのか、不安な表情を浮かべている。ケファはそんなミオリの様子に想いが抑えられなくなって、我が子を両腕で抱きしめた。この華奢な少女に、今まで自分が背負わせてきてしまったものを思うと、自分の首を絞めつけてやりたい気持ちに駆られる。
だが、そんな後悔も罪悪感も、すべてを心の内に収めて、今はミオリのために未来への道を切り開く。それが、ケファの決意だった。
「大丈夫。もう絶対に、あなたを危険な目に合わせない。どんな危険なことがあっても、私が守るから」
しばらくして、ミオリの体からこわばりが少しだけ抜けた。ケファは、少し体を離してミオリの瞳をのぞき込む。
どれほど伝わったかは、分からない。それでも、ミオリの目が僅かに落ち着きを取り戻したことを見て取って、ケファは微笑んだ。
「さあ、行きましょう」
そうしてミオリの手を引き、ケファは通路の横の扉から外へ出た。ナシュ達が背中を見守ってくれているのが感じられた。
やってきたのは、がらんどうの広い部屋だ。奥の壁はまっさらで、何もないように見える。だが、それが偽りの姿であることをケファは知っていた。
ちょうど目線の高さくらいにある壁の一点を指で押すと、継ぎ目ひとつないように見えたそこがぱかりと開いて、中からボタンが出現する。そのボタンを、ケファは迷いなく押した。すると隠し扉になっていた壁がスライドして、奥に通路が出現する。
こんな仕掛けを、ハイアラ人がなぜ作ったのかは分からない。この施設を造った人間は、何者かの襲撃を恐れてでもいたのだろうか。なんであれ、今のケファはその人間にいくら感謝してもし足りなかった。
通路の先は、広い円筒形の部屋だった。壁面と床は黒光りする金属でできている。まるで螺子を内側から見ているように、螺旋の光のラインが壁を伝っていた。
ここが、タイムスリープの装置だ。まるで時間そのものを遅くしたかのように、ほとんど歳を取ることなく眠り続けることのできる機械。さらには、老衰や『種の寿命』などごく一部を除くほとんどあらゆる病を癒してくれる機能もついている。
これを使えば、たとえ百年でもミオリを安全に保護することができる。そして、おそらく十年ほどで、ミオリが脳に負ってしまったダメージも癒されるだろう。その時、ミオリの記憶がどの程度まで復元できているかは、未知数ではあるが……
「いい、ミオリ、あなたはこれから、ここでしばらく眠りにつくのよ。私があなたを安全に連れ戻せるようになるまで。そして、あなたが受けた傷が癒えるまで」
ミオリは言っていることが分からない様子で、呆けた表情をする。
「大丈夫よ、感覚としてはほんの一瞬のことだから。私が、必ずあなたを迎えに来るから」
そう言い聞かせるが、ミオリはむしろ不安そうな表情をする。何か、安心させてやれる方法がないかと考えて、ケファはその場の思いつきで自分の胸に提げていたネームプレートを外すと、それをミオリの首に掛けてやった。
「これは、お守りよ。きっと最後には、何もかも上手くいくわ」
すると、やっとミオリが微笑みを浮かべてくれた。そして、面白いおもちゃを貰ったというように、ネームプレートを手で弄ぶ。
ケファは次に、壁の特定の部分を指で押した。ここの隠し扉を開いた時と同じように、何もないように見える壁が開いてモニターが出現した。同時に、そのすぐ下の隠しハッチが開く。
その中には、黒い輪の形をした機械が四つあった。タイムスリープを施工するために、両手両足につけるデバイスだ。
これをミオリが身に着け、そしてケファが装置を起動すれば、少なくとも十年、ケファはミオリに会えなくなる。ケファは分かり切っていたことを、改めて意識して切なさに胸を締め付けられた。




