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もう一人のケファ 07

 アンタリオの港で方舟の帰りを待ち侘びていたルエル人たちは、今や、恐慌に包まれていた。


 航行不能なまでに損壊した方舟がアンタリオの中心に向けてまっすぐ突っ込んでくるのが、肉眼でも見える距離に達していたからだ。


 ついさっきまでは、進水式の余韻で湧き上がり、自分たちに迫る『種の寿命』という恐怖さえも忘れたように笑顔を浮かべていた人々が、今では少しでも安全な場所を求めて彷徨う。避難場所を奪い合って起きる暴力沙汰も、そこかしこに見られる。


 そんな混乱の只中に、船体の至る所から煙を噴き上げた方舟は、かけらほどの情け容赦を見せることもなく、縄張りを守ろうとする猪のように一直線に突っ込んでいった。


 激突の衝撃波が、方舟を中心として大地を吹き飛ばし、崩壊した家屋と逃げ遅れた人々をまとめて枯葉のように軽々と舞い上がらせていく。


 まるでそれは、世界の終焉そのもののような光景であった。




*****




「……かはっ、はぁっ……」


 ケファは、もがきながらなんとか水面に顔を出し、息継ぎをした。


「ミオリ! どこにいるの、ミオリ!」


 あたりを見渡すが、見えるのは異常に波打つ海ばかり。


 方舟の上にいては助からないと判断したケファは、墜落の直前、ミオリを抱えて転がるようにして海へと飛び込んだのだ。


 しかし直後、方舟の墜落による爆風が海まで押し寄せ、ケファは大波に飲まれてしまった。


 やっと少し波が収まり、なんとか水の上に顔を出していられるくらいになったのだが、ミオリとははぐれてしまった。


 もしかしたら、気を失ったまますでに海の底……そんな予感が脳裏をよぎる。


 ここまで来て、こんな結末なんて。半狂乱になりながらも、ケファは祈るような思いで視線を巡らせていく。


 そして、十メートルほど先に見慣れた銀灰色の髪と透けるような色白の肌をみとめた。


「ああ、ミオリ!」


 日頃泳ぎ慣れていない上に、着ている服が水を吸って重く、さらには怪我をした腕が痛かったが、この時はそんなことは一つも気にならなかった。


 ミオリは気を失ったまま、大きな木の板に打ち上げられるようにして海上を漂っていた。所々焼け焦げた木の板は、方舟の居住区で使われていた床板か何かのようだ。ちょうどその上に流れ着いたおかげで、沈まずに済んだらしい。


 ケファは幸運に感謝しながら、自分もその木の板に縋りついた。それはちょっとした筏ほどの大きさがあり、女性二人分くらいなら乗っても沈まなそうだ。


 ともかくこの上でひと息つこうと考えたケファは、先に板に上がり、下半身が海に浸かっていたミオリを引きずり上げた。


「ああ、でも……これからどうしたら」


 陸地は遠くに見えるが、先ほどの波のせいもあり随分と沖に流されてしまった。一連の騒動で疲れ果てているケファでは、泳いで陸地にたどり着くことはできないだろう。まして、ミオリは気絶したままだ。


 せめて、櫂の代わりになるようなものでもあればと、あたりに散らばった方舟の残骸に視線を彷徨わせたケファは、沖合のほうが海が高くなっていることに気付いた。


 疲労困憊している中でも、科学者としての頭脳は最低限の働きを見せてくれた。ついさっき、方舟の墜落によって陸から沖に向かって大波が発生した。それがアステラの縁に到達すれば、当然寄せ返しがくるわけだ。


 波に飲まれてこの拾い物の筏から引き剥がされてはたまらない。かといって十分な備えをする余裕などあるはずもなく、ケファにできることといえばミオリに覆い被さるようにして筏にしがみつくことくらいしかなかった。


「大丈夫よ、ミオリ。私が、絶対にあなたを守るから」


 ミオリに聞かせるためというより、自分を鼓舞するためにそう呟いた。だが、それだけのことが、不思議とケファの体内に新たな力を宿らせた。


 少なくとも今は、母親として正しいことをしている。この十五年の中で、初めてそう確信できたから。


 そんな母親の背中に、津波がまっすぐ押し寄せていた。






 流されている間のことは、ほとんど何も覚えていなかった。上下に激しく揺れる筏の上で、ひたすらに耐えたその時間がどれくらいだったかすらも、はっきりとは分からない。


 丘に打ち上げられて波の揺れがなくなったことで、初めて試練の時が去ったことが分かった。


「……寒い」


 呆然としていたケファの口から最初に出てきたのは、そんな言葉だった。


 そう。寒かった。


 最初は水に濡れて体感温度が下がっているのかと思ったが、それにしても寒すぎる。


 自分の吐く息が白い湯気になっているのを見て、気のせいでないことを知る。


「何が起こっているの?」


 スペースコロニーであるアステラリウムには季節がない。常に、人間にとって過ごしやすい気候に固定されているからだ。


 だからこんな、身も凍るような寒さなど、ケファは経験したこともなかった。


「そうか、方舟の墜落……もしかして、ステラクリスタルに異常が?」


 アステラの環境維持を司っているのは、中心部の地下に存在する、ステラクリスタルをコアユニットとした一連のシステムだ。


 それが故障して、異常気象が発生しているのかもしれない。


「ミオリ、ミオリ! 起きなさい」


 ケファはミオリを揺り動かした。二人とも、ずぶ濡れのままでこんな寒さの中にいては体温を奪われる。下手をすれば命に関わる。


 急いでどこか屋内に避難し、着替える必要があった。


 しばらく揺すっていると、やがてミオリが僅かに瞼を持ち上げた。


「よかった……さ、ミオリ、起き上がって。今すぐ移動しないといけないのよ」


 ミオリは上体を起こした。しかし、虚ろな夕陽色の瞳でケファを見つめると、無表情のまま小首を傾げた。


「あー……う……?」

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